第20話 アイリーン(3)

「ねぇアイリーン、瑛斗を高評価してくれて、私も嬉しいんだけど

 さっきから呼んでる下品なあだ名が、すっごく耳障りでイライラしてるの。

 彼は私の一番大切な人で、島崎瑛斗っていう立派な名前があるの。

 私に気遣いするなら、彼にもちゃんと敬意を払って。

 そうじゃなきゃ、こっから先は何もしないし、見せないし、させない。

 瑛斗の身体を見たいんでしょう? そのためのホテルだもんね。

 私と彼のキスが見たいから、私を呼んだんでしょう?」


 ひょっとして「変態君」の件でしょうか? 鮎香瀬さんの性格からすれば、この程度のことは平気で言うだろうから、私は不快ではなかったですが、良枝さんは嫌だったようです。コーヒーは温め終わったものの、はたして持っていっていいのか悩みます。


「ビーノの気分を害していたとは思わなかった。

 ごめんよ。悪かった。もう二度と口にしないよ。

 これからは、ちゃんと島崎くんにも敬意は払う。

 あ~今日は全然ダメだね。せっかくビーノと再会したのに、

 怒られてばかりだな。凹むよ」


「わかってくれればいいの。瑛斗、コーヒー温め終わった?

 じゃあ持ってきて。なんかアイリーンが話があるみたい」


 なんか話があるって、お二人のやりとりは全部見ていましたけど。とりあえず呼ばれたので、良枝さんの目の前にコーヒーカップを置きます。アイリーンが神妙な面持ちで私に言います。


「島崎くん、さっきまで変なあだ名で呼んで悪かったね。

 私としては親しみ半分だったんだけど、君の彼女の気に障ったらしい。

 配慮がなくてごめんよ。もう二度と言わないので許してくれよ」


「大丈夫です。気にしていないんで」


 鮎加瀬さんが「これでいいか?」という表情で、良枝さんの顔色を窺いますが、本人は満足気に私が温めたコーヒーをすすって、特に反応はありません。やがて、カップをテーブルに置くと「今日はワインを二杯飲んだから、いい感じに肌がピンク色になったかな? じゃあ、そろそろ始めようか」と呟くと私に声を掛けてきました。


「瑛斗、アイリーンはアナタの身体を見たいそうよ。

 そして、私とのキスも御希望なの。

 覚えているかな? 二ヶ月、瑛斗は、これから減量するって言った私に、

 紹介役なのに痩せる必要ってあるんですか?って質問したけど、

 その答えがわかるから。

 そうそう、その前に、さっきの続きで、アイリーンに胸を見せてあげたら?」


 良枝さんからそう言われたので、立ち上がって、上半身だけ脱ぐと鮎香瀬さんがすぐ傍に来て、じっくりと私の身体を眺めています。


「へぇ、島崎くんって、結構痩せてるんだ。

 色白の首長で、肩幅が狭くて胸アリか。

 おまけに細くて長いきれいな指してるな。

 君は中性と言うよりは女性だな。

 整った爽やかな顔に、この身体だったら、

 ビーノが夢中になる理由もわかる。

 ちょっと胸に触ってもいいかな?

 言っとくけど、純粋に医師としての興味だからな。

 決して邪な気持ちじゃないぞ」


 どうぞ、と勧めると言葉に嘘はなく、医師の触診という感じで胸や脇の辺りを真顔で慎重に触り始めました。


「なるほど。確かに膨らんでいるし、乳首も男性としては大きいな。

 ビーノ、彼の(バスト)サイズは70のAくらいか?」


「5年前は70のAだったけど、

 今はアンダーが増えちゃって75に近いね。

 もう少し早く連れて来れればよかったけど、

 三年のブランクがあったからね」


 良枝さんが話している間に鮎香瀬さんは、医師としての行為を逸脱して、右手の人差し指と親指で私の乳首を摘んで転がし、もう片方の手で胸を愛撫し始めました。良枝さんが「さっそく勝手に触っているし」と苦笑しています。


「瑛斗、そこの欲望を我慢できないオバさんに背中を見せてあげて」


 本当に噛み跡を見せるんだと思いながら、後ろを向くと鮎香瀬さんが笑い出しました。


「はははは、噛み跡クッキリじゃないか。

 なかなか見事な噛まれっぷりだね、島崎くん。

 これは痛かったろう。同情するよ。

 しかも首の左後部って、どういうシチュエーションなんだろうね。

 二人で一体、どんなプレイしてんだか。

 ビーノは以前、もうパートナーは噛まない宣言してたよな?」


「うん。したけど、瑛斗のことを好きなんだから仕方ないでしょう。

 言っとくけど、宣言してから瑛斗以外は誰も噛んでないからね」


「はははは、そいつは御馳走様。島崎くん、聞いたかい? 

 好きだから仕方ないだとさ。羨ましいね。妬けるよ。

 いいことを教えてあげようか?

 実はビーノが最初に噛んだ相手は、この私なんだよ。

 今、偶然この部屋に、彼女が噛んだ最新と最初の相手いるんだよ。

 不思議な巡り合わせだと思わないか?」


 良枝さんが最初に噛んだ相手は、鮎香瀬さんでした。鮎加瀬さんが来たときの様子から、なんとなくは感じていましたが、この二人は付き合っていたようです。


「アイリーン、あなたが最初っていうのは事実だし、

 不思議な巡り合わせとか言うのは自由だけど、

 私からすれば『御免なさい。そういう性癖の女です』でしかないからね。

 そんなことより、この噛みしるしの意味がわかるよね。

 瑛斗は私のもので、あなたを信頼して預けるの。

 ちゃんと瑛斗の面倒を見てくれるなら、

 つまみ食いとか、他人に見せびらかしはいいよ。

 まぁ本心では、ちょっと嫌なんだけどね。

 ただし、奪取は絶対に許さない。

 くれぐれも変な気は起こさないようにね」


「はははは、私は信頼されてんだか、されてないんだかわからんな。

 パートナーから友人にされて10年以上も経ったけど、

 今でも私の気持ちは変わってない。

 それは、ビーノもわかっているだろう?

 あんたが悲しむような真似は絶対にやらないよ」


 いいタイミングだと思ったので、なるべく自然を装って鮎香瀬さんに尋ねてみました。


「お二人は、昔、付き合っていたんですか?」


 すぐに「何を言っているんだ? コイツは?」という険しい目付きになり、良枝さんに尋ねます。


「おい、ビーノ、アンタの可愛い彼氏くんに我々のことは、

 どこまで話してあるんだ?」


「高校時代に先輩・後輩だったことと、

 今はお互いの人生で一番大切な友人だってことだけ。

 付き合っていたとか別れたとかの話は一切していない。

 でも、私が今まで同性としか付き合っていないことは知っている」


 鮎香瀬さんは「それだけかよ! ちゃんと説明しておけよ!」と怒った口調で言って、「我々の物語を聞きたいかい?」と尋ねてくるので「聞きたいです」と返事すると良枝さんに、愛しい彼氏様の御希望だから話したほうがいいんじゃないのか? と返します。


「高校時代の自分は嫌な奴だって自覚してるから、

 絶対に話したくない。っていうか、アイリーン、

 私、今、ワインが良い感じに回っているし、

 瑛斗から名古屋の彼女の話も聞いて、気持ちが最高にキスしたいの。

 昔話なんかどういいから、キスさせてよ」


「はははは、島崎くん、君の愛する彼女は、

 昔から周囲の視線や相手の迷惑なんか考えずに、

 本能のままにキスする、とんでもない女なんだよ。

 40過ぎても、全然、変わってない。

 わかったよ。教官と優等生の模範演技ってヤツを見せてくれよ。

 島崎くん、いつかビーノと私の物語を聞かせてあげるから」


「アイリーン、聞かせるのはいいけど、話を盛らないでね。

 じゃあ準備するから、瑛斗も一緒に来て。

 まずはシャワーを浴びて、着替えてメイクね」


 どうやら女装姿でキスするようです。ホテルで会うので覚悟してましたが、良枝さんは、こういうときの段取りとか細かい予定を事前に説明してくれないので困ります。


「準備できるまで、私は休ませてもらうから。

 ビーノたちはダブルベッドの部屋を使ってんだろう?

 島崎くん、悪いけど飲み物とサンドイッチの残りを

 もう一つのベッドルームに持ってきてくれないか?」


 ビールとグラス、サンドイッチとオードブルの残りをトレイに載せて、鮎香瀬さんの後を付いていきました。部屋に入るや否やパンプスを乱暴に脱ぎ捨てて、スリッパも履かずに窓の傍にあるテーブルセットに腰を下ろしたので、テーブルにグラスを置いてビールを注ぎます。


「ありがとう。ホストと部下の医者以外の男性から

 ビールを注いでもらうのは久しぶりだよ」


「鮎香瀬さんは、ホストクラブとか行くのですか?」


「はははは、バイ(セクシャル)で基本は面食い(イケメン好き)だから、

 たまに目の保養と好みの男性に全肯定して欲しくて行ってたけど

 最近は、すっかりご無沙汰してるよ」


 「どうぞ、ごゆっくりと」と挨拶して部屋を出ようとすると、呼び止められ、良枝さんは自分のことを、どう紹介したのか尋ねられます。


「良枝さんからは、鮎香瀬さんは女優の森口瑤子似の美人で、

 饒舌で頭が良くて、お金持ちで冷静で優しい人で

 よく笑う自信家だけど、寂しがり屋だと聞きました」


 良枝さんは、ちょっと自分勝手で思い込みが激しくて、ナルシストな部分もあるとも言っていましたが、そこは省きました。


「なるほどね。案外、悪く言われてないんだね。

 あと、ビーノは君のことが大好きだけど、

 どうして、私に預ける気になったか理由を聞いているかい?

 最初に話を持ち掛けたのは私なんだけど、

 ずっと頑なに拒否していたのに、急に雇って欲しいってなってね。

 しかも、つまみ食いOKなんて、昔の彼女なら絶対に考えられないよ」


 そういうことは、二人で充分に話し合ったものだと思っていたので、この発言は意外でした。


「それに関しては、私もよくわからないんですけど、

 鮎香瀬さんの秘書ならば、私が東京を離れることはないし、

 若い女性も寄り付かないだろうからとは言われました。

 あと、鮎香瀬さんが語っていたという

 スポーツカーのオーナーの例え話も聞いています」


「あぁぁ、あれか。うん、確かに話した。覚えているよ。

 まぁ東京から転勤はないけど、病院だから看護士とか事務員とか

 若い女性は沢山、働いているから、そっちは誤解があるかな。

 いくら私が監視してたって、相手が好意を持つのは自由だからね」


 丁度、そこで良枝さんの呼び声が聞こえたので、話の途中でしたが鮎香瀬さんに「申し訳ありません。呼ばれているので失礼します」と挨拶してベッドルームを出ました。


 我々が夕方使ったダブルベッドの部屋では、良枝さんが旅行用スーツケースをベッドの上に置いて、ゴソゴソやっていました。スーツケースの中には彼女の着替えや靴以外にメイクボックスやウィッグ、ランジェリーなどが入っており、その中から良枝さんはエナメル製のスリー・イン・ワンとストッキングとメイクボックスを出して、私に手渡します。


「アイリーンはエナメルがお好きなんで、今日の衣装はこれね。

 私も若かった頃、リクエストされて、

 散々、恥ずかしいエナメル衣装を着たよ。

 長谷部の話を何日か前に聞いていたら、

 エナメルのロンググローブも用意したんだけどね。

 残念ながら今日は、肘丈までのグローブなの。

 さぁ、まずはシャワーを浴びて着替えようか。

 その後でメイクしてあげるから」

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