第6話 どうして家でも思い出すんだ!


「はあ、疲れたなー」


 家に帰り、裏庭で剣道の素振りと足捌あしさばきをこなしてから、春人は部屋へと転がり込む。

 ぼすん、とベッドに突っ込むと、近くでころころ転がっていたあざらしのゴーたんが目に入った。ぽむぽむ、と思わずゴーたんに触れてしまう。ふわふわの触り心地が最高だ。可愛い。


「あー。ゴーたん、聞いてくれ。草壁さんってば、おにぎりであざらしを作ってきたんだけどさ」


 あろうことか、炭と化した物体を、あざらしとのたまった。

 これだけ真っ白でふわふわで、この世のものとは思えないほどに可愛らしいゴーたんと同じあざらしとは、許すまじき行いだ。


「まったくな。あの角が両手とか! ゴーたんを見ろ! この、短くも愛らしい柔らかな手! これがあざらしの手だ! もちろん、本物じゃなくてゴーたん限定だけど!」


 世の中のあざらしは、大体はグレーである。鳴き方もぐおおおっだし、断じて、きゅ、ではない。そんなあざらしも好きだが、春人の中ではゴーたんは特別なのだ。思い入れも強い。


「はあ。……でも、草壁さんもあざらしが好きなのかな」



 だったら、彼女とはゴーたんの話が出来るだろうか。



〝その年でぬいぐるみとか――〟



「……っ。いや、……」



 あの二人目の彼女と同じ反応をされたら、春人は草壁とは二度と口もきたくなくなる。

 だが、本当は分かっていた。草壁なら、そんな酷い反応は示してこないのではないかと。彼女は割と相手の長所を積極的に見出して接している。クラスメートとの挨拶一つとってもそうだ。よく見ているな、と感心する。


「でも、……な」


 ぽむぽむとゴーたんを撫で続けながら、春人はベッドに預けた体と同じ様に沈んでいく。

 人というのは、決して一面だけを持って生きているわけではない。片方が許容範囲でも、全く予想しない方角から許容範囲外の一面は出てくるのだ。

 草壁だって、高校生にもなった男子がぬいぐるみを持っていたり、可愛いものが好きだということに拒絶反応を示すかもしれない。



 付き合った彼女が、そうだった様に。



「……って」



 ――何で、家でまで草壁さんのことを考えなきゃならないんだっ。



 毒されている。毎日毎日登下校を共にし、挨拶が酷いからり込みされてきているのだろうか。だとすれば、由々しき事態だ。いつの間にか、洗脳されて好きだと目をぐるぐるさせながら口走っている可能性がある。


「ああああ、どうして、こんなことになったんだ」

「うん? 何かあったのかい?」

「そう。学校でこの前……って、うわあああ⁉」


 他愛のない独り言に返事をくれた影に、春人は普通に会話をしかけて飛び上がった。全然気配がしなかったと、ばくばく心臓が恐怖で暴れる。


「と、父さん⁉ ノックくらいしてくれ!」

「ああ、ごめんごめん。でも、ノック二十回くらいしたよ? 返事もなかったから、勝手に入っちゃっただけで」

「いや、……ああ。ごめん。どうかした?」

「うん。ゴーたんをぽむぽむしまくる可愛い春人が見れたよ」


 そうじゃない。


 容姿であまり可愛いと見られない春人を可愛いと言うのは、両親くらいだ。変人である。



「返事が無くても入ってきたってことは、用事があったんじゃないの?」

「ああ、うん。久しぶりに剣道を一緒にと思ったけど、自主練は終わったみたいだし。それに……。最近、春人が疲れているみたいだから。何かあったのかなーって思ったんだけど」

「え、……」



 見抜かれていたのか、と春人は体が縮こまる思いだ。毎日、父も母も普通に接してくれていたのに、気付いていたのかと頭が下がる。

 心配させたな、と反省していると、父はにこにこしながら春人の隣に座ってゴーたんをぽむぽむ撫で始めた。


「別に、いじめられてるって感じではなさそうだけど。何かあった? 父さんに話せる?」

「……。……何かあった、けど」


 果たして、この悩みは誰かに相談するほどのものだろうか。

 だが、クラスメートは信じてくれないだろうし、親友に話すのもくだらないかもしれないと気は引けていた。一蹴されるかもしれないが、話してみるだけ話してみるかと腹をくくる。


「実は、……二日前に、クラスメートに告白されたんだ」

「おおっ。春人はモテるね! ……、……それで?」

「OKした」

「ほう」

「でも、怒られた」

「……、……うん?」


 こてん、と父が首を横に傾ける。展開に付いていけなかったようだ。

 誰が聞いても同じ反応になるだろうな、と春人は当時を振り返りながら遠い目になった。


「付き合って欲しいって言われたから良いよって言ったんだけど。どうして振らなかったって怒られた」

「……」

「でも、その日から毎日告白されてる」

「……え。告白されてるんだ」

「うん。ことあるごとに、好きだ、結婚しようって。カッコ良いカッコ良い言われるし」

「へえ」

「……正直、どう反応して良いかよく分からなくて。……何で怒られたかもよく分からないし」

「……」


 だからと言って、断ったら引っ込んでくれるかと言われたら、答えは否だろう。単純な答えでは通用しない気がした。

 父は少し考え込む様にあごに手をかけて視線を下に向けている。右手は変わらずゴーたんを撫で続けているあたり、父も相当ゴーたんが好きだ。


「そっか。なるほどね。それで疲れていたんだ」

「いや、……疲れていたのは、その人が異様なほどにハイテンションというか、よく分からない言動をするからというか、無駄にイケメンというか」

「振り回されてる?」

「……うん……」

「あはは。それは良いね。春人には必要なことかもしれないよ」

「え?」


 父の朗らかな肯定に、春人は目を丸くした。予想外の推奨をされて、困惑が更に大きくなる。


「父さん。どういうこと?」

「うーん。……冬馬君や和樹君は、何か言ってる?」

「え? いや、……基本的に傍観してる」

「そう。じゃあ、今回のお付き合い未満には特に異論はないんだ」

「え。……」


 父の切り込みに、春人は押し黙る。親友二人の反応を指摘されて、心がざわっと揺れた。

 そういえば、あの二人は春人が誰かと付き合うたびに忠告をしてきた様な気がする。やめておけ、という直接な言い方はしないが、歓迎はしていない雰囲気だった。

 しかし、今回はそういった片鱗は無い。

 考えてみれば、変な感じがする。気付いて、妙に落ち着かなくなった。


「父さん。……どういうこと?」

「それは、春人が気付かなきゃね」

「え。でも」

「父さんも、いつかその子に会ってみたいな」

「え。いや、疲れる、……やも」

「そうかな。……実を言うとね、お前は疲れている様には見えるんだけど。同時に、少しだけ楽しそうにも見えたよ」

「――」


 父の言葉に、がつんと何かで殴られた様な衝撃を味わう。ぐわん、と脳内が激しく揺れる様な気持ち悪さが襲った。

 予想外過ぎる相談結果に、春人は迷子の様な気持ちになる。

 だが、いつの間にか立っていた父は、とても嬉しそうに笑っていた。見上げた父が、今の春人にはひどく大きくそびえ立つ様に映る。


「うんうん。春人はしばらく、そのクラスメート? という子と、話してみると良いんじゃないかな」

「……。どうして?」

「今の春人に必要なことが、きっと見つかる。父さんには、そんな気がするよ」

「……」

「大丈夫! 疲労回復のために、今日から父さんも母さんも、料理を張り切っちゃうから! ほら! ゴーたんも応援してくれてるよ! 『がんばれー』って」


 言いながら、父がゴーたんの短い手をぱたぱたと振ってくれる。がんばれー、と妙に高い声で応援してくれるその姿に、ぶっと噴き出してしまった。


「父さん。ゴーたんが困ってるだろ」

「そうかな。こんなに応援してるのに」

「わかったわかった。……うん。ちゃんと考えてみるよ」

「そうかい? ……吐き出したくなったら、誰かに吐き出すと良いよ。それこそ父さんや母さんでも良いし、冬馬君や和樹君でもね」

「うん。……ありがとう」


 結局悩みは解決しなかったが、春人を心配して応援してくれているのは伝わってきた。

 その心が、じんわりと春人の胸を温めてくれる。疲れ切った部分が癒されて安らかに眠っていくのが分かった。



 ――必要なこと、か。



 今は理解出来なくても、いつか分かる日が来るだろうか。

 その日が来て欲しい様な、恐い様な。

 思いながらも、春人は願う様に来たるその日を夢見た。


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