第20話

 二か月ほどが経ち、定期試験はそれなりに無事に終わった。紅葉も佳境を迎えているようだった。あれから圭太と山野がよそよそしくなったと感じるのは気のせいだろうか。あれだけ話していた女の話題が努めて減ったのも僕の思い過ごしだろうか。

 そんななかでのある日の週末の夜、西山恵理菜から電話がかかってきた。家でボーッとテレビを見ていたときだった。いったい何の用だ。“西山(恵)”と表示された彼女の名前を見ながら僕は受話器マークをスライドさせた。

「小竹さん、こんばんは。西山です」

「はいっ、こんばんは……。ちょっと久しぶりですね。どうしましたか? ああ、この前は楽しかったです、ありがとうございました。あっ、でもその後すみませんでした。変なお願いしちゃって……」

 向こうからかかってきたにもかかわらず、まったくもって意味不明だが、僕は慌てて話題を見つけようとした。妙にぎごちなく、しどろもどろでの会話がはじまった。きっと本題を聞くのが怖かったのだ。だから無意識に引き延ばしていたのかもしれない。

「いえ、こちらこそせっかくお誘いいただいたのに行けなくて……、すみませんでした」

 妙な丁寧さが気になった。他人行儀のことこのうえない。やっぱりいい話ではなさそうだ。

「いえいえ、大学生といえどもいろいろありますから、忙しいですよね。気にしないでください」

 自分も大学生だし、しかも医大生だし、年齢も同じだし、でも向こうは忙しいけれど僕は暇。どんどん墓穴を掘るだけでぜんぜん話しが前に進まない。意をけっして、「どうしましたか?」と、僕はふりだしに戻るかのように尋ねた。

「先日お会いしたばかりなのに誘ってもらって……」

 なんだ、再度謝りたいなら、もうその話しはいいではないか。

「いいえ、それはもう大丈夫ですので……」

「それでいきなりなのですが、ちょっと相談したいことがありまして……」

 んっ? 相談……。なんと、これはちょっと意外な展開だぞ。

「相談……ですか??」

「はい、たいしたことではないのですけれど……」

 たいしたことないというのは、たいていの場合“本当にたいしたことない”か、大事な要件の前置きとして、ショックを和らげるための“緩衝的なまくら言葉”かのどちらかである。僕は後者を期待した。


「要はこういうことなんだ」と言いながら、僕は圭太のマンションに着くなり話しはじめた。

 西山恵理菜は福島から埼玉に来て、ちょっとだけ都会に出られたことが嬉しかった。そんな喜びもあったから大学の先輩と交際をはじめた。同じ水泳部の先輩に言い寄られて、よくわからなかったけれど、さして不満も、そして不安もなかったから何となく付き合ってしまった。社交的で明るい彼だったから最初は楽しかった。でも、ちょっと違っていた。実は自分は奨学金をもらって大学に通っているから、卒後は地元に戻らなければならない。そういう条件もあるから、きっと私を融通の効かない堅苦しい性格だと思ってしまったのだろう。彼はあまり楽しそうではなくなった。そういう状況だったから僕らのコンパに行くかどうかで迷ったけれど、久しぶりの圭太からの誘いだし、単純に楽しみたいから参加した。彼氏とは、このまま付き合い続けるか、それとも別れたほうがいいのかで悩んでいる。

 端的に言えばそういうことだった。

「なるほどな、最初電話をかけたときに、オレも“彼氏はできたか?”って聞いたんだ。はっきり答えなかったからな。つまりはそういうことだったんだな」

 その部分は圭太も知っているようだった。恵理菜についてそのくらいの情報を知り得ているのは、考えてみれば当たり前だった。昔から仲が良かったようだし、ずいぶん話し込んだって言っていたからな。そして当たり前のことだが、彼女に彼氏がいても、ぜんぜん不思議のないことだった。

「うん、そういうことのようだ。彼女の人生だから、僕がどうのこうの言える立場ではないのだが、でも勢いで言ってしまったんだ」

「何を言ったんだ、小竹?」

「“待ってる”って」

 いや、ちょっと詳しく説明する。この恵理菜との電話のやり取りのなかで、僕はいきなり彼女に「恋人がいても好きだから付き合ってくれ、いつまでも“待っている”」なんてことを言ったわけではない。たかが一、二度会っただけで、しかもちょっと飲んだだけで、いきなりそんなことを言えるほど、僕だって身の程知らずなお調子者じゃない。だからそれは、もし今後も会ってくれるなら、どうなるかわからないけれど、もしかしたらそういう恋に発展することがあるかもしれないから、この一回でご縁は終了ということではなくて、そういう条件だとしても友だちとして……、あるいは、あくまで仲良しグループ交際っていう、そういう括りでいいから……“待っている”と言ったのだ。実に回りくどいけれど。

「おおっ、そうかぁ、やるなぁ。そういうことになっているなら、小竹……、続きの話しをするからよく聞けよ」

 やっぱり圭太はちょっと勘違いをしたようだった。が、それにしても、“続きの話し”とは意味深な。

「何かあるのか?」

「あるんだ!」

 彼はお茶をいっぱい口に含み、タバコに火を付け、さらにはクッションに座り直したうえで話しはじめた。

「小竹が恵理菜を気に入ったのはわかっているから、ちょうど先週末かな、オレはアイツに電話をかけて尋ねたんだ。“小竹のことをどう思うか”って。そしたら最初のときにははっきり言わなかったけれど、今回はちゃんと“小竹さんには悪いけれど、私には彼氏がいるからいまは付き合えない”って言ってきたよ」

「まあ……、そうだろうな」

「でもオマエが恵理菜から聞いて知ったように、あまりうまくはいっていないとも言っていた。むしろ、もうだいぶヤバいっていうところまできていると」

 そうか、圭太はすべて根回しをしてくれていたのか……。それはそうかもしれない。ありがたいことに僕が悩んでいるのだから、親友を放っておくはずがない。ましてや相手はもと同級生なのだから、なんとか仲を取り持とうとしてくれるのは、ある意味必然だったかもしれない。

「それで、圭太は僕のためになにかしてくれたのか?」

「オレは恵理菜にはっきり言ったぜ。“なんとなく付き合っただけで、はじめから合わなかったんじゃないのか……、その先輩、社交的で明るいのはいいけど、ちょっと遊ばれただけじゃねえのか”って!」

 なるほど、もしかしたらそうかもしれない。「最初は楽しかった」って言っていたけど、男にとってそれはそういうものだ。仮に、もし仮に遊びが目的だったとしても、はっきり言ってヤルまでは楽しませてくれるだろう。

「だから、余計なお世話かもしれないけど、“恵理菜みたいなタイプは、小竹のような、ちょっと、陰キャまではいかないけど、どっちかっつーと静かな男のほうがいいんじゃないのか”って」

 ほうほう、いいこと言ったな、圭太。

「まあ、そんな感じでオマエのいいところはアピールしておいたぜ。なにせオレが大学に来て最初に一番仲良くなった友だちだからな。“それだけでも信頼性があるだろ”って」

 “結局自分のことかい”と思ったけれど、でもここまでしてくれる圭太の気持ちがありがたかった。

「そうか、そういうことか……、いまの圭太の働きかけがあったからかもしれないな。電話だけじゃなんだから、今度また実際に会おうってことになっているんだ。彼女は……、恵理菜さんは、僕にいったい何の話しをするつもりだろうか?」

 ここまでくると、彼女の気持ちは圭太のほうがよくわかっている。

「恵理菜が何を言うかなんて、そんなことは、オレにはもうわからない。でもオマエ、彼女のことが好きなんだろう。だったらやることは決まっているんじゃないのか!」

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僕が本当の医者になれた日 木痣間片男(きあざまかたお) @odakamasaaki

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