第9話 記憶を喪った少女

翌朝も私が由紀ちゃんの教室に赴くと緑先生が明らかに嫌そうな顔をした。


「あなた達、今日もここでやる気?」


「いえ。話をしたら今日からは外で空いてる場所を探してやりますよ。その前に私自身ことを由紀ちゃんに話しておくのに、外でやる必要もないかな、と思って。」


 私の言葉に緑先生ははっとする。そこで、私の中で意地悪な私が首をもたげる。


「私の代わりに先生から話してくれてもいいんですよ―――私が何度聞いても答えてくれなかった部分も含めて。」


「……ごめんなさい、ちょっと席を外すわ。」


 そう言って逃げるように教室を出ていく緑先生。それに対し私は小さくため息をつく。


「あの……良かったんですか?」


 おろおろしながら聞いてくる由紀ちゃんに私は無理に笑顔を作って答える。


「大丈夫、いつものことだから。それに、緑先生はあれでもマシな方なんだよ? 中等部からの同期―――記憶を喪う前の私を知っている人なんかは何も言わずに私を避けたり、何もしてなくても睨みつけてきたりするのが普通だから。過去の私が一体何をしたのかについては、誰も教えてくれないのにね。」


「っていうことは、お姉様は記憶喪失ってことなんですか?」


 由紀ちゃんの言葉に私はうなづく。


「そう。私の記憶は中等部2年の夏休みから始まっている。それ以前の私が何をしていたのか、実家は何処なのか、とにかく14歳より前の記憶は一切ない。それどころか、桜泉の近くの病院のベッドで目覚めた時は名前や自分が桜泉の魔法少女だっていうことすらわからなかったな。私が目覚めた時、すぐ傍に桜泉の養護教諭の清水先生がいたんだけれど、清水先生も私が目覚めたら記憶喪失になってるなんて思わなかったらしくてね。最初は私が記憶ある前提で色々話してきて、わけわからなくてちょっと閉口しちゃった。」


 あはははは、と笑ってみるけど、どうしてもぎこちない笑いになってしまう。


「私が記憶を完全に失っているとわかった時、清水先生の態度は急変した。今から考えると、その時、私に必要以上の情報を与えないように方針転換したっぽいんだよね。


 なんでも私は4月に起きたとある大事故のせいで5か月も眠っていたらしいから、日常生活に戻るためのリハビリが必要だった。その間中清水先生は私のことをずっと見守ってくれていたけれど、過去の私についてはいくら聞いても清水先生は重い口を開いてくれなかった。


 先生が私に教えてくれた情報は私の名前と私が桜泉女学園の生徒だっていうことぐらい。親の名前も、いたであろう武双姉妹コユニゲースの名前も、私の固有魔法についてさえも、口を閉ざしたままだった。そんな状況が気持ち悪くて、私は桜泉に復帰できる時を心待ちにしながらリハビリに励んだ。学校なら、自分の過去について教えてくれる人がいるだろうって思ってたから。でも、実際はそうはならなかった。


 退院して桜泉に通うようになってから、私は清水先生の対応があれでも親切だったんだな、って思い知らされた。学校に着いた途端、クラスメイトは冷たい視線を私に投げかけてきた。まるで私がここに存在してはいけないかのように。


 最初、それは私が魔法少女として実力不足で、桜出雲の生徒に相応しくないとみんなが思ってるせいだと思った。私は極端に魔力量が少ないうえに、記憶と一緒に固有魔法も失ってしまったから、エリート揃いの桜泉女学園では明らかに落ちこぼれだからね。だから、魔力量ではみんなに勝てなくても技術や魔力の配分では負けないように、って私は必死に練習した。実際、実力のある生徒から喧嘩を売られたら積極的に買うようにして、禁じ手とはいえ実力者を実力でねじ伏せていった。


 自分で言うものあれだけど、数か月後には桜泉の中で下の上くらいになってたとは思う。それでも、周囲の私を見る目は変わらなかった。それどころか、隠そうともせずに「なんであなたがまだ生きてるの?」「死ねばよかったのに。」っていう罵詈雑言を面と向かって言われることもしばしば出てきた。そこで気づいた。クラスメイトが私に抱いている感情は過去の私が犯した”何か”に対する恨みや畏れが混じっていた、ってことに。


 そう思うと、他人に認められるために努力するのが馬鹿らしくなってきてね。授業にもだんだん出なくなっていって、学校全体・そして社会全体を冷めた目で見るようになっていった。一歩引いて見ると、桜泉に蔓延するエリート意識、そしてそこから派生する弱者を見下す姿勢に違和感を感じるようになっていった。と、いっても、そう思うたびに私みたいな落ちこぼれがどうにかできることじゃないという考えが湧いてきて、自分を一層惨めにするだけだった。私ができることいえば、せいぜい他人を見下しているいけ好かない生徒がいたら感情に任せてボコボコにするくらい。そのおかげで風紀委員とは仲良くなったんだよね。なりたくなかったけれど。


 考えてみると、私がそんな風に正しくあろう、皆からズレた存在であろう、とふるまっていたのは目立ちたかったからなのかもしれない。周囲から避けられ、睨まれる中で、目立って、誰かに見つけてもらって、人との繋がりを感じたかったのかもしれない。でも、私を避ける人は増えこそすれ、私に好意を持って話しかけてくる人は現れなかった。


 唯一の例外が養護教諭の清水先生とあかり―――柳あかりっていう落ちこぼれ仲間なんだよね。あかりはなんでも私が入院していた時に桜泉に転入してきたらしくて、過去の私を知らないから私に対して恐れを知らないで近づいてきてくれた。人との繋がりはあかりがいれば十分、って自分では思ってたけど、やっぱりどこか寂しさはあったんだ。あかりだって私だけのものじゃなくて、いつも私と一緒にいてくれるわけじゃないから」


 不意に私の体に力がのしかかる。驚いてみてみると由紀ちゃんがいつの間にか私のことをぎゅっと抱き締めていた。


「???」


「ご、ごめんなさい、私、こういう時どうすればいいかよくわからなくて。でも、泣いているお姉様を見ているとじっとしていられなくて。」


 泣いてる? 私が?


 そう思って私が目元を小指で触れると、目元が少し湿っていた。


 そっか、話している間に私、泣いちゃってたんだ。そう自覚した途端、これまでぎりぎり保たれていた涙腺が崩壊する。


「ごめんね、お姉さんなのにこんな弱いところ見せちゃちゃって。」


 泣き止まなきゃ。そう思いながらも涙はとめどなく溢れてきてしまう。


 そんな私に由紀ちゃんは優しく言う。


「いいですよ。弱さを見せあっていいのも姉妹なんじゃないですか? 私は寂しがり屋なところも含めて、お姉様を受け入れます。


 私は妹を、お姉様は”誰か”を求めて出会った。そんな、ちょっぴり歪んだ関係の私達だからこそ、テンプレのかっこいいお姉様であろうと無理なんてしないでください。」


 泣き止まなきゃ、と思いながらも由紀ちゃんに抱擁されているのをどこか気持ちよく感じている自分がいた。


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