リング

 絶対に嫌だ、ビールを十杯驕られても嫌だ、誰が何と言おうとあり得ない、嫌だと言ったらいやだ断る。巨大なパフェを前に、トーマは頑なに拒絶の言葉を繰り返した。


「トーマス」

「トーマスって呼ぶなっつってんだろうが、ボコるぞ」


 トーマの不機嫌そうな顔にもめげす、シンイチは忍耐強い笑みを浮かべ、じっと待っている。結局は面倒見の良い一面のある彼が折れるのを。


「だーかーらー、そんな顔しても無駄。いくらお願いされても、嫌なものは嫌だっての。なんでお前の婚約指輪を買うのに付き添わなきゃならないんだ、ええ、シンイチローよぉ」

「トーマス」

「コロスぞ、てめえ」

「カフェで物騒な言葉を使うなよ、さっきからお店の人がちらちらこちらを見ている。おそらく、ガラの悪いホストに気弱そうなもやし男がカツアゲされているのではと心配されている。見ず知らずの人に要らぬ気をもませて、申し訳なく思わないか?」

「誰のせいだよ、この糞眼鏡が」

「それに、買うのは婚約指輪ではないんだ」

「ああ?」

「だってまだ学生だし」

「おお?」

「彼女が欲しがっている指輪は、すごく高いんだ」

「……」

「生まれてこのかた、彼女にジュエリーなんて贈ったことないんだけど、たまにはそういうこともいいかと思って」


 結局はパフェを食べ終えるまでにトーマが根負けした。お前だって、そのうちに本気になる彼女が現れたら、ぼくのお陰で予行演習ができてよかったと感謝したくなるに決まっているとかなんとか、面倒くさいことをくどくど言うので不承不承。

 

「お陰でおいしいパフェが食べられて、来た甲斐があっただろう。勿論、晩飯も驕るよ」と素早く伝票を取り上げて二人分の会計を済ませたシンイチが言う。


 トーマは他人の目など気にする男ではないから、甘いものが食べたくなれば遠慮なく食べる。一方のシンイチは、意識高い系のスーパー彼女のダイエットに付き合って、カフェではコーヒーしか頼めない婿養子のような境遇だという。酒が飲めない彼は、トーマには「毒」としか思えない歯が溶けそうなスイーツが大好きだというのに。今日だって、トーマにこのカフェの評判メニュー季節限定いちご尽くしパフェを勧めつつ、なら自分も同じものをとご相伴に与る面倒臭い方式を採用していた(といっても、支払いはシンイチが請け負ったのだが)。


「パフェぐらい一人で食え。しょーもねーな」


 心持青ざめた顔をしたレジの若い女性がシンイチに差し出したレシートには、ボールペンで一言、走り書きがされていた。


 POLICE?


「大丈夫です。ありがとうございます」と笑顔で頭を下げたことはトーマには黙っておいた。

 二人が向かったのは、女性に大人気の宝飾ブランド店。駅前の一等地に堂々と建ち、問答無用の高級な店構えだけでも気圧されるのに、なんとドアマンに慇懃に迎え入れられるという異次元っぷり。そのロゴデザインを目にしても、シ〇ネルだのヴ〇トンだの、小学生の間にも知れ渡っているような有名ブランド名にしか馴染みのない(名前を聞いたことがあるというだけで、その銘柄を愛用しているわけではない)トーマやシンイチにはぴんと来なかったものの、蝶や花などをモチーフにした個性的なデザインは、若者だけでなく中高年にも人気があるのだという。従って、週末の店内の客層は主に女性、彼女に連れて来られた彼氏や夫氏がちらほら混じるという、男性二人組には非常に居心地の悪い空間だった。


「よかった、トーマについてきてもらって」

 小声で言うシンイチに、トーマは渋い顔をして見せた。

「で、どれよ。もう決めてあるんだろ」

「いや。実物を見てからと思って」

「まさか、おれに選べとか言わないよな?」

「うーん。それはまあ、全然期待してなかったと言えば嘘になるけど」

「期待すんなよ。こんなお花畑のなかでは、おれは無力な蟻んこみたいなものだ」


 随分デカくて主張の激しい蟻だとシンイチは薄く笑みを浮かべた。着古したパーカー姿だが、高身長で鍛えられた体躯、男前なトーマは店内の女性の注目を集めている。

 やばい、かっこいい。え、ゲイカップル? それにしても全然釣り合ってないねなどという遠慮のない囁きがはっきり聞こえてきたが、シンイチはいつものように無視する。恋人と歩いていても同じような陰口を叩かれるので慣れてしまっているのだが、せめて聞こえないように言ってほしい、とは思う。

 残念ながら、自分を少しでも格好よく見せようなどと気負う必要のないトーマは腕時計は勿論、今時の若者のようにリングやピアス、ネックレスなど「うざいから」という理由で一切身に着けていない。相手の女性が纏っているものに対する関心もないから、こういう場所では確かに役に立ってくれそうになかった。

 それでも、この居心地の悪さを分かち合ってくれる友がいるというだけで力づけられるかというとそうでもなく、一秒でも早くここから立ち去りたいという気持ちが見え見えであり、結局頼れるのは自分一人だとシンイチは悟る。


「あ、これ」


 店内のショーウインドウを見て回っていたシンイチが指さしたのは、ひときわ目立つように展示された指輪。小粒のダイヤやルビーをビーズのように敷き詰めてちょうちょ結びを模したような独特のデザインはトーマの理解の範疇を超え、これを指にはめて誰かをぶん殴ったらなかなかの戦闘力になるだろうなという無粋な感想しか抱けなかった。


「いち、にい、さん……ゼロが六つ!? 六つ? いち、にい……やっぱり六つだな。正気かお前。車が買えるぞ」

「いやこれは、彼女が婚約指輪に欲しいって言ってたやつ」

「それはお前、いよいよケツの毛まで毟り取られるフラグだろ」

「そんな子じゃないってば」

「こんな指輪を寄越すなら結婚してやってもいいなんてしれっと口にする女がウブないい子なわけないだろう。間違いなくだ! どうにか金を工面して指輪をくれてやったら、なんだかんだ理由をつけて逃げられるぞ。そうに決まっている!」

「今日はこれを買いに来たんじゃないってば。というか、将来的にも買うかどうかわからないよ、まだ学生だし」

「今日買う予定の指輪、予算はいくらなんだ?」

「二万円」

「はあ?」


 話にならない。この種の店で、そんな値段で買えるのは顕微鏡でなければ目視確認できないようなミジンコサイズのピアスぐらいだ、とトーマに呆れられたシンイチは、頭を掻いた。


「うーん、まあ、気持ちの問題だから。指輪でもピアスでも構わないんだ。今まで高価なプレゼントなんてあげたことないし、見栄を張ってもしょうがないだろう。ない袖は振れないんだ」

「いつもは何をあげてるんだ」

「チョコレートとか和菓子かな」

「ダイエット中じゃねえのかよ」

「たまには甘いものも食べないと、発狂するそうだ」

「だったら、一万で豪華絢爛な菓子を買え。そのほうが、しょぼい貴金属より喜ばれる」

「うーん、でもなあ」

「でも、なんだ」

「彼女が、『本当に好きな男の子からは、アクセサリーを貰ったことがない』って言うから。彼女の二十歳の誕生日のお祝いなんだ。ハタチって、なんか特別な感じがするだろ。ちなみに、彼女がぼくにくれたのは、高そうなキーリングだった。いつも身に着けていてほしいからって」

「それは、二倍三倍のリターンを見越した投資だよ。完っ全に女の手中にはまったな。目を覚ませ。背中にネギを背負って煮え立った鍋に飛び込む前に」

「カモられるような金は持ってないってば。知っての通り、うちは、貧乏ではないけど、金持ちでもない。贔屓目に見ても中の上ぐらいの中流家庭。財産を狙われるような資産家じゃないから、小遣いも少ない。バイトした金は目下、一人暮らしをするための資金としてせっせと貯金してて贅沢なんてできない。彼女だってそれは知ってるんだから」


 トーマはしばらく、予算に見合うプレゼント選びに没頭するシンイチの後頭部を、無言で睨みつけていた。一体どうしたらこの男の目を覚ますことができるのか。それがここ数年来の彼の悩みだ。


「で、その『そんな子じゃない』彼女は、この週末に彼氏をほったらかして何やってんだよ」

「今日は、友達とカラオケって言ってたかな。別に、もうつきあって5年目だし、毎週末一緒に過ごしたりしないよ」

「お友達とお出かけって、それを鵜吞みにしてんのか?」

「ぼくは、カラオケが好きじゃない。彼女に付き添って行くのも断っている。だからって、彼女の好きなものを禁止できないだろう」

「都合のいい彼氏だよな、まったく」

「彼女には、小さくてかわいいアクセサリーが似合うと思うんだよなあ」

「ヒールを履いたらお前と身長変わんないだろ」

「イメージの問題だよ。それに彼女、ハイヒールは足が痛くなるから好きじゃないって」

「あんな南国の鳥みたいに派手な女にどういう印象抱いてんだ、お前は。催眠術でもかけられてんじゃねえのか」

「だから、見た目とは違うんだってば、彼女は」


 結局、トーマのアドバイスを部分的に取り入れたシンイチは、予算を二万円から三万円にアップした。両眼で0.8以上、つまり、裸眼で車の運転をすることが合法的に許されるぎりぎりの視力があれば、かろうじて拡大鏡なしに判別できるぐらいの大きさの蝶々を模ったピアスを誕生日プレゼントとして贈られたシンイチの彼女は、感極まって涙したとか、しなかったとか。 

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