第16話 マリとの交渉


 暗闇の駐車場に灯るライトは等間隔で設置されており、羽虫の群れをその熱で呼び込んでいる。

 高いビルの正面の入り口はシャッターが降りていて閉まっているが、守衛室のすぐ横のビルの裏口にあたる扉からは入れるようだった。


「あ、あのぉ……」


「はい、あ! お嬢様。今日はどういったご用件……でしょうか?」


 長閑が話しかけた相手はビルを管理する守衛なのだが、さすがお金持ちの令嬢、職種で言えば会社の末端にあたる委託業の人間にも顔パスなんだと内心で驚いていた。


 守衛は快く扉のロックを解除してくれ、長閑を内部へと招じ入れた。


 白い壁に鏡のようにピカピカの石の床が正面に長く伸びている。

 守衛室を過ぎたすぐ横の壁にはビルの全体図が書かれた金属のパネルが設置されていた。


(えっとここが一階の……に、二十四階建てだったのかこのビル。着く直前の久慈さんの話に気取られて見てなかった……暗かったし)


 そんな風なことを考えながらパネルを見ていると、


「お嬢様、マリお嬢様でしたら十二階にいらっしゃいますので、そこの職員用エレベーターから直接、上がって下さいませ」


「あ、はいありがとうございます……」


 長閑がそう恭しく頭を下げると、何度も見て感じたことのある反応をここでも受けることとなる。


(あんたらもか! タエって子は余程、人間を遠ざけていたのか。ちょっと異常だな……)


 十二階に到着し、エレベーターから降りると、すぐ目の前に〝専務室[サブ会議室]〟と書かれた銀色のプレートが貼り付けられたシンプルだがお洒落な装飾の扉が道に立ち塞がっていた。


「ほんと直接すぎ……」


 そう呟きながら扉をノックした。が、何の音沙汰も無い。長閑は眉を寄せ、もう一度ノックをしてみる。するとスピーカーからのザラザラというノイズ音に続いて女性の声が聞こえてきた。


『はい、何の用? この時間は誰も入れないでって言ってあったでしょ?』


「あ、あの……わ、私です。た、タエです……」


 マリの声が出ているスピーカーを探して天井や壁を見ながら、長閑は名を名乗った。


『タエ? 何故あなたがこんな所に居るの?』


 マリの驚き声と共に、何かを巻き取る機械音の後、ガチャンという音を立てて扉がゆっくりと押し開いた。


 部屋の中に入ると、上半分がガラスのパーテンションで仕切られた壁が迷路のように立てられていて、殆どの囲いの中は真っ暗で人気ひとけはない。

 唯一、奥の方に見える人影の周りだけが黄色い明かりで照らされているのが確認できる。


 長閑は恐る恐る歩を進め、迷路のような壁を伝って人影に近づいていった。


「タエ、こんな時間に会社までどうやって来たの? それに私はまだ仕事中なの。用があるなら電話で済ませて欲しかったんだけど?」


 タエの姿が見えていない段階で、マリの小言のような言葉が奥から響いてくる。長閑はその声に向かって身を乗り出すように声を発した。


「あ、うん……ごめんなさい。でも大事な話がありまして……男の、わ、私と居た男の人の話なんですが……」


 迫力に押されて思わず敬語になる長閑だったが、マリはまるでその声に引き寄せられるようにこちらに早歩きでやって来た。


「ん? あなた……ほんとにタエよね?」


 タエの顔を見て、やっと本物だと確認できたと言わんばかりにマリが呟いた。


「一体どうしたの? こんな時間に。それに会社に来るなんて珍しいと言うよりも初めてね」


 背を丸め、何かの紙の束をペラペラめくり、マリは無愛想に言った。


「えっと……わ、私が倒れていた現場に居た男性のことなんだけど……」


 長閑はマリをチラチラと見やりながら、おずおずと自身の身体に関わる問題を話し始めた。


「あれは、あの人は無関係な人で、す……。し、しかも立ち入り禁止の鉄塔の柵に登ろうとした、わ、私を止めてくれた、と言うか……えっと……だ、だから訴えるとかは筋違いというか……やめて欲しい……」


 視線だけを上に向けた俯き加減で話す長閑。マリの紙の束をめくる手がピタリと止まった。


「鉄塔ですってぇ?! あなたまたそんなところに行ったの? 何しに行くのか知らないけど、昔のことを忘れたわけじゃないでしょ! あなたが……あなたの後を追いかけた凛がどう……なった……か……」


 振り向いたマリの眉は寄せられ、眉間のしわがゴツゴツした岩のように盛り上がり、切れ長な目が本当に長閑を射抜くために細められたかのようにこちらに向けられていた。

 しかしその言葉の最後はキレが失われ、か細い囁き声になっていった。


「……とにかく、今のあなたが口を出せることではないので、その問題は大人に任せなさい……あなたは高校生。あちらは成人男性なの」


「でも! ……あの人が理不尽な理由で悪人になるのは絶対におかしい!」


 自分自身を守る為にこんなにも熱弁し、まるで自分を美化していかに良い人だと説明していることに、複雑な感覚を覚えながらも、この話し合いは自分、瑠璃、そしてタエにとっても絶対に必要な部分だと、大義を信じつつ長閑はタエを演じ講釈を続けた。


「わ、私は! 死のうと考えてたのかもしれない……覚えてないけど……そ、それをあの人が止めようしてくれた……病院の看護士さんによると、あの男の人は意識不明だと聞きました。だからこそ!」


「あなた! 会いに行ったの?! どういうことなの信じられない! どういう行動か分かってやっているの?!」


 マリは目を見開き、両手の拳を上下に振りながら憤っている。


「わかってる! わかってます! でも、わ、私は嘘はついていない! 絶対に、わ、私を助けようとしてくれたあの男性に報いる為にも、姉さんのその勘違いを正して……」


「あなた……入院してからこっち、えらく饒舌になったのね。前は全く私達家族と会話すらしなかったのに」


 長閑の大声での熱弁を遮り、マリは小首を傾げながら眉根を上げて目を見開き、こちらを嘲るように言葉を続ける。


「あなたの母さんが私達の父さんと一緒になってからあなたはウチの家族になった……子供の頃はよく一緒に色んなことをして遊んだけど、ある日を境に一切と言っても良いくらい私達とコミュニケーションを取らなくなったわよね? まるで私達家族のせいだと言わんばかりにあなたは不登校になり、周りの人間を遠ざけていた。それが溝になっていることにあなたは気づいていますか? 確かに今の私はあなたに素っ気ないかもしれない。でも、縁あって家族になったからには私は母親役を……あなたのお母様…………ご、ごめんなさい……これは言うべきではないですね……」


 興奮気味に早口でまくし立てるマリの鋭い瞳が微かに潤んでいた。

 長閑はタエの現状を把握するにも会話は絶対的に必要不可欠な要素だと感じていた。

 ただ、コミュニケーション不足を補う為にはどうすれば良いかを黙考しつつ、慎重に、時には大胆に振る舞う必要性もあるなとも思っていた。


「ご、ごめんなさい……わ、私はダメな人間だったかもしれないです『すまないタエちゃん……』。でも! この先、家族と上手くやって行けるようにします。学校も頑張って行きます。だ、だから姉さんお願いです……」


 長閑は目の前の大きな机の天板に両手をバンとついて、マリに懇願し訴えた。

 その義理の妹からの言葉を受けたマリは、鼻から大きな溜息を吐き出してから訝しげな表情のまま言葉を綴る。


「わかりました。あなたのその言葉、信じます。けど今後、学業を疎かにしたり、今回みたいな出来事は絶対に容認しません。わかりましたか? それと……」


 それとの後、言葉を詰まらせたマリは改めて長閑の方を見やった。


 そして改めてマリは一呼吸を置き、真剣な表情のまま真っ直ぐに長閑を見つめた。


「遅ればせながらも家族だと誇れる関係性を築きたいですね」


 長閑はマリの最後のその言葉に、タエの姉の心の内側を垣間見たような気がした。

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