第46話 決着2

 俺とイブリースが言葉もなく意見を交換している間にも、グラシャラボラスは続ける。

「色仕掛けにも動じず、泣き落としも効果が薄く、かといって暴力でも動かない。なればどうする? 一体どうしたら神の真理に自我を侵食されるのか? 私は短い時間の中で考えたよ」

 つまり、コイツは俺の中にある神の真理を得る為に、俺に精神的な揺さぶりを掛けて、神の真理による侵食で廃人にしてやろうと考えているのか。

 まぁ、コイツの弟をいきなり惨殺したり、独りでに嘔吐したりするシーンを見ていれば、俺が情緒不安定だと考えてもおかしくはないか。

 それだけ不安定なのだから、神の真理による侵食が進んでいると考えるのも道理。

 後はきっかけだけで、自我を失くすと目論んだのだろう。

 そして、正体を失くした俺なら簡単に喰えると――。

 けど、残念。

 俺は到って健常な異常者なのだ。

 その予想は全くの的外れである。

 そもそも、そんな迂遠な策を弄するぐらいなら、拳で来いと言いたいところだが、殺し合いで俺に負けたのだから仕方がないのか。

 これも苦渋の決断という奴だろうか。

「人の心を一番揺さぶるものは何か。その答えがようやく出たよ――」

 グラシャラボラスが片手を上げて、その先をゆっくりとイブリースに向ける。手の上に乗っているのは、パチンコ玉か?

 それと同時に一瞬で電磁波の道がイブリースにまで繋がるのが俺にはえた。

 予想するに、電磁加速装置レールガンに近いものか?

「――近しい者の死。それを経た時、小僧は同じ様に平然としていられるかな?」

 イブリースが物理攻撃に脆い一面がある事を走馬灯のように思い出す。俺は何とかイブリースに声を掛けようとするが、

「はっ、遅い!」

 それより早く、グラシャラボラスがパチンコ玉を指で弾く。

 磁気を帯びたパチンコ玉が、電磁波で出来た細い道を一瞬で加速する――、

 ……よりも早く、パチンコ玉がその場に落下して屋上の床にコロコロと転がった。

「な、に……?」

「悪いな、イブリース。少し待たせることになりそうだ」

 軽い感じでイブリースにそう告げると、俺はゆっくりと歩を進める。

 何が起きたのか理解出来ないのか、グラシャラボラスの表情が歪む。

 嗚呼、そんな表情を見せないでくれ。思わず舌舐めずりをしてしまう程に憎たらしいじゃないか。

「小僧、貴様……、何をした……」

「電磁波の道みたいなものを潰しただけだ。慣れないと扱いが難しいと思っていたが、真理を得さえすれば、ぶつけ本番でも簡単に操れるものなんだな。意外と簡単だったよ」

「貴様、まさか……」

 そう、その顔だよ。

 俺が見たかったのは。

 グラシャラボラスの表情と反比例するかのように、俺の顔は暗い歓喜に彩られる。

 散々調子に乗った後に、甚振られるこの感じ……、その表情……、実にソソる。

「喰ったのか……! 私の『殺人を司る真理』を喰ったのかッ!」

「お前の分体がいけないんだぜ? あんなに首から噴水みたいに血を噴き出すもんだから、飲みたくも無いのに血液を飲んじまったじゃないか。……しかし、会得して分かったが、この真理は不完全だな。殺人を司るなどと言うのも烏滸がましいレベルだ」

「ふ、不完全だと! 言うに事欠いて! 私の完璧な真理のどこに穴があるというのだ!」

 空気の揺れがあれば、それだけで相手を殺すことが出来る真理。よく言えば、世界一、簡単に人が殺せる真理だろう。

 だが、だからこそ違うと感じる。

「これ、人を殺す真理じゃないだろ。波を操る真理だ」

「…………」

「それなのに、殺人を司る真理とか大言壮語も程々にしろよ」

 人を殺す方法なんて沢山あるんだから、電波で人を殺すことが殺人の真理だなんて断言したら駄目だ。

 そんな事をしたら、爆弾も科学兵器も全部殺人を司る真理になるだろって話だろうに。

 俺がそう告げると、グラシャラボラスは目を怒らせて、俺に食って掛かる。

「黙れ、小僧! 私の真理は誰よりも効率的にヒトを殺し――……」

「何で、効率的に人を殺すんだよ」

「何?」

 俺はずっと疑問に思っていたことをグラシャラボラスに尋ねる。

 だが、グラシャラボラスは寝耳に水とばかりに、目を白黒させるだけだ。

 ここで、俺は自分が随分と勘違いしていることに気付いた。

 コイツは、俺とは違う、と。

「嗚呼、そうか。どうも会話に齟齬があると思ったが、お前は人間を数字や記号でしか扱ってないんだ。そこに居る生物としてでなく、株のトレーダーのように折れ線グラフでも眺めている気分になって、人を殺す方法を追い求めていたんだろう。だから、こんなに味気のない、浅いものを殺人の真理と言ってしまうわけだ」

「何だと!」

 挑発のつもりではなかったのだが、グラシャラボラスはすぐさま憤る。

 俺はただ事実を述べているだけだというのに、沸点低いんじゃないか。カルシウム足りてないぞ。カルシウム。

「知らないんなら教えてやろう。人の命というものはなぁ――、んだ」

「「はぁ……?」」

 俺の言葉にグラシャラボラスだけでなく、イブリースまで反応する。

 今までの俺の行動を見ていると、とてもそうは思えなかったのかもしれないが、これは俺の本心である。

 人の命は重い。それは確実だ。

「死を前にした人間の藻掻き、死力を尽くして逃れようとする足掻き、どうにか助かろうと知恵を絞って情に訴える命乞い……。そこには人という種の命の煌めきがあるんだよ。そして、それと同時に生命というものの重さを俺に実感させてくれる。それこそ、人を効率的に殺すことしか考えてこなかったアンタには実感すら湧かなかったことだろうがな」

 死が色濃く迫った時、人はその死を跳ね除けようとして、より命の輝きを強くする。

 俺はその命の輝きを見る度に興奮し、生命というものの偉大さ、貴重さ、重さを知ってきたんだ。そして――、

「その上で、を壊すのが愉しいんだ……」

 命は掛け替えのないものだ。

 その重さを知りながらも壊すことの快感。

 また、命が煌めきを強めた瞬間に、その煌めきを刹那で切り取り芸術にまで昇華する満足感。

 それらの要素が俺に無償の興奮を齎してくれるのである。

 機械的に、効率的に、殺人を嗜んでいては絶対に理解できない領域。

 それを、端的に言ってしまえば――。

「それが、一流の殺人鬼ってものだ」

「ふん、そんなものを私は目指していない。私が目指すのは……」

「……悪魔の王と神の真理の両取りか? 目指すのは結構だが、どうするんだ? 色仕掛けも、泣き落としも、実力すら敵わない神の真理が目の前にいるんだが? 土下座でもして、負けて下さいとお願いするのか?」

 最後通牒のように告げてみるが、グラシャラボラスはニタリと厭な笑みを浮かべてみせていた。

 嗚呼、いいねぇ。

 それだよ、それ。

 濁っちゃいるけど、良い命の煌めきだ。

「馬鹿め、油断したな! 私は、波を操るだけの能無しではないのだよ! ――死ね!」

 正攻法では勝てないからと不意打ちか。

 作戦としては悪くないのだろうが、電磁波という特殊な技能が俺に通じなくなった時点で、グラシャラボラスは詰んでいる。

「いや、能無しだよ、アンタ」 

 俺はグラシャラボラスの首を軽く何度か投げ上げる。

 遅いし、鈍いし、なんの脅威も感じない動きだった。

 交差気味に動いて、刹那で首をもいだ俺の動きが追えてないのか、グラシャラボラスの生首はまだ事態を理解出来ていないのか不思議そうな顔をしている。

 彼の中では、きっと世界がグルグル回っているように見えていることだろう。

「……? ……!?」

「お。ようやく事態を理解したようだな」

 徐々に顔色が青白くなっていく生首を目の前に掲げながら、俺は出来の悪い子に言い聞かせるようにして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 俺の背後でどさりと首を失くした胴体が倒れる音がするが、今更だ。

「殴り合いなら俺に勝てると思ったのか? そういうトコだぞ? ――あと、オッサンに化けて、俺の目の前で情けない姿を晒していれば、俺の頭ぐらいは砕けたんじゃないか。もう遅いが」

 そう言って、俺は女の頭を片手で掲げながら、もう一方の手で拳を握り込む。

「ま……、て……」

「お前の命の煌めきも綺麗だと良いな。――じゃあな」

 ぱんっと水風船が割れるような音がして、真っ赤な液体が周囲に飛び散る。その一撃が引き金となったのか、緞帳が上がるようにして、ゆっくりと紅い幕が上がっていく。

 どうやら、これで紅い結界も解除されるようだ。終わった、という感じがする。

「風が出てきたな」

「結界が解けたからだね。世界があるべき姿を取り戻しつつあるんだよ」

 イブリースの言葉を裏付けるかのように、高層マンションの屋上に似つかわしい強風が吹き荒れ始める。こんな所に居たら、ほぼ布状態の制服も吹き飛びそうだ。長居は無用である。

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