第26話 殺人の真理を極めし者4
ボソリと呟いた俺の言葉を聞いていたのか、イブリースが難しい顔をしてみせる。
何か憂うことでもあっただろうか。
「相手は人を殺すのに長けた殺人を司る悪魔だよ? そんなの不可能だと思う」
「どうだろうな」
俺だって子供の頃から、何千、何万と夢の中で人を殺してきているのだ。
果たして、危ないのはどちらだろうか。
殺しの技術の引き出しの多さでは、遅れを取らない自信はある。
だが、イブリースはそんな俺の見通しが甘いとばかりに、真剣な表情でこちらを見つめてきていた。
「いい? 良く聞いて? 相手が殺人を司る悪魔ってことは、殺人の真理を修めているって事なの。あらゆる殺人の技法に精通しているのかもしれないし、もしかしたら人を殺すことに特化した力を持っているのかもしれないの。だから、まともに対立しては駄目。向き合った瞬間に殺されているなんて事があるかもしれないんだから。ここは逃げの一手が正解だよ」
「逃げてどうする? このまま、この建物に住む人達を見捨てて生き延びるのか。そうした所で、アイツは此処の住人を皆殺しにした後で、俺達を追ってくるぞ。そうして、次の場所でも被害を出して……鬼ごっこがずっと続くだけじゃないか。逃げ切れる自信がイブリースにあれば良いが、アイツしつこそうだったぞ?」
暫しの沈黙。
それは、答えを考えているというよりも、気持ちを落ち着けるだけの時間を要しているように見えた。
イブリースの真っ赤な目がこちらを睨むように見据えてくる。
「そんな事、明日斗くんに言われなくたって分かってるよ。でも、だからといってどうしようも無いじゃない。私が動いても皆死んじゃうし、殺人を司る悪魔には誰も勝てないし。逃げる以外の選択肢なんて無いんだよ。八方塞がりなの、現状」
訥々と語りながらも、イブリースの目は世の不条理を嘆いているようにも見えた。
だが、世の不条理なんて、いつの時代にも存在するものだ。
そして、それの焦点は、逃げること、やり過ごすことじゃない。
抗うか、抗わないかだと俺は思う。
テレビから耳障りな声が響く。
『では、宴のスタートだ。良い夜を――』
プツリとテレビの電源が消えた瞬間から俺は動き出す。
「え? いや、何してるの?」
イブリースが戸惑った声を出すが、俺は勝手にイブリースの家の台所に向かうとキッチンの戸棚を漁り始めていた。
さっき飲み物を持っていく時にちらりと見えたんだよな。
あった。スピリタス。
こいつが良く燃えるんだ。
火炎瓶代わりに持っていこう。
後は包丁も。
まぁ、無くても良いが、見栄え的にあった方が相手も警戒するだろう。
それと、着火用のライターは無いか?
煙草を吸っている人間がいないと普通に無かったりするが……。
あ、チャッ●マンがあるぞ。これで良いか。
おっと、ガムテープも発見。
これも拝借するか。
「イブリース、このエコバッグ借りるぞ」
返事を待たずに、俺は布製のエコバッグの中に品物四つを入れる。
布製なので、音がし辛いのも隠密性に優れていて宜しい。ちょっとガチャガチャするが、許容範囲だろう。
「別に良いけど……。言ったよね、私? 現状、八方塞がりだって。逃げるか、座して死を待つかの二択なんだって。だから、逃げようって?」
「それは、お前の観点からの二択だ。俺には最初から一択しかない」
体の内側から喝采を浴びる。
アレを殺せ、と、アレを斃せ、と血と肉が沸き立つかのようだ。
肉体がこれだけの悦びを見せているのだから、俺がそれを拒否する事は出来ない。
特に、相手は肉体構造的にも、精神構造的にも人ではない相手だ。
言うなれば、害虫に等しい。
そんな相手であれば、俺も気兼ねなく殺せることだろう。奴を殺したところで、吐く事は無いと断言出来る。
害虫を叩き潰す、或いは薬品を使って虫を皆殺しにする事に罪悪感を持つ人間なんていないのだから当然だ。
あの時、イブリースの前で醜態を見せたのは、俺がイブリースの精神性に『ヒト』を見たからに他ならない。
けれど、アイツは殺せる。
人を見下し、人を人とも思わない外道であるのならば、それはヒトに非ず。俺と同じ外道――いや、畜生であるのならば、喜々として
「アイツを殺して状況を打開する」
「いや、だから! あの悪魔は殺人を司る悪魔で――」
「問題無い」
嗚呼、くそ。
気持ちが昂揚する。
昂りが抑えられない。
気持ちのままに俺が恍惚とした笑顔を浮かべると、イブリースはゾッとしたように背を粟立たせているように見えた。
どうだ? イブリース? 今の俺は、誰よりも活き活きとしているだろう? だって――、
「俺に殺せないものなんて無いんだから心配するな」
興奮がはち切れて爆発しそうだ。
嗚呼、悪魔グラシャラボラスよ。
願わくば、これから自分が殺されるとは思わず、踏ん反り返って待っていてくれ。
断末魔の悲鳴は、絶望に突き落とされた深さが深い程に美しく艶があるのだから。
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