第8話 告白されたから


『須藤君、好きです。付き合って下さい』


 記念すべき最初の彼女が出来たのは、中学二年生になったばかりの頃だった。


 校舎裏に呼び出された春人は、今までもそれなりに告白を受けてきたために何を言われるか予想がついていた。故に、今回も断るだろうその事実に憂鬱になっていたのも懐かしい。


『……、ありがとう』


 ただ、こうして勇気を出して告白をしてくれた気持ちはいつだって嬉しかった。何が理由であったとしても、春人のどこかを好きになって、付き合いたいと思ってくれたことは幸せなことだとも思っていた。

 けれど。


『でも、ごめんなさい。俺、……君と付き合うことは出来ない』


 相手のことを、あまり知らないまま付き合うのは難しい。

 互いに友達だったとか、それなりに話していたのならばまだその先を想像出来るが、言葉を交わしたこともない人を相手に恋人になるという未来図が描けなかったのだ。


 恋人になるのなら、やっぱり好きな人とが良い。


 春人は仲の良い両親を見てきたこともあって、付き合うならお互いに大切にしたい、喧嘩をしても乗り越えていきたい、そんな風に思える相手とが良かったのだ。

 そう言っている内に、彼女いない歴がイコール年齢になるかもしれないとも不安はよぎったが、それでも好きでもない人と恋人になりたいとは思えなかった。

 だから、その時も断ったのだが。



『ねえ。そう言わず、……一度、付き合ってみてくれませんか?』



 その時の彼女は、食い下がってきた。どうしてかと理由を聞くのでもなく、分かりましたと物分かり良く引き下がるわけでもなく、試してみようと持ちかけてきたのだ。

 春人が一瞬固まった隙に、彼女は更にたたみかけてきた。


『お友達感覚でも良いんです。須藤君は私に気持ちは無いかもしれないけど……もしかしたら、付き合っていく内に、好きになることもあるかもしれないでしょう?』

『え。……あ、まあ、……』

『お互いを知らないから付き合えない、って思うのかもしれないけど。だったら、お互いを知るために付き合うのもありじゃないかって、私は思うんです』


 そこまで言われて、一理あるとは思った。


 元々、お見合い結婚なんてものもある。顔も性格も知らないまま婚約を決め、そこから愛を深めていく例も聞いたことがあった。

 今まで相手に気持ちが無いから断ってきたが、ここまで説得するほどに好きになってもらえたのなら、付き合ってみるのもありなのかもしれない。相手に好意を伝えること自体、かなり勇気がいることだ。その上で、自分を知るために付き合って欲しいと踏み込むのは更に勇気を要することなのではないか。


 彼女は、春人を好き。

 だが、春人は別に好きではない。だから、友達感覚でも良い。


 そういう付き合い方は、正直どうなるかは未知数だ。

 それでも彼女の熱意に負けて、春人は頷いてしまったのだ。


『……、分かった』

『……! じゃあ』

『うん。……俺の気持ちがどうなるかは分からないけど。努力は、してみる。それでも良いなら』

『はい! よろしくお願いします……!』


 ぱっと花が咲く様に笑った相手は、華やかな可愛らしさがあったと思う。実際、春人は彼女と接していく内に、彼女に喜んでもらえることは何だろうかと考える様になったし、穏やかに過ごせる時間は好きだった。

 もしかしたら、少しずつほだされてもいったかもしれない。

 けれど。



〝友達感覚でも良いから、付き合ってみて欲しいな〟



 その言葉は、今の春人にとってはもう、呪いの様なものだった。











「失礼しまーす」


 清水を抱き上げたまま、春人は保健室の扉を器用に叩いて開ける。本当は清水に開けてもらえば良かったのだろうが、面倒だったのだ。

 清水はというと、廊下を歩いている間はずっと無言だった。思い切り首を曲げてうつむき、春人の方を見ようともしない。確かに顔の距離が近いし、好きでも無い男子に抱き上げられたら嫌だろう。その辺をもう少し考えれば良かったと後悔する。

 だが、肩を支えながら歩くのは正直しんどい。これが一番手間も時間もかからなくて楽だった。それだけだ。


「先生、いますか? ……」


 扉を開けた時に返事が無かったので予測はしていた。

 しかし、本当に先生が不在だとは。送り狼云々の言葉を思い出し、春人は思わず渋面になる。時間がかかると怪しまれるかもしれないと溜息を吐く。


「清水さん、とりあえずベッドに運ぶね」

「は、……はははははいっ」

「先生に伝えて呼んでもらうから。痛いかもしれないけど、待っててくれるか?」


 なるべく振動を起こさない様にベッドに座らせる。その際、ぎゅうっと清水が腕を掴んで来たが、やはり上から下に下ろされるのは恐いのだろう。こうやって考えなしだから、付き合ってきた相手から毎回別れを告げられたのかもしれないと反省する。

 清水とは一年生の時も同じクラスだったが、ほとんど話したことはない。故に、関係性も希薄だ。

 彼女から特にリアクションが無いことを確認し、春人は保健室を出ようと扉に手をかけた。



「っ、す、す、すすすすす、す、すど、須藤君!」

「――」



 物凄いどもりながら名を呼ばれた。

 驚いて振り返ると、清水は顔を真っ赤にして春人の方を見つめている。ばちっとはっきり目が合って、彼女の顔は益々ますます湯気が出そうなほど赤く染まっていった。

 瞬間。



 ――あ。やばい。



 全く気付いていなかったが、これだけの反応をされれば嫌でも気付く。

 何か言われる前に強引に保健室を出ようかと逡巡しゅんじゅんする。

 その逡巡が、命運を分けた。



「わ、私! 須藤君のことが、す、す、す、……好きです!」

「――っ」



 拳を握って目をつむり、懸命に振り絞る様に思いを伝えてきた彼女に、春人は一寸息を呑んだ。

 後ずさりそうになって、寸でで止める。流石に失礼な行為だと思ったからだ。


 二人きりになる状況を作ったのは、春人だ。落ち度はこちらにある。


 けれど、まさかこのタイミングで告白されるとは想定外だ。今まで告白と言えば、大体どこかに呼び出されてだったので、頭に無かった。

 完全に無防備な状態で告白されたため、心構えが出来ていない。パニック状態とはこのことだろう。やけに変なところで冷静な思考が、春人の凍り付いた反応を分析していた。


「あ、あの。……草壁さんとは、まだ、その。……本当に恋人ではないんだよ、ね?」

「……、ああ。まあ」

「じゃ、じゃあ! 私がつ、つつつつつ付き合っても、いいか、な……ですか⁉」


 迫る様に立候補してくる彼女に、春人は咄嗟とっさに返事が出来ない。

 何だか最初の恋人の時と同じだと、既視感を覚えている間にも彼女の話は続いていく。


「す、須藤君。いまま、で、告白、断ったことないって、き、聞いたの!」

「え。……」

「く、草壁さんも、冗談みたいな言い方、だし! 本気じゃないかも、だし。だ、だ、だから、私もチャンスあるかも、って……」

「……じょうだん」


 何となく引っかかる言い方だったが、確かにはたから見たらコントの様に見えるのも否定は出来ない。

 故に、黙って続きを聞く。――聞いてしまう。


「……わ、分かってはいるの! く、草壁さんの方が、かわいいし、頭もいいし、スポーツもできて、みんなに好かれて、明るくて、私も、すす好きだし! ……え、選ぶんだったら、誰が考えても、草壁さんみたいな女の子を選ぶだろうって」

「……」

「で、でもっ。……、……わ、私も、……ずっと、……ずっとっ。一年生の頃から、須藤君のこと好きでっ」

「え」


 無意識に零れた春人の声は、間抜けの一言だった。無防備な驚きで、彼女にも正しく伝わる。

 やっぱり、と、彼女はさみしそうに笑った。その表情が泣きそうにゆがんだので、春人はぐっと心が握り潰された様に痛む。


「ぜ、ぜんぜん、……須藤君、私が見てたこと、気付いてなかったし。……一年生の頃、二人か三人くらい彼女、いたもんね」

「……。二股じゃないし、誤解されそうな言い方なんだけど」

「ご、ごめんなさいっ」

「いや、……」

「……須藤君と一緒にいる子は、みんな……草壁さんほどじゃなくても、明るい感じの子で、綺麗で、……駄目だとは思ったんだけど、でも、……。……諦め、きれなくて……っ、あ、焦っちゃって、……二人きりになるのだって、全然、無かったから、ちゃ、チャンスだと、思って」


 だから、と。彼女は言葉を切って、俯く。ぎゅうっと膝の上で握る両の拳が震えているのを目にして、春人は視線と一緒に気持ちも下がっていく。

 清水の様な告白の仕方は初めてだ。今まで気持ちを伝えてきた人達は、全員――何というか、己に自信がある様な人種ばかりだった。

 振り返ってみればそういう傾向があるなと今まさに気付いたくらいだが、そんなに卑下ひげしなくても良いのにと思ってしまう。


 春人は、そんな風に一生懸命告白される価値は、無い。


「く、草壁さんが、あんなに好きだって言ってるのに、まだ恋人になっていないのは、……す、す、須藤君は、草壁さんが好き、っていうわけじゃないんだよね?」

「……え、っと」

「だ、だったら、……わ、わ、私も、……私と、……付き合ってくれません、か」

「……清水さん」

「友達でも良いんです!」

「――」


〝お友達感覚でも良いんです。須藤君は私に気持ちは無いかもしれないけど……〟


 今までの恋人とは全く違うタイプなのに、告白で出てくる言葉は同じなのか。


 彼女まで、友達からで良いと迫ってくるのか。


 何故、春人に告白する人間は誰も彼もがそうやって、友達から始めようと、気持ちが無くても良いから恋人になろうと訴えてくるのだろう。

 あの一人目の彼女の時から、全員そう。

 全員、付き合って自分を知って欲しいとねだってくる。取り敢えず付き合ってみようと誘ってくる。

 一人目も、二人目も、三人目も、四人目も、その後も。

 まるで。



〝――ねえ。友達からでも良いから、お願い〟



 呪いだ。


「……、……俺」


 草壁とは恋人ではない。


 だから、今彼女と付き合うことを承諾したって浮気にはならないのだ。草壁ファンからは総攻撃を食らいそうな気がするが、毎日の『好きだよ攻撃』からは逃れられるかもしれない。

 それは良い案だ。清水の言う通り、あの日から春人は特に女性の告白を断ることもしなかった。今、清水と付き合い始めても不自然ではない。

 だったら――。



〝見損なったよ、須藤君! 君は、今! 私を完璧に、それは微塵みじんに、それこそ叩き潰す様に振るべきだった!〟



「――――――――」



 不意に、彼女の言葉が殴る様に頭の中で木霊する。



 告白を、断ってこなかった。

 だから、清水の告白を断るのは不自然ではない。

 けれど。


〝須藤春人君! 私はここに宣言しよう! ――君が私の告白に答えるまで、私は君に告白をし続けると!〟


 けれど――。



「……、……ごめん」

「――」



 するりと落ちた言葉は、拒絶だった。

 清水の表情があっという間に暗く陰っていく。だんだんと目が濡れていくのが見て取れたが、それでも春人は撤回することはなかった。


「確かに、草壁さんとは恋人じゃない。……俺もどうして恋人じゃないか未だによく分からないんだけど」

「……っ、え……っ?」

「でも」



 彼女だけは、告白の時に呪いの様な言葉を吐かなかった。



 今更ながらに気付く。

 あの時、春人は混乱するだけだったが、彼女の自信満々なその告白に呪いを感じなかった。

 今までの彼女だって、己に自信がある人種ばかりだったのに、何が違うのだろうか。友達、という単語を使わなかっただけではない気がする。

 それを、春人は知りたい。


「草壁さんの告白に、俺、まだちゃんと答えていないんだ」

「……、須藤君」

「だから、……ごめん。俺自身、どうしてそう思うのかよく分からないんだけど。彼女への答えが出るまでは、俺は誰とも付き合わないよ」


 ごめんなさい、ともう一度断って春人は頭を下げる。


 彼女からの返事は無かった。ただ静かに泣く様な気配が揺れる。

 だから、春人は後ろ髪を引かれる気持ちを断ち切って、保健室を出た。たん、と扉が閉まる音は、久しぶりに自らの手で誰かとの繋がりを切る響きに聞こえた。


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