第41話 ヒト殺し2

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 グラシャラボラスが殺人を司る悪魔だと名乗る理由は、彼が『波』を操る能力に長けた悪魔だからだ。

 人間とは脆いもので、強い放射線を浴びるだけでも死に到ってしまう、そんな脆弱な生き物なのだ。だからこそ、波を操るグラシャラボラスにとって人間というものは、それこそ歯牙にも掛けない存在でしかなかった。

 空気の揺らぎひとつから、有害な電磁波を作り出せるとなれば、その存在がどれだけ凶悪かは良く分かる事だろう。

 それこそ、言葉ひとつで人を殺す事が出来るのだ。

 だてに殺人の真理を修めたと嘯いているわけではない。

 ……とはいえ、だ。

 グラシャラボラスが得意なのはであり、ではない。

 彼がその力を十全に操る為には、その起点となる力が必要であった。

 それは、声でも動作でも何でも良いのだが、増幅、変調、共振させる為に元となる力が必要なのだ。

 だが、熟練の手合いはその起点の力を見切って行動する。

 放射状に広範囲に広がって発生する力ではあるが、ある程度方向性があったりすると、それを避ける者が現れる。

 不可視の力であるのに、それが見えているかのように躱す者がいるのだ。

 そして、グラシャラボラスは相対する丹生明日斗が、その手合いであると判断していた。

 武術だか幻術だかは知らないが、急に気配が薄くなったかと思ったら、動きがやたらと捕捉し難くなったのだ。

 だからこそ、容易な相手ではないという判断をグラシャラボラスは下した。

 そして、その判断は間違いではない。

 だが、そうするとグラシャラボラスは力の起点無しで波を操らなければならない。

 動かず、声を出さず、相手に決して見切られる事なく、わけも分からずに相手を殺す――それが理想だ。

 グラシャラボラスとしては、別に丹生明日斗の動作で起こる空気の振動……音波を起因として、周囲の空気を細かく振動させて加熱することも出来る。そうすれば、生きながらにして焼き殺すことも可能だろう。

 だが、これは捕捉出来ていない状態で行ったとしても効果が薄い。それに何より、攻撃を外してしまった際の隙が怖くもある。

 だから、グラシャラボラスは瞬時に判断すると、切り札を投入する事にした。

(出し惜しみをして負けていては笑い話にもならないからな)

 グラシャラボラスが精神を集中した次の瞬間、高層マンションの屋上に青い光が迸る――。

 光を発したのは、彼が先程まで座っていた『椅子』だ。

 椅子の内部には、存在を気付かれないように微細な光を発する装置が組み込まれていた。

 光とは、電磁波の一種だ。

 波長によって、その色が変わって見えるが、結局のところ電場と磁場の性質を伝搬する『波』である。

 そして、波であるならば、グラシャラボラスが扱える代物だ。

 ただの光だったものを、波長を変質させることで、高エネルギー電磁放射線であるガンマ線やX線へと変える。

 恐ろしく短い波長になった電磁波は、いとも容易く人体を通り抜け、グラシャラボラスによって恐ろしい程に増幅させられたエネルギーは、その電磁波を受けた者に細胞単位での影響を与える。

 高エネルギーの電磁波は、原子や分子に対する電離作用を持っており、結果として人に避けられない致命傷を与えるのだ。

 グラシャラボラスの奥の手とは、そういうものであった。

 この奥の手の恐ろしい部分は、ほぼ回避不可能という事だ。

 何せ、予備動作がまるで無い。

 しかも、警戒すべき相手であるグラシャラボラスではなく、全く警戒していない椅子からの攻撃だ。まず間違いなく、この攻撃を避ける事は出来ない。

 そして、それはグラシャラボラスとて同じであった。

 だからこそ、彼は外套マントを羽織っている。ただの格好つけの為の小道具ではない。鉛入りのガンマ線やX線を通さない造りの外套だ。まさに、奥の手に合わせた装備であった。

「運が無かったな、小僧」

 視界が一瞬で光に染め上げられる中、グラシャラボラスはマントで全身を包むように縮こまりながら、素早く上空を見上げていた。

 高層マンションの屋上の中央部を中心として、ドーム状に展開した電磁波だ。上空が死角というわけではない。

 だが、最後の悪足掻きとして、重力の力を借りて上空から強襲してくる危険性は考えられた。身体中の細胞という細胞が電離して、ろくに動けなくなる中、唯一、グラシャラボラスを殺せる可能性があるのは重力の力を借りる道しかないと考えたからだ。

 だからこそ、グラシャラボラスは油断なく上を見上げる。

 空中なら踏ん張る足場もない。

 そうなれば、絶好の的だ。

 そこでなら、グラシャラボラスも落ち着いて丹生明日斗の臓腑をマイクロ波で焼き切ることも出来るだろう。

 マントに包まれながら、上空を見上げるグラシャラボラス。

 だが、そのすぐ側で小さな呟きが聞こえた。

「うるせぇ……死ね」

 首筋の後ろをがっちりと手で掴まれる感覚。

 馬鹿な、という言葉を紡ぐよりも早く、グラシャラボラスの首は胴体から離れて宙を舞っていた。

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