第7話 「お待ちしておりました。」

 〇高原さくら


「お待ちしておりました。」


「……」


 訪問した家の玄関でそう言われて。

 あたしとなっちゃんは、さりげなく顔を見合わせた。


 だって、あたし達…来るなんて言ってないのに。


 この人は、神 幸作さんの執事だった篠田さんの息子さん…篠田剛志さん。

 あたしは面識ないけど、その存在については千里さんからも知花からも聞いてた。


「色々と気になられてる事とは思いますが、まずはお会いになって下さい。」


 何の言葉も発さないあたし達に、剛志さんはそう言ってドアを大きく開けてくれた。


「ありがとうございます。」


 …なっちゃん、少し緊張気味ではあるものの、さっきまでの迷いはなさそう。

 剛志さんにお花とお土産を渡すと、前を向いて歩き始めた。


 一歩踏み出したなっちゃんに、ホッとしながらついて行く。



「どうぞ。」


 剛志さんがゆっくりと部屋のドアを開けた。

 中には…ベッドに横たわる…


「…兄貴…」


 なっちゃんがベッドの横に膝をついて、小さく呼びかけ…ううん、呼びかけたって言うより、口からこぼれ出たって感じだ。


 そのなっちゃんの声が聞こえたのか。

 お兄さんは、閉じてた瞼をゆっくりと開いて…その目がなっちゃんを捉えた。


「………夏希…?」


「…久しぶりだ。」


「……」


 お兄さんは一度目を閉じて、またゆっくりと開いて…部屋を見渡した。

 そして、あたしの姿を見付けて…なっちゃんの腕を掴んだ。


「…夏希…私はー…夢を見てるのか?パーティーで会った女の子が…お前の後ろにいるんだが…」


「ふっ。兄貴…これは夢じゃない。嘘みたいだけど、これでもさくらは65歳だ。」


「もー!!なっちゃん!!歳まで言わなくても!!」


 部屋の入口では、剛志さんもクスクス笑ってる。


 あー!!

 恥ずかしいよー!!


「嘘だろ…あのパーティーの時のままだ…」


 お兄さんが優しく笑いながら、ゆっくりと身体を起こそうとされて。

 それになっちゃんが手を貸す。



「何年振りだ?」


 起き上がったお兄さんは、寝てた時とは別人のようだった。

 剛志さんが淹れてくれた紅茶を飲みながら、なっちゃんとお兄さんは笑顔だ。



「親父の葬式の後は、電話でしか話してないだろ。」


「そうだったか…」


「…『退任する』『旅に出る』『元気にしているから心配するな』…その報告以降は音信不通。こうして会うのは21年振りだ。」


「…ははっ…そうか…そんなに時間が経っていたのか…そりゃあ親父の歳を越すわけだ…」


 なっちゃんの、嫌味ともとれる言葉にも笑顔のお兄さんは。

 ふと…自分の手の平を見て。


「…その間に何があったか話したいが…実は何も覚えていないんだ…」


 少し寂しそうな表情になった。


「覚えてない?」


「情けない話だが…アルコールに依存してしまって、体を壊した。」


「……」


 なっちゃんが、無言でお兄さんの腕に触れる。


「生きた心地がしなかった。ずっと夢の中にいるような感覚で、気付いたらここに………夏希、なぜここが?」


「ある人に教えてもらってね。」


「ある人?」


「それより兄貴…なぜ紺野姓に?」


 あたしはー…

 黙って二人の会話を聞きながら、お兄さんの様子を観察してた。


「ん?夏希…何言ってるんだ?」


「何って。」


「おまえ、もしかして…紺野の姓じゃなくなったのか?」


「……」


 この年齢なら、こういった事があっても不思議じゃない。

 ましてや、アルコール依存症なら後遺症の可能性も。



 …だけど、これー…




 〇高原夏希


「おまえ、もしかして…紺野の姓じゃなくなったのか?」


「……」


 …冗談を言ってるようには思えない。

 兄貴の歳を思えば、認知症であっても不思議じゃない。


「なっちゃん、あたし、挨拶させてもらっていい?」


 少し考え込んだ所で、さくらが距離を詰めて言った。


「あ…そうだな。紹介もせず悪い。」


「そうだよ!!歳だけ暴露しちゃうなんて!!」


 さくらは大げさに頬を膨らませて、俺との位置を替わった。



「お兄さん、あたしの事、覚えててくれて嬉しいです。さくらです。」


 さくらが顔を覗き込むと、兄貴は首を傾げてさくらを凝視して。


「…不思議だな…やっぱり、あのパーティーの時のままだ。君だけ時が止まってるみたいだ。」


 パチパチと瞬きを繰り返して、俺に笑いかけた。


 …いい笑顔だ。



「驚きだろ?俺も時々自分までが歳を取ってない気になって、鏡を見てガッカリする(笑)」


「そうだろう、そうだろう。おまえはすっかり老いぼれだ。」


「人に言われると腹が立つな…」



 その後、兄とさくらの会話が妙に弾んで。

 俺は「少し外を見たい」と、部屋を出た。


 …ここは本当に俺が住んでいた場所と近い。

 貴司はどうして、こんな事を…?



「…高原様。」


 庭を歩いて水辺を眺めていると、そばに篠田剛志が立っていた。


「…兄の身体の具合は?」


「先ほどご本人からの告白もありましたが、アルコール依存で随分内臓をやられました。あと…脳に腫瘍が。」


「脳に…その治療は?」


「医者からは、ご高齢でもありますし、もう何もしない方が…と。穏やかに過ごされていれば、それが治療になるとおっしゃいました。」


「……確かに。」


 聞きたい事は山ほどある。

 だが…



 俺と篠田剛志が無言で佇んでいると。



「…お父さん?」


 ここで聞くはずのない声が聞こえた。





 〇二階堂 麗


「何してるの?」


 あたしが首を傾げると、父さんは丸い目をして。


「麗…なぜここに?」


 あたしのそばまで歩いて来た。


「ん?お見舞いよ?」


「お見舞いって…」


 動揺してるわ~。

 まさか、あたしが父さんを動揺させる日が来るなんてね。



「て言うか、父さんこそ…来るのは明日だったんじゃ?」


 誓に聞いてたスケジュールと違う!!


「ああ…まあ、気まぐれで早めた。」


「そ。」


 って事は…

 誓。

 鉢合わせしちゃうなあ~。



 …でも、その方がいいのかも。

 きっとみんな…スッキリしたいはずだから…



「母さんも来てるの?」


「…ああ。」


「じゃ、お邪魔しちゃおっと。あ、剛志さん、ご無沙汰してます。」


「お久しぶりです。」


「これ、花器も持って来たんで飾らせてもらっていいですか?」


「ありがとうございます。喜ばれます。」


 父さんが、あたしと剛志さんを交互に見る。

 色々気になって仕方ないのね~…


「あたし、義兄さんのおじい様の家に出入りしてたから、面識あるの。」


 父さんの腕を取ってそう言うと、「ああ…なるほど…」って小さなつぶやき。


 あたしはそのまま、父さんと腕を組んで家の中に入って。

 花を生けるから、先に部屋に行ってて。と、父さんの背中を押して…

 別の部屋から誓に連絡をした。



『もしもし』


「父さんと母さんが来てる。」


『え?』


「あたしはもう家に入って、今から花を生けるとこ。」


『僕ももう着くけど…どうしよう』


「いいんじゃない?もう、全部打ち明けても。」


『…じゃあ、乃梨子も呼ぼうか』


「その方がいいかもね。」



 本当は…

 今日、あたしと誓だけで、紺野陽路史さんに会う予定だった。

 知ってる秘密は墓場まで持って行くつもりだったのに。

 そうもしていられなくなった。


 今動かなきゃ…あたし、きっと後悔する。

 そしてそれは、誓も。



 昔のあたしなら…こんな事してない。

 だけど、こうなった。




 愛溢れる人達に囲まれてたら…



 そうなっちゃうわよね。




 〇桐生院乃梨子


『乃梨子、今どこ?』


 その電話は。

 あたしが紅茶のお店を見付けて、お土産用を山ほど買い終わったところにかかってきた。


「あ、ちょうど良かった。今ミッション完了したところ。」


『ははっ。頼もしいな。じゃ、今すぐ向かって欲しい所があるんだけど』


「え?どこ?」


『紺野陽路史さんの所』


「……」


 絶句してしまって、動けなくなった。

 今、誓君…

 紺野陽路史さんの所…って言った?



「ど…どう…あの…」


『黙っててごめん。今日…乃梨子には内緒で、麗と二人で紺野さんに会いに行く予定だったんだ』


「…え?」



 それからあたしは…

 大量のお土産をホテルに届けてもらうようにお願いして。

 誓君に言われた通り、紺野様のお屋敷に向かった。


 さぞかし自分の頭の中はパニック…と思いきや、意外と冷静で。

 むしろ、これからの展開に胸躍らせている。


 もし、誓君が傷付くような事があったら…と。

 今まで、彼を傷付けたくない一心でひた隠しにしてきたけど。


 あたしが居る。

 あたしが居るじゃない。


 ずっと守られて来た。

 あたしだって、誓君を守りたい。



「はっ…はっ……は…」


 家の近くまでたどり着くと。


「まさか走って来るとは思わなかった(笑)」


 あたしを見付けた誓君が、駆け寄って来て。


「もう…ほんと、乃梨子はいつも全力だな…」


 クスクス笑いながら…ハンカチを出して、汗を拭いてくれた。


「…はっ…は…誓君…!!」


「ん?」


 ギュッ


「…乃梨子…?」


 力いっぱい、誓君を抱きしめる。


「誓君…あたしが居るから…」


「……」


「あたし、ずっとそばに居るから…」


「…うん。ありがとう…乃梨子。」


 こんな事で何が伝わるの?って自分でも思ったけど。

 誓君は優しい声でそう言うと、あたしを抱きしめ返してくれた。


 ここはイギリス。

 あたし達が道の往来で抱き合ってても、誰も気に留めない。




 …はずが。








「家に帰ってやれよ。」


「……」







 …この声…!!



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る