第8話

 俺がどうにか冷静さを取り戻そうと試みていた、その時だった。


「うわっ!?」


 唐突に悲鳴が上がった。少年の足元の地面が崩れたのだ。でかいモグラの穴でもあったのだろうか、それが土亀の出現によって落盤し、少年はそれに巻き込まれたらしい。


 その悲鳴が収まるや否や、土亀は思いがけない機敏さで首を下ろした。鼻先を少年のいる方に向ける。

 さっき少年は、こいつを肉食恐竜だと言った。このままでは、腰まで地面に埋まった少年は土亀に呆気なく食われてしまう。


「トウヤ殿! 逃げてください! 自分がここで注意を引きます!」

「バッ! 馬鹿野郎、むざむざお前に死なれちゃこっちの寝覚めが悪いんだよ!」


 俺が叫んだからだろう、土亀はこちらにも頭部を傾けた。ふうううっ、と荒い鼻息が俺にも吹きかかる。金属質な臭いがした。

 俺のへっぽこパンチであの鱗を破れるとは思えない。いや、皆の武装――サーベルや槍、刀やトンファーなど――でさえも、ダメージを与えられるかどうかは怪しい。


 こうなったら生存者だけで撤退するか? いや、この僅かな行軍の間とはいえ、俺を守ってくれた連中を置いてはいけない。元の世界だろうがこの世界だろうが、俺は人死にを目にしたくないのだ。


 ふと、思った。

 俺さえいなければ。俺がいなければ誰も死傷することはなかった。

 確かに機甲化種族との戦いで、救えた命もあっただろう。だが、俺はこの世界からすれば異界の人間だ。まったくの部外者だ。ここにあるべき存在ではない。


 いやそもそも、俺は生みの親にさえあっさり捨てられるような人間なのだ。

 ええい、もうどうにでもなれ。


「うおおおおおおお!」


 俺は半ばパニック、半ば怒り心頭といった状態で、思いっきり土亀に向かって突進した。もう死んでもいいという覚悟だった。いや、覚悟なんて聞こえのいいもんじゃない。ただの自棄だ。


 がつん、と鈍い音と共に、俺の肩に衝撃が走る。相変わらず痛みはないが、土亀に通用した様子でもない。

 グオォオッ、と呻き声を上げる黒龍。向こうにも感覚はあったらしい。巨木のような後ろ足が、どすん、どすんと緩慢ながら確実にこちらに身体を向ける。


「殺せ!」


 俺は距離を取り、仁王立ちになって自分の胸を叩いた。


「食うなら俺を食え! 生憎不味いだろうけどな!」


 土亀の小さな瞳がぱちぱちと瞬きを繰り返す。こんな人間は見たことがなかったのだろう。

 そうだ。俺は異端者、部外者、エイリアンだ。だったらまずは俺から排除しろ。


 しかし、その対峙はそう長くは続かなかった。土亀が短い悲鳴を上げたのだ。


「よくやった、トウヤ! よく陽動してくれた!」

「サ、サン! 皆は無事なのか?」

「ああ。お前が土亀の注意を引いてくれたお陰で、鱗の隙間を狙うことができた! 今は皆で攻勢に入ってる! お前は離れて――」

「いや待て!」


 俺の手を引くサンを、俺は振り払った。

 

「俺の隣で警備にあたってたガキが動けない! 俺はそいつを助ける!」

「ならあたいが行く!」

「駄目だ!」


 ん? 待てよ。どうしてサンが助けに行っては駄目なんだ? 確かに少年を救うのは危険を伴う作業だろう。だが、何故俺ならよくて、サンでは無理だと思ったんだ?

 

 自問自答に陥る俺を、サンは不思議そうに、しかし険しい表情で見つめている。


「俺はどうせ戦力にならねえ! サン、お前は皆を援護してろ!」

「えっ? ちょっと、トウヤ!」


 俺は思いっきりサンの肩を突き飛ばし(これも大した威力はなかったが)、その反動で一気に少年の下へと駆け寄った。


「ト、トウヤ殿……」

「待ってろ。今引っこ抜いてやる」


 さっきは俺に逃げるよう促していた少年だが、やはり怖かったのだろう。涙が頬を伝った形跡が、月明りの中ですら見て取れる。

 同時に、彼の目が驚きに見開かれるのも。


「ッ! 伏せて!」


 そこは最早、反射の領域だった。俺がさっとしゃがみ込むと同時、頭上を巨大な物体が通過していったのだ。

 それは、土亀の尾の先端についた瘤状の打撃武器だった。もし直撃していたら、負傷では済まされなかっただろう。いや、俺は防御力が最高、というか最硬らしいのでどうなるかは分からないが。


 四方八方から攻撃を受け、土亀は体中から出血していた。すると、一際甲高い音が響き渡った。土亀の悲鳴だ。

 あの巨躯から悲鳴が上がるなんて、一体何事だ?


 すとっ、という着地音がした。そちらに振り向くと、そこにいたのはやはりサンだった。


「いよっしゃあ!」

「な、何をしたんだ、サン?」

「こいつの尻尾をちょん切ってやったぜ! また陽動役に回ってもらってすまねえな、トウヤ」

「ああ」


 見れば、土亀は前のめりに倒れ込み、地面をのたうち回っている。致命傷だったようだ。これなら追い払える。

 そう思った次の瞬間、俺と土亀の目が合った。


「え?」


 悪あがきのつもりだろうか、黒龍はこちらに向かって勢いよく顎を突き出してきた。

 この距離なら、俺もサンも回避可能だ。だが少年がその軌道上にいる。放っておいたら、上半身を嚙み千切られてしまう。


 俺は後先考えず、思いっきり土亀の口内へと飛び込んだ。


「トウヤ殿!」

「あっ、馬鹿!」


 ガキィン、という硬質な音が、ジャングルを駆け巡った。


「グルルルル……」

「ぐぬぬぬぬ……」


 俺は両手足を上下に突っ張り、土亀が顎を閉じられないようにしていた。掌は上顎に、スニーカーの底は下顎に。


「ど、どうだっ、食えるもんなら、食ってみろっ……!」

「トウヤっ!」


 サンが呼びかけてくるが、当然返答する余裕はない。

 俺の防御力の高さはここでも発揮されたらしく、土亀は俺を噛み砕くことができないでいる。だが、防御力と体力消費は別問題だ。土亀の顎の力は凄まじく、俺は砕かれるというより押し潰されそうだった。


 その時、ヒュッと短い音を立てて何かが俺のわきを通り抜けた。直後、生温い液体が俺に被さってくる。大丈夫か、とか何とかサンの声が聞こえてきた。

 

「そうか!」


 俺は咄嗟に理解した。土亀の体表は頑強だが、身体の内側は別だ。

 上手く口の位置を調整して、皆に投擲武器を投げ込ませればいい。俺に当たったところで俺自身は無傷で済むのだから、高難度の玉入れだと思えばいいじゃないか。


「皆! 俺に気にせず刃物を投げ入れろ! 黒龍の口に! チャンスはこれっきりだぞ!」


 武闘家として身体能力を高めているだけあって、彼らのピッチコントロールは見事だった。小振りのナイフや弓矢、石ころなど、皆が好き勝手に凶器となり得るものを放り込んでいく。

 その度に、土亀は苦しみもがいた。口先で振り回される俺。だが、ここで退くわけにはいかない。


「トウヤ殿、お気をつけくだされ!」


 何事かと顔だけ振り向けると、木に登った弓使いが火を灯した矢を放つところだった。

 パシン、と勢いよく放たれた矢は、寸分たがわず土亀の口内へ。喉を焼かれ、土亀は再び転がった。


「どわわわっ!」


 ついに勢いに負け、俺は土亀の口から外れてしまう。だが、その時には勝負は決していた。

 サンがサーベルを振りかざし、土亀の無防備な腹部に斬りかかったのだ。


「はあっ!」


 三日月形の刃が一閃。一瞬で土亀の腹部は斬り開かれ、大量の血の雨と臓物を撒き散らした。


 ダンッ、と土埃を立てて着地するサン。異性としてというより、そのカッコよさに俺は惚れそうになった。

 と、見惚れているのも束の間、俺は救うべき相手がいることを思い出した。


「おい、大丈夫か!」


 件の少年の下へと駆け寄る。どうやら軽傷で済んでいるようだ。


「皆、こっちに来てくれ! 負傷者だ!」


 手でメガホンを作りながら、俺は叫ぶ。しかしこれと同じ台詞が、周辺から飛び交っていた。


「おい、包帯はどこだ?」

「とにかく血を止めるんだよ!」

「今手を貸してやる、死ぬんじゃないぞ!」


 ざっと見たところ、十人いる護衛小隊のうちの五人が重傷を負っていた。死者は出ていなかったが、これ以上の行軍は困難だ。やはり、俺一人で行くしかないのか。


 俺がじっとりと嫌な汗をかいていると、前方から怒鳴り声が聞こえてきた。


「おい貴様ら、ここで何をしている! 先ほど撤退すると言っていたではないか!」


 何だ? 人間同士の揉め事か?


「我々はエミ・コウムラ隊長の下でここに派遣された。これがその証明書だ」

「エミ・コウムラって…世って

 俺がぼさっと呟くと、サンがずんずんと前方へ歩み寄っていくところだった。


「あたいはサン・グラウンズ、この小隊の指揮者だ。エミが何だって?」

「これはこれはグラウンズ殿、あなたがいらっしゃれば話が早い」


 聞き覚えのない声。まさか、別な種族の連中と鉢合わせしたのか?


「我々は、あなた方武闘家種族が『神の座』を目指しているとの情報を得て参上した。トウヤ・クラノウチ殿の身柄を引き渡してもらいたい」

「な、何だって?」


 俺が声を上げると、真っ赤なレーザーポインターがあちこちから向けられた。機甲化種族の連中か。

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