第20話


 リンゼは翌日、騎士団長率いる兵士五百名と老婦人を一名、そして幼い女の子を一名連れて国境へと出発した。


 このまま進めば、リンゼ達一行と、ハンナの軍は国境の森でぶつかる。


 そここそが、リンゼの戦場であった。


 リンゼは国王に作戦の内容を説明し、作戦に納得した国王は急遽、仮の参謀の称号をリンゼに与えた。


 イギルはとても平和な国であり、騎士団イコール城を守る警備隊と同じ意味を成していた。今回集まった五百名の兵士は強国ハンナとの戦いに恐れを成していたが、リンゼは出発前に兵士に勇気を与えるため、声を掛けたのだ。


「大丈夫です! 貴方たちは血を流しに行くのではありません。ハンナとをしに行くのです。貴方達の命は僕が保証します!」



 リンゼ達は、急いだおかげでハンナ軍よりも先に国境の森へとたどり着いた。

 そして、じっと身を潜め夜になるまで待つ。


 夜になると、森のある一部が明るんでいた。それはハンナ軍だった。彼らは強国であるが故に大胆に野営していたのだ。


 リンゼはその野営地へと近づき、一緒に連れて来た婦人と女の子に言った。


「それでは、作戦に入ります」


 リンゼが唯一ともしていた蝋燭明かりを消すと、作戦が始まった。





 ハンナ軍の野営地は暗かった。


 夜だからでは無い。

 兵士達の雰囲気が暗かったのだ。


 それも無理は無い。


 此処に集められた三千の兵士達は、ハンナの年老いた元兵士だったのだ。

 そして指揮官のヒックスも今年で六十三歳になる高齢騎士だった。


 ハンナは戦の国。

 まっとうな兵士は一年中国土を広げるために遠征を繰り返す。

 いつだって戦場は人手不足で、若い男たちが必要だった。しかし、戦いは終わる事なく、何年も何十年も続いている。


 そんな中、国の状況など全く顧みない王子がイギルへ出兵せよ! と言い出した。

 ハンナの騎士団としては今すぐイギルへ出兵出来る若い兵士など居なくて……かと言って、怒り心頭のルイス王子はとにかくイギルへ行けと言う。


 イギルは長年の平和を保つ、弱国だ。

 年老いた男達……要は兵役を終えた男たちでも十分事足りるから、そいつらを掻き集めて連れて行けと言ったのだ。


 そんな訳で、此処にいる三千の兵士達は超高齢兵士達の集まりだった。

 老兵士達は、もう戦いたくなかった。

 やっと、命からがら生き延びて、後は限りある余生を楽しもうと思っていたのに、王子のプライドだけのために、イギルへと出兵しなければならない。


 指揮官ヒックスもまた、同じ気持ちだった。本当なら兵役も終えて、静かに暮らしたかったのに……。

 こんな戦う意欲もない国と戦っても、何も得る物も無いというのに……。


 ヒックスはそんな思いを胸に抱きながら、老兵士達から少し離れた一際立派なテントの前で星空を眺めていた。


 ――その時、ヒックスを照らしていた火の灯りが消えた。


「灯りが……」

「誰か、松明を……」


 と、側近が松明を取りに闇夜を駆け出した時、子供の……女の子のすすり泣く声が聞こえた。


「……ん、えーん」


 場違いな場所で響いた子供に声に、この世のものでは無いかもしれないと背筋が凍ったが、子供の声は鮮明で気が付けば、ヒックスの隣に7歳ぐらいの女の子が立っていた。


 赤毛の三つ編みをした女の子。

 思わず、ヒックスは叫んだ。


「リリーナ!?」


 それはヒックスが退役後、猫可愛がりしている孫娘のリリーナにそっくりの少女だった。

 泣きじゃくるリリーナに似た女の子。


「ど、どうしたのか?」


「……えっ、えっ……動かないの……」


「何がだ?」


「お父さんもお母さんも……弟も動かなくなっちゃったの……」


「襲われたのか? 両親と弟はどこにいる!?」


 ヒックスは孫に似た娘にすぐに感情移入し、両親たちを探そうとする。


「ううん、動かなくなって、燃えちゃったの……私の家に知らないおじさん達が入って来て、お父さん達をいきなり剣で刺して、それから家を燃やしちゃったの……」


 良く見れば、その娘の背中にも大きな矢が何十本も刺さり、血が流れていた。


「お前、怪我をっ! 手当をする!」


 女の子は首を振る。

 そして、言った。


「……私よりも、あの人を助けてあげて……」


 と、女の子が遥か向こうを指差した。

 ヒックスは導かれる様に、女の子の指の先を見ると、そこには地面に倒れた妻のジーナが居た。


「え、じ、ジーナ!?」


「た、助けて、助けてーー!!」


 しかし、目を凝らして見れば姿恰好が似ている別人で。

 その女性の背後から兵士が現れた。

 その兵士は煌めく剣をその女性に突き刺そうとしている。


「た、たすけ」

「ジーナ!!」


 裂くような悲鳴が上がった。

 いつの間にか、女の子も消えていた。


 ヒックスは家族が殺された様な、悲壮感が漂う。手足に力が入らず、その場に崩れ落ちて頭を地面に埋めた……。



 ……すると、項垂うなだれるヒックスに囁く声が響いた。



「……貴方は、今の光景を見て、どう思いましたか?」


 崩れ落ちたヒックスの元へ、一人の青年が現れた。やや癖のある黒髪に漆黒の目をした、気怠そうな雰囲気の細身の男。

 深緑のマントを羽織り、ヒックスはそのマントでこの青年がイギルの兵士だと理解する。


「き、貴様!? 何処から!?……こんな茶番を見せて、儂を騙したつもりなのかっ!?」


「いいえ、違います。騙していませんよ。これは真実です」


「何だと!?」


「ヒックス指揮官、貴方は今からイギルへ踏み込み、何万もの家族を失い、悲観するを作り出すのですよ」


「…………!」


「貴方もこの戦いが意味の無い事をご存じでしょう? 貴方だって余生はゆっくりとハンナで暮らしたい筈だ」


 ヒックスの気持ちも青年の言う通りだった。

 しかし、


「…………私は戦わずに帰れば、国の恥となり、家族もどうなる事やら……」


「……ふむ、そうですね、あと半月ですか?ルイス王子が遠征に行くのは」


 リンゼは顎に手を置いて考え、それから言った。


「では、あと半月。戦う振りをしましょう」


「は?」


「みんなで、この森でチェス大会でもしましょうか」


「は?」


「そして半年経ったら、みんなの足に包帯でもぐるぐるに巻きつけて帰りましょう。年寄りだから負傷者が増えて、もう戦えないとでも言って。きっとその頃にはルイス王子は居ないでしょうし、遠征から戻った頃にはイギルなんてどうでも良くなっていると思いますよ。そうすれば貴方のメンツも保たれて、イギルも平和で、お互いのためになると思いますけれど?」


 とんでもない案を言い出す青年。


「……お前、名は?」


「イギル王国、騎士団参謀のリンゼ・オイト・ハイラインです。さて、チェス大会は明日からにしましょうか? 賞品もたくさん持ってきたんですよ?」


 と、もうすでにチェスをしようと決めたリンゼのリュックから、立派なトロフィーが飛び出して来たのを見て、ヒックスは呆然とし、そして時間差で笑った。


「……は……はっはっは! なるほど! ゲームで国取り合戦という訳ですな!」


 ヒックスは面白い! と立ち上がり、そして言った。


「最高の戦争だ! 受けて立とう!」


「ふふ、言っときますが、僕はイギル王宮では負け知らずですよ?」


「なにを、本当の戦場を知らぬ小童の技術などに、この儂が負ける訳が無い!」



 ――こうして、イギルの兵士とハンナの老兵士達は半月の間、チェス大会を繰り広げる事となった。


 そのチェスを見守る兵士達の歓声は戦う雄叫びに似ていて、周囲の村からは森で壮絶な戦争をしている様にしか見えなかった。


 そうして、森で出会ったイギルとハンナの兵士達は半月も経つと国も年齢も越えた友情賞品を手に入れて、自分の国へと帰って行ったのだった。


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