第22話 もう二度と、近付かないでくれたまえ


 春人が振り返ると、そこには想像した通りの人物がいた。想像を超えていたのは、隣にいる人物も二度と会いたくなかった女性だということだ。


「久しぶりぃ。中学以来だよね。元気だった?」

「須藤くんと、こんなところで会うなんて、ぐうぜーん」

「植田さん……町田さん……」


 きゃらきゃらとギャルっぽい服装で寄り添いながらたたずんでいる二人は、春人が中学の時に付き合っていた恋人だ。どちらも三ヶ月かそれすらも持たなかった。

 植田は、ぬいぐるみを馬鹿にしてきた人。町田は、たった今草壁に話していた料理をキッカケに馬鹿にしてきた人だ。しくも、二人目と三人目である。


「偶然じゃないよな。二人は、こういうところ来ない人だったと思うけど」

「えー。時間っていうのは、時として人を変えるものだよぉ?」

「須藤くんを見かけたから、追いかけたんだけど……」

「あいかわらず、カワイイもの好きなんだぁ。幻滅ー」


 きゃははっと笑うその声が耳障りだ。さっきまでとても良い気分だったのに台無しである。

 早く草壁が帰って来ないかなと願ったが、たった今走り去ったばかりだ。周囲も迷惑そうにしているし、早くお帰り願いたい。


「良いだろ、別に。俺の自由だし」

「――。……なに、その言い方」

「ってことは、須藤くん、今もマザコンでファザコンなんだー。そーんなにカッコイイ顔してるのに、色々ダサいよねえ」

「っ」


 一瞬、怒りで拳が震えそうになったが、ぐっと堪える。ここで手を出したら警察沙汰だ。両親に迷惑はかけたくない。


 ――落ち着け。


 こうして再会してみると、春人はつくづく愚かだったと思う。何故、先輩や友人の忠告を聞かなかったのか。

 ただ、春人はしがみ付いていただけだ。



 友達感覚で付き合ったら、いつか――誰かを好きになれるかもしれない。



〝半年も付き合ったのに、……須藤君にとって、私って、結局ただの都合の良い友人でしかないんだもん!〟



 最初の恋人に、最後に言われた台詞がずっと引っかかっていた。

 春人なりに、彼女のことを少しずつ好きになっていっていた。それは本当だ。彼女の喜ぶ顔を見ると嬉しかったし、次第にドキドキすることも増えていった。

 けれど、結局それは彼女に伝わらなかった。――春人が伝える努力をおこたったからだ。

 だが、当時の春人はその気持ちに気付けなくて、ただ悲しみを持て余すだけだった。


 春人だって、誰かを好きになれる。――なってみたい。


 あれだけの熱を誰かにぶつけられる彼女を、傷付きながらも春人は尊敬したのだ。

 偶然ではあるが、その後の恋人達も、告白の時に「友達からで良いから」と添えてきた。だから、余計にすがる様に春人は付き合ってみることにしたのだ。まるで、呪いの様に。

 途中からだんだん投げやりになっていったのは気付いていた。気付いていながら、知らないフリをした。渇望する思いにふたをした。



 ――だから、最初に清水さんにもきちんと向き合えなかったんだ。



 ただ振るだけではなく、相手に自分の気持ちを伝えなければならなかった。

 それは、きっと。



〝見損なったよ、須藤君! 君は、今! 私を完璧に、それは微塵みじんに、それこそ叩き潰す様に振るべきだった!〟



 草壁に対しても同じ。



 だから、これは、目の前の二人にも向き合わなかった春人のツケが巡ってきただけ。

 ならば、清算しなければならない。


「……。付き合ってた時、俺の方もちゃんと君達に向き合っていたかって言われると、違うと思う。だから、それで傷付けたのだったら、ごめん」

「……は?」

「でも、……二人にとって、こういう俺がダサくても幻滅でも、俺は俺だ。それは変えられない。だから、それが気に入らないって言うなら、どちらにしても別れることになっていたと思う」

「――っ。なっ」

「期待に応えられなかったことは申し訳ないし、ごめん。不誠実だった。俺も、もう軽はずみに付き合うのはめにする。だから、……勝手ではあるけど、もう、終わりにしてもらえないかな。お願いします」

「――はあっ?」


 途端、二人の顔が朱に染まる。プライドを傷つけられた、と声無く罵倒してきた。

 そうか。彼女達は本当にこういう人だったのか。春人も本当に見る目が無い。いや、見ていなかったのだ。

 当然、彼女達は謝罪した程度では引き下がってくれなかった。ばんっと、テーブルを叩き付けて顔を近付けてくる。



「なんなの、あんた。勝手に終わりとか、生意気っ。……せっかくあたしが、『また』付き合ってあげようって言ってんのに」

「……は?」



 一体何の話か。

 植田の不躾ぶしつけな言葉に、春人の気分は益々悪くなっていった。彼女の独りよがりな傲慢さは腹に据えかねる。


「……あの時、君達とちゃんと向き合わずになあなあで付き合っていたのは何度だって謝る。でも、……だからこそ、俺はもう二度と君達と付き合うつもりはない」

「はあっ⁉ ……なにさっ! 中学高校にもなってぬいぐるみなんか大事にしてるかっこわるーい男のなりそこないのくせにっ。あたしのことフるってえの⁉」

「えー? 須藤くんってば、ぬいぐるみなんて持ってんのー? だっさ!」

「そうそ。しかも、カワイイもの好きで、あげくのはてにこーんな女の子が来るようなかわいらしいぶりぶりなところにも来ちゃってさ」

「あっははー。だから、マザコンでファザコンなんだー。……そんな須藤くんと付き合おうって言うウエダはやっさしー」


 きゃははと心の底から馬鹿にした様に笑う二人に、春人はお金を払って出ることにした。周囲にいた家族があからさまに眉をひそめているし、男性だけで来ている客も居心地が悪そうだ。草壁なら恐らく、彼女のセンサーで春人を見つけ出してくれる。

 だが、立ち上がると道を塞ぐ様に二人は移動してきた。本気で邪魔をする気だ。草壁にも迷惑をかけるかもしれないと、心が重くなる。


「話したいことがあるなら、この店を出ないか? 大声に過ぎるし、周りに迷惑だろ」

「うわ、カッコイイこと言ってるー。ダサいくせに」

「ねえねえ。今一緒にいる人、須藤くんのこと、どこまで知ってんのー? ぬいぐるみ抱いて寝てますーって言ったー?」

「抱いて寝てはいない。寝る時は移動させてる」

「まったまたー」

「カッコつけすぎー。現実はこんなんなのにー」


 なるべく表情に出さない様に相手をしても、二人はどんどん春人の柔らかい部分を容赦なく刺してくる。春人が傷付く言葉をわざと選んで、甚振いたぶってきた。

 草壁に出会って、話を聞いてもらって、受け入れてもらえて。

 それで少しは変わってきたけれど、こんなに馬鹿にされて傷付かないわけがない。じくじくと心の底からむ様に痛みが広がっていって、喉が震えそうだ。

 何故、ここまで言われなければならないのか。春人の好みは、そんなに異常なのか。



〝人の好きなものを馬鹿にするなんて、人として最低だね〟



「――っ」



 ――草壁さん。



 彼女の声が、聞きたい。

 いつの間に、ここまで彼女の声を渇望する様になっていたのだろうか。全く知らなかった。

 彼女の声に背中を押されて、春人はぐっと震えそうになる喉に力を入れて目に力を込める。

 散々彼女に情けない姿を見せてきたのだ。同時に、勇気ももらってきた。

 だったら、春人がここで負けるわけにはいかない。



「……どいてくれ。まずは、店を出たい。話はそれからにしよう」

「ちょっと」

「それに、今日は一人で来たんじゃないんだ。その人と合流もしたいし」

「……っ、あんた、ねえ……!」

「ねえねえ、だったら、今一緒にいる子に言ってみよっかー? 須藤くんは、こーんな大きくなっても、ぬいぐるみを――」

「――やあやあ! もちろん知っているよ! 須藤君が大事なおばあさまの形見、ゴーたんのぬいぐるみを今も大事にしていて、可愛がっていることはね!」

「って、きゃ、きゃあああああああああっ⁉」



 しゅぱっと、風の様な音と共に現れたのは、草壁だった。

 こめかみ辺りでピースサインを決め、爽やかににこやかに二人の背後に駆けつけた彼女の顔を見て、春人は不意に泣きたい衝動に駆られる。

 だが、二人にとってはお化けにでも襲われた様な恐怖だった様だ。今までのふてぶてしさが一転、体を震わせて縮こまっている。


「その、声……く、く、く、え、……くさ、かべ……さん……っ⁉」

「やあやあ、そうだよ! みんなの草壁晴美、もとい須藤君だけの草壁晴美だよ! そういう君達は、えーと……誰だっけ? でも、同じ中学だったよね! 見かけたことがあるよ!」

「げ……。何でここに……」

「それはもちろん! 須藤君とラブラブ昇天中だからさ!」


 相変わらず意味が分からない。


 せめてデートにしてくれ、と春人は訂正しかけて、ぶんぶんと首を振る。だからデートじゃないと言い聞かせたが、虚しくなった。

 彼女は春人の前に回り込み、壁になる様に二人と対峙する。



「そういえば、須藤君は私の中学の人と何人か付き合ってたんだよね。でも、まさか、この二人だったとはねえ」

「……うん。そうだよ」

「ということは、……今までの会話から察するに、君を傷物にしたのは彼女達なわけだ」



 傷物じゃない。



 そう反論したかったが、彼女の声が地に堕ちる様に低まったためすくんでしまった。ぞくり、と声を耳にするだけで恐怖に心臓が絡め取られる。

 春人でさえそうだったのだから、二人にとっては更なる地獄だっただろう。既に発狂寸前の顔で抱き合いながらへたり込んでいた。


「やあやあ。噂には聞いていたよ。なんでも君、どうやら須藤君を色香でオトすーとか、色々吹聴していたんだってね?」

「……、へ……っ」

「ああ、でも、なっかなか誘いにのってこなーい、ムカつくー、本気でオトしてやるーって息巻いてたのに、上手くいかなかったんだってね? プライド傷付いたんだって?」

「……な、なん、で……」

「風の噂だよ! 顔も名前も知らなくても、噂っていうのは、人から人へと渡っていくものだからね!」

「ひ……っ!」

「そうそう。だから、君は今もこんなに陰湿に須藤君のことを追い詰めるんだねえ。……女の風上にもおけないよ」


 声が更に穴の底に落ちていった。

 彼女のこんな恐ろしい声は初めてで、春人は目を逸らせなくなる。


「私はね、二人とも。世の全ての男性も女性も等しく慈しみたいと思っているんだよ。ああ、須藤君は殿堂入りだから除外するよ!」

「でんどういり」

「そうさ! でもね、――君達は例外かなあ」


 更に、声が底無しに落ちていった。周囲の温度も十度ほど下がった様に冷え込んでいく。

 がたがたと、もはや二人は泣きそうになりながら草壁を見上げて震え上がっていた。

 春人の視点からは彼女の顔は、あまりよく見えない。


 けれど、ちらりと見えた彼女の視線は、かつてないほどの冷たい熱が鋭く光っていた。


 冷たいのに、目が離せないほどに惹き付けられる。

 それは、その怒りの冷たさが春人に向けられていないからだ。



 春人のために、ここまで怒ってくれているからだ。



「さて。須藤君と付き合って良いのはね、少なくとも君達じゃあないんだよ。……ほら、ね?」

「――っ! ひっ!」


 草壁が何やらスマホを取り出して、二人におもむろに見せた。

 その画面を見るや否や、既に死にかけていた二人の顔色は、更に死人の様に紙切れになっていく。



「もう二度と、彼に近付かないでくれたまえよ」

「――っ!」

「もし、今度彼を傷付けたら……私はどんな手を使ってでも、君達を葬り去るよ?」

「――! はい!」

「もう二度と会いません!」

「よろしい! では、即刻! 退場願おうか! ハリーアップ!」

「……っ!」



 ぱあん、と体育会の銃声よろしく手を叩く草壁に、二人は涙目になりながら一目散に逃げ去って行った。既に豆粒になって消え去った迅速さに、春人は呆然と見送ってしまう。

 ふうっと汗を拭う様に手で額を押さえる彼女に、春人はそろそろと声をかけた。


「……草壁さん」

「ああ、ごめんね! もっと早く助けられれば良かったのだけど。須藤君が頑張っていた様だから、少し見守っていたよ」

「いや、うん。大丈夫。……スマホは、何を?」

「うん? ただ、今のやり取りを一部始終動画再生してあげただけだよ! いざとなったら裁判に発展させるから安心したまえ!」

「……」


 なるほど。確かに、民事訴訟は可能だ。彼女達はあからさまに公の場で春人を罵倒し、おとしめた。名誉棄損で訴えることは出来る。

 まさか、そこまで頭を回すとは。やはり、彼女は見た目通りの人物ではない。かなり周囲をよく観察して動いていることを再確認した。


「いやあ……ごめんね」

「どうして謝るんだ?」

「だって、……ちょっと恐い一面を見せてしまったから」

「恐くないよ」


 間髪容れずに否定する。草壁がびっくりするほど目を丸くしたのが印象的だったが、春人は止まらなかった。


「だって、俺のために怒ってくれたんだよな?」

「……それは、そうだけどね」

「嬉しかった。……本当、女性の君に言って良いか分からないけど、……ヒーローみたいにカッコ良かったよ」

「――」


 草壁が、先程と比べ物にならないほど目を見開いた。口もぽかんと開いている。それなのに、かなりのイケメン顔なのがせない。

 けれど、それすらも彼女らしい。自然と笑いが溢れた。



「ありがとう、草壁さん」

「……須藤、君」

「俺、草壁さんに好きになってもらえて、良かった。……今、すっごく嬉しい」



 自業自得だらけの春人のことを、毎日好きだと伝えてくれる。

 最初は疲れるだけだったし、何とも思っていなかったはずなのに、いつの間にかそれは力になっていた。

 今だって、彼女の言葉がよみがえったから春人は踏ん張れたのだ。

 だからこそ感謝を伝えたのだが、彼女は黙りこくってしまった。口元に手を当て、ふいっと軽く横を向いてしまう。


「草壁さん?」

「……。……須藤君には、今日は出会った時から、やられっぱなしなんだけどね」

「え?」

「……、……何だか、そんな風に、須藤君が。……あの須藤君が、こんなに直接思いをぶつけてくれていると思うと……さ、さすがに照れるよっ」

「――――――――」


 ぶわっと、花開く様に彼女の顔が朱に染まる。長い睫毛まつげによって影が落ちた瞳は心なしか潤んでいて、その様がひどく愛らしい。

 先程の二人の赤くなり方とは違う。彼女の赤は、それは鮮やかに可愛らしく、一凛の花の様に咲き零れていた。

 いつもとは違う彼女の照れ顔に、春人も目を奪われる。思わず、ぽろっと漏れた。



「草壁さん、可愛い」

「……えっ⁉」

「照れた顔、可愛い」

「――!」



 あはは、と春人が何度も告げると、草壁は更に真っ赤になってしまった。彼女もこんな風に照れるんだ、と新鮮な気持ちになる。

 彼女が隣にいて、良かった。そう、心から感謝する。



「ああああああ、もうっ! 須藤君は、やはりカッコ良いね! 声や顔だけでなく、口調や言葉までもがね! 色気むんむんだね! 男だね!」

「はいはい。ありがとう」

「……。……まあ、これこそ、私が見たかった顔なんだけどね」

「え? 何か言ったか?」

「もちろん! 君の顔が世界一だということさ!」

「……はいはい」



 聞き逃した言葉が気になったが、恐らく草壁の言葉にブレは無いだろう。

 いつの間にか周囲が泣いたり喜んだり拍手をしたり、遠くから着ぐるみゴーたんもジャンプをしながら手を振っていたのに気付いたのは、落ち着いた後のことだった。


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