第10話 逃げられた姉と捨てられた妹

 平日の昼下がり。普段ならば授業がある時間帯に、私・水山美沙は1人、足早に寮への帰路を急いでいた。気を抜いてくるといくらでも耳に入ってくる武双姉妹達の声をきかないようにしながら。


 新学期が始まって数週間の間、桜泉女学園高等部の2年生と3年生は午前授業になる。理由は、授業をしたところで殆どの生徒が1日中自分の武双姉妹の指導に当たって授業に出ないから。


 かくいう私も、つい先週までは自分もこの時期、授業になんて出ていないと信じて疑わなかった側だった。まあ、結論として私は妹に逃げられてしまい、やることもなくなってしまったから授業に出ているのだけれど。




 武双姉妹契約において義姉になって後輩を指導すること。それは、私にとっての憧れだった。そのきっかけとなったのは私が中等部1年の時に私を導いてくれた先輩。


 先輩はものすごく優秀で、ものすごく強くて、名門の桜泉女学園の中でもトップクラスに位置する存在だった。また、風紀委員を務め、ルールに則って"正義"を執行する姿は、同じ女同士の私でさえ恋慕に近い感情を抱くほどかっこよかった。隙なんてどこにもない、最高の私のお姉様だった。


 そんな先輩に身近に指導してもらった私が、先輩のようにかっこよく、強く、正しい魔法少女になりたいと思うのはある種必然だったのかもしれない。先輩のようになるステップとして私が自分に課した課題は2つ。1つは誰からも尊敬される風紀委員になること。そして、もう1つは立派な「お姉様」として、後輩を公国最強の魔法少女の1人に育て上げること。


 武双姉妹の姉は高等部2年にならないとなれないから、まずは私は風紀委員を目指した。成績上位者しかなれない風紀委員に、私は血を吐くような努力によって中等部の段階から登り詰めた。今はまずできることをして、先輩に近づきたい。そう思った矢先に、私の前に姫谷さんは現れた。


 姫谷白雪さん。入学時からちょっとした有名人だった彼女だけれど、彼女が巻き込まれた―――否、"巻き起こした"というべきかも―――の事件の末、記憶喪失になった彼女の評判は悪い意味で頂点に達していた。そんな姫谷さんのことを、私だってもちろん知らないわけじゃなかった。


 姫谷さんはいつも何かに怯えている、そんな記憶を喪う前の姫谷さんの話を聞いていた私は、彼女に実際に会って正直驚いてしまった。自分の軸をしっかりと持っていて、社会に対して斜に構えたようにしながら、その軸を通すためなら手段をいとわない。記憶を喪う前の姫谷さんを知っている人から言わせると、性格がまるで変ってしまったとすら言っていた。


 ルールに則って正義を執行し、ルールがルールならば多少正義がねじ曲がっても見て見ぬふりをする風紀委員の私と、姫谷さんは真逆だった。


 ―――私の実力の足元にも及ばないはずなのに、なんで私よりも正しそうでいるの? この学園・この国は力こそ正義で、理由は後付けなはずなのに。


 そんな姫谷さんを取り締まる度に、私は自分達の正義が否定されているようで腹が立って、ついつい過剰に取り締まってしまうこともよくあった。


 だからこそ、もう1つの目標であった武双姉妹の姉になることに、私は期待に胸を膨らませていた。落ちこぼれの姫谷白雪さんは絶対に入ってこないフィールドで、私は私の憧れをようやく手に入れられる。そう思うと、高等部2年生になるのが楽しみで楽しみで仕方なかった。それなのに―――。


 結局、どこまでも姫谷さんは私よりも一歩先を行っていて、正しかった。またもや私は彼女によって自分の正しく無さをまざまざと見せつけられた。


 姫谷さんに夢川さんを取られた直後は、姫谷さんに対する憤りと「なぜこんなに優秀な自分が妹に逃げられるの?」という理解のできなさで頭がどうにかなりそうだった。でも、頭が冷えてくるにつれて、中等部の頃からずっとわかっていながら、ずっと認めるのを避けてきた事実を認めざるを得なくなってきた。


 つまり、私はただのちょっと優秀な魔法少女でしかないということ。魔法しか使えないから、正しくもなければ人のことなんてまるで見えていないこと。だから、いいお姉様、憧れの魔法少女になんてなれないこと。


 そう認めてしまうと、何もかもを投げ出したくなった。探せばまだ武双姉妹コユニゲース契約を結んでいない新入生もいるのかもしれないけれど、そのような後輩を探す気もなくなった。そう割り切った風でいても、やっぱり自分には辿り着けなかった姉として関わる武双姉妹のひと時を享受している同級生たちを目の当りにしたら私の心が持たない。


 だから、そんな武双姉妹を目の当たりにしないように、いつものように足早に駆け抜けようとしたその時。



「なんでこんな簡単なことができないの! もうあなたの面倒は見ていられない!」


 ヒステリックに叫ぶ声が聞こえた。


 数日前の私みたいだな。そう思うと、ついつい視線が声のした方に向いてしまう。


 そこには4人の少女がいた。上級生1人が3人の下級生を見てるようだけれど、何をキレてるのか上級生は肩を震わせてる。そして、2人の下級生は迷惑そうな表情を隠そうともしていない。そして、3人の視線の先には小柄な女の子が怯えるように震えていた。そして終いには彼女は


「ご、ごめんなさい、私、やっぱりここにいちゃダメなんです。い、今までありがとうございました!」


と半泣きになりながら逃げだすように駆け出して行った。


 上級生も2人の新入生も、彼女を追いかけるようなことはしなかった。寧ろ、せいせいしたような晴れやかな表情になっているようにも思えた。


 最後まで面倒を見切れないなら最初から姉妹になんてならなければいいのに、と思いかけて、はっとする。それは数日前の自分にもブーメランのように返ってくる言葉だったから。


「―――不愉快だな」


 何よりも自分自身に対して舌打ち気味に言いながらも、同類である私にとやかく言う資格なんてない。私は再び足早にその場を去った。




 俯きながらしばらく歩いていると誰かが泣いている声が耳に入ってきた。頭を上げると、道端に体育座りをしながらさっきの少女が泣いていた。


 話しかけるかどうか一瞬の逡巡。


 私がさっきの上級生の同類なら、彼女に私が声をかけてあげる資格なんてない。理性ではわかっていた。でも、私の体は動いてしまった。私は彼女に静香に近寄って、隣にしゃがむ、


「あなた、高等部からの入学者?」


 そこで彼女はようやく私の存在に気づいたようだった。頭を上げて私のことを視認するなり、無理やり涙を拭い止めようとしだす。。


「あなたは風紀委員の水山さん……」


 新入生にも名前が知れ渡ってるのね。その事実に苦笑しつつ、私はうなづく。


「……武双姉妹とうまくいかなかったの?」


 私が尋ねると少女は乾いた笑い声を漏らしながら「見てたんですね。」と哀しそうに答える。


「私、元々は桜泉に来れるほど出来が良くないんです。でも、なんの間違いかギリギリとはいえ受かっちゃったから、それなら必死でついて行って、義姉妹制度を含めた桜泉でしかできないことを全て経験してやろう、って、そう意気込んでました。


でも、そんな学園生活は私には到底無理だったんですよね。なんの気まぐれか私を拾ってくれた先輩にもすぐに愛想をつかされて。まあ、最初からわかっていたことではあるんですけど。」


 一周回って自暴自棄になったような少女の言葉。そんな彼女の姿が、なぜか今の自分と重なった。


「わかるよ」


 私の言葉に、女の子は驚いたように見つめる。そして、その表情は段々と険しくなっていく。


「……からかってるんですか」


 驚くほど冷たい声で女の子は言ってくる。


「桜泉の風紀委員って成績上位者しかなれないんですよね? そんな優等生に、せっかく拾ってくれた義姉の期待にもこたえられずに追い出された落ちこぼれの何がわかるっていうんですか! 落ちこぼれをからかって楽しんでも許されるぐらい優秀な魔法少女は偉いんだ、とでも言いたいわけですか! 」


 少女の言葉に対して私が抱いたのは怒りではなかった。ただ、そっか、落ちこぼれからはそう思われちゃうんだ、っていうそこはかとない悲しみがそこにはあった。


 それでも、私まで感情をむき出しにしてしまうと少女をかえって追い詰めるだけだろうと思い、私は感情を押し殺しながら、でも、


「そんなことない」


と、きっぱりと告げる。


「そんなことないよ。私は別に優等生でも何でもない。ただ魔法が使えるだけの魔法少女に過ぎない。そんな私だから、武双姉妹コユニゲースの気持ちに寄り添えなくて、妹に逃げられちゃった。ほんと、笑えるよね。風紀委員が妹に逃げられるなんて」


 そう言って乾いた笑いを漏らす私。


 そこで、彼女は私がある意味「同類」であることにようやく気付いたようだった。


「君、名前は?」


「……鳥羽友香です」


 いきなり素直になって少女―――鳥羽さんは答えてくれた。


「高等部入学組……だよね。だとしたら、武双姉妹コユニゲース契約なしって言うのも厳しいよね」


「だったらなんだっていうんですか? 水山さんが私の武双姉妹コユニゲースにでもなってくれるつもりですか? 」


 皮肉まじりに言う鳥羽さん。それに少し悲しくなりながらも、私は首をゆっくりと横に振る。


「うんうん、そう言うことを言いたいんじゃない。多分、私が武双姉妹コユニゲースになったらあなたに迷惑をかけるだけ。でも、風紀委員としては新入生が武双姉妹コユニゲース契約を結ばないのは少し気がかりでね……だから、もしお節介をさせてくれるなら、君のことを安心して託せる同級生がいるから、紹介させてもらえないかな」


 その時私の脳裏に浮かんでいたのは姫谷さんだった。


 悔しいけれど、彼女の方が姉としては私なんかよりもはるかに上手だ。それに、彼女なら、決して優秀とは言えない今の彼女なら、魔法が苦手な後輩にも寄り添って適切な指導をしてくれる。それがたとえ2人を一緒に相手にすることになっても。そう、妙に確信めいたものを感じていた。


 風紀委員だからどうこうしたい、って言うのは多分言い訳。私は、鳥羽さんと自分を重ね合わせていたのだと思う。そして、独りぼっちになるのは私1人で十分だと思ったから、手を差し伸べたのだ。


 それを鳥羽さんがどこまで読み取ったのか、それとも私を完全な善意だと思い込んでくれたのか、どちらなのかはわからない。でも、鳥羽さんは暫くハトが豆鉄砲を食らったような表情になってから、小さくうなづいた。




 そして姫谷さん達を探し始める私達。探し始めるとすぐに姫谷さんと夢川さんの声が聞こえてきたから探すのに時間はかからなかった。


 声をかけようと思って一瞬私は足を止める。2人の間ではこんなやり取りが繰り広げられていた。


「よし、じゃあここらへんで今日は出力調整の練習をしていこうか。……由紀ちゃん、なんか不安なことでもある?」


「あ、あの! せ、成功した時のご、ご褒美みたいなのがあると頑張れるかな、なんて……。め、迷惑ですよね、すみません!」


「いや、別にそういうんじゃないけど……由紀ちゃんって基本内気なのに、私に対してだけは割と攻めたこと言ってくるよね。別にいいんだけど。……じゃあ、10種類の一般魔法がコントロールできるようになったら、今週末は2人で郊外の遊園地に出かけるって言うのはどう?」


「はい!」


 姫谷さんの提案に嬉しそうにうなづく夢川さん。その、ただの先輩後輩を超えた本当の姉妹のように見える2人で完成された関係の中に、私は土足で入り込んでいくことができずにたちどまってしまった。そして、あの2人の中に放り込まれる鳥羽さんも居心地が悪いであろうことは容易に想像ができた。


 そう思った私は、姫谷さんを目の前にしてくるっと後ろにいた鳥羽さんを振り返る。


「本当にごめんなさい。あてにしていた人は厳しそう。でも、少し待ってもらえる? 風紀委員としての情報網を使えばきっとあなたと相応しい先輩にマッチングでき」


「先輩じゃ、ダメなんですか?」


 私の話にいきなり割り込んでくる鳥羽さん。その鳥羽さんの言っている言葉の意味が、私にはすぐには理解できなかった。


「それってつまり……私に武双姉妹になって欲しいっていうこと? 」


 自分のことを人差し指で刺しながら私は尋ね返す。今の私はさぞかし間抜けな顔をしているんだろうな。


 そんな私に鳥羽さんはうなづく。


「でも……さっきも言ったとおり、私、絶対にいい姉になれないわよ。自分で言うのもアレだけど……魔法が上手く使えない人の気持ちなんてきっとわからないし、すぐ暴走してあなたに危険な訓練を差せるかもしれない。妹になったところで、私には本当の意味であなたのことを見ることはできず、"後輩"としか見れないかもしれない。私は武双姉妹に向いてないのよ。」


「……人の気持ちがわからないなんて言うのは嘘です。少なくとも、先輩は泣いている私のことを見つけて、気遣ってくれた。最初はノブレスオブリージュとしてかと思ったけれど、違った。先輩も傷つくし、それを踏まえた上で私のことを見つけてくれたんだって、思い直したんです。だから……落ちこぼれの私でも良ければ、私のお姉様になってくれませんか? これは妥協でもなんでもなくて、逃げられた姉と捨てられた妹の私っていう似た者同士だから成り立つ関係だと思うんです」


 そう言って差し伸ばされたほっそりとした手を、私は暫くの間見つめる。


 その手を取りたい衝動に駆られる。その衝動の意味を私は冷静になって考えてみる。これは、単に誰でもいいから妹が欲しいだけ? 否。鳥羽さんを見つけたその瞬間から、私の中にも特別な何かが生まれていたんだ。似た者同士でひかれあったところが、確かにあった。負け組同士で組んだっていいじゃない。そう考えた時、私の答えは決まっていた。


 私は鳥羽さんの手を静かに取っていった。


「こちらこそ、不束者の姉ですが、愛想をつかすまでは、あなたの姉でいさせてください」


 この日。優等生と落ちこぼれの凸凹姉妹がもう1組生まれた。



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「最強」に見限られた落ちこぼれの私が、魔法少女偏差値70のゆるふわ少女に「姉妹になってください!」と求婚されたのですが、何かの間違いですよね?〜魔法少女たちの遺した終戦前史〜 @Shirayuki2021

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