第37話 グラシャラボラス2

「しかし、二人を連れてこいと命じた筈の人間達は姿を見せず、王と標的の二人だけで来るとは……。こんな単純なお使いも出来ないとは不甲斐ないな、ニンゲンは」

 嘆かわしいとばかりに、グラシャラボラスが片手で顔を覆う。

 一瞬、隙が生まれたかと思って体重を前に傾けるが、グラシャラボラスの目が指の隙間から俺を覗いているのを見て、その行動を止めた。

 なかなか隙がない。不意打ちは難しそうだな。

 仕方ない。挑発してみるか。

「それなら、アンタが無能じゃない事を証明してみせてくれよ?」

 俺は、一歩を詰めようとするが――。

「偉大なる私と王の会話の邪魔をするなよ、小僧?」

 グラシャラボラスが右手を一振りすると微風が舞う。周囲に広がり、俺の体を撫でた微風は体内を透過したかと思うと、そこで一気に衝撃として弾けた。

 バチンッと、まるで電球が切れるような唐突さで俺の体内を衝撃が駆け巡る。

 外傷はない。

 だが、俺は全身の穴という穴から血を噴き出し、その場で片膝をついてしまっていた。

 何だコレは? 衝撃が内側から襲ってきた……?

「明日斗くん! 大丈夫!?」

 視界が真っ赤に染まる中、耳も血が詰まっているのか、イブリースの声が明瞭に聞き取れない。

 だが、彼女が動揺しているのは伝わる。

 俺はイブリースを落ち着かせる為に片手を上げると、自分が痛みの中でもやけに冷静に動けている事に気付いていた。

(そりゃそうか。夢の中で何度も殺しをして、逆に殺されそうにもなっているんだ。こんな状況にも慣れて当然か。しかし、イブリースが相対した瞬間に殺されるかもしれないような事を言っていたが、あれは冗談ではなく本当だったのか……)

 血の塊を喉の奥から吐き出しながら、俺は体中に刻まれた深刻なダメージを抜く為に気息を整えようと努める。

 だが、再度迫り上がってきた血の塊が、喉の奥にへばりついて息がし辛い。

 俺は何度も血反吐を吐きながらも、最早ルーチンワークと化している回復法に勤しんでいた。

「普通の人間であれば、今ので死ぬのだがな? 片膝を付くだけで済ませるか。流石は弟を殺した人間……いや、神の真理を宿した人間と言ったところか」

「どうして、それを……」

 イブリースが驚愕の表情を浮かべるのを愉快そうに嗤いながら、グラシャラボラスは自分の片頬に指を這わせる。その顔には、他者を見下す絶対の自信のようなものが浮かんでいるように俺には見えた。

 嗚呼、良いな……。

 ……その顔を殴りたくて堪らない。

「言っただろう、弟の記憶を見たと。弟の最後の記憶には、その男の手の甲に聖痕が浮かぶ姿がきっちりと映っていたのだよ。だから、この小僧が神の真理持ちだという事も当然知っている」

「私だけじゃなくて、明日斗くんまで標的にしたのは、神と悪魔の真理の両取りを狙ったということなの?」

「その通り。弟の記憶を読んだ事で王の弱点を知り、そしてまた神の真理の持ち主まで特定出来たのだ。そこまでお膳立てされて、据え膳を食わぬというのは、私の選択としてはありえなかったのでね。即座に動かせてもらったよ」

 まるで水中での会話を聞いているような感覚。イブリースとグラシャラボラスが何かを言い合っているが、その内容が頭に入ってこない。

 いや、そもそも、俺の方にそれだけの余裕がないのだ。

 なにせ、息をするだけで全身が痛みを発し、喉の奥から血液の塊が迫り上がってきて止まないのである。これではまともに呼吸さえも出来やしない。

 俺は喉に詰まった血液を吐き出すつもりで、胸を強く叩く。その衝撃で血液の塊が口腔から吐き出され、俺はゲホゲホと咳き込みながらもようやく呼吸を落ち着ける事が出来た。

(……あれ?)

 痛みが引いていく。

 さっきまで散々に暴れ回っていた痛みが嘘のようだ。その結果に驚きながらも、俺の中の何かが、それがさも当然であると告げてきた。

 全身の痛みとは違う気持ちの悪さが、俺の思考に割って入ってくる。この異常な感覚に俺は寒くもないのに背を震わせる。

 ぞわりぞわりと体内を動き回る感覚。

 俺の一撃がそうさせたというのか、石の裏に隠れていた大量の虫が逃げ回るかのように、全身を悪寒が駆け巡る。

 そして、その虫のような何かは俺の意識が邪魔だと言わんばかりに激しく干渉しようとしてくる。

 精神に対する過大な負荷。

 これを肉体的な負荷に例えるなら、剥き出しの眼球の前にナイフが固定され、それが徐々に迫ってくる圧力に似ている。

 呼吸が乱れ、瞬きをしたくても出来ない、強制的に惨事の現場を見せられているような、そんな感じだ。

(やめろ、俺の中を這いずるな……)

 そこに在ると解るのに、それを避ける術がない――そんなモノが俺を侵食していく。

 俺という意志が、精神という名の戦場での戦い方に不慣れであった事もあるだろう。

 だが、そんな要素など関係無いとばかりに、俺の中の違和感は俺の意志を追い出そうと激しく藻掻く。這いずり、のたうち、暴れ狂う。

(蠢くんじゃない……!)

 意志を強く込め、俺はそれを抑えつける。

 ともすれば、飲み込まれそうな感覚。

 だが、まだ優位は俺の方にあるようだ。名状し難い精神的な圧力が引いていくのが分かる。それと同時に、置土産というわけではないだろうが、俺の脳裏に波線の絵が浮かんだ。

 偶然、では無いだろう。

 これは、メッセージだ。

 俺の中に潜む何かからの俺に対してのメッセージ。

 そして、その何かの存在は、先程イブリースが説明をしてくれた。

(これが、神の真理……)

 悍ましい感覚だった。

 あれをスーパーパワーだなんだと表現していた自分の浅はかさに震えがくる。

 あれは、俺の身に巣食う大量の虫だ。

 少しでも押し負けたら、俺という意識がズタズタに食い散らかされるであろう形の無い虫。

 だが、ただの害虫、寄生虫というわけでもない。

 その証拠にメッセージを残している。

 これを使ってアイツを殺せとでも言いたいのか。

 それが何を意味するのか、考えている内に痛みが引く。

 どうやら、痛みを気にしないくらいには体調が戻ったらしい。

 俺の隣では、相変わらずイブリースがグラシャラボラスと会話を続けていた。

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