第13話 殺人現場4

 距離にして、二十メートル前後。

 そこには、俺を投げた姿勢のままでイブリースが固まっていた。

 そう、俺はイブリースにボールか何かのように放り投げられたのだろう。

 思考が停止してもおかしくない状況でありながら、俺は全てをあるがままに受け入れる。明晰夢の中の不可思議な現象に慣れていた事もあったのかもしれない。

 だから、イブリースが片手で俺を放り投げられる怪力があったとしても、何ら違和感を覚えなかった。

 自分でも不思議な事だが、それぐらいやれてもおかしくないと、何故だか納得してもいた。

 おかしなものだ。

 いや、おかしいをおかしいと捉えられなくなっている感覚に薄ら寒ささえ覚える。

「力の加減を間違えたかも?」

(馬鹿野郎……)

 普通の奴なら死んでいたぞと恨みがましい視線を向けるが、イブリースは気が付かなかったのか、静かに男と向き直る。

 俺はそんな光景を見ながら、ゆっくりと体中の細胞全てに酸素を送るように深い呼吸を繰り返す。

 深く、深く――。

 眠っている細胞を叩き起こすように、血の巡りを活性化させるように、そして体を作り変えるかのように体に酸素を送り込む。

(体の損傷具合が酷い。三分は必要だな)

 俺は大人しく叩き付けられた木の幹に背を預けながら成り行きを見守る。

 片や白髪碧眼の大男に、片や金髪碧眼の美少女。

 ここは本当に日本なのかと疑いたくなるぐらいには、現実味の無い光景。

 だが、現実味の無い光景は更に続く。

 男がイブリースを前にして膝を折ったのだ。そして、恭しく頭を下げる。

「我らが王よ。御機嫌麗しゅう」

「あなた達はいつもそうだよね? 私の都合なんかまるで関係なしに現れる。それを考えると、そんな台詞は絶対に吐けないと思うんだけど……違う?」

「ククク、どうやら我が王は御機嫌斜めのようだ」

 男は大仰な動作で立ち上がる。

 その態度には、尊敬も畏怖もない。

 あるのは、目の前に立つ小娘への侮りか。

 男が立ち上がった事で、野犬がイブリースの周囲を囲い出す。その動きに思わず組織だったものを感じて、俺は目を細める。

(野犬にしては随分と躾けられているな)

 そんな感想を抱くと共に、イブリースたちの会話に惹きつけられている自分にも気付いていた。ここから先、一言一句すらも聞き逃さないとばかりに集中力が増していく。

「ちなみに、私の家族が昨晩から返ってこないんだけど? 食い散らかしたのは貴方ということ?」

「さて? 躾の出来ていない犬を飼っております故、もしかしたらそういう事もあるやもしれませんな」

「白々しい。貴方の体の隅に私の力の残滓が残っているじゃない」

「勘違いではありませんか? もしくは見間違いとか」

「あくまで白を切るつもりね。まぁ、いいわ。ここで押し問答をやるつもりもないから」

 互いの真意を探り合うかのような会話。

 しかし、分からないのは男とイブリースの関係だ。知り合いか? そもそも、王というのは何だ?

 くそ、考えようとすると頭が割れるようにズキズキと痛み出す。一体、何だって言うんだ。

「それで? 私に近付いたのは何の用? まさか、用もなく近付いたというわけでもないのでしょ?」

「御慧眼恐れ入ります。この度は、私の願いを王に聞き届けて頂きたいと思い、罷り越した次第で」

「そう。聞き届けようとも思わないけど、一応聞くわ。貴方は何を望み、何を支払ってくれるのかしら?」

「私が望むのは力です。王よ」

「力……、力ね。あなた達はいつだってそれに固執するけど、過ぎたる力なんて面倒臭いだけよ?」

「確かに、王ほどの力があれば、振るうにも時と場所を選ぶでしょう。強大過ぎるが故に迂闊に力を解放できないとも聞きます」

「それが、分かっているのに力を望むの? 意味が分からないのだけど?」

「あっても力が振るえないのと、振るべき力がそもそも無いのとでは意味が違うのですよ。持つ者に持たざる者の気持ちは分かりますまい」

「そう。それで? 貴方が私に支払う代償は?」

「では、この町ひとつの安寧というのはどうでしょう」

「話にならないわね」

「王が私の願いを突っぱねるというのであれば、この町に今から野犬が放たれ、人という人を襲い、喰い殺す事でしょう。そして、町一つが廃都市ゴーストタウンとなるのです。この事は、全て王の差配ひとつで決まります。どうです、この条件で受けては貰えませんか?」

「……私がそれに応じるとでも?」

「歴代の王であれば応じないでしょう。ですが、貴女ならそれが条件となる。何故なら貴女は人を好ましいと思っているからだ」

「…………」

 イブリースが沈黙を貫く。

 その沈黙はほぼ肯定しているようなものである事に彼女は気付いているのだろうか。

 嘘でも何でも良いから発せば良いものを。

 いや、分かっている。

 恐らく、彼女は根が正直なのだ。

 だから、嘘であろうとも、心に無い言葉は言えなかったのだろう。

 それは純粋で尊いものではあるが、賢しくはない。交渉の場で絶対に選ぶべき選択でなかったのは確かだ。

 男が言外に侮蔑の嘲笑を含ませながら言葉を続ける。

「人の世に迎合し過ぎましたな、王よ。貴女の感覚は既に人のそれだ。だからこそ、私の出した条件が条件となり得るのですよ」

「分かったわ。私の左腕一本を差し上げましょう」

 そう言って、イブリースは何の躊躇いもなく自分の左腕をのである。

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