第16話


「……あれ? 父上はまた不在ですか?」


 最近は執務室に宰相エルレーンがあまり居ない。


「宰相様は国王代理でルイス王子の接待へ行きましたよ。今しがた出た所ですから、追いかければ間に合うと思いますけど」


 と、執務室にずっと居た同僚が教えてくれた。リンゼは今すぐ宰相の書類のサインが欲しかった。


 今日はルイス王子が来ていてその相手に捕まった父は、しばらく帰って来れないだろう。

 その前にこの書類にサインが欲しい。



 ――ここ数か月。


 国王のお加減がよろしくない。

 持病の心臓の病がだいぶ悪化している様だった。

 それを心配した周囲の家臣達は国王に全ての負担がいかない様、代理が出来る所は臣下がやる事にしていたのだ。


 だから宰相であるエルレーンも、国王代理としてルイス王子のお相手をする事も多々あったのだ。


 リンゼは執務室から小走りに走り、ゆっくりとテラスホールへと歩いて行く父親の後ろ姿を見つけた。


「父う――」


「エルレーン宰相!」


 横から威勢の良い声が響いた。


 リンゼが思わず足を止めると、父親の元へルイス王子が大股で歩み寄って来たのだった。

 プラチナブロンドを襟足まで伸ばし、透き通るような青い瞳。

 端正な顔立ちに恵まれた体躯。


 ここ数年は運動をして鍛えていたリンゼだが、元々あまり筋肉が付かない体質で、効果は表立って見られなかった。

 逞しい体付きのルイスと比べると同性として恥ずかしくなるレベルだった。


 前を歩くガリガリの父の遺伝子を恨みたくなる。

 そのやつれた父親とルイス王子は何やら楽しそうに談笑し、それから、リンゼの存在に二人は気が付いた。


「おや、リンゼ。丁度良い所に。ルイス王子、こちらは私の息子のリンゼです。年は王子の二つ下になります」


「おお! 噂では聞いていた。君がリンゼか」


「……初めまして。リンゼ・オイト・ハイラインです」


 ルイス王子はツカツカと歩み寄り、グッと強い力でリンゼと握手をした。


「……王子、僕の噂とは?」


「国王がエイミー姫には幼馴染みがいると聞いていて。……そうか」


 少し意味深にリンゼを見下すルイス王子。


「エルレーン宰相、少しリンゼをお借りしてもよいですか?」

「え……何故なにゆえでしょうか?」


「小さい頃のエイミー姫について、聞きたいのだが」


「そうですか。ではリンゼ、少しの間ルイス王子のお話相手になりなさい」


「はあ、父上がこれにチョチョイとサインしてくれたら、いくらでもお話相手になりましょう」


 と、リンゼは父親に書類を差し出した。

 そのぶっきらぼうな態度に、ルイス王子は「噂通りの面白そうな男だ」と呟いた。





「すまないね、君の姫を奪う事になって」


 人気の無い庭園で二人きりになった途端、ルイス王子はそんな事を言った。


「君とエイミー姫は幼い時からとても仲睦まじかったと聞いた。確認しておきたかったのは、君はエイミー姫は深い関係……では無いよね?」


「違います」


「そうか。安心したよ。僕は嫉妬深い性格でね。自分の妻には清廉潔白でいて欲しいのだよ。エイミー姫はあんなに女性として美しい容姿を持ちながら、それを表出す事もせず、慎ましく、清らかな女性。実に私の妃にふさわしい」


「女性に清らかさを求める割に、ご自分は寵姫をたくさん囲っているとか聞きましたが?」


「……しょうがないだろう? 私はいつ戦で死ぬか分からないハンナの跡継ぎだ。多くの子孫繁栄が必要なのだ」


「その中に一人に姫様を放り込む訳ですね…………僕は貴方の事情など、どうでも無いんです。ただ、僕は純粋に姫様を幸せにしてあげたいんです。貴方との結婚が姫様にとって幸せなら僕だって素直に引き下がりますが、そうじゃない。だから、僕は貴方と闘うつもりです」


「ほう! それはそれは。その細腕でどうやって私に勝つのだ? 君は剣一つ扱えないと宰相殿は愚痴を溢していたぞ?」


「戦いません。何故なら、このイギルに武力は必要無いからです」


「私の匙加減で、ハンナがイギルに攻めるかもしれないのに?」


「そんな事、僕がさせません。ために闘うんです」


「……なるほど。平穏が続く国と、戦続きのハンナで育った私には考え方が違うのだろう」


「そうですね、仮に僕がハンナで育ったのなら、真っ先に剣を習っていたでしょう。しかし、ここは平穏なイギル。使いもしない剣術に時間を奪われるより、戦わない努力に全てを費やせば良いのです」


「……それもこれも、エイミー姫のためなんだね?」


「そうです。エイミー様は真面目で機転も利いて、長年の努力の賜物で博学ですが、要領が悪く、周囲からのプレッシャーに本番では上手く対応出来ず失敗し、落ちこぼれの様な印象を持たれています。僕はそんな姫様に寄り添って、伸び伸びと実力を発揮して生きる基盤を作って差し上げたい。僕は姫様がイギルで幸せに暮らすために、勉強をしてきたのですから」


「……ああ、実に美しいお話だ。物語の様だ。しかし、現実は私とエイミー姫の結婚は間近で、君の理想は叶いそうになさそうだ」


「まだ半年あれば、何か変わるかもしれませんよ」


 ルイスはふっと笑い、


「そうか、では私は妃を奪われない様に努力しないとな。君は面白い。もしもハンナで出会っていたら私の腹心ぐらいにはしたいと思えたよ。では、失礼する」


 そう言い残すと颯爽と去って行った。


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