第36話 俺と付き合って下さい


 勢いで草壁を抱き締めて、春人は腕の中に彼女がすっぽり入ってしまったことに驚く。

 彼女は小さいと頭では分かっていたはずなのに、普段の言動やイケメンぶりが酷くて、すっかり忘れていた。いつだって、彼女の姿は眩しくて大きいと、春人自身が感じていたからかもしれない。

 力の限り抱き締めたかったが、そうしたら彼女が潰れてしまうかもしれない。



 それくらい、彼女は小さくて、柔らかかった。



 手の平や腕から伝わってくる体温が熱い。どくどくと鳴り響く心臓が混ざり合って、どちらのものか分からなくなっていった。

 黄昏たそがれどきの空が、いつの間にかゆっくりと夜の気配をともなっていく。黄金と明るい夜空が混じり合っていく景色は、心が震えるほどに綺麗だった。

 そうして、どれだけの静かな時間が流れていったのか。


「……あの、草壁さん」

「……」

「そ、そろそろ、何かリアクション欲しいんだけど」

「……」


 腕の中が、全く微動びどうだにしない。柔らかな感触なのに、まるで銅像の如く不動だった。

 もしかして抱き締められるのが嫌すぎて硬直したのだろうかと、少しだけ身を離すと。



「――――――――」



 彼女の顔は、真っ赤だった。



 ぷしゅーっと湯気が噴き出そうなほどに火照ほてっており、顔だけではなく耳も首も、服からのぞく肌という肌が真っ赤っかだ。目も心なしかぐるぐるしており、彼女の両手は春人の背中に回りそうな様なそうでない様な、中途半端な位置でこちーんと固まっている。


「……草壁さん?」

「……」

「草壁さん。おーい」

「……は、……はっ⁉」


 ぺしぺしと彼女の肩を軽く叩くと、ようやく我に返ったらしい。依然いぜんとして真っ赤のまま、あわあわと両手を上下に高速に振り始めた。


「い、い、いやあ! こ、こ、こ、これは、そ、そそそそ想定外だったよ!」

「……」

「いやあ、その、……こ、こ、こんな風に、積極的に、その、だ、……だだだだだ抱き締められたら、どう返して良いのか、……わ、分からないね!」


 はっはっは、と大きく笑い飛ばす彼女の顔は、やはり真っ赤だ。どこまでも真っ赤に過ぎて、春人は口元を手で押さえる。

 笑い飛ばしてはいるが、彼女の瞳は少しだけ濡れた様につやめいている。恥ずかしさを隠せずに、それでもうつむきがちになって誤魔化ごまかそうとする姿は、いつものイケメンからは程遠い。


 ――もしかして、踏み込まれると弱いのか?


 そういえば、攻撃が最大の防御タイプは、攻撃を受けるとひどく弱いと聞いたことがある。

 まさか、彼女もそういうタイプなのだろうか。

 別に彼女は攻撃をしているというわけではないのだが、一線は引いているとはいえ、あれだけ踏み込んでくる性格なのにと驚かされた。

 踏み込んでくるのに、踏み込まれると弱い。



 ――ほんと、なんて意外な一面だろう。



 彼女に思い切って踏み込んでみなければ分からなかった。

 だからこそ目にすることが出来た別の顔が、とても愛しい。



「……草壁さんって」

「な、なんだい?」

「可愛いね」

「――!」



 ぼんっと、またも顔が爆発して、更に真っ赤になった。もうこれ以上赤くはならないだろうと思ったのに、更に濃くなるのかと春人は感心する。

 だから、――少し意地悪がしたくなった。


「ねえ、草壁さん」

「な、ななななんだい⁉ これ以上何があるんだい⁉ 心臓が爆発し過ぎて持たないよ⁉」

「俺、まだ告白の返事をもらってないんだけど」

「えっ⁉」


 裏返った声で叫ぶ彼女に、春人はぶはっと噴き出してしまった。

 ここまで彼女を翻弄ほんろう出来るなんて、最初の頃は予想もしなかった。彼女の弱点を垣間かいま見た気がして、少し嬉しくなる。


「き、き、君! 私をもてあそんでいるね⁉ わ、わ、悪い男だね! そんなすすすす須藤君も! 好きだよ! 結婚しよう!」

「うん。結婚しようか」

「――えっ⁉」

「結婚。だって、毎日プロポーズしてくれてるんだよな? だから、俺の返事」

「えっ⁉」


 軽く返事をする春人に、草壁は今までにないほどに動揺していた。今日は色んな彼女の意外な反応を見ている。楽しいな、と嬉しくなった。

 そうだ。楽しい。



 彼女といるのは、とても楽しい。



「草壁さん」

「こ、こ、今度は何だい⁉ ちょっと、もう心臓が本当に爆発したまま破裂して微塵みじんになりそうなのだけどね⁉」

「好きだよ」

「――」



 彼女から身を離し、ひざまずきながら春人は笑って彼女を見上げる。

 最初の日。彼女が告白してきた時とは逆だ。あの日は夜が来るよりも前の時間帯だったが、この昼と夜が混じり合う綺麗な景色も彼女には似合うだろう。

 右手を差し出して、春人は目を細める。彼女が呆然としながらも、どこか震える様に真っ直ぐ見つめてくる瞳が印象的だった。

 甘い瞳。甘いささやき。甘い声。

 彼女の様には出来ないけれど。



「草壁さん、好きです」

「……っ」

「俺と、付き合って下さい」



 左手を胸に当て、春人は改めて告白した。

 それを、彼女は泣きそうなほどに顔をゆがめ、信じられないものを見る様に唇を震わせる。

 けれど、春人の真剣な眼差しに、彼女は満面の笑みを咲かせて。



「……もちろんだよ! ――春人君!」



 ぱっと、今までで一番可愛い笑顔で、ばしんっと右手を差し出してきた。

 少し痛かったけど、彼女らしい。そんな彼女が、春人は好きだ。

 初めて直接名前を呼ばれて、甘い快楽が心の中に広がっていく。

 好きな人に名前を呼ばれることが、こんなにも幸せだとは思わなかった。

 だから。



「ありがとう。これからもよろしく、――美晴さん」



 名前を呼び返して、立ち上がる。

 初めて名を呼ばれて驚いた草壁――美晴が、咲き零れる様な泣き笑いを見せた。

 つないだ手はそのままに、二人は照れ臭いながらも顔を見合わせて帰途きとく。



 その帰り道は、二人の未来へ繋がっていると信じて。


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