第4話


 それから、リンゼは母親の庭に咲いた花をちょくちょくエイミーの座る特等席に飾る様になった。


 花の咲いた席に座り勉学に励むエイミー。

 時折顔を上げて、花を見つめ微笑むエイミーを見るのが、リンゼは大好きだった。



 ――その日の朝も、リンゼは泥だらけの顔をして大量の勿忘草わすれなぐさを抱えていた。

 そんな息子をずっと無表情で眺めている母親に、前々から聞いてみようと思っていた事を思い出した。


「母上、お聞きしたい事があります」


「なんでしょう」


「初心者がガーデニングを始めたいのですが、どうしたら良いのでしょうか?」


「リンゼや。母はその言葉をずっと待っていました。貴方はついに母が丹精に丹精に育てた花を根こそぎ持っていく事に罪悪感を覚えたのですね?」


「いえ、それは全く思っていませんが、姫様が自分で花を育てたいそうです」


「なるほど。では、母の虎の巻を渡しましょう」


 母親は用意していたとばかりに、一冊の書物を即座にリンゼに渡した。

 きっと内心は息子が綺麗に咲いた花を狩り尽くす行為に静かに怒っていたのだろう。


 しかし、リンゼはこの寡黙で合理的で話が早い母が大好きだった。


 リンゼは早速、大量の勿忘草わすれなぐさと共に虎の巻をエイミーに渡した。


「わあ、嬉しいです!! これで、私の庭にもお花が育てられます」


 書物を抱きしめて、零れる様な笑顔をリンゼに向けるエイミー。

 リンゼはその顔を見るだけで、胸がきゅうと苦しくなる。


「城の図書館には植物辞典はあっても、育て方の本は無くて……」

「力仕事は手伝い……ますよ」


「まあ、本当に? 早速、育てたい植物がありまして……」


 エイミーは図書館の植物辞典を開き、アレコレとリンゼに説明する。

 しかし、その植物の選択にリンゼは首を傾げた。


「なんで、これなんですか?」

「家族のためです。サンルームを改造して温室も作らなければ! 結構大仕事ですよっ」


 ふふふ、とエイミーは笑った。


 それから、二人は図書館で会う以外にもエイミーの庭でガーデニング造りも始めた。





 その日の夕暮れ。

 リンゼは今日も勉強にガーデニング造りに充足感を感じながら、城下町の高級市街地にある我が家へと帰る途中だった。



「……リンゼ? リンゼ・オイト・ハイライン……か?」



 聞き覚えのある声にリンゼはピタリと足を止めた。

 振り向くと、今は懐かしい聖ミハエル学院の濃紺の制服を着た、真っ直ぐの金髪を綺麗に揃え品のあるインテリ顔を持つジミル・ハイツ・グレーテスが立っていた。


 ジミルはリンゼと同い年のイギル国最高裁判長の子息で、学年トップクラスの頭脳を持つ秀才だった。


 ガーデニング帰りで全身泥だらけのリンゼと、きちんと身だしなみを整えて名門学校の制服を着こなすジミル。


 まるで姿は王子と乞食の様。


 ジミルはリンゼの全身をジロジロと見て、鼻で笑い、口を開いた。


「やあ。最近は学校に来ないで何をしているのかと思ったら、君は農夫の手伝いにでも行っているのかい?」


「……」


「まあ、手に職を持つのは素晴らしい事だよ! 僕もね、今度ウェークリー先生の授業を受ける事になったんだ。僕の年齢で法学科クラスに飛び級したのは珍しい事なんだって」


「へえ」


「まあ、農夫になる君には縁のない話だったかな? じゃあ、また学院で……会えたらね!」


 クククと笑い、去って行くジミル。

 相変わらず一方的だなとリンゼは呆れていた。


 リンゼは昔からジミルに何かとライバル視されていた。

 きっと、自分が宰相の息子で、彼が最高裁判長の息子だからだと思う。


 今よりもっと幼い時は普通に学院に通い、なんでもそつなくこなすリンゼはクラスでトップを取っていた。

 ジミルはいつも次席だった。

 それに嫉妬したジミルは、クラスの級友達にリンゼの悪い噂を流し、クラスで孤立させ、しまいには虐めの対象とさせられたのだった。


 物事に関心の薄いリンゼは、虐めをあまり深く考えて居なかったが、ある日、ふざけた級友が、リンゼの腕をナイフで切りつけた事で事態が大きくなってしまった。


 その少年もただの脅しで、本当は切り付けるつもりなど無かったのだ。


 リンゼは殺傷事件やジミルの止まらぬ嫉妬を見て、自分がこの学院に来ても誰も幸せになれないと悟り、学院に行くのを止めてしまったのだった。


 そして、数か月の間。家でぼんやりしていた時、父親からエイミーの相手をしろと言われたのだ。





「――リンゼ?」


 思いに耽っていたリンゼの目前に、大きなエメラルドの瞳が映る。

 リンゼはエイミーに至近距離で見つめられている事に気が付き、物凄い速さで後退した。

 背後に置いてあったくわの先が踵が当たり、ガンッと音を立ててリンゼの後頭部に柄の部分が当たった。


「だ、大丈夫ですか!?」


「平気です。掠り傷です」


「いえ……棒が当たったので掠り傷ではないと思いますよ……?」


「本当に本当に、ご心配なく」


「ふふ、変なリンゼ」


 リンゼも自覚していた。

 エイミー以外にはこんな変な言動はしないのに、エイミーの傍に居ると変な事ばかり言ったりしている自分が居る。


 それが何なのか幼いリンゼには分からなった。

 でも姫が笑うなら、一緒に居られるならば、変なリンゼでも良いかと思っていた。

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