第14話 殺人現場5

 ――血の飛沫が躍る。


 真っ赤な真っ赤な血が、暗闇の中に煌びやかな光を反射して舞い散る。

 派手な出血はイブリースの左腕の付け根から。

 自分の左腕を自分の怪力でもいだイブリースは左腕を差し出すようにして男の目の前に突き出す。

「これだけあれば十分でしょう」

「…………」

 だが、男はイブリースが突き出した左腕を受け取らずに、明後日の方向に視線を向けていた。

 衝撃的な光景を前にして俺も見落としていたが、暗闇の中を何かが逃げていく気配がある。男はそれに気が付いたのだろう。

「鼠が居たか」

「やめなさい。私の力を得たのであれば、この町の安寧は守られるはずです。あの人の命を奪うことは許しません」

「王よ、まだ私は貴女の力を受け取ってはいない。だから、これは契約外の行動というものですよ。王にとっても自分の正体が知られるのは困るでしょう? ――よし、追って殺せ」

 男の言葉に数頭の野犬が走り出す。

 逃げ出した気配を追って、その相手を喰い殺すつもりなのだろう。

 だが、その行動に納得がいかなかったのか、イブリースが抗議するように男との距離を詰める。

「やめなさいと言っているでしょう!」

「王よ、それ以上、私に近付いてはいけない」

 男の短いながらの警告。

 だが、その警告を無視してイブリースは一歩を男に向かって踏み出し――何か巨大な白いものが見えた瞬間――イブリースの姿が掻き消えていた。

「……あ?」

 俺の口から思わず声が漏れ出る。

 そこには、イブリースの姿が無かった。

 いや、正確には一歩を踏み出した状態のイブリースの下半身だけが残されており、それが一拍をおいて盛大に血の噴水を撒き散らしながら、そのまま地面に軽い音と共に倒れたのだ。上半身はどこにも見つからない。

「ふむ、なかなかの美味」

 離れていても漂ってくる濃い血の臭い。

 噎せ返るようなそれを嗅いだ瞬間、俺の全身を血が駆け巡る。

「……あ?」

 もう一度、同じ言葉を吐き出しながら、俺はいつの間にか三分もの時間が経過していた事を知る。

 体が勝手に立ち上がり、沸き立つような熱さに全身を焦がしながらも、思考は絶対零度のように凍て付いていく。

「……あ?」

 気付いた時には、俺は男の目の前に立ち、その顔を睨み付けながらそう言葉を吐いていた。

「そういえば、もう一匹、鼠が居たな。一応、言っておこう。それ以上、近付かない方が良いぞ」

「近付いたら、どうなるって?」

 俺は男の忠告を無視して、そのまま一歩を進める。

 次の瞬間には、俺の目の前にあぎとを開いた巨大な犬の頭が展開していた。それが血塗れの牙を伴って俺の上半身を食い千切ろうとして襲い掛かってくる。

 イブリースは、これに喰われたのか?

 あの少女はこんな所で、こんな詰まらない形で死んでしまったのか?

 思い出されるのは、イブリースの楽しそうな声や振る舞い――。

(彼女はこんな所で、こんな詰まらない死に方をすべきではなかった)

 俺の心に去来するのは、一つの感情――。

 同情? 憐憫? 悲嘆?

 どれも違う。

 あるのは耐えがたい憤怒だ。

(もっと、嬲って、痛めつけて、懇願させて……散々楽しんでから解放という名の死を与えてやるべき才能を持っていたのがイブリースだ!)

 それだというのにどうだ。

 こんなワケも分からないような死に方をしやがって。

 沸々と湧いてくる怒りと、狂おしい程の情動が合わさって、俺の理性の箍が外れ掛ける。

(嗚呼、苛々する)

 俺はその瞬間に、目の前で閉じられようとする犬の口を見た。

 呆気なく死んでしまったイブリースにも腹が立つし、それを目の前で見過ごしてしまった自分にも腹が立つ。

 黒い感情が胃の奥から這い上がって来て、俺の口から溢れ出してしまいそうだ。

 頭がギリギリと痛む。

 まるで、脳味噌が箍で抑えつけられているかのように痛む。

「王が見逃したかいも無かったな。死ね、小僧」

 まるで時間が引き伸ばされたかのような感覚。

 目の前の犬の顎が馬鹿にしているのかと怒りたくなる程にゆっくりと閉じられていく中、俺は犬の頭の向こうに嗤っている男の顔を夢想した。

「イブリースを殺しておいて、何を嗤ってやがる……」

 狂おしい程の情動、そして抗いがたい欲求、それらを押さえ付けていた理性という名の箍が、怒りという鉈によって、ぶつんっと切断される感覚。

(あぁ、プツンとくるって、こういう……)

 閉じられる犬の顎。

 だが、俺の姿は既にそこには無い。

 瞬間的に地を蹴って跳んだ俺は、上空で宙返りを敢行しながら、真下にあった男の頭部を両手で掴んでいた。

「む?」

「ドタマ千切れそうだ。だから、テメェが千切れろ」

 俺は宙返りの最中で、男の頭を勢い良く捻る。ごきんっという乾いた音共に男の首が百八十度回転するが、俺の手には薄い手応えしか残らない。

(捻り込みの瞬間に、首を捻りの方向と同じ方向に回転させて力をいなしたか)

 捩じ切るつもりが、お陰様で首が百八十度回って背中を向くだけになってしまった。

「司馬仲達の出来上がりってか?」

 俺は着地と同時に後ろ回し蹴りを男の脊髄に向かって叩き込む。この一撃は、男も反応出来なかったのか、まともに喰らって地面を転がる。

 二転、三転とした所で、男の体は鉄で出来た街灯に衝突して、その街灯を大きく歪めて止まった。

 普通なら死んでいてもおかしくないような一撃だが、体に巨大な犬を飼っているような化け物だ。

 当然のように、これぐらいで死ぬとは思っていない。

「立てよ。まさか、この程度で効いたわけでもないだろう? 俺の愉しみイブリースを奪ったんだ。もっと……俺を愉しませて、そして逝け」

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