第33話 壁外の戦闘3
「明日斗くん!」
イブリースの悲痛な叫びが耳に痛い。お前の声は頭に突き刺さる感じがするから大声を上げるなと言いたい。
さて、どうするかと悩んでいる時間もない。
俺は空中でベルトを外すと、革部分を持って、バックル部分を思い切りマンションの外壁目掛けて叩き付ける。
まさに、気分は鞭使いの冒険家だ。
ビシッと軽い音がしたと思った瞬間には、ベルトのバックルがマンションの壁に突き刺さり、俺の全体重を支える形で、俺は空中に宙ぶらりんの状態となっていた。ベルトをしていて助かったし、腕が長いのも助かった。まぁ、咄嗟の判断にしては悪くない行動だったはずだ。
「どうやら十五階ぐらいは落ちたようだな」
落ちたのがタワマンというのも助かった。
背の低い建造物であったのなら、ベルトを外している間にも地面に激突していただろう。
ぶらりと、ベルト一本で支えられている体勢のまま、俺はマンションの壁に片足をゆっくりと付ける。
そして、そのまま勢い良く踏み込んで、片足を壁にめり込ませていた。
山羊頭がやっていた爪を食い込ませる行為を模倣した形だが悪くない。
俺はそのまま片脚ずつをマンションの壁にめり込ませながら、壁に垂直に立つ。バランス感覚がいる作業だが、直ぐに慣れた。
立つ事が出来たら、次は歩く事だ。
俺はタワマンの壁を垂直に上っていく。
山羊頭もそんな俺に気が付いたのか、指先を俺に向けて、例の不明瞭な詠唱を始めていた。
…………。
俺もあの不明瞭な詠唱を覚えれば、魔法を使えるのだろうか?
やってみようかと思ったが、やめた。
失敗したら、格好が悪いからだ。
山羊頭の指先から突風が吹いて、俺の体を無数に切り刻む。
鎌鼬という奴だろうか?
乱れる気流に血飛沫が混じって、派手な血煙が舞うが、実際のダメージは数カ所で薄皮が切られた程度だ。制服にダメージが入るのが悲しいが、致命傷には程遠い。
やはり、魔法というのは見た目が派手なだけで大した威力では無いようだ。
血煙のエリアを足早に脱出し、俺は地上を走るのと何ら変わりのない速度で壁を走り始める。
いい加減、壁登りにも慣れた。
バギン、バギンとコンクリートを割って走ると、コンクリートの欠片が面白いように地上に降っていく。まぁ、この辺は結界が張ってあるので、気にしなくて良いだろう。
俺の接近する光景に、山羊頭は驚いたような反応を見せるが、それも一瞬だ。雄叫びを上げるなり、山羊頭も壁面を走って下りてくる。
「■■■■■■■■■ーーーー!」
「いいね! いいね!」
俺を殺したくて殺したくて堪らないという夥しい量の殺意――。
それを感じた瞬間、俺は嬉しさに歯を剥く。
「俺を殺したくて殺したくて堪らないってビンビン伝わってくるぜ! 奇遇だな! 俺も、お前を殺したくて殺したくて堪らないんだ!」
「■■■■、■■■■■■ーーーッ!」
壁面を走る俺と山羊頭が刹那で交錯する。
山羊頭は、鋭く細い曲刀のような爪十本を両手で合わせて、俺の頭をエッグスライサーのように切断しようとするが、俺は直前で速度を更に上げる事によって、山羊頭のタイミングを外す。
そのまま山羊頭の脇下を駆け抜けていくタイミングで体から胴を引っこ抜いてやった。要領は達磨落としと一緒だ。
山羊頭の頸椎と臓物がずるりと抜ける感触が手を通して伝わり、俺はそのまま壁面へと引っこ抜いた胴を激しく叩き付ける。
バンッと派手な音がすると同時に、山羊頭の胴体が肉塊のオブジェと化してマンションの壁面にへばり付く。
「前衛的でなかなか悪くないな」
逆に、胴体を失った山羊頭は上下に泣き別れになりながら、そのまま地上へと重力に引かれて落ちていった。小気味の良い音共に血の華が二つ咲く。
「しかし、背骨と臓物が抜ける感触はカニの脚を割って身を取り出す時のような爽快感があるな。機会があれば狙ってみるか」
俺はそんな感想を抱きながら、少しだけ満足しつつも壁に開いた穴から中へと戻る。
「そういえば、結界で建物の外に抜け出せないとか言っていたのに抜け出せているな? 殺人を司るとか言っていたから、結界を張ったり維持したりするのが苦手なのか? 欠陥悪魔だな、グラシャラボラス」
やろうと思えば、この穴から外に出て逃げ出すことも可能なのかもしれない。
だが、その選択肢は端から無い。
グラシャラボラスの自信満々な顔を、泣き顔に変えるのが俺の目的だからだ。それを果たすまでは逃げるという選択肢はありえなかった。
「待たせたな。それじゃ、屋上に行くか」
「へ? あ、明日斗くん!?」
穴を通って元の場所に戻ると、そこには少しだけ涙目になったイブリースが待ち構えていた。
何か泣くような事態でも起きたのだろうか。
俺が不思議そうな顔をして近付くと、イブリースは驚いたように目を丸くする。
「大丈夫!? 体は無事!?」
無事?
無事かどうかで考えると、重大な問題がある。だから、もしかしたら無事じゃないのかもしれない。
「制服が切られた。明日、学校に何着ていったら良いか悩む。そういう意味では、無事じゃない」
非常に由々しき問題である。
うぅむ、ワンサイズ大きいのがあったかな……。
だが、イブリースは両手を広げて、そうじゃないとばかりに詰め寄ってきた。
……近い。
外国暮らしが長過ぎて、日本人同士の距離の取り方を忘れているんじゃないのか。
「いや、そうじゃなくて! 落下したでしょ! 地面に激突したんじゃないかって話!」
「何言ってるんだ? 激突したら生きているわけがないだろう? 此処にこうして生きているんだから、激突なんてしてるわけがない」
「いや、あのタイミングで飛び出していって、地面に落ちませんでしたって無理がない!?」
「人間、やる気になれば壁ぐらい歩ける」
「いや、歩けないから!?」
いや、現に歩いてきたんだから、否定されても困るのだが。
「あの……」
暫しして正気を取り戻したのか、サラリーマン風の男が顔を上げる。
結構、本気で投げ込んでも怪我ひとつないのは、イブリースが受け止めてくれたからか。
何気に良い仕事をするな。
「助けてくれて、ありがとう御座いました……」
男の顔には先程までの幽鬼のような凄味はない。まるで憑き物でも落ちたかのようにサッパリとしている。
それこそ、先程までは悪魔に魅入られていたかのような酷い顔であったのだが、今はそれがない。気が晴れたのか、動転しているのか。何にせよ、俺は肩を竦める。
「別に。大した事はしていない」
生きられる時間がほんの少し伸びただけに過ぎないかもしれないのだ。
恩着せがましくするつもりもない。
ただまぁ、しおらしくしてくれている分には、こちらとしても有り難いか。
殺すべき相手は別にいるのだから、こんなところで手間取ってはいられない。
「あー! 手の傷!」
「うん?」
イブリースに片手を取られる。
どうやら、エッグスライサーを躱し切れていなかったのか、また手の甲に傷跡が残っている。まぁ、放っておけば、その内に消えるだろう。
「この傷、やっぱり」
「何かおかしいか?」
「ちょっと来て!」
様子のおかしいイブリースに手を引かれながら、俺は引き摺られるようにして上階へと進んでいく。男は、そんな俺達の姿をポカンとした顔で見送るのであった。
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