第21話 ゴーたんをどこから食べたら


 そうして、草壁と入った喫茶店。

 そこも、他と同じく見事にゴーたんだらけの楽園だった。草壁の言ではないが、死んでも良いと一瞬思ってしまう。


「……ふおう。テーブルに一匹、ゴーたんが迎えてくれる……」

「わあ。このぬいぐるみ、ウェイター姿だねえ。いやはや、今回のゴーたんショップ。こんなに趣向をらしているとはさすがの私も思わなかったよ。しかも、メニュー表にまでゴーたんが可愛らしくあちこちに載っているなんてねえ。眼福だ」


 草壁の指摘通り、メニュー表ではゴーたんがメニューの説明をしてくれていた。これはちょっと辛いよ、とか、これはフレンチトーストにアイスが乗っているよ、とか。指し棒と共に分かりにくいメニューを解説してくれているのだ。

 思った以上に親切設計な対応に、春人も可愛さに溺れるだけではなく感心した。


「漢字にもフリガナが振ってあるし。子供でも読める様にって、このショップを考えた人達は凄く頑張って用意してきたんだな」

「そうだね。私も負けていられないな。もっと須藤君のカッコ良さを懇々こんこんと説き伏せなければ」

「……それは何か違うよな?」


 隙あらば褒め称えようとする彼女に、春人は苦笑を零す。彼女はいつでもどこでも通常運転だ。何だか安心する。


「しっかし……色々ありすぎだなあ。こんなにたくさん料理があるのに、食べられるのはほんの数種類……」

「私と分けるにしても、足りなすぎだね。これは、毎日来るべきかい?」

「い、いや! それは流石に……」

「だって、期間限定だろう? 色々食べてみたいよね」


 にっこりと笑う草壁に、ぐっと春人はうなる。今までの元気溌剌はつらつとした笑顔ではなく、とろける様に甘い眼差しで見つめてきていた。

 ふっと見せるその表情は、思わず魅入られてしまうほどに柔らかい。まるで、愛しい者を見つめる様な熱い視線で、春人はぱっとメニュー表で顔を隠した。顔があぶられた様に熱い。


「……っ、あ、あー。……お、俺は、この、まっしろふわふわゴーたんオムライスにしようかな! く、草壁さんは⁉」

「私かい? そうだねえ。じゃあ、……まずはこのみんなで楽しくお花見ランチキューというのと、ゴーたんとハウスのんびりサンドイッチ、それからふわふわ雲の上のハンバーグを頂こうかな。デザートは後で頼もうよ!」


 相変わらず頼む量が半端ないな。


 そんな感想が出てくるが、バーガーといい、豚肉弁当といい、慣れた。彼女はどれだけ大量に来てもぺろりと食べきってしまうだろう。確信した。

 とにもかくにも、メニューが決まったため、春人は店員を呼ぶためにボタンを押そうとした。

 押そうとして、止まった。



 ――呼び出しボタンを、ゴーたんが可愛らしく抱えている……!



 小さな両手をいっぱいに広げてボタンを抱えるゴーたんに、春人はノックダウンされた。ぬいぐるみが置いてあるだけではなく、ボタンにまでゴーたんとはこれ如何いかに。


「やあやあ、須藤君がここまでゴーたんに愛らしく健気に翻弄ほんろうされている姿を見られるなんてね! 今日という日を天から舞い降りるゴーたんを生み出した神に感謝したいよ」

「う、るさい。……お、押すからな!」

「もちろんさ! どどんと覚悟を決めて、ずずいっと勇猛に、ゴーたん可愛い! と愛を叫びながら押してくれたまえ!」

「普通に押すわ!」


 勢いよくぽちっと押すと、待ち構えていた店員が笑顔でやってきた。口元が微笑ましく笑っているあたり、先程から春人達のやり取りを見守られていた様だ。悶死する。


「ご注文はお決まりでしょうか」

「うん! まずは、このまっしろふわふわゴーたんオムライスを二つ」


 ――増えとる。


 確か、先程の口ぶりだと草壁はオムライスを注文リストに入れていなかった気がするが、直前になって加えた様だ。本当に彼女の胃は底なしである。

 その後、更にがっつり注文をしまくり、時間を置いて出てきた料理がテーブルに並べられて行くと。



「申し訳ございません。乗らないので、隣のテーブルをくっつけさせて頂きますね」



 ――頼み過ぎだ。



 結局草壁は、最初に挙げていた品数よりも更に五品ほど増やしていた。一皿一皿が飾り付けの関係もあって大き目であり、とても一つのテーブルには乗り切らなかったのだ。

 おかげで、周りの好奇の目が痛い。これは絶対春人が食べるものと思われている。

 だが、そんなことは今の春人には些末事さまつごとだ。

 目の前で輝かんばかりに広がるのは。



「では、いただくよ! おお、本当にゴーたんパラダイスだねえ。須藤君が――」

「……くっ。ご、ご、ゴーたんが……、……目の前にパラダイス……っ」



 無意識に草壁の意味不明な言動が移ってしまった。

 だが、春人にとってはパラダイス以外の何物でもない。右を向いてもゴーたん、左を向いてもゴーたん、真正面を向いてもゴーたん。まさしくパラダイスである。

 春人が注文したのはオムライス一つだが、そのオムライスはゴーたんの顔が大きくお皿に乗っていた。

 ふわっふわの白雪の様な山がお皿の隅々にまで広がっており、下のご飯が見えてこない。真っ白な山にはゴーたんの顔がケチャップで書かれており、きゅーっと鳴きながら「注文してくれてありがとう」と吹き出しで語り掛けてくれている。

 メニュー名が「まっしろ」とは書いてあったが、まさかこんなに真っ白だとは思わなかった。通常のオムライスとはまるで違う。

 しかし、それよりも問題は。


「……い、ただき、……くっ」


 手を合わせて、春人は唇を噛み締める。

 ゴーたんのつぶらな瞳と目が合った。合ってしまって、ぐおおおっと唸る。



「ゴーたん……。ここまで食べにくいなんて……」



 がっくしとテーブルに突っ伏す春人に、草壁は「うん、美味しい!」と我関せずである。彼女の図太い神経が羨ましい。


「これ、本当に美味しいよ! ハンバーグは中がとろっとろでジューシーで、上にかかっているのはチーズなんだけど、とろけていくこの感触が最高さ!」

「……俺も、早く食べたい」

「食べれば良いではないか! ゴーたんの可愛さに悶えて葛藤する須藤君もアンニュイな感じで色香がマシマシだしカッコ良いけど、ゴーたんとしてはあったかいうちに食べてもらいたいと思うよ?」

「ぐっ。……た、確かに」


 言われてみると、ゴーたんが「食べて欲しいきゅ」と訴えかけてきている気になってきた。草壁は人をその気にさせる天才である。

 だが、それで救われた。意を決して、ぱんっと両手を合わせる。


「い、……いただきますっ」


 いざ、と気合を入れてスプーンをゴーたんの顔の端に差し込む。

 途端、何の抵抗もなくスプーンが奥まで入り込んでいった。え、と春人はすくって確認してしまう。

 鮮やかなまっしろな海の下には、ふんわりと香るケチャップのライスがまた美味しそうな色合いをしている。白と赤のコントラストが美しく、春人は自然と喉が鳴ってしまった。

 はくっと、意を決して一口を含んだ直後。



「……! 美味うまっ!」



 何の抵抗もなく白い海が口の中で溶けていく。ふわふわっとしたクリームの様な食感と鶏肉に振りかけられた胡椒こしょうのぴりっとした味が合わさって、面白い感触になっていた。スフレの様なほのかな甘さが広がるのに、胡椒の効いた鶏肉が新しい弾力を生み、後から追いかけてきたあっさりしたトマトライスが全てと響き合って、絶妙な共鳴を生み出している。


「そっか。これ、メレンゲなんだ」

「そうそう! このオムライス、面白いよねえ。いやあ、これほどまで見事な新雪はなかなか生み出せないよ。プロだねえ」

「本当だ。卵のほのかな甘さがふわふわって口の中で遊んで、その後にぴりっとした鶏肉の弾力やトマトのあっさりした風味が合わさって……あああ、もう、美味い!」


 ゴーたんが、と言っていた気持ちなど吹っ飛んで、春人は無心で食べ進めていく。可愛い上に美味しいとは最高の心地だ。

 あっという間に平らげてしまい、春人は喜びに満ち溢れた。


「美味しかった。ごちそうさま」

「おやおや。私の料理の方は味見をしなくて良いのかい?」

「え。でも」

「せっかくだし、食べてみなよ! 何なら食べさせてあげるよ! 私との間接キッスを楽しもうではないか!」

「うん。ありがとう。自分で食べるな」


 ほらほら、ときらびやかに颯爽とスプーンを差し出してくる草壁は置いておき、春人はさっさとハンバーグにスプーンを入れた。

 ぶぶーっと不平を零す彼女には構わず、春人は肉を口に放り込む。

 噛み締めた途端、じゅわあっと溢れんばかりに肉汁の海が口の中を満たしていった。乗せられていたチーズが更に絡みながら流れ出て、春人の口の中は美味しさで弾け飛ぶ。


「美味い! ハンバーグも」

「そうだよね! いやあ、このランチなんかは、ゆで卵がまるまるゴーたんになっていてさ。思わず写メを撮ってしまったよ」

「いつの間に……」

「うちの父にも教えたいね! このサンドイッチも最高だよ! ささ、一口」

「では、……うん、美味い! うわあ。どれも美味いとか、どんな楽園なんだ」


 しばらく草壁と共に、美味い美味いしか言わずに食事を平らげていく。何だかんだで、春人もいつもより食が進んだ。


 誰かと出かけて、これほど食事が楽しいと思ったのは家族以外では初めてかもしれない。


 その事実に密かに驚きつつも、春人と草壁は難なくあの大量の料理を平らげてしまった。おまけに追加で注文したデザートも食べ終え、一息吐く。


「いやあ! 食べたね! 須藤君もモッスンバーガーの時より食べていないかい?」

「そうだな……。何か、草壁さんの食べっぷりを見ていたら、美味しそうで、つい」

「はっはっは。食事は日常の基本だからね! 例え死にかけても、食事だけは忘れないさ」

「……そこは命を優先してくれな……」


 本気で食事を優先しそうな彼女に、春人は苦笑いを浮かべる。彼女は全く聞き入れ無いまま、注文したゴーたんミルクを飲み干していた。彼女の胃袋はブラックホールである。

 だが、本当に楽しい。気兼ねなく女性と食事が出来るのは、幸せだ。

 そう思う自分が意外だけれど、悪い気はしなかった。


「……ありがとう、草壁さん」

「うん? 何がだい?」

「今日、誘ってくれて。それに、……」



〝須藤くんって、将来マザコンにファザコンとか、大変そーう〟



「……。初めて草壁さんと弁当を食べた時さ。親の作った料理の話が出来て、嬉しかった」

「え? 料理の話がかい?」

「うん。……俺さ、前に付き合ってた彼女に好物を聞かれて、ハンバーグとシチューって言ったんだ。その後、……会話の流れでかな。ハンバーグは母さんが得意で、シチューは父さんが得意で、とか。そんな話になって」


 彼女が自分ではこんなのを作るとか、春人の好みが知りたいから、どういうハンバーグが食べたいのかとか、細かく色々聞かれた気がする。

 だから、うちで作るハンバーグやシチューの話をしたのだ。


 そうしたら、後日振られる時にその点を切って捨てられた。


「細かくどんな風な味が好きなのか、どう作れば良いかって聞かれたから答えたのに、マザコンだとかファザコンだとか言われてさ。別に、その味に固執してるわけじゃなかったんだ。……でも、両親の作った料理が好きって、聞かれても言ったら駄目なのかなって」

「……」

「それから、何か、女子と好みの話をするのが苦手になっちゃって。……って、草壁さん。顔が恐い。本当恐い。やめて。落ち着いて。いつものイケメン顔に戻って。もう過ぎ去った話だから」

「これが、怒らずにいられるかい⁉ 須藤君、君、色々トラウマ持ちすぎじゃないかい⁉」

「自業自得だよ。でも、草壁さんとほら、お互いに料理の話したし、レシピも知りたいとか言ってただろ? ……それで、少し救われたんだ」


 彼女に料理の好みを否定された時、両親を馬鹿にされた様で悔しかった。


 春人が馬鹿にされたことよりも、春人を大事に思って料理をしてくれる両親の気持ちを踏みにじられた気がして悔しかった。

 もう二度とそんな思いを味わいたくなくて、気心が知れた人以外では避けていた料理の話を、何故かあの時は草壁としてみたいと思ってしまったのだ。

 きっと、春人は分かっていた。モッスンバーガーで自分のことの様に憤慨してくれた彼女なら、料理の話が出来るのではないかと。

 そして、事実その通りだった。



 今だって、彼女と食べるのが楽しい。



「だから、ありがとう。一緒に食べるのが楽しい。……草壁さんには、救ってもらってばかりで。感謝してる」

「――」



 喜びが滲み出るまま笑顔でお礼を告げれば、草壁は何故か硬直してしまった。いつものきらきらした表情のまま、こちんと石像の様に固まっている。


「草壁さん? どうかした?」

「――はっ!」


 思い出した様に息を吹き返し、草壁はよろりと顔を覆う。心なしか耳が赤い。本当にどうしたのかと春人は心配になった。


「草壁さん? 本当にどうし」

「いやあ! 急にトイレに行きたくなったよ! ちょっと待っててくれるかい⁉」

「へ? あ」


 ばびゅんっと風の様に駆けて行く草壁に、春人は引き止めることも叶わなかった。いつも変人だが、今は特に変人だったなと呆けてしまう。

 だが、すぐに戻ってくるだろう。安心して、食後の紅茶を楽しんでいると。



「――やっぱり。春人じゃなーい?」

「――――――――」



〝何、それ。――そんな顔してカワイイもの好きとか。幻滅〟



 一番聞きたくなかった声を、春人は背中越しに聞いてしまった。


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