第14話 休憩編

 一般的に言われ、かつ真理でもある『主婦に休みは無い』という定説。

 本日、それに春子は挑戦することにした。


 勝利条件――それは30分以上の休憩時間捻出である。


 前日に夫と協議して、3日間本棚に本を斜めに置くことを許容するのと引き替えに、本日の朝食・昼食・昼食その2・変異朝食・3時のおやつ極Θきわみシータ支度したくが夫の担当となり、まずもって朝の時間に余裕が出来た。


 愛読書の『世界の中心で何かを叫んだかもしれないが覚えていない海驢アシカ』や『キュッピピー3分建立クッキング・前方後方墳編』が斜めになっている姿など、思い浮かべるだけで深淵の翠金すいきんに変容してしまいそうなほどの精神的ダメージだが、何かを得るためには何かを支払わなければならないのは必然だろう。


 24時間休み無しとも評せられる主婦業で休憩時間を捻出するという偉業に挑むにあたって、その成否を左右するキーワードがある。


 『効率化』だ。


 一つの作業の空き時間に別の作業を差し込んで、無駄な時間を生成させない。それが肝だ。

 ヤツら無駄な時間は常にこちらの隙をうかがい、思考を誘導ミスリードして、1秒でも隙間があればそこへ滑り込んでこじ開け広げ、自分たちの増殖に邁進する。時間の中に侵入した無駄RNAポリメラーゼによって複製された無駄mRNAで、ヤツら無駄な時間は次から次へと産出されるのだ。

 その爆発的な勢いは無限であり、手をこまねけば24時間でさえ食い潰されてしまう。

 その最も有効な処方箋は、無駄の増殖を阻害すること。つまり効率化なのである。


 そのために、まずもって春子は、本日の作業内容を頭の中で最適化することにした。

  場当たり的に手を出してしまうと失敗するのは目に見えている。


 夫が朝食に玉子サンド、昼食に穴子枝豆チーズ入り出汁巻き、昼食その2に一日の野菜の179/363が採れる玉子スープ、変異朝食にブラックバスとアボカドの黒ごまチリソースキッシュ、3時のおやつ極Θきわみシータ三不粘サンプーチャンを作って出発したことにも気付かず、ひたすらスケジューリングに没頭する春子。


 響きわたる飼いウサギのメネスのスタンピング。


 我に返った春子が時間を確認すると正午前、メネスに朝ご飯をあげるのを忘れていたのだ。

 メネスの猛烈な抗議をなだめつつメネス用食事皿にペレットを気持ち多めに盛って、今一度自分の思考過程を超速でプレイバックする。


 まあ、いってみよう。


 格子柄の留袖に着替え、たすき掛けをして鉢金を巻きゴム手袋風ミスリル合金手袋を装着。


 達成すべき3大ミッションは、洗濯、掃除、夕食の準備である。


 まずもって優先すべきは洗濯であろう。

 何故ならすでに正午、日はちょっぴりなり始めている。

 この季節日本の夏、太陽の星霊は午後1時半~2時半に一度に入るのだ。


 数年前に太陽霊が労働環境の改善を要求したのだが、何しろ46億年間も24時間無休で働くという文句無しにナンバーワンなブラック体制だったわけで、ついにキレた太陽霊は認められないなら超新星化も辞さぬと強硬姿勢を打ち出した。


 その太陽霊他星霊との数十回再三におよぶおだてオンラインなだめ会議の結果すかして、先述ので手打ちとなったのである。


 故に、12時半頃になると太陽霊はの温度を下げ始めてをクールダウンへと移行させ始める。そして、2時半になったらして手前まで調整するのだ。


 なお、この期間は必然的に闇に包まれることになるので、突貫で宇宙ステーションAri-Narihearaを改造し、北極点上空と南極点上空を通る巨大な、通称『環南北極点ベルト』が建造された。

 この環南北極点ベルトは太陽光発電パネルと全個体電池および電灯(全て極地仕様)で埋め尽くされており、太陽の休憩時間がシエスタ中は点灯してフォローしているわけだ。


 ただし電灯はLEDなので熱量が足りず、洗濯物は乾かない。


 2時半に再点火してピークまで戻るのが3時半頃。

 夏なので色を付けても7時頃には日没。

 太陽熱で乾かせるのは3時間半程度なわけで、大物を洗ってしまうと乾かない可能性もある。

 しかして、一方で洗濯物は溜まっている。


 よって、100ある洗濯機便利機能の一つ、『風乾燥』の出番となる。

 ざっくりと言ってしまえば、ドラムをひたすら回し続けて限界まで水分を吹き飛ばそうというものだ。約1時間ほどで乾燥一歩手前まで出来るので、日照不足時に重宝する機能である。

 気をつけなければならない点としては、ドラムの回転速度は最高速時で15万km/秒光速の半分まで到達するため、間違っても途中でフタを開けないことと、加速および減速の為にそれぞれ20分が必要となることが挙げられる。


 風乾燥を使用するならば、洗い物を一度にまとめてしまう方が効率的である。


 というわけで、シャツ、ハンドタオル、下着類、バスタオル、ジーンズ、ブランケット、シーツ、毛布、座布団、ソファクッション、掛け布団、ソファ本体、エアコンフィルター、台所換気扇、網戸、電子レンジの内壁、空気清浄機本体、炊飯器の内蓋、エアコンのアルミフィン、ローズマリーが枯れた後の植木鉢、新顔のカワウソのぬいぐるみ、シーリングライトのカバー、暖炉の煉瓦、苔むした石灯籠、ハンカチ数枚を惜しげ無く投入。

 下ろし金で石鹸をすり下ろして、水量は最大の4.2リットル分を選択する春子。後は洗濯機にお任せである。


 これで、洗濯機が全工程を完遂するまで別の作業を差し込める。


 続いての掃除は簡単、例によって額縁に並べて飾ってある掃除機を取り出してスイッチを押すだけ。TOSHI●A製の高性能掃除機が瞬時に部屋のホコリを吸い取ってくれる――


「ノオオオオオオッ!!」


 ――はずだったが、思わぬヤンキー声が掃除機から返ってきた。

 目を丸くした春子が、小首を傾げつつ、念のためにもう一度スイッチを押す。


「ノオオオオオオッつってんだろおおおおおっ!?」


 またもやエラー音が返ってきた。

 取扱説明書を取り出して、『故障かな?と思ったとき』ページの『エラー音がヤンキー声で「オ」が6回に「お」が5回の場合』の欄を参照すると、どうやらフィルター清掃が必要らしい。

 なお、どこのヤンキーが録音したのかと疑われそうだが、メーカーコールセンター受付スタッフから選抜された声とのこと。


 で、肝心のフィルター清掃なのだが、0.5%クロルヘキシジングルコン酸塩液で1時間もみ洗い、とあった。

 がっくりとうなだれる春子。


 洗濯を始める前に気付いていれば……なんという非効率……。


 悔やんでも始まらない。ここは切り替えて、取りあえずは浸け置き洗いで行くことにする。また空いた時間にでも揉めば、まあ2時間ぐらいでどうにかなるだろう。


 そして、立ち止まっている暇などない。やることは列をなして待っているのだ。


 心機一転、春子は台所へ向かい、流しの横の引き出しを開けて、中の海面を確認。流し正面のディスプレイには『南太平洋』と表示されている。

 季節柄、鰹のたたきでもしようと狙いを定めて釣り糸を垂らし、ディスプレイのタッチパネルで録画をセットして、一旦浸け置き洗いへと戻る春子。


 何回かフィルターを揉む。


 そして台所へと戻って釣果を――とディスプレイを見た春子の目に、かなり予想外の光景が飛び込んできた。


 仕掛けた針にかかっているのは深海魚のリュウグウノツカイ、それがダイオウイカらしきものと凄絶なバトルを繰り広げている。

 ぱっと見はダイオウイカが襲いかかっている感じで、リュウグウノツカイが必死に防戦しているようだ。ずいぶんと立派なリュウグウノツカイだが、それでもサイズ的にかなり不利と見えた。


 ……ん? あれ?


 ディスプレイの縮尺に気付く春子。

 思ったよりも引きの、である。

 それでこのサイズなら――


 ――これ、実際はかなり大きいのでは?


 ディスプレイを戦略的解析モードへと切り替え、分析対象としてリュウグウノツカイをタップする。


 種族名 ☆☆☆☆☆☆☆☆銀鱗江身の三深海極皇魚リュウグウノツカイ

 

 おおっと。


 もしかしてとは思ったが、究極の段階まで進化した中二病ネームまでイっちゃったリュウグウノツカイだった。

 春子も初めてお目にかかる、激レア魚である。


 しかし、となると、大きさは並のリュウグウノツカイではなく20m近い。解析でも19mと表示されている。

 ダイオウイカのギネス記録は14m超、しかし画面上ではリュウグウノツカイのがある。


 あ。アレかも。


 イカを高速解析にかけると案の定の結果だった。


 種族名 ★ダイオウイカモドキ(一般名称クラーケン)


 予感の通り、いわゆるクラーケンだ。

 これはに被害を及ぼすとされているからの侵略種だ。

 全長はざっくり40mほど、クラーケンとしてはまだ子供と推測される。


 が、特定外来種ならば遠慮は不要。


 ミスリル合金手袋を確かめ、ディスプレイ縮尺はで引き出しへと右手を突っ込む。

 巨大魚と巨大イカとが怪獣バトルを繰り広げる南太平洋へ、唐突に空から降ってくる手袋をした超巨大な右手。そのまま情け容赦なくイカを掴み、躊躇無く握りしめて瞬殺する。


 九死に一生を得た☆8つの激レア魚から、感謝のしるしにと真珠と珊瑚製の王笏を受け取り、暑い握手を交わす春子。

 ついでに、クラーケンのを少々切り分けて食いちぎってもらった。残りの部分はリュウグウノツカイ一族で宴会の食材にするそうだ。


 食材、ゲットである。


 手を引き抜くと彼我空間間補正で優に1m四方はあるゲソの切り身となった。

 それでは、料理の心得の一つ、食材の声を聞かねばなるまい――と思ったが、さすが外来種、言葉が通じない。


 仕方あるまい、イカ煮でも作るか。


 問題は、クラーケンは下処理が難しいことだ。何しろ、とにかく固い。弾力が凄い。では精霊の加護でも付与されていなければ刃も通らないと言われているのだから、普通に煮て食べられる訳がない。


 よって、こんな時のための圧力鍋登場である。

 圧力鍋7点セットから最大の物をチョイス、もちろん包丁の刃も通らないので、ゲソの切り身をそのまま突っ込んで水を足してコンロにセット。


 および点火。


 一定まで加熱すると水蒸気にて中が加圧状態になり、食材が柔らかくなる文明の利器。

 過加圧となり爆発するのを避けるため、フタの上に乗っている鉄の処女アイアンメイデンの頭の目の部分から蒸気が漏れる仕組みとなっている。

 と同時に、目から蒸気が漏れると無数の鉄串が鍋内部へと飛び出して食材へと突き刺さり、さらには絶妙なを持たされた鉄串が適度な振動を発生して、圧力と加熱と振動をもって食材を柔らかく煮てくれるのだ。


 上手な下拵えのポイントは、鉄の処女アイアンメイデンの目からに火加減を調整することだ。

 そして、その調整は実に繊細で緻密であることが要求される。ちょっと目を話した隙に号泣状態になっていたり泣きやんでいたりするのだ。


 平たく言うと、要するに目を離せないのである。


 これはまずい。


 手を離せない系の作業が被ってしまった。まだ片方が浸け置き洗いに妥協できるから何とかなるものの、この上さらに被ろうものならば春子のキャパオーバーになりかねない。


 そう思ったフラグが立ったときは実現する回収される、それが世の常であろう。


 そうこうしているうちに、何だかんだとしているうちに、洗濯機の風乾燥が終わった。

 では残りは天日干しに、と春子が向かって洗濯機のフタを開けたとたん、中から怒濤のごとく飛び出してくる影、影、影。

 とっさに影の一つを捕縛すると、新顔のカワウソのぬいぐるみ、名をテオ・ダ・シルバ・ロドリゲス・ド・ナシメント・デ・イオキベ、通称を太郎だった。


 きゅるん、とした目と春子の目がカチ合う。

 洗濯機からは引き続き太郎たちが湧き続ける。


 取りあえず掌の中の太郎をひっくり返し、背中のタグを引きずり出して、2mmの字で埋め尽くされた注意事項の欄を速読する春子。


『当ぬいぐるみは最先端人工知能搭載型介助器具で、高機能吸収保水形状記憶ポリマー製です。ポリマー一粒一粒に対電子原子を用いたプログラミングが埋め込まれていますので、思考判断の最小単位はポリマー一粒となりますが、プログラミングは共通ですので総体として統合された思考判断を実現します。それによって、ほぼ無制限の吸水能力と保水能力をコントロールし、最適の形状、状態を保持することが可能です。例えるならば、無限に吸水して増殖するポリマーの性質本能プログラミング  理性  で制御しているのであり――』


 長いわ。


 春子がタグを握り潰し引きちぎらんばかりに力を込めると、タグの文字が震えるように消えて、分かりやすい馴染みのマークへと変貌した。


『水洗い不可』


 初めからそう書け言え


 そのままタグに無言の圧力(物理)を加え続けて引き出した情報をまとめると、ぬいぐるみの中身は綿とかではなく要するにで、水を吸収する限りほぼ無限に増殖する、とのこと。 

 風乾燥でかなり抑制されたが、そもそもそれ以前の洗い段階でたっっっぷりと水を吸い込んだらしく、この有様となったわけだ。

 解決策は単純に真逆のことをする、つまり水分を蒸発させて合体させ続ければ良い、とタグは語った。


 水分の蒸発はメネスの赤目の分子振動促進効果をアテにすればいいとしても、取りあえず捕まえなくてはならない。


 そして掃除機のフィルターも洗わなければならない。


 そして圧力鍋の火加減からも目を話してはならない。


 作業が被ったフラグ、回収


 乱舞するカワウソたち、無言のプレッシャーを放つ掃除機フィルター、圧力鍋の上で号泣する鉄の処女アイアンメイデン……。


 ……かくなる上は。


 覚悟を決めた春子は、啓蟄の時期に掃除に使った携帯スプレー『あら見た?ま~♡』を棚から取り出した。


 そして一気飲みする。


 瞬時、春子から目もくらむほどの光が四方八方へと溢れ出した。

 一方、春子視点では、目の前にがプルダウン形式で表示される。


 除蟲剤『あら見た?ま~♡』のの使用法、

 一気に使い切る代わりに効果は絶大――一時的とはいえ神になるのだから当然――だが、成分分離されているとはいえスサノオの吐血を飲むのは抵抗があると不評、故に裏技とされている使用法だ。


 が、そんなことを言っている場合ではない。

 プルダウンリストの中から、春子が選択したのは、『韋駄天』。

 溢れる光が収束、薄い光をまとった春子の姿になった――とたんに、今度はその姿が溢れかえる。


 分身したわけではない。あまりの速さで残像が発生しているのだ。


 跋扈する数多のカワウソを一匹ずつ捕縛してメネスの前にかざすと同時に、黙々と掃除機フィルターをもみ洗いし、かつ圧力鍋の火加減を涙一筋に微調整し続ける。


 時折、カワウソを追って春子と春子が衝突して頭を下げ合い、洗濯機の中の物をどう干すかを数人の春子が話し合い、孤独な作業で寂しさを漂わせるもみ洗い中の春子へ春子が抹茶と干菓子を差し入れし、ゴロ寝してテレビを見る春子を春子が注意し、怒られる春子を春子が庇って春子と仲直りをして――


 ――ついに、ついに全ミッションを達成した。


 一同に集い、固い握手を交わし、肩を抱き合って喜びを爆発させる春子軍団。春子リーダーの元へ春子隊員たちが押し寄せて胴上げを始め、春子リーダーが宙を舞う。


 で、『あら見た?ま~♡』の効果時間終了。

 ぼてっと床に尻餅して、腰をさすりながら起きあがる春子。


 時計を振り返る。

 午後5時45分。夫の帰宅時間の15分前。

 つまり15分の空き時間を創出出来た。


 ――うむ、良しとしよう。


 勝利条件は30分の休憩時間だったが、固執は良くない。

 日々に潤いが無くなっちゃうし。

 何事も、程々が良いのです。うん。

 負け惜しみじゃないですからね?

 違いますからね?

 ホントですからね?


 ……夕方のワイドショーでも見よーっと。


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