第15話 殺人現場6
「驚いたな」
男が自身の頭を両手で抱えながらゆっくりと捻っていく。ゴキリ、ゴキリと音を立てて回っていく首は、やがて元の位置へと戻り、男はひと心地ついたとばかりにひとつ息を吐き出してみせていた。
男がゆっくりと立ち上がる。
間近で見るとデカイ。プロレスラーか、相撲取りかといった身長がある。俺も百八十センチ程は身長があるが、男はその上をいく。見上げて首が痛くなる感覚なんて久し振りだ。
「君は本当に人間か?」
「おかしな事を聞く。それじゃ、まるでアンタが人間じゃないみたいだな」
「ククク、王の側に居た割には、何も知らぬのだな」
男はひとしきり笑った後で爛々と光る双眸を俺に向ける。
その双眸は月明かりを映したにしては、紅く、明るく光っていた。
「我らは人間ではない」
その言葉を聞いて、俺は困ったように彷徨わせた手で後頭部を掻いてから、自分のこめかみを人差し指で何度か叩く。
「頭、沸いてんのか?」
「心外だな。ただの事実に過ぎん。そも、体の中から犬を呼び出すようなものを人というのかな?」
「手品師かもしれないだろう」
「ならば、これでどうだ」
男の言葉と共に、男の指が徐々に肥大化していく。
最初は虫さされ程度であったものが、毒虫に噛まれたように肥大化し、やがて人の指先の体積を超えて膨張する。
膨張した肉は男の体から切り離され、その肉塊が犬の姿を象って地面に立つ。
奇っ怪な現象に俺は言葉が出ない。
「分かっただろう。私たちは
たち、という言葉に俺の視線が僅かにイブリースの下半身に向かう。
つまり、彼女もそうなのか?
イブリースも人ではないと?
「さて、分かって貰えたところで交渉といこうか」
「交渉だと?」
「我々は人と交渉する。君の望みを叶える代わりに、対価を支払ってもらうがね」
「まるで、悪魔みたいな事を言うじゃないか」
「まるでではない。我々は悪魔だ」
なるほど。悪魔、悪魔ねぇ。
……それは素敵だ。
「最高だな。悪魔」
「そうだろう。それで、君は何を望むかね? 酒池肉林の宴か? それとも絶世の美女と関係を持ちたい? それとも生涯では使い切れない程の潰えぬ財産が欲しいのかね?」
「悪魔なんだから人権も無さそうだし、殺しても後腐れが無さそうなのは最高だな」
少し、興奮してきた。
手や足に絡みついていた枷が外れる感覚を覚える。
自由に
俺の眦から思わず涙が零れる。
「ズルいじゃないか、皆。こんな気持ちをたっぷり味わっていたのか? こんなの励んでしまうに決まっている」
人の趣味嗜好は千差万別だ。
スポーツ好きがスポーツ中継で一喜一憂するように、ギャンブル好きがギャンブルの結果で狂喜乱舞するように、映画好きが映画の内容に感動して落涙するように、人の心の琴線は人それぞれであり、一様ではない。
そして、俺の心の琴線は『殺人』という一点に特化していた。
それだと言うのに、今の世の中ではそれが禁止されている。
つい五百年程前には、平気で斬り合いをしていた文化があるというのに、今の時世ではそれが許されないのだ。
嗚呼、口惜しいかな。
俺は、これからずっと自分の本性を隠して、耐えるような人生を続けていかなくてはならないものだと思っていた。
だが、だが……だ。
世の中には、どうやら後腐れなくぶっ殺しても良い存在がいるらしい。
これは朗報だ。
俺は闇に濁った目を男に向ける。
「とりあえず、コイツを殺す所から初めてみよう。イブリースの件はコイツの腹を掻っ捌いて、上半身が生きていれば下半身にくっ付けてみよう。悪魔だし、生き返るかもしれないしな。そうしたら、コイツも殺せるし、イブリースも殺せるしで、二度お得じゃないか」
「どうやら、君の願いは私を殺す事らしいな。王との契約の手前、心苦しいのだが……自衛の為にはやむを得んよなぁ?」
男の周囲に黒毛の犬たちが集う。
なるほど。
男が自分の一部を切り離して作った生物ならば、あの犬たちは男の一部も同然ということか。
俺が右腕を動かそうと思えば簡単に動かせるのと同様に、アイツも襲わせようと思えば、犬を簡単に襲い掛からせる事が出来るのだろう。
犬を虐殺しても良いが――やめておこう。
別に動物好きというわけではない。
折角、純度百パーセントの殺人が楽しめるというのに、そこに犬畜生といった混ぜものをしたくないからだ。
いや、相手は人ではないのだから、殺悪魔か? 語呂が悪いから殺人でいいか。
何にせよ、犬を殺す気にはなれない。
真っ黒な珈琲にミルクを入れれば、それはそれで美味しくなるだろうが、珈琲の風味は確実に薄まる。
だから、俺は犬を無視して標的を男一人に決めた。
「行け」
男の号令一下、犬が走る。
四足歩行で大地を踏みしめ、全身をバネのようにして駆ける。体高が低いために対処がし辛い上に数が多い。最低でも十頭ぐらいはいそうだ。
俺は近付いてくる犬たちを眼前に捉えながら、男一人に意識を集中していた。男の双眸が暗闇の中、紅く輝くのを見つめる。紅い双眸が若干弱くなるのと、先頭の犬が俺に跳び掛かってくるのはほぼ同時。
そして、そのタイミングで俺は一気に地面を蹴って前方に駆け出す。
赤い光が消え、犬たちが俺を見失い、周囲の景色が後方へと流れていく。
筋繊維がみちみちっと悲鳴を上げる音を聞きながらも、俺は愉しさに口元が緩むのを抑えきれない。
気付いた時、あるいは気付かれた時、俺は男を抱きしめられる程の距離にまで近付いていた。
男が驚愕の表情を貼りつけながら叫び声を上げる。
「馬鹿な! 空間転移だと!」
「可愛いな、アンタ。そんなものを信じているのか?」
人間が空間転移なんて出来るわけがないだろう。
俺がやったのは男が瞬きする瞬間に合わせて移動しただけだ。
犬たちが全く俺の動きについて来れなかったのは意外だったが、考えてみれば思考がこの男と繋がっているのだから、この男が俺を認識出来なければ、犬も俺を認識出来ないのかもしれない。
何にせよ、俺は走った勢いそのままに男の顔面を鷲掴みにして、歪んだ街灯の柱に男の後頭部を思い切り叩き付ける。街灯の電球から火花が散り、衝撃に柱が揺れる中、ちかちかと灯りが明滅を繰り返す。
俺はそんな街灯の柱を飴細工のように捻じ曲げて、手早く輪を作るとその輪の中に男の頭を突っ込んでいた。
「ぐぐぐ……、何という膂力……」
「お前が貧弱なだけだろ?」
「だが、油断したな!」
「油断?」
男の腹から巨大な白い犬の頭が飛び出て、俺を喰おうと大口を開けてくる。
だが、それも計算の内だ。
俺は冷静に、しかし迅速に街灯の柱を引っ張り、男の首を一気に締め上げると、ぶちりと首を胴体から切断していた。
「あ――」
男から呆然としたような言葉が漏れる。
予想していなかったのか?
自分が死ぬということを。
「さっきは首を落とせなかったからな。やり直しだ。……油断というか、舐めプ?」
白い犬の巨大な頭は直後にびくんっと全身を震わせると硬直し、そのまま動かなくなってしまっていた。
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