第8話 「本当に懐かしい…気持ちがあの頃に戻るようだ…」

 〇紺野陽路史


「本当に懐かしい…気持ちがあの頃に戻るようだ…」


 弟・夏希の妻となったさくらさんを前に、私は自分が輝いていた頃を思い浮かべた。



 ずっと、靄がかかったような記憶。

 ハッキリしているのは、自分の家族と…遠い昔、恋に似た感情を抱いた若い女性との逢瀬…


 だが、それも本当の記憶かどうか分からない。

 私の持ち物は、その女性の一枚の写真だけだからだ。

 もしかすると、私自身が都合良く作り上げた思い出なのかもしれない。

 この屋敷で、じっとしているだけの年寄の、ささやかな楽しみ。

 87年も生きて来たのに、私の思い出は…片手ほど。

 だからこそ、その輝きは増す。



「…少し横になりますか?」


 …察しがいい。

 いつも寝たきりで、ほぼ動く事がない。

 そうすると、こうやって座ってお茶を飲んだだけでも重労働をした気になる。


 きっと、私はもう長くない。

 そう思い始めて何年経ったか数えるのも嫌になったが…

 いよいよ、そうなのかと思う。


 代わり映えのない日常に、弟夫婦が会いに来てくれた。

 できれば…この喜びを胸に旅立ちたい。



「ああ…そうしよう…」


「じゃ、背中のクッション外しますね。」


「…さくらさん。」


「はい?」


「…夏希を…頼むよ。」


「…はいっ。任せて下さい。」


 なんて可愛らしい女性だろう。

 夏希も酷く痩せていたが…

 さくらさんがそばにいてくれるなら、きっと大丈夫だ…。


「…少し眠るよ…夏希が戻って来たら、ゆっくりしてくれと…伝えて欲しい。」


「分かりました。おやすみなさい。」


「ああ…おやすみ…」


 目を閉じる。


 少しして、靴の音。

 夏希だろうか…


 せっかく会いに来てくれたんだ。

 もっと話したい。


 だが、今は少し休もう。


 目が覚めたら…また話したい…



 …目が…


 覚めるだろうか…





 〇高原さくら


「夏希がステージに……まだ歌ってたなんて、驚きだ…」


 お兄さんに、フェスでのDeep Redの動画を見せる。


 なっちゃんにも、高原のお父様にも似てない笑顔。

 だけどお兄さんは、目を細めて…その姿を誇らしげに見つめた。


「自慢の弟だ…」


 何度もそう言って、あたしに笑いかけるお兄さん。


 あー…

 会いに来て良かったよー!!




「…少し横になりますか?」


 少し目がとろんとしてきたお兄さんに問いかける。


「ああ…そうしよう…」


 お兄さんが横になるのを手伝って、あたしは少しだけ部屋の中に意識を張り巡らす。


 …だよね。

 剛志さんが付きっ切りってわけにもいかないから、監視カメラが二台。


 んー。

 今日は電波妨害出来る物持ってないから、別の手で…



「……」


 お兄さんの髪の毛を撫でるフリをして、こめかみに触れる。

 こんなの本当は良くないけど、もう…この人には時間がない。

 …きっと、なっちゃんにも。

 だから…


 ゆっくりと、お兄さんの口元に耳を寄せる。


「…な……の……」


「……」


 こぼれ出る単語。

 あたしはそれをしっかりと聞き留めた。


「…と……あ……」


「……」


「…ん…」


「…ありがとうございます。お兄さん。」


 数少ない単語からでも、十分すぎるほどの情報を得た。

 あたしはお兄さんにお礼を言って、手に触れる。


 …そっか…

 お兄さんの中では消されてる記憶。

 そんな事があったなんて…



 でも…大丈夫。

 まだ、生きる力…ある。


 と…


 ……ん?


「……」


 ふいに、あたしの耳に飛び込んで来たこの声は…


 麗?


 どうして麗?

 …もしかしたら、これ…

 誓も来ちゃうかな。


 だとしたら…



 お兄さんの言葉が止まって数分後。


「さく…あ、兄貴寝たのか…」


 部屋に入って来たなっちゃんが、横になったお兄さんを見て声を潜める。

 その姿に小さく笑いながら、あたしは一旦なっちゃんと部屋を出た。



「…どういうわけか…麗が来た。」


 口元に手を当てて、少し困った顔のなっちゃん。


「なっちゃん。」


「ん?」


「知ってる事、全部話して。」


「……」


「話して。」


 あたしの強い口調に、なっちゃんは小さく溜息を吐くと。


「…貴司がどうしてこんな事を…と思ったが、理由の一つとしては…」


「……」


「貴司と兄貴は、腹違いの兄弟なんだ。」


 思いがけない事を言った。


「……え?」


「だが、この事を貴司が知ってるとは…」


「なっちゃんは、どうして知ってるの?」


「ばーさん…雅乃さんに聞いた。だが、貴司は知らないと聞かされてた。」


「…お兄さんと貴司さんが…腹違いの兄弟…」


 あたしは頭の中で、解るだけの相関図を開いた。

 あまりにも入り組んだ人間模様。

 さらにここに来てまた…まさか、貴司さんとお兄さんが異母兄弟だなんて…


 でも、それなら…


「…貴司さん、きっと何か助けになりたかったんだろうね。やっぱり優しい人だ…」


 あたしは、自分の足元を見ながら言った。


 たぶん、きっと…他にも何かがあって、そうだったとしても。

 今、この世に居ない人。

 真実は分からないままでもいい。


 それに…貴司さんが優しい人だって事は、あたしが一番分かってる。

 あたしには心を開いてくれなかったけど…

 それでも、解ってる。



「確か…お兄さんは、誓と麗の…」


 小声で問いかけると、なっちゃんは瞬きを一つ落とした。


「しかし二人は知らないはずなんだが…」


「……でもさ。」


 あたしは、貴司さんが病床でみんなを呼びだしてた頃を思い浮かべて。

 本当…あたしには雑用しか言いつけなかったのに、みんなには面談と題して色んな事話してたよなあ…って。

 ちょっと、悔しさにも似た想いを抱いたのを思い出した。



「もう、誰も墓場まで持って行く秘密なんて、持たなくていいんだよ。」


「……」


「だって、高原家も桐生院家も、二階堂家も最強じゃない?」


「さくら…」


「あ、紺野家も。あっ、そんな事言ってたら、東家に早乙女家に朝霧家も…あーっ、もうっ。全部!!」


「…ふっ…」


 なっちゃんが吹き出して。

 その笑顔が本当に…穏やかで。

 ああ、ここに来て良かった。って…



「なあに?賑やかだと思ったら、やっぱり母さん。」


 呆れたような声と共に、麗が赤い花器を持って現れた。


「あっ、麗~。こんな所で会えるなんて!!」


 あたしが麗にハグしようとすると。


「父さん、ちょっと持ってて。」


 麗がなっちゃんに花器を渡した。


「ああ。」


 …見事な連携プレー…


「はい、どうぞ。」


「ええ~…改めて言われると何だか……でも、麗にハグって久しぶりだからしちゃうっ!!」


「あははっ!!もう~!!」


 あたしと麗がハグし合ってる隣で、なっちゃんは「麗の生け花は新鮮だな」なんてつぶやいてる。


「あたしも一応、お花の家の子だからね。」


「…そうだったな。失礼した。」


 なっちゃんに頭を撫でられた麗は、少し照れくさそうに首をすくめて。


「これだけでも、何だか…来て良かったって思えちゃう。」


 ああ…全部知ってるんだな…って思える顔を見せた。




 〇桐生院乃梨子


「あたしも一応、お花の家の子だからね。」


「そうだったな。失礼した。」


 あたしと誓君が紺野様のお屋敷に入ると。

 廊下で、お義父さんとお義母さん、麗ちゃんがそんな会話をしてた。


 お義父さんの手には、赤い花器。

 そこに、小ぶりな色とりどりのアジサイ…


「ははっ。かぶった。」


 突然、隣で誓君が笑って。

 みんなが一斉に振り返る。


「あーっ!!誓!!乃梨子ちゃんも!!」


 お義母さんがピョーンって感じで飛んで来て。


「一昨日ぶりだけど、会いたかった!!」


 そう言って、手ぶらなあたしに抱き着いた。


 あー…すごく、すごく不思議。

 あたしにとって、ここは秘密の場所。

 桐生院のお義父さんに頼まれて、誓君にも黙って毎月通った場所。

 そこに、あたしの大好きな人達が集まってる…


 この状況に至る経緯は色々謎だけど…

 それでも、すごく嬉しい。



「えっ、どうしたの?」


 あたしから離れたお義母さんが、あたしの頬に優しく触れる。

 え?と思って自分でも頬に触ると…あたし、涙腺が決壊してたらしい。


「乃梨子、今までありがとう。」


 ふいに、麗ちゃんからそう言われて…


「…え?」


 あたしがキョトンとすると。


「あたし、全部知ってたの。」


「…え?な…何…を?」


「乃梨子がここに通ってくれてた事とか。」


「えっ…えええ!?」


 麗ちゃんの衝撃発言に、慌てて誓君を見ると。


「いや…僕は知らなかったよ?」


 少し拗ねたような顔で、首を傾げられてしまった。


「あ…そ…そうなんだ…えぇ…でもそれはそれで…ごめんなさい…」


 ああ!!

 やっぱり秘密なんて持つんじゃなかった!!

 いやっ…でも桐生院のお義父さんに『秘密で』って頼まれた事だし…

 で…でも…っ!!


 頭を抱えて足元を睨みつける。


 誓君!!

 あたし、もう絶対あなたに秘密なんて持たない――!!


「ふふっ。でも、乃梨子が通ってくれてたって知って…嬉しかった。」


「…え?」


 抱えてた頭から手を離して、誓君を見上げる。


「嬉しかったよ。ありがとう。」


「……」


 誓君は、すごく優しい笑顔で。

 その後ろにいる麗ちゃんも、同じ…笑顔。


 これは…

 二人とも…


 あたしがここに通ってたって事だけじゃなくて…



 …全部、知ってるの…?

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