第36話 グラシャラボラス1

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 四十階を通り過ぎて屋上へ――。

 四十階を通り過ぎる際に、鉄扉越しに大きな物音や悲鳴が聞こえてきたような気もしたが、足を止める事はない。

 俺は我儘な人間だ。

 自分がやりたいことだけにしか興味が向かない。そういう面倒臭い性格をしている。

 ましてや、短い寿命を自覚した後だ。

 他人の為に使う時間のリソースは無い。

「…………」

 イブリースから何か言いたそうな気配が伝わってくる。

 だが、彼女は何も言わない。

 彼女だって、全てを救ったりする正義の味方のような思想は持ち合わせていないのだろう。そんな思想を基準に俺を責めることはない。

 そもそも力で言えば彼女の方が強いのだ。全ての人間を救いたければ、自ら動くことだろう。

 そして、動かないという事は……そういうことだ。

 とにかく、俺たちは途中の階に寄ることなく、屋上に続く鉄扉へと辿り着く。

 そして、その扉を押し開けようとして、イブリースから待ったが掛かった。

「あっ、そのドアノブ触らない方が良いよ。皮膚から浸透するタイプの毒が塗られているみたいだから」

 ぎょっとして動きを止める。

 厭らしい罠もあったものだ。

 何も知らずに触って扉を開けていれば、例え相手に勝ったとしても五体満足で帰れないといった仕掛けなのだろう。

 それとも、俺たちを連れてきたマンションの住民に後から絶望を与えてせせら笑うつもりだったのか。

 何にせよ、良い趣味をしているようだ。

 イブリース曰く、素手で触ったが最後、遅効性の毒が全身に回り主要臓器を三十分掛けてグズグズに腐らせるという事だから笑えない。

 流石は、殺人の真理を修めた悪魔といったところか。見事な先制パンチである。

「なら、こうするか」

 俺はドアノブに触れることは諦め、鉄扉に思い切り蹴りを入れて、その鉄扉を屋上の中央部にまで蹴り飛ばす。

 蝶番がねじ曲がるどころか、周辺のコンクリートごと罅割れて吹き飛んでいったが、大した問題ではないだろう。

「すっごいパワーだね……。今度からゴリ斗くんって呼んでいい?」

「呼んだら、お前の頬を捩じ切るからな?」

 微妙に期待をした目で見てくる辺り、ちゃんと釘を刺しておかないとイブリースは本当に言いそうだから困る。

 吹き飛んだ鉄扉がけたたましい音を奏でる中、俺は目の前に飛び込んできた光景に僅かばかりではあるが顔を顰める。

 屋上の床に一面に敷き詰められたのは人の骨。

 頭蓋骨を中心に、肋や大腿骨のような長い骨も突き出しており、なかなか歩くのに難儀しそうな様相を呈している。そんな骨の床の両脇には捻れた石灯籠が道を作るように鎮座し、その最奥に王が座るような豪奢な椅子が用意されていた。

 その椅子に一人の長髪の男が座っている。

 男は顔の前で手を組み合わせ、まるで観察するかのように鋭い視線を俺たちに向けて投げて寄越す。

「ようこそ、永遠の地獄ゲヘナへ」

 地獄の底すらも震わせるような低い声。腹に響くような重低音が気持ち悪い。

 目元だけで笑う男は、そんな俺たちの様子を愉しむかのように声を掛ける。

 普通の人間であれば、ぞっとする光景。

 だが、生憎と俺はそこまで可愛げのある性格をしていない。

 走って接近するのに走り辛いな――、そんな感想を抱いていた。

 そして、俺と同じく、大して動揺をしていない少女もいる。

「安っぽい演出だね。こういう暗い雰囲気のは好きじゃないから変えるよ?」

 傍らでそう呟いたイブリースが、独特のリズムでステップを刻むと刹那で景色が変わっていく。

 床一面に広がっていた骨が粉となって風に吹かれて消え、ねじ曲っていた石灯籠が経年劣化したかのように、その場に崩れて砂となる。

 イブリースは『演出』だと言っていたが、先程の骨の床や石灯籠は本物では無かったということなのだろうか?

 答えを聞くには少し怖いので、答えを聞く事はないが、これで走りやすくなったのは確かである。

 男……グラシャラボラスが豪奢な椅子に座りながら、その光景を見てフフッと嗤う。どうやら、あの椅子に関しては『演出』ではなかったらしい。崩れてはいない。

「流石は王だな。私の幻影戦場ファントムフィールドをいともたやすく破るとは」

「まぁ、流石にこれぐらいはね。物理的な破壊を伴わない行為であれば、ある程度自由に力は使えるんだよ」

 視線を落として頬を掻きながら、何とはなしに語るイブリース。

 だが、俺は見逃さない。

 お前が足で叩いた床、派手に蜘蛛の巣状の罅が入ってるからな? 絶対、力加減間違えてるからな? 雰囲気が雰囲気だし言わないけど、絶対成功の類じゃないからな?

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