第7話 送り狼って、先生が言ったら駄目だろ


「やあ、須藤君! 好きだよ、結婚しよう!」


 春人が草壁に告白されて、一週間が経過した。


 あの日以来、結局登下校は草壁と共に繰り返されている。つまり、朝はほぼ毎日プロポーズ紛いの彼女の言葉から始まるわけだ。

 朝から放課後まで、常に周囲の殺意や羨望の視線が春人の心臓をぐさぐさ刺してくるため、休まる暇がない。

 挙句の果てに。



「おう、須藤。草壁と恋人になるべく互いに奮闘しているって聞いたぞ。頑張れよ」



 担任がホームルームにそんな発破をかけてきたものだから、もう大変。

 学校中で大騒ぎになり、他のクラスからまで野次馬が飛んでくるくらいだった。草壁のファンはこのクラス以外にもいたらしい。

 中には、「須藤君のこと狙ってたのに!」「草壁さんなら許すわ……」「闇討ちしかないかしら」「えー、ショックー」「オレの愛で壁をのりこえーる!」と、春人を狙っていたらしい女子生徒の悲鳴まで聞こえてきた。その中に一部、男子の野太い声が聞こえてきた気がしたが、誠意を込めて聞かなかったことにした。


 とにもかくにも、現在は体育の時間。


 体育は男女別で行われてはいるが、この日はどちらともバスケの授業だったため、体育館を真っ二つに分けて男女ともに使っていた。

 ただいま春人のチームは一回戦を終えたばかりなので、休憩中だ。コート内で行われている試合を漫然と眺めながら、どっかりと床に座り込んで溜息を吐く。

 そんなくたびれた春人を、同じく休憩中の親友二人が呆れた様に見守ってきた。


「わー。ハルが、女性関係で打ちのめされてるの、久々に見たー」

「ふん。相手が草壁さんだったのが運のツキだな。……だが、下手な女性と付き合うよりは良いんじゃないのか」


 適当な励ましをされて、春人はむぐっと押し黙る。眼鏡を外して首を振る和樹に、ぶすっと不貞ふてくされた。


「悪かったな。下手な女性とばっかり付き合って」

「そうだな。心配する身にもなってくれ」

「ねー。ハルは、世間一般の遊び人じゃないんだからさー。誤解される様な付き合い方は、やっぱりはらはらするよねー」

「冬馬まで……。……うん」


 中学生の頃から来るもの拒まずの様な付き合い方になった春人を、二人が心配してくれていたし、真剣に怒ってくれたこともある。春人も傷付いていた姿を見せたから、よけいに気になっていたのだろう。

 春人も、何故こうなったのか自分で分からない。

 最初はただ。


〝須藤君は私に気持ちは無いかもしれないけど――〟


 ただ――。



「きゃああああああああ! く・さ・か・べ・さああああああんん!」

「――」



 背後から、体育館を揺るがすほどの黄色い声援が津波の様に押し寄せてきた。

 振り返るまでもなく、クラス一の人気者、草壁美晴の応援団である。既に男子達も試合ではなく、春人の背後で行われている女子の試合を応援している者も多い。

 その黄色い声のせいで、春人は振り向きたくもないのに振り向いてしまう。今度は一体、どんなゴールの仕方を見せているのかと。


「いっけえええ! 草壁さん!」

「美晴さん、チャンスボール!」

「任せたまえ! ……はあああああああっ!」


 気合を入れた一球は、野生的な咆哮ほうこうとは裏腹にまさしく優雅なスリーポイントだった。

 スリーポイントラインよりも外側から、草壁は襲い来る女子達を華麗に避け、軽やかにジャンプをして片手でボールを放る。

 綺麗な弧を描いて空中を舞うボールは、まるで羽が生えた様な錯覚さえ見せた。

 そして。



 すぱっと、軽い音を立てて危なげなくボールがリングを通り抜けた。



 途端、きゃああああああああ! と絶叫しながら女子達が頬を染めてジャンプする。中には卒倒する者まで出てきて、ちょっとしたスター選手だ。Tシャツにジャージ姿というラフな格好までも無駄にきらきらしく輝いている。

 直後、ピッピー! と笛の音が高らかに鳴る。試合終了の合図だ。


「よし! 今回も優勝をもぎ取ったね!」

「はい! 草壁さん、カッコ良かったです!」

「最後のスリーポイント、痺れました! 草壁さんのおかげで勝てましたね!」

「何を言っているんだい。丸本さん、君が絶妙なパスを出してくれたからこそ、私はあそこで最大限の力を発揮出来たんだ。その前に野々村さんや鳥羽さんがパス回しで相手を翻弄ほんろうし、宮野さんがマークに付いていてくれたからこそ、相手に隙も出来た。だから、これはチームワークの勝利だよ」

「あ、ああ……っ」

「美晴さん、今日も素敵です……っ」

「これは、みんなの勝利なのですよね……っ!」


 わあっと草壁を中心に抱き合う女子チームを、相手チームも涙を流しながら讃え、周囲の野次馬もうんうんと頷き合っている。何故か男子側の体育教師まで腕を組んでにこやかに頷いているあたり、みんな草壁に感化されていないだろうか。春人が異常なだけなのか。どうでも良いが、試合をしている男子はちゃんと試合をしろと切に訴えたい。

 流石は、テストでも常に一番を取り続け、スポーツも万能な上に性格も良し、顔も可愛いしスタイルも良いと、何でも揃っているだけある。天は二物どころではない才能を彼女に与えた様だ。

 しかし。



 ――あれ。かなり練習をしているよな。



 いかにも簡単にやってのけた様に見えるスリーポイントだったが、その実相当の修練を積んだシュートだったと、春人は観察していた。

 位置の取り方、ジャンプの微調整、手首のスナップのかせ方、片手でボールを支えてもう片方の手だけでシュートを打つなど、かなりの修練を積まなければ難しい。特に身長の無い草壁なら尚更だ。

 彼女はいつだってカッコ良く無駄に輝いてはいるが、人知れず様々な努力をしているのだろう。周りへの気配りだってさりげなく思えるが、よく見ているからこそ出てくる言葉だ。


 ただのぶっ飛んだ思考の持ち主だと思っていたが、実はそうではないのかもしれない。


 天才というだけではなく、努力家なのだろう。そういうところも、彼女の魅力として周りに映っているのかもしれない。

 そんな風に、春人がぼーっと思考を回していると。


「くおーら、須藤! なに草壁さんに見惚みとれてるんだ!」


 遠いのか近いのか分からない距離から、佐藤がびしーっと人差し指を突き付けて叫んできた。隣の田中もうんうんと頷いている。どうでも良いが、草壁の試合に見惚れて自分達の試合をしていなかった輩に言われたくはない。


「……見惚れてたのはお前達だろ」

「なにおう! 当たり前だろう! 草壁さんはいつだって光り輝き、こんなむさ苦しい体育館をも爽やかな風の草原の如き青空をもたらす存在」

「我々にとって見惚れないなどという無礼な選択肢はない!」


 体育をないがしろにするのは無礼ではないのだろうか。


 しかし、体育の教師も彼女達の試合に感動して拍手しているあたり、もうこれで良いのかもしれない。春人は諦めることにした。


「お前、何だその顔は! もっと遊び人としての矜持きょうじを持たんか!」

「どういう意味だよ……」

「いつも、鬱陶しいと言わんばかりに俺達の血が滲み出る叫びを無視しやがって……! 草壁さん、どうしてこんな奴と……っ」

「ああ、うん。鬱陶しいかな」

「おおおおおおい!」


 肯定すれば、二人は血の涙を流しながら迫って来る。毎日毎日絡まれればそれは鬱陶しいと思うのも無理はない。

 けれど。


「でも、……そんな風に誰かに対してあけすけに真正面から好意を伝えることが出来る二人のことは、凄いなって思ってるよ。尊敬もしてる」

「――」

「俺は、家族にも友達にも、好きだって伝えるのはやっぱり照れくさいところあるし。そういう意味では羨ましいよ」

「……」


 八つ当たりされるのは迷惑だが、その一方で凄いと思っていたのは本当だ。

 だから伝えてみたのだが、二人は見事に変な表情のまま固まった後。



「く、……そういうところだぞ、須藤……っ」

「きょ、今日のところは勘弁してやる……!」



 何がだ。



 ツッコミたかったが、二人は何故か顔を赤くしたままさっさと去って行ってしまった。

 一体何なんだと不可思議に思ったが、冬馬と和樹にまで「これだから……」と呆れられて益々ますます首を傾げる。

 そんな風に、また日常が戻ってきそうになったところで。



「あ、ごめんなさい! ボールが……!」



 女子側のコートから、春人の方へとバスケットボールが転がってきた。とん、とん、と可愛らしく弾んでくるボールを春人は軽く受け止める。

 慌てて駆け寄ってきた一人の女子に、春人は笑ってボールを投げた。


「ほい」

「あ、ありがとう、須藤君! ――って、きゃあ!」


 ボールを受け取り、コートに戻ろうとした途端、女子がびたーんとすっ転んだ。あまりの痛そうな音と捻り方に、春人も肩が跳ねる。


「お、おい! 大丈夫か?」

「大丈夫かい、清水さん! 怪我は?」


 春人が駆け寄ると同時に、草壁も颯爽さっそうと走り寄ってきた。流石は草壁。どんな時でも相手ファーストである。


「だ、大丈夫。あ、これ、ボールだよ、草壁さん」

「ああ。こんなボールよりも、君の方が大事だよ。怪我が無いのなら良かった」

「あ、ありがとう……」


 笑顔を浮かべながら頷く清水という女子に、しかし春人は違和感を抱く。目が微かに泳いでいるのは気のせいではない。

 さっと、全身を確認し。



「清水さん。ちょっとごめん。足を見せてくれるか?」

「え? あ、……っ!」



 左足を取り、ジャージを少しだけまくる。女子相手だったが、隠そうとしていたので行動に出てしまった。

 案の定、あらわになった足首が少しれている。今、転んだ時にひねったのだろう。放っておくと変な癖が付くかもしれない。


「足、捻ったんだな。歩け……ないか」

「し、清水さん! どうして黙っていたんだい。とっても痛そうじゃないか!」

「え? あ、だ、大丈夫! 授業が終わったら保健室に行こうと思って、その」

「これだけ腫れてるし、早い方が良いよ。度々たびたびごめん。あとで張り手でもグーでも殴って良いから」

「え? ――っ!」


 言うが早いが、春人は清水をさっと抱え上げた。きゃあ! っと周囲から黄色い声が上がったが、何故だろうと首を傾げる。


「え? え? あ、あ、わ、あわわわわわわわ」

「歩くと悪化するかもしれないから、このまま保健室行こう。先生、すみません。少しだけ授業抜けます」

「おう。ちゃんと送り届けて戻って来いよ。送り狼にはならないようにな!」

「……先生。そういう冗談言って良いんですか?」

「がはは! まあ、そうやって自然にお姫様抱っこをするから言われるんだよ。取りあえず、保健の先生がいなかったら俺がスマホで連絡するから、お前は戻ってこい」

「分かりました」


 溜息を吐いて春人が歩こうとすると。



 ぐいっと、腕を掴まれた。



 あまりに勢い良く引っ張られたので、転びそうになった。

 何だといぶかし気に振り返ると、間近にいたのは草壁だ。予想以上に近い距離だったので、春人は一瞬どきりと体が硬直する。

 そのまま、自然と視線が下に下がる。Tシャツのせいで、それなりに強調された胸が割と腕に触れそうな場所にあって、慌てて距離を取った。――意外と大きいとか思っていない! と言い訳する様に脳内だけで叫んでおく。


「く、草壁さん? どうかした?」

「あ、いやあ。……、……ふ……っ」


 ばさあっと、何故か大袈裟に前髪を掻き上げ始めた彼女に、春人は遠い目になった。毎日思うが、彼女はカッコつけマンなのか。いや、カッコつけウーマンなのか。その行動に何の意味があるのか、真剣に問い質した――くはない。


「あのー……草壁さん?」

「いやあ、私としたことが……すまないね。私が可憐かれんな彼女の痛みに気付かなったばかりに」

「え? いや、転んでたの見たの俺だし、その時の転び方がちょっとって思っただけだから」

「そうかい? そう言ってもらえると気が楽だ。……清水さんのこと、頼むよ! 彼女はご覧の通り、己の痛みを隠して相手に心配をかけまいとする心優しい女性だからね! くれぐれも誠実に丁重に扱ってくれたまえよ!」

「はいはい。何でおま……君がそんなに偉そうなんだ」


 はっはっは、と腰に手を当てて笑い飛ばす彼女に、春人は疑問符を浮かべながらも呆れる。いつから清水の保護者になったのかと問い詰めたい。

 腕の中がやけに静かなのが気になったが、そのまま体育館を出る。


 うぐぐっと、何故か背後から唸り声の様な変なうめきが聞こえてくるのが気になったが、春人は振り返らないまま保健室へと向かった。


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