エピローグ 告白したその後の話


 いつもと同じ朝。いつもと同じ日常。

 けれど、春人にとっては何よりも特別な日々。


「行ってきます、ゴーたん」


 形見である大切なゴーたんに告げて、春人は部屋を出る。


「それじゃあ、父さん、母さん、行ってきます!」

「いってらっしゃい、春人。今日は豚肉弁当にしてみたの。味が違ったら困るから、美晴ちゃんにも試食してもらって感想を聞いてね」

「はいはい」

「春人、行ってらっしゃい! また美晴ちゃんにも道場に遊びに来てもらってね。この前の、教え教えられの二人の姿は初々しくて微笑ましかったよ!」

「後半は絶対伝えないからな!」


 ばたばたと騒がしい朝を迎えながら、春人はかばんを手に家を飛び出す。きゅーっと、鞄の取っ手にぶら下がるゴーたんが楽しそうに風に乗って笑っていた。

 そのまま待ち合わせの場所へと駆ける。今日は十分も早く家を出た。今日こそは、と気合を入れる。

 だが。



「やあ! おはよう、春人君! 今日も爽やかにカッコ良いね! 惚れ惚れするほど好きだよ! 結婚しよう!」



 本日も待ち合わせ場所には美晴がすでに佇んでいた。きらりとなけなしの朝日を浴びながらたたずむ姿は、無駄に輝いている。おかげで、いつもの野次馬が「草壁さん……素敵」とうっとりうとうと呟いていた。


「……おはよう、美晴さん。今日も勝てなかった……」

「うん? 何だい? 何か勝負でもしていたのかい?」

「いっつも美晴さんの方が早く着いているからさ。今日こそはって思ったんだよ」

「なんだ、そんなことかい! 気にしないでくれたまえ! 私は最低三十分は早くここに着いているからね!」


 早すぎだ。


 どれだけ早行動なのかと呆れ返る。それは春人もいつまで経っても勝てないはずだ。


「そんなに待ってたら疲れるだろ。もう少し遅く来たら?」

「案ずるなかれ! 私はこの春人君を一秒一コンマ待っている時間が尊く輝かしい時間だと認識しているからね!」

「……はあ」

「今日はどんなカッコ良い姿で向かってくるだろうか、今日はどれだけ焦った顔をしているだろうか、今日もきらきらと朝日を背負いながら走ってくるのだろうか、そんな春人君のカッコ良いシャッターチャンスをあらゆる角度から瞳に焼き付ける想像をしていたら、時間なんてあっという間さ」


 相変わらず思考が謎過ぎる。


 美晴独特の感性は、春人には未だに理解出来ない。一生理解出来ないだろう。したくはない。

 だが。


「……そういう、俺のどんなところもカッコ良いっていう美晴さんは理解出来ないけど」

「おうっ⁉ そんな馬鹿な……」

「でも、カッコ良いって言ってくれるのは嬉しい。ありがとう」

「……、……もちろん! これからもばんばん言うとも! 照れるね!」


 一瞬間があった。

 明らかに照れていると春人は見抜く。

 最近、彼女が本気で照れ臭そうにする瞬間が分かる様になってきた。彼女をきちんと見る様になったからだろうか。


「おや、春君。おはよう」

「あ、おはよう、おばあさん」

「おはようございます、おばあさま! 今日も健やかに輝いていますね。最高の顔をしていますよ!」

「美晴ちゃんもおはよう。ありがとう。こんな素敵な女性が、春君のお相手になってくれて嬉しいねえ」

「……、おばあさんってば」


 にこにこと微笑ましそうに――幸せそうに見守ってくるおばあさんに、春人も微笑む。

 あの日助けて以来、おばあさんは毎日春人が通学する時間に散歩に出る様になっていた。こうして挨拶を交わす時間が、密かな楽しみでもある。

 最近はそれに美晴が加わった。それからは、更におばあさんも元気になった気がする。


「二人とも、気を付けてね。今度また遊びにおいで」

「もちろんです! おばあさまにぴったりの花束と茶菓子をお持ちします!」

「美晴さんに任せたら酷くなるから、俺がお土産を選ぶよ。じゃあ、行ってきます!」


 ひらひらと手を振って別れ、再び歩き始める。周囲の野次馬の視線が殺伐としていたが、もう慣れた。気にしたら負けだ。


「そういえば、今日のお弁当はハンバーグなんだよ! 春人君のお母様直伝さ!」

「……。まさか、母同士示し合わせたか?」

「おお! やはりね! 昨日、うちの母が嬉々として君のお母様とメッセンジャーをしていたから」

「……はあ。今日が肉弁の謎が解けたよ」


 正式に付き合い始めてから数日後のこと。両家の家族同士が、街中で偶然ばったりと出会ったのだ。

 その時に互いに挨拶をし、既に二人の付き合いは両家公認となっている。その上、親同士も意気投合し、その場で連絡先を交換したのだ。



 ちなみに、草壁家はどこまでも草壁家だった。容姿も中身もそっくりである。



 美晴がいっぱいいる。

 感想としてはそれだった。もちろん、美晴が一番の変人だ。


「そういえば、父と母が今度家に遊びにおいでって言っていたよ」

「……俺の父さんも、道場にまた来てね、だってさ」

「ふっふっふ。そうかいそうかい。遂に! 春人君もあれをやってくれるのだね!」

「あれ?」

「――お父さん! 娘さんを僕に下さい! ってやつだよ!」

「気が早い」

「えー! 父がすっごい楽しみにしているんだ! そわそわしてるんだ! やってあげて! 父が泣くよ!」


 何だろう。物凄い変な脅迫をされている。


 順調に外堀が埋められている気がしてならない。互いの両親がまさか、あそこまで手を取り合うとは思わなかった。両家の中では、正常な思考の持ち主は春人しかいないかもしれない。――いや、秋も仲間だと信じたい。


「……はいはい。その内な」

「むう。ならば、私が先にやろう。……お父様! 息子さんを私に下さい! 絶対に死ぬまで幸せに笑わせてみせます!」

「妙に迫力があるカッコ良い声とかやめろよ! 恥ずかしいだろ!」

「何を言うんだい! 君を好きだと言うことに恥ずかしさなどあるはずがないさ!」

「ぐ……ここでもカッコ良いとか……反則っ」


 大真面目にきらきら輝きながら仁王立ちする美晴に、春人は胸を押さえてうなる。彼女は時々、不意打ちで真っ直ぐに春人の心を打つ。おかげで、彼女ほどではないが心臓が爆発しそうだ。


「はあ。……もちろん、その時になったら俺も言うよ」

「おお! 楽しみだね! どんな修羅場が繰り広げられるのか今から楽しみだよ!」

「修羅場にするなよ……」

「もちろん、父は全て演技さ! 家では、『いつになったら春人君と結婚するんだ。学生結婚なら全力で応援するぞ。というより、彼を逃したらお前は一生結婚出来ないぞ。結婚だ』って言っているからね!」


 草壁家の美晴への認識が割と酷い。


 弟だけかと思ったが、両親も大概たいがいだ。美晴はかなりモテるし、そこまで心配しなくても良さそうだが、春人自身が嫌なので黙っておく。


「そういえば、エマがね、今度みんなで遊園地に行かないかって言っているよ」

「へえ。清水さんが? みんなって……」

「もちろん、冬馬氏と和樹氏だよ! みんなで遊びに行き、途中で私と春人君だけがはぐれてしまう! そうして、あれ? みんなはどこだろう? メッセンジャーも既読が付かない……、仕方がないからしばらく二人で回ろうか、となって、良い雰囲気になる二人! そしてふっと肩が触れたり、そっと手を繋いで互いの熱を確認し合う二人。果てには見つめ合い、見つめ合い、見つめ合い、春人君……、美晴……、とロマンティックムード最高潮! になるのを計画したんだよ!」

「……へえ。ちなみに、誰が考えたんだ?」

「もちろん! エマプロデュースさ!」

「……清水さん、だんだん美晴さんの思考に似てきてないか?」


 激しく心配になって、春人は清水を思う。むしろ毎日美晴と共に過ごしていたら、洗脳されていくのかもしれない。美晴菌は強力過ぎる。



 美晴は、いつの間にか清水と友人になっていた。



 お互いに名前で呼び合う様になり、クラスの中では一番の仲良しである。

 春人も今は清水と普通に話せる様になっており、約束通り友人になった。振っておいた春人が思うのも非常識かもしれないが、吹っ切れた様に明るくなった彼女に胸を撫で下ろしたのは内緒だ。

 だんだんと冬馬や和樹も巻き込んで五人でよく話す様になり、SMSメッセンジャーでグループを作ったくらいである。最近は、清水の他クラスの友人三人も輪に入り始めてきていたりする。

 まさか、こんな風に縁がつながっていくとは思っていなかった。人生とは何が起こるか分からない。



「しかし、そろそろ梅雨だからかな? 今日も朝日が少ない、どんより空だねえ」

「……そうだな。もうすぐ傘が手放せなくなりそうだ」

「そんなどんより空には、憂い顔や黄昏顔、果てには物思いにふける顔こそが今の春人君にはぴったりなわけさ! さあ、春人君! 今すぐにアンニュイな顔になってくれたまえ!」

「却下。というか、無理だ」

「ええ、何故だい? こう、ふぁさっと前髪を軽くき上げ、流し目で斜め下を見て、何かを憂える様に微笑む春人君……、……さいっこうじゃあないか! ねえ、ゴーたん! ……きゅ! ほら、ゴーたんもこう言っているよ!」

「ゴーたんを巻き込むな」



 己の鞄にぶら下がっているゴーたんキーホルダーに同意を求める美晴に、春人は溜息を吐く。むしろ、きゅっと同意していそうなゴーたんの可愛らしい顔に負けそうだ。


「そういえば、雨なら相合傘が出来そうだよな」

「……もちろん! そうだね! 私達は恋人だからばっちりだね!」

「そうだな。雨が降ったらするか、相合傘」

「――。……も、もちろんだとも! 心の準備は出来ているよ!」


 どもったな、と春人はにっと意地悪く笑う。彼女は本当に踏み込まれると時折弱くなる。


「そういえば、何だっけ。傘の下で二人、ふとした瞬間にとんっと肩が触れ合って、二人は熱く見つめ合うんだっけ」

「え⁉ そ、そうだとも!」

「あ、ごめん、とか、いや問題ない、とか言いながら、ふっと沈黙が降りて、気まずくもロマンティックに恥じらうんだよな」

「……そ、そうだとも!」

「それで、傘に当たる雨の音だけが二人の世界になって、互いを意識しまくるんだったな。うん」

「……。よ、よく覚えているね、君」

「もちろん。美晴さんの言葉だからな。――それで、当然俺達もそういうシチュエーションになるんだよな?」


 にっこり満面の笑顔で確認すれば、美晴はぐうっと変な声でうなった。顔が赤く染まり始めている。今、春人は最高に悪い顔をしているに違いない。


「……春人君は、付き合い始めてから意地が悪くなったね! そんな君も危険な香りがしてカッコ良すぎるよ! 今、私は最高にぐらついている……! 地震だね!」

「美晴さんの地面限定でな。……楽しみにしてるから」

「……も、も、もちろん! どんとこいだよ! カモン!」


 両腕を広げて威勢良く迎え撃つ美晴に、春人はぶっと噴き出した。何故笑うんだい! と抗議されたが、そんな彼女が愛しい。

 未だにほんのり赤く染まった彼女は、とても可愛らしい一凛の花の様だ。恥ずかしがりながらも、真正面から好きだと、全てを受け入れると強く伝えてくれる彼女がとても眩しくて堪らない。

 顔が良いと言ってくれるところも、春人の好きなものを受け入れてくれるところも、弱いところを認めてくれるところも、汚い一面も含めて愛してくれるところも。


 みんな、みんな、愛しい。


「美晴さん。少し上を向いて」

「ん? こうかい?」


 くいっと躊躇ためらいもなく顔を更に上向きにする彼女の無防備さに、春人は笑いながら近付いて。



 ちゅっと、軽くまぶたにキスを落とした。



「――――――――っ⁉‼??‼‼‼??‼」



 途端、声にならない悲鳴を美晴が上げる。周りが「ぎゃああああ!」とか「きゃあああっ!」とか、号泣や黄色い声や怒号が津波の様に押し寄せてきたが、気にはしない。

 今や露出した肌だけではなく、服装まで真っ赤に染まる勢いでぷしゅぷしゅ煙を上げている彼女に、春人はぱっと破顔した。


「美晴さん、可愛い」

「⁉ は、はる、……キ、……⁉」

「したくなったから」

「⁉⁉⁉ し、し、し……⁉」

「教訓はもう得たからな。……ちゃんと、好きだって言葉や態度で伝えるって」


 最初の恋人の時には、それをおこたったから別れを告げられた。同じ過ちは、決して繰り返さないと誓ったのだ。

 もう、春人は美晴を手放す気は無い。

 この先もきっと、喧嘩をしたり、すれ違ったり、迷ったり、悩んだり、怒ったり、苦しんだり、様々な壁が立ちはだかるだろう。



 けれど、春人は一人ではない。



 そして、美晴も一人ではないのだ。

 親に、友人に、先生に、おばあさんに、頼れる人に相談しながら、悩み抜いて、向き合って、一緒に乗り越えていく。

 もう、絶対に逃げない。どんな自分の気持ちでも受け入れて、彼女の気持ちにもちゃんと触れて、最後まで幸せに笑って生きるのだ。



「みんなで出かけるのも良いけど。二人きりでも出かけようね」

「……それは! もちろんさ! 私だって二人きりのデートを存分に堪能たんのうしたいとも! むしろそこから生まれるラブロマンスとやらを体験し、春人君の崇高なるカッコ良さは更なるステージにたかぶるのさ!」

「……。うん。そこはよく分からないけど。楽しみにしてる」



 相変わらず理解出来ない言動も多いが、彼女と過ごす時間は楽しい。もっと、彼女の声を聞いていたいと願う。

 最初は疲れるだけだった声が、今は心地良い音に変わる。

 春人の声も、彼女にとってそうだったら嬉しい。こうして、共に過ごしたいと願っていてくれたら最高に幸せだ。

 そのために、春人も努力をする。彼女が、春人に色んな顔をさせようと努力してくれた様に。



 そうしてこれからも、隣を歩いて進んで行こう。



 短い登校時間が終わりを告げ、玄関先で冬馬や和樹と明るい挨拶を交わしながら、春人は今日という日を迎えられたことに感謝をした。


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告白されたからOKしたのに、「何故フラない!」と怒られた 和泉ユウキ @yukiferia

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