第18話【第四章】

【第四章】


 魔術で瞬間移動するといっても、厳密には『瞬間』ではなかった。

 あたかも上昇するエレベーターに乗っているかのように、足元が軽く歪んで感じられる。それが十秒間ほど続いた。


 その十秒間のうちに、俺は一つの疑問を抱いた。

 どうしてベルの肌は白いのだろう? 


 いや、別に妙な妄想をしたわけではない。だが、ベルの顔や上着から覗く手首などは、不思議に思えるほどに真っ白だった。

 まるで産まれてこの方、太陽の下に出たことがないかのように。


「まさかな」

「どうかしたの、トウヤ?」


 突然言葉を、それもテレパシーではなく地声で聞かされて、俺はぴくり、と背中を強張らせた。だが、その言葉の中に敵意がなかったことを確認し、何でもない、と返答するにとどめた。


 まあ、俺はこの世界からすれば完全な部外者だ。敵意を抱かれたり、恨みを買ったりする覚えはない。仮に恨まれても、それで排除されるのは筋違いだ。ここで殺傷される可能性はないだろう。


「ところで、俺たちはどこに向かっているんだ?」

「あたしたち魔術師種族の中央陣地。そこまで来れば安心だから」

「ふむ」


 って待てよ。今ベルは、そこまで来れば安心、と言った。それはつまり、陣地を出た瞬間に、危険な目に遭うだろうということだ。

 ベルはその陣地を出て、機械と戦う俺たちの下へやって来た。敵性勢力である機械を破壊し、一応の安全を確保することはできていたベル。だが、彼女ほど有能な魔術師が、何の危険も冒さずに生きてこられたはずはない。


 有能ということは、もちろん先天的な素質なのかもしれない。だが後天的に、すなわち努力によって得た力だとしたら? 一体どれだけ多くの危険生物や暗黒種族を殺してきたのだろう。


 さらに言えば、人間を殺した経験だってあるかもしれない。こんな幼い子供がそんな宿命を背負っている。俺は自分のスタンス――部外者は口出しするな――を思い返したが、それでもベルに殺人を犯してほしくはない。


 出会ったばかりとはいえ、ベルは俺の目的に理解を示してくれているし、なにより幼すぎる。いや、大人になれば殺人に手を染めてもいいのか、って話じゃないが。


 その点、魔術師種族はどう考えているのだろう?

 と、脳裏に浮かんだ瞬間、真っ白だった空間に切れ目が入り、極彩色の世界が俺の前に広がった。


「うっ、と……。着いた、のか?」

「うん。瞬間移動は成功」

「へえ~……」


 さっきは色彩豊かな光に軽い眩暈を覚え、よく分からなかった。しかしゆっくり目を凝らしてみると、ここが洞窟の中だということが理解できた。極彩色に見えたのは、岩の地面や壁、天井から生えている角ばった結晶の光だったのだ。


「これが、魔術師種族の陣地……」


 よく言えば神々しい。悪く言えば派手。そんな印象を俺は抱いた。

 もう一つ気になったことがある。


「ベル、他の人はどうした? 同じ種族なんだから、誰もいないなんてことは――」


 ないよな? と問いかけようとした瞬間、突如眼前に何かが現れた。


「どわっ!」


 慌てて飛び退きつつ、その『何か』が何なのかを確かめる。

 人間だろうか? ああ、恐らくそうだ。二メートル近い長身痩躯の男性で、髪も口髭も、身に着けているものも真っ白で染み一つない。

 口髭が立派な割には、目つきはしっかりとしていて肌に張りもある。まだ四十代半ばといったところだろうか。


 などなど観察することで自分を落ち着かせようとしていた俺は、ようやく震え声を出すことに成功した。


「い、今のは透明になる魔術……ですか?」

「左様。驚かせてしまってすまない、トウヤ殿。こうした方が、我々の在り様がよく伝わると思いましてな」


 快活ではないが、穏やかで親しみやすそうな人だ。

 と、ここでまた疑問が湧き上がる。


「あの、さっき俺たちを救ってくれたのって……?」

「神様に呼ばれたあなたに怪我を負わせるわけにはいかない。その私の指示に、ベルが従ってくれたんですよ」


 気づいた時には、ベルは正面の男性のわきに立ち、手を結んでもらおうとしていた。


「あなたはベル……さんの保護者、なんですね?」

「左様。父親です。妻は彼女を生んだ後、体調不良が続いてそのまま天に召されてしまいました」


 予想以上に重い話をされてしまい、俺はたじろいだ。半歩引き下がりつつ、考える。

 そして先ほどの疑問は、すぐさま脳裏に再浮上してきた。


「答えづらいことかもしれないんだが……。ベル、君は人を殺したことはあるのか?」


 何を今更、とは我ながら思っている。しかし、この世界には俺の元いた日本に比べて殺傷沙汰が多すぎる。生命が軽視されているのではないかという危惧があったのだ。

 もしかしたら、こんな幼い子供ですら、そんな経験があるのではないか。


 そんな考えがよぎったのは一瞬のこと。ベルは声には出さずともはっきりと首を縦に振ってみせた。


「マジかよ……」


 本当に救いようのない世界だな、ここ。だが、『神の座』に出向いて何らかの変革をもたらすには、俺の力が必要なのだ。……多分。

 今のところは、ベルのような子供でさえ、他者への殺傷行為に駆り立てられかねない、ということを認めるしかない。そんな世界なのだと自分に言い聞かせることしかできないのだ。


「トウヤ殿、書状にある『高位の魔術師』の下にご案内しましょう。そこに着くまで、軽く我々魔術師種族やその生活について解説を」


 と父親は言うが、ベルは握った父親の手を離そうとしない。一緒に来るのか。邪魔にはならなさそうだからいいけど。ん? 待てよ。


「ちょっと待ってください」

「どうかされましたかな、トウヤ殿?」

「今、あなたは書状について言及されましたね」

「それが何か?」


 俺は背負っていた薄い背嚢(それこそ羊皮紙一枚が入るかどうかという薄さだ)から、武闘家の長老から授かった書状を引っ張り出した。


「まだあなた方にこの書状の件については話していません。どうして俺の目的が分かったんです?」

「ああ、それは」


 そう言って、父親は袖からビー玉状の透明な球体を取り出した。右手に載せたそれに左手をさっと翳すと、立体映像が展開された。今は俺たち三人の姿が映っている。


「こうやって状況を把握していたんですよ」

「勝手に覗き見してた、ってことですか?」

「そういうことになりますかな」


 一瞬で開き直る父親。


「もちろん、どこでも映し出せるわけではありません。逆に映し出せるほうが珍しい」

「どういうことです?」

「その書状には、武闘家種族と我々との間での共通言語が使われています。そして魔術とは少々違いますが、武闘家の用いる『魂』とでも呼ぶべき熱意が、書状には込められている。だからこの水晶玉が反応し、覗くことができたわけです」


 なるほど。つまり――。


「今まで機甲化種族が困難に陥った時、あなた方はやろうと思えば助けられた。それなのに放っておいた。そういうことですね?」


 今まで背を向けて先を歩いていた父親が、ぴたりと立ち止まった。

 

「同じ人間とは言え、彼らは我々魔術師とは生活や文化の在り様を異にしています。いや、正直に申し上げましょう。彼らは敵性勢力です。何も、救出の手を差し伸べる義理はない」


 その言葉に棘はなく、むしろ淡々としていることに俺は冷たいものを感じた。

 と同時に、心理的に今までの俺とは逆の現象が起きていることが察せられる。


 もし父親のこの言葉を聞いたのが昨日の俺だったら、怒り狂っていただろう。生活やら文化やらが違っても、人間は人間だろうと。助けてやるのが普通だろうと。


 実際のところ、そういう怒気が胸中で吹き荒れていたのは紛れもない事実だ。

 しかし、自分で言うのもなんだが、それを表面化させるほど俺は馬鹿ではない。自分が部外者だから、という理由づけを都合のいい時ばかり振りかざすのはやめた方がいい。


 俺の葛藤が一段落したのを察したのか、父親は再び歩みを始めた。


「ひとまず、最も有力な魔術師にこちらの書状を見てもらいます。原本をお預かりしてよろしいですかな?」


 俺は一つ頷き、書状を差し出した。父親は丁寧に両手で受け取り、自らもその場で目を通した。


「では、こちらがトウヤ殿のために用意させていただいた部屋です。狭いですがそれ以外は快適です。ベルを同伴させますので、何か質問がありましたら、この子に訊いてください」


 それから父親は、今まで同様淡々と、しかし大股でゆったりと歩み去っていった。


「……」

「……」


 父親から離された手を見ながら、ベルは無言で何かを考えている。俺も一応、沈黙していることにする。


 するとベルはさっと片腕を翳した。直後、どこから現れたのか、クマのぬいぐるみが彼女の手に収まっていた。


「うわっ!」

「このくらい魔術の初歩だよ、トウヤ。あたし疲れちゃった。早く部屋に入ろう?」

「あ、ああ」


 驚きを隠しきれないながらも、俺は木製の扉を引き開けた。

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