第2話

 ー翌日、早朝


 ピピピー!


 朝の目覚ましアラームに眠りを起こされた竹内寛は、手を伸ばして目覚ましの音を止める。まだ眠い目を擦りながら彼は室内のカーテンを開けて、眩い外の景色を眺めた。


 高級マンションの30階に住む彼は、眼下に広がる街の景色をしばらく眺めて、フゥと深い溜息を吐き室内へと戻る。


 室内はリビングや寝室を問わず彼の脱ぎ捨てたスーツや、読みかけの本等が散乱していた。その室内を歩き、彼は普段着に身を包みスマホや財布、車のキーをポケットに入れ地下の駐車場へと向かう。


 地下に駐車してあるマイカー、レクサスLC500に座り込み、エンジンを始動させ車を目覚めさせる。軽くアクセルを踏み込むと、ブオンッ!車は心地よい咆哮を上げる。V8エンジンサウンドの重低音も室内に良く響いて来た。


 油圧計が上がるのを確認してから竹内は車を発進させた。


 市街地をラグジェアリーなスポーツクーペの車で走行する竹内は、昨日…突然訪れた意外な事に戸惑い、どうしても確認して置きたい事があって車を走らせる事にした。


 ~昨日、夕刻…


 寛は堀川と久保と言う人物と会って話をしていた。


 彼等が寛に持ち掛けて来た内容は里親になってもらうと言う条件だった。


 「ちょ…ちょっと待ってくださいよ、何故僕がいきなり里親になるのですか?」


 寛の発言に彼等は納得の表情で頷く。


 「まあ…いきなり言われると戸惑いますが、こちらも貴方の父親である竹内稔様から、貴方への紹介を受けて話を持ち掛けた次第です」


 竹内稔と言う言葉を堀川の口から聞いた寛は『アイツめ…』と、少し渋った表情で実家にいる父親に対して不快感を募らせた。


 「で…僕に引き取って貰おうとしてる子供は、最近問題になっている児童虐待にでも遭った子なのですか?」


 「違います、両親が突然の事故に遭って身寄りの無い子です。竹内家とは遠い親戚になる子で、血縁関係も血は薄いと思われます。名前は広沢愛菜と言う子です」


 それを聞いた寛は腕を組んで首を傾げる。


 「聞いた事無いな…我が家の親戚なんですか?」

 「はい、曾祖父の血縁関係でして貴方とは…はとこになる子です」


 堀川は事前に解りやすく作成してあったを寛の先代からの血縁関係図を広げて見せる。


 「へえ…我が家の親戚の図なんて、始めて見ましたよ…」

 「貴方が里親になって頂く愛菜ちゃんは、今年小5になる10才の子です」


 それを聞いて寛はドキッとした。


 「ま…まだ義務教育の子を預かるのですか?」

 「はい、そうです」

 「不安ですか?」


 寛の反応を見た久保が、それまで閉ざしていた口を開いた。


 「もし…無理と思われるなら、施設で預かる為の手続きをして貰いますが…」


 久保の言葉に寛は戸惑いを隠せない表情をする。


 「我々施設の職員から言わせれば…身内に引き取りてが居る子は、そちらに行って頂けるのが一番と言えますね。幼い子は一般的な家庭で育つのが一番です」

 「ですが…自分はまだ独り身ですよ。子育てなんてした事がありません」

 「その辺は心配なさらなくても宜しいかと思います。彼女は両親にしっかりと教育されていて、自分の身の回りの事は何でも出来ます。まだ…施設に来て日も浅いのに、こちらでは既に年下の子の面倒も観れる程、面倒見の良い子です」

 「そ…そうでしたか」


 反論の余地が無いと感じた寛は、少し頭を悩ませた。


 「今直ぐに返答を求められますか?」

 「出来れば週明けまでにお返事頂ければ有難いですね」


 それを聞いた寛は鞄からスマホを取り出して画面を開く、今度の月曜日が振替休日であるのを確認する。


 「来週の火曜日まで待って下さい、出来るだけ早急にお返事します」


 堀川と久保は寛の返事を聞くと、納得した様な笑みで頷いた。


 「分かりました、では…こちらが私のスマホの電話番号です。お気持ちが決まった時に連絡をしてください」


 堀川は電話番号が書かれた紙を寛に渡す。彼等は別れ際に握手して面談を終える。


 ~現在…


 レクサスLC500を走らせる寛は首都高を西へと向かう。


 10速セミオートの車を、パドルシフトで操りながら彼は車を走らせた。エンジン回転を上げ、唸り声を出させながら首都高を走行する。しばらく高速道路を走り続けると料金所が見えて来た。ETCレーンを潜り抜けると、首都高は東名高速道路へと切り替わる。


 寛を乗せたレクサスLC500は、更に西へと走り続ける。


 高速道路が首都圏から遠ざかるにつれて周囲は高層ビル群が立ち並ぶコンクリートジャングルから、マンション住宅へと移り変わり、更に一戸建ての家が立ち並ぶ住宅街へと景色が変わり…やがて、木々や山等に囲まれた景色が視野に広がる。


 途中サービスエリア等で休憩しながら約3時間程高速道路を走り続けて、寛はハイウェイを降りて行き料金所を通過する。


 インターチェンジを抜け出ると、周囲は長閑な市街地が周囲に広がっていた。寛は車を北へと走らせる。首都圏の様な賑やかさとは皆無の様な落ち着いた雰囲気の市街地を進み、建物群を少し進むと辺りは閑静な住宅街が広がる。


 寛は途中、市街地の外れにあるショッピングモールへと立ち寄り、そこで買い物を済ませると、再び車を走らせた。


 しばらく進むと、周囲の景色は園地帯が広がり始める。すし詰めの様な建物群とは異なり、遥か遠くの山が眺めれる程の景色が広がり始めて来た。対向車線を走る車の数も減り、1時間程すると、すれ違う車さえ無くなる。


 やがて景色は山道へと切り替わり、山道の奥に向かう途中、道の駅で寛は休憩を取る事にした。国鉄時代の駅舎を感じさせる様な木材のみで建てられたログハウス。建物の中は、おみやげコーナーや食堂の他に、リラックス出来る空間や子供達が遊べる場所も用意されていた。時刻は昼過ぎ、彼は道の駅で軽く食事を済ませる。


 早朝、マンションを出てから約3時間半近くが経過していた。彼は時計を見て『あと少しだな…』と、頭の中で呟く。


 寛は食堂に設けられたテレビのニュースを何気なく見ながら休憩を終わらせ、車へと戻ろうと席を立とうとしたときだった。


 出入口の自動ドアが開き、30代過ぎの男性が1人入って来た。彼は寛を見付けると「よう!」と、軽く手を振って近付いて来た。


 「久しぶりだな竹内、こっちに戻って来る事にしたのか?」

 「いや…違う、ちょっとね実家に戻ろうと思ってね…」

 「実家だって!親父さんに何かあったのか?あの親父さん先日、軽トラで山道を派手にドリフトしながら、峠を攻めていたはずだけど…」

 「親父だったら、仮に山道から崖に転落しても生きていると思うよ。今回は別件の用でね…」

 「そっか…まあ、久しぶりの里帰り、くつろいでいきなよ」


 男性は声を高らかに笑い出す。


 「それじゃあ…家に行くから、失礼するね」


 寛は男性に手を振って別れる。


 「ああ…元気でな」


 男性は寛の後姿を見送った。


 道の駅を出た寛は車に乗り込み、エンジンを始動させ目的地を目指して走り出す。


 木々が生い茂る森の道を30分程進むと、前方の視界が開け、目の前に数件立ち並ぶ集落の様な場所が現れた。


 明治時代から昭和初期に戻った様な錯覚を感じさせる家々が、周囲に点在していた。どの家も住居の前には丸い形をした大きな石を積み上げて、入口の坂や家の土台にしていた。その家々が立ち並ぶ一番奥の家へと寛は車を進ませる。


 寛は一番奥にあり、そして集落の中でも一際大きい家の前に車を停めた。


 車から降りた寛は周囲を見渡した。都会の人波の賑やかさとは無縁の、自然に囲まれた我が家…何処からか聞こえて来る野鳥の鳴き声と、自然の山から吹く風のみの音しか聞こえて来ない場所…寛は、改めて自分が生まれ育った家を眺める。


 車の助手席に回り、ショッピングモールで購入した物が入った買物袋を片手に、彼は家の前へと向かう、は木材で作られた門があり、かなりの年季が経過している様で、大分古さを感じさせる作りだった。門から周辺は塀があり、山奥でありながらも…昔はかなり身分の高さがあったと感じさせられる佇まいだった。


 寛は門の戸を開けて、玄関まで歩いて行く。玄関入口の横に付いているチャイムを鳴らした。


 ピンポン


 古いベルの様な効果音のチャイムが家の中に響いた。しかし…家の中からは返事が聞こえなかった。


 「はあ…」


 寛は少し呆れた様な溜息を吐き、家の裏手へと歩いて行く。


 家の裏側へと向かうと、縁側付近に白髪の70代後半の男性が、野放ししている鶏に餌を与えていた。


 「やあ、親父…しばらく振り」


 寛は男性に向かって軽く挨拶をした。


 父親は寛を見るなり不機嫌そうな表情を浮かべる。


 「フン…盆や正月に顔を見せないと思ったら、連絡無しに突然現れおって…何の用だ一体?」

 「ちょっと確認したい事があってね」

 「何の確認だ?俺は忙しいんだ、無駄話している程暇では無いのだよ。要件だったら簡潔的に済ませて貰おうか」


 『全く…』


 偏屈者め…と内心思った寛は、手に持っていた買い物袋を父親に差し出す。


 「差し入れだよ」


 寛から買い物袋を受け取った父親は袋の中から和紙に包まれた一升瓶の酒を見て「ほお…」と、頷きながら少し表情が和んだ。


 「まあ…必要とあらば、ゆっくりと話を聞こうじゃないか」


 少し嬉しそうな顔をしながら父親は寛を見る。


 2人は居間へ向かい、木製のテーブルに酒と一緒に買った摘みを漆塗りの椀の中へと開ける。2人は互いの盃に酒を注ぎ込み、乾杯を酌み交わす。


 酒を飲んだ父親が寛の顔を見て改めて尋ねた。


 「で…話は何だ?」

 「とぼけるなよ、相談無しに勝手に児童相談所に僕への里親の件を持ち込みやがって」


 それを聞いた父親は、少し考え込んで「ああ…」と、思い出した様な口調で返事をした。


 「あれか…まあ、最初は俺の所に話が舞い込んで来たのだが、お前の方に譲ったまでだ…何か問題でもあるか?」

 「大いに問題だよ、勝手に話を進めてくれたせいでね…」

 「フン…考えても見ろ、俺はもう80歳近くだ。それに妻も先立たれ独り身だ…。独り身で幼い子供を預かるには少し労が大きすぎる、何よりもここは山奥でもある。こんな場所で子供を預かるよりも、都会に住むお前の方が良いと感じたまでだ…。まあ、お前が無理と思うなら、施設に預ければ良いまでの事だ」


 父親の話を聞いて少し納得した寛は居間の隣に飾られている、亡き母の遺影の写真を見た。


 母は、寛が大学時代に不治の病で帰らぬ人になった。母が亡くなった後、家は父親だけになり、寛は地元に帰る決意をしていた…。その時期に大手企業の内定が決まり、どうしようか迷っている時に父親に電話で話すと…


 「自分の事ぐらい、自分で決めろ。いちいち親に頼るな!」


 と…あっさり電話を切られてしまい、それ以降寛は母の墓参り以外で父親との連絡はほとんどしなかった。


 「それにしても…身内に広沢なんて苗字が居たなんて昨日始めて知ったよ」

 「曾祖母の家系だ、直接会う事も無いから知らないだろうけど…一応、我が家の家系とは縁のある家だ。まあ…血の繋がりは薄いから、相手が16を過ぎてから、そのまま籍を入れてしまっても問題はながな…早ければ、7年後には孫の顔が拝めるな」


 父親は少しニヤけた表情で言う。


 『変人め』

 寛は内心で呟いた。


 その後2人は世間話を始める。父親は一升瓶の酒が空になると、寛に「もう無いのか?」と、尋ねる。


 「一本しか買って来なかったよ」

 「仕方ないな…」


 父親は席を立ち、台所へと向かうと、ウイスキーと氷と水の入ったペットボトルを手にして戻って来た。


 コップに氷を入れウイスキーを注ぎ込み、水を足してスティックでよく混ぜてから、クイッと喉を潤す。


 「ところで親父は広沢愛菜と言う子って…どんな子なのか知って居るの?」


 寛の言葉に父親は少し首を傾げた。


 「確か…あの子だったと思うな、母の葬式の時に家族で来た子だと思うが…」

 「どんな子だったの?」

 「あれは~…まだ、2、3才くらいで…ぽっちゃりとした、眼鏡を掛けた子なんだよ」

 「はあ…?」


 寛は少し呆れた声で返事をした。2~3才で眼鏡掛けているなんて、どれだけ弱視なんだ?…と、言いたくなった。


 『ラノベの様な展開を現実で期待し過ぎるのはダメか…』


 少し溜息交じりに寛は肩を落とした。


 「まあ…多分可愛い子だと思うから、大事にしろよ」

 「そう…だね…」


 苦笑しながら寛は返事をした。父親は、久しぶりに家族が来た事もあり、夕食の支度をして、親子は数年振りの団欒の食卓をした。


 その日、親子は居間で寝静まる。


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