第7話 誕生日


 思うに、誕生日とは、当の本人のものというよりは、いちばんにはまず、そのひとを産んだ母親にとってのものではなかろうかと私は勝手に思っている。ああ、もちろん、父親にとっても我が子の誕生日は特別だろう。けれどその意味合いはやはり母親のそれとはかなり異なる気がする。

 そもそも生まれた時の記憶なんてものはふつうのひとにはないのだから、肝心のその日のことは親なり何なりから聞かされでもしない限り当人は知らないわけだ。で、記憶がいつくらいからあるかは個人差が大きいからなんとも言えないけれど、誕生日を祝ってもらった記憶が年を重ねるごとに堆積していく、そんなささやかなことが、『幸せな人生』ってやつを形作る欠片のひとつなのかなぁなどと思ったりする。この世に存在している、ただそれだけのことを祝ってくれるひとたちが身近にいるということの証なのだから。


 では、既にこの世にいないひとの誕生日は?



 ✻



 少し前のことだ。母の家からそろそろ帰ろうとする頃合いで、突然、母が私に尋ねた。

「8月○日ってあなたの誕生日だったよね?」

 私は笑みを浮かべて答えた。

「違います、私の誕生日ではありません」

 その日は一昨年、今生の別れを私たちに告げたひとの誕生日だ。

「え? じゃあ、○月○日の方だったっけ?」

「そちらも全くもってカスリもしてません」

 えー? と困惑気味の声を上げる母。上げられたって私も困る。

 ということで、そこから先は誕生日当てクイズと相成った。


 まずは下の弟。同居しているだけあってか、こちらは正解。

 次、上の弟。✕

 次、父(母からだと夫)。✕

 次、本人。✕

 自分のが分からなくなっていると気付いた時点で、母は困ったように苦笑いを浮かべた。

 ということで、クイズはこれにて終了。

 代わりにそれぞれの誕生日を私が解説付きで答えていく。


 最初に答えたのが、私の誕生日と間違えた日、8月○日。

 この日が誕生日のひとの名前を伝える。ああ、と声を漏らす母。

「そうだった、そうだった。皆でお祝いしてたもんね」

 その通り。

 亡くなったのは一昨年なので、お祝いのために最後に皆で集まったのは3年前になるはずだ。3年前ならコロナがまだ影も形もなかった頃だから、多分、集まっていたと思う。毎年そのひとの誕生日近辺に全員で集まって食事に出かけるのが私たちの恒例行事のひとつだった。

 そのひとの誕生日は8月の末なのだが、私たち11人のうち、8月上旬生まれがひとり、9月上旬生まれがふたりいる。そのため誕生日を祝う集まりは、年によってふたり分(8月中旬に集まる場合)だったり、3人分(8月末に集まる場合)になったりした。

 残り8人の誕生日は全員揃って祝うことはなかった。母の誕生日ですらほとんどなかったはずだ。そのひとの誕生日は十年以上にわたって、私たちにとって特別な日となっていたのだった。

 その日がなぜか今、母の中で、私の誕生日、ということになっている。私が直接、聞く限りでもこの間、既に3回。理由は分からない。


 誕生日の日付なんてものはただの数字の羅列に過ぎない。分かってる。大切なのは数字ではなく、そのひとにまつわる記憶だ。特に、産んだひとなら、そのひとにしか持ち得ない記憶があるはずで、それさえ心の中のどこかにあればいいんじゃないかと思う。

 ただ。

 自分の子供以外の人間に対してはどうなんだろう。何が大切なのだろう。そう思った。


 先月、実家に泊まって弟と飲んだ時。誰とどれくらい一緒に住んだか、という話になった。

 私たちは兄弟だけれど、年が離れているせいで、一つ屋根の下に暮らした時間はそれほど長くはない。対して、一昨年亡くなったひとと弟は、私よりも長い時間を共に過ごしている。

「だからさ、兄弟、って言っても、お互いそんなに知ってる訳でもないし、時間を共有しているとも言えないよね。それより故人の方が私よりよっぽどあなたと近しい」

 そうだね、と弟が頷いた。あのひととこんなに長く過ごすことになるとは思ってなかったよ、あのひともそう思ってたんじゃないかな、と。



 死ねば皆、年を取らなくなる。誕生日を祝う必要もなくなる。

 それでも、死んだひとの誕生日を忘れない、というのは一体どういう意味を持つのだろう。

 自分や、自分の子供の誕生日は忘れているのに。

 そのひとの誕生に立ち会った訳でもないのに。





 血縁、姻戚以外のいわゆる『他人』で、なおかつ既に鬼籍に入っているひとの中で、私が誕生日を覚えているひとは、今回のひとを除くと、多分ふたりだ。ひとりは訳あって亡くなってから覚えたので、生前から知っていて今でも記憶しているのはひとりだけということになる。

 その唯一のひとりが亡くなってからずいぶんと経つ。誕生日を祝ったのはそれよりさらにずっとずっと昔のことだ。それでも忘れていないし、この先も忘れないんじゃないかと思う。

 なんでだろう。


 故人の誕生日に、私はここまでいつも何を思ってきたのだろう。


 考えても、何も思い浮かばない。

 ってことは多分、何も考えていなかったんじゃないか。

 ただ、「ああ、今日が誕生日だったな」と思っているだけで。

 そうして空を見上げているだけで。


 それでも。

 新しい思い出を積み重ねられなくなったその日を、死してなお、今を生きる人間に記憶させ続けている。


 ちょっと、

 いや、かなり、

 悔しい。


 そっちに行った時にもしも会えるなら、

「ズルい」

 と言ってやりたいくらいには悔しい。


 悔しい。



 ✻



 今年もまだコロナは続いています。本当にしつこいです。

 それでも皆、元気です。

 

 コロナ問題が終わっても、でも、私たちが全員揃うことは、冠婚葬祭以外、多分もうないような気がしています。

 だからあなたの誕生日会は、今となってはとてもとても幸せな時間だったのだと思います。

 それだからこそ母はあなたの誕生日を忘れないのでしょうか。

 私の誕生日だということにしてまで忘れないのでしょうか。

 私には何ひとつ分からないけれど、それでも私たちがこの日付を覚えている限りは毎年言わせてください。


 お誕生日おめでとうございます。

 私たちはあなたとの縁を今もこの手に、毎日を生きています。




✒✒✒✒




と書いておいて何なんですが。

……弟がコロナ感染しました。

まあ、それでも元気そうなので、ウソではないですね。


【症例︰弟】

職場で数人、陽性反応が出た直後に発熱。

職場から渡されていた検査キットを使用した所、陽性反応。

一番高かった時で8度台後半。発熱3日間の後、平熱に。

自覚症状は他に、鼻水、咳、のどの不快感、倦怠感。

現在、味覚障害、嗅覚障害などは特に感じていないとのこと。

本人曰く、「風邪と特に変わらない」そうです。

『みなし感染』として医療機関は受診していません。


今回からでしょうか? 

熱が出た日を起点0日として、そこから10日間、隔離。

ということだそうで、「時の総理も同じだよ」と言って笑ってます。

要は、早く熱が下がろうが出続けようがとにかく10日間はダメ! 絶対!! ってことらしいです。←適当

現在、10日を7日に変更しようという流れになっているようですが……。


今回の第7波は、今までと違って身近な所で話を聞くようになりました。

カクヨムのお友達の中でも感染された方が複数人いらっしゃいます。

皆さん体験談を書いて下さっていますので、気になる方は以下を。


そしてまだ感染していない皆さん、お互い気をつけて過ごしましょう。

あ、ちなみに弟と同居している母は元気です。私も元気です。ありがたやー。




比較的軽く済んだよ、と言ってる方のお話/https://kakuyomu.jp/works/1177354055308088603



とっても辛そうだった方のお話/https://kakuyomu.jp/works/16816927862140662321/episodes/16817139557554844355








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る