第16話

 そういえば、あの非常階段での一件があった一週間くらい後に、今度は彼女のほうから声をかけてきたことがあった。それは「僕が医者になればいいんだろう!」と豪語したからかもしれない。下校するのを待っていたようで、ちょうど文房具店の角を曲がったところで不意に彼女は現われた。

「ちょっといい!」

 ぶっきらぼうな言葉に、僕は素直にしたがった。

「この間の続きだけど・・・・・・」

 続きの話しなのか・・・、そんなことより先に、できるなら以前の彼女に戻ってもらいたい。それが僕の願いだった。

「小竹は、どこの高校に行くの?」

 この間の口調よりはいくぶんマイルドになっていた。が、その一方で、少し不安そうな面持ちで、彼女は僕にそう尋ねた。それにしても高校進学とは、まだちょっと気が早い。でも僕は、とりあえずの考えをもっていた。

「まだはっきりわからないけど、県立高校でいいと思っているから、僕の成績から考えると松川高校が、まあ妥当かなと思っている」

 中学のこの時期に「医者になる」なんて宣言してしまったわけだし、そのことはもちろん後悔してない。大好きな君歌のためならという気持ちも、もちろん嘘ではない。だが具体的にどうするということになると、当時の自分では考えすら及ばず、漠然と少しでもいい高校に行くしかないとだけ思っていた。だから、地元では進学校でとおっている、ある程度伝統的な普通科のこの高校を目標に掲げることで、その考えにブレはないということを案に示したかった。

「えっ、男子校じゃない!」

「まあそうだね。別に構わないよ」

 このあたりの進学校は、すべて男子、もしくは女子校だった。君歌のことを考えてないわけではなかった。矛盾するようだけれど、彼女に言った手前、彼女のためにも高校はそれなりのところを目指すしかない。だけれども、このころの僕は、君歌に裏切られたという気持ちになっていたし、ともすると少し冷たくすることで、いままでの君歌に戻ってくれるのではないかという、そういう淡い期待があった。

「そう・・・・・・」

 彼女は、ため息ともつかぬ声を漏らしながら力なくうなずいた。

「大原はどうするんだ。そもそも、そんな態度で高校に行けるのか?」

「他人の進学を心配している場合か、高校に行きたいなら真面目に戻れ」と言いたかったし、もっと言うと、「オマエのその態度が、いまの僕の進路を左右させているのだ」と叫びたかった。が、僕の見通しを聞いたからなのか、それとも母の将来が不安になったのか、彼女の返事は曖昧だった。

「小竹がそうならアタシは山越商業かなって、いま思っているよ。ママの仕事を手伝いたいとも考えているからね。でも、どうしたいのかよくわからないな・・・」


 彼女と真剣に将来について話したのは、これが最初で最後だった。中学生だった僕らは付き合っていたわけではない、というか、付き合うというものがなんなのかよくわかっていなかった。「医者になる」は僕が勝手に宣言しただけで何かの約束を交わしたわけでもない。僕らは会うこともなくなった。どうやら中二のあのとき、下校途中で会ってから間もなく、夏休み中に彼女は引っ越していった。叔母の家に引き取られたということを風の便りで知った。だからその後、彼女がどうなったかわからない。商業高校には進学したのだろうか。卒業アルバムを見れば彼女の家の電話番号くらいは簡単に割り出せたはずである。でも、中学の淡い恋心なんてそんなものだ。ちょっと仲が良かったくらいで、後をひきずって、ずっと連絡を取り続けるなんてことはない。

 僕にだけ見せていた彼女の笑顔が、どんどん失われてしまったことが、とても悲しかった。そして、見当違いとは知りつつも、中学教育に対して何とも言えない憤りと虚無感とを覚えた。“不良”というような子たちは、いまはどうしているのだろうか・・・。現代でもそういう子たちはいるのだろうか・・・。僕はよくわからないが、でもいじめはずっと存在している。だからと言って、「日本の教育の失敗だ」とか、ひいては「社会の仕組みの問題だ」と言うつもりはない。“グレる”は逃げ道としても、防衛としても、子どもにとっては理に叶った対策法だからだ。


 ちょっと陰りがあって、いくぶんツンとしているように見えて、でも実のところ僕の前に出ると、やや不器用ながらも人懐っこく素直で純粋な一面を覗かせる。本当に可愛くて、とっても素敵な女の子だった彼女に、いったい何があったのだろうか? 大人になるにつれて、何かしらの理由があって、そのままではいられなくなった・・・・・・、素直で純粋であり続けることができなくなった・・・・・・。

 君歌ちゃん・・・・・・、意外といまは幸せな人生を歩んでいるかもしれないし、僕がいつまでも気にしているだけかもしれない。できれば、そうであって欲しい。ただあのとき、下校の途中、彼女が何を言いたかったのか、いまならなんとなくわかる。

「アタシはこうするしかなかったのよ・・・・・・」

 予告したとおりの県立男子校に、僕はあてどなく進学した。

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