第13話 電車


 その駅へ向かうのは多分、3年ぶりだ。駅では友人たちと待ち合わせている。この10年ほど、待ち合わせの場所も時間も、もしかしたら乗っていく電車も変わらない。1年に一度、土曜日の昼過ぎ。


 乗車時間は約1時間。座っていけるから文庫本を読む。ただ、車内は暖かくて適度な揺れがあるおかげで、たいてい途中で眠くなってうたたねしてしまう。そんなことも3年ぶりでも変わらなかった。

 何かに引き戻される感覚で目が覚めた。寝ていたことにも気付いていなかった。隣りに座ってきた男性が、あ、という感じで頭を下げている。どうやら彼が座る時に私にぶつかって、それで目が覚めたらしい。軽く頭を下げ返す。

 目を瞑った。しばらくそのままでいたが、眠りに戻ることはできなかった。仕方なく目を開けると、隣りの男性は文庫本を開いていた。

 本には使い込んだ様子の革のブックカバーがかけられていた。いい感じに色が馴染んでいて、少しだけ毛羽だっていて味がある。

 なんとはなしに目を上げた。男性の耳にはイヤーカフが嵌められていた。左耳。

 イヤーカフについてはちょうどこの前、調べたばかりだった。片耳だけにすることがほとんどで、どちらにするかでその意味することが違うとあった。

 男性が着ける場合、右耳はゲイ、左耳は勇気と誇りの象徴、だそうだ。

 ただし、西洋とは違って日本ではその意味する所を知らない、もしくは気にしないで使うひとが大半だろうとも書かれていた。

 隣りの男性が着けているのはシルバー製に見える。ぴかぴかではなく、使っているうちに酸化したような少し黒ずんだ色味、彫られた細かい文様が外国製のようで、ごく小さいプレーンなリング状。右側はどうしているのだろう。気になったが、彼の左側に座る私からは当然、見えない。

 頭にはハンチング。こちらも被り慣れた感じで、愛用しているのか艶が出た革製。その下にグレーの短髪がこざっぱりと整えられている。私より十ほど上か。

 こういう男性が何を読んでいるのか気になった。被っていたつばの広い帽子の下から盗み見る。タイトル、作者は分からないが、日本の現代物の連作短編集、それもハードボイルドまたはミステリー、といったように見受けられた。

 本を持つ手が上がった。左手。薬指に指輪が嵌められていた。こちらは文様がない銀色。

 なんとなく彼が気になって自分の本に気が向かない。諦めて本を閉じた。

 ぼんやりと外を眺めたり、隣りの男性の本をチラ見したり、その合間に考え事をしたりしていたら、車内に慌ただしい空気が流れ始めた。どうやら次の駅で降りる客が多いらしい。気が付けば隣りの男性も本を閉じている。

 駅に着いた。男性が立ち上がる。小柄なからだにこざっぱりした服装で清潔感がある。でも、全体から受ける雰囲気がどこか玄人っぽく徒っぽい。このひとは何をしてきたひとなのだろうと背中を見つめたが、もちろん答えは書いていない。右側の耳も見えなかった。そのまま人の波に乗るようにしてするりと降りていった。そう言えばこの駅にはたしか賭け事ができる公営施設があったことを、電車が動き始めてからようやく思い出した。

 すっかり空いた車内で、スマホを取り出す。友人のひとりから、「一本後の電車に乗っているから待っててくれ」と連絡が入っていた。「了解」と返す。帰りは今、連絡してきた友人と途中まで一緒に帰る。ということは、今日は持ってきた割にちっとも読めないなあと、詫びるような気持ちでブックカバーの上から文庫本を撫ぜてバッグにしまった。

 3年ぶりで会った友人たちは、誰も何も変わったようには見えなかった。話すことも相変わらずで、一本後の電車で来た友人に至っては、

「外見はこんなで年相応だと思うけど、中身は自分としては30くらいのイメージなんだよね。だから若い子と一緒にいて、自分と同じくらいの年齢のやつ見ると、『わ、親父くせえ』って思っちゃうけど、自分も並んで歩いてる子に多分、そう思われてるんだよ。そう思うと、何て言うの? ちょっと困るって言うか、悲しいって言うか」と飄々と言ってのける。

 思わず笑いながら頷いてしまった。

 いや、もう、その通りです。我々は多分、さっき隣りに座っていた男性みたいにはなれそうにありません。

 そうして我々は、中身だけは若いつもりで年を取っていくのです。

 そしてまた同じようなことを言い合いながら、永遠に年を取らない友人に会うために、来年もまた同じ電車に乗って待ち合わせるのです。

 



 *



 ということで、3月ももう終わり。びっくりです。

 本当なら〇〇して、〇〇もやって、なんて予定してたのが、色々あって全部ぱぁ。我ながら情けないというか、悔しいというか。

 これは絶対に違う形ででもリベンジするぞ、と今、真剣に思っています。

 なんでそんなことをここに書いているかと言うと、書かないとすぐにぐずぐずになってしまいそうだから。

 気持ちだけじゃダメなのよ。ちゃんと形にしないと。

 それはともかく、恒例の検診も無事に終わりました。おかげさまでこれといった異常は見つかりませんでした。

 唯一気に入らなかったのは、また身長が縮んでいたこと。検診では機械から出力された紙をその場で見せてくれるのですが、思わず「なんで毎年縮んでいくのでしょう」と口走ってしまった所、検査技師さんがその場で前年度の数値と見比べてくれて、「これは誤差の範囲内です」と慰めてくれました。

 毎年誤差の範囲内で縮んでいってるんです。とはさすがに言えませんでした。






 


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