第13話 アルバイト?編

 2kmごとに温帯低気圧から台風、はたまた台風から温帯低気圧へとコロコロと変わる気圧の影響で、天使の梯子薄明光線たけのこのように乱立する中を狐雨が降りしきり虹が着物の模様青海波のごとく並ぶ、神が降臨しそうな快晴である今日この頃。


 ああ、満ちている。


 ゴーヤのサンシェードをテント代わりにしたベランダで畳ベッドの陰干しに挑戦しつつ、春子は輝く空へと目を向ける。

 その目は軽く閉じられ、頬は自然とたおやかになり、口の端が軽く、少しだけ上がるような微笑。

 どこぞのマリア像とかに似たような表情があるのではないだろうか、という程度には神々しい、慈愛にあふれた顔である。


 そう、目下、春子は慈愛にあふれているのだ。


 ——今日は、イケるかも——


 立てかけてある畳ベッドを少しずらして、ベランダの床を軽くノックする春子。


 ゴッゴッ、ゴッゴッ。

 ゴッゴッ、ゴッゴッ。

 コンコン。


 ここだ。


 音と手応えが軽い床を軽く払うと、うっっっすらと凹んでいるような線が確認できる。

 ベランダで主にハンギングプランターを吊したり、砂嵐で玄関が埋まってベランダから懸垂下降ラペリングする時にアンカーに使ったり、まれに『影魚』が仕掛け針に食いついた時に弱るまで括り付けておいたりする、全個体電池式電磁力フックで凹んだ線の周囲をなぞる春子。


 なお、話はそれるが、影から影へと移動し続ける『影魚』は、酢水にさらしてから熱湯をくぐらせて水にさらして次亜塩素酸ナトリウム水溶液で洗ってさらに米のとぎ汁と灰汁で灰汁抜きした上で高圧蒸気滅菌処理オートクレーブをして3日間天日干ししたものを保食神うけもちのかみに17%を捧げて祈祷しなければ食べられないという少々面倒くさい食材ではあるが、下処理が完全であれば、その滋味は天国が見えると言われる程の稀少食材である。

 ちなみに春子は食したことはないが、兄が食べた時は確かに天国が見えたそうだ。AEDに呼ばれて帰ってきた、と聞いている。


 で、電磁力フックをくるくると這わせてみると、ある箇所でガチっとくっつく。そのまま引っ張ると、ぱかんとふたが開いた。


 ほんの10cm四方程度のくぼみの底には、カードを差し込むスロットが一つきり。

 他には何もない。


 春子はポケットからスーパーのポイントカードを取り出し、カードの指紋認証と虹彩認証をクリアして空中描画される立体パズル認証も解除し、レーザー投影されるコントロールパネルから『ポイント交換』を選択。

 で、ベランダ床のスロットに差し込んだ。


 せっかく溜めたポイントを一気に5000消費するが、ついこの間米を5kg買って5000加算されたばかりなので耐えられる。ポイント赤字になると10時間毎に一回なまはげらしきナニカが取り立てにくる羽目になるので、重々注意しなければならない。

 まあ、そうなっても、最悪なまはげの面を剥ぎ取れれば撃退できるので何とかは、なる――


 ――のだが、その素顔を見た者でので、回避した方が無難なのは間違いがない。

 別の世界から帰ってくるためには666ポイントを13回連続で消費することになるので、普通に計算すれば赤字回避一択だろう。

 それでもなお敢えて赤字へと突き進む人が絶えないのは、素顔が絶世のイケメンだからという説が有力だからだが、その検証と称して自爆してから帰ってきた人は皆口をつぐむため、結局真偽のほどは定かではないのが現状だ。


 では話を本題へ戻そう。カードを差し込んだままの姿勢で、全神経を研ぎ澄ませる春子。


 ……ズズズズズン……。


 床が、離れた地点で何かが動いた振動をかすかに伝えてくる。

 ポイント5000を代償にカードの『インディ・○ョーンズ・プログラム』展開、聖櫃アークへのミッションが開始されたのだ。


 この感じは……。


 自分の手、指先の感覚を信じて、振動波の発生地点と思しき壷庭へと春子は向かう。

 到着すると、春子の目に石塔が二つ入ってきた。

 石塔といっても春子の腰までの高さしかない小型の物で、何の装飾もない純粋な円柱そのもの。もちろん、昨日までどころかさっきまで無かった代物だ。


 慎重に石塔の肌をなぞる春子。


 よくよく注意すると、ベランダの時と同じでこちらも、うっっっすらと線が彫られている。円柱を輪切りにするかのように水平に。だるま落としのだるま抜き、といったところか。

 しかし、なぞった手応えから、これがだるま落としではなく石塔なのは明白だった。木槌で叩いたところで何も変化はないだろう。


 ならば、別の意図があるはずだ。


 一段ずつ丁寧に探ってみると、上から4段目だけ、水平に回転することに気付いた。ゆっくりと回転させていくと、半分回したところでカチリと小さくなって鳴って止まる。


 もう片方の石塔も4段目を回してみると、同じようにカチリと鳴って、止まる。


 ズズズズズ……ン。


 春子の目の前で石塔が小さく震え、ゆっくりと壷庭の床面へと沈み込んでいった。

 第一ステージクリア。


 では次だ。


 第二ステージはあっさり見つかった。

 というよりも、非常に単純だった。


 振り返ると


 壷庭とウッドテラスに面している、つまり春子が先ほど通ったはずの廊下が無い。唐突に割れ目が発生したかのように、底の見えない真っ暗な溝が、廊下の代わりにそこに在った。


 のぞき込むと顔に風が緩く吹き上がっているのが感じられる。そしてやっぱり底は見えない。両手で作った狐の窓を通して望遠ズームしても底へは届かなかったので、数km程度の深さではなさそうである。


 が、春子は特に何の感慨も表さない。

 このパターンは経験済みなのだ。


 壷庭から砂を集めてきて、溝の上に撒く春子。

 当然にして、自然の摂理として溝へ落ちていく――だけでなく、落ちずに留まるところがある。ぱっと見では、空中に砂が留まっているような感じだ。

 それを何度か繰り返すと、廊下があったはずの溝に、透明な床が飛び石のようにあることが確認できた。


 行けることが分かれば、どうという事もない。


 けんぱ、けんぱ、けんけんぱ、けんぱ、けんぱ、けんけんぱ。


 片足跳びと両足跳びとを交えながら、春子は階段へと進む。そして、同様に溝と化している階段の段差にも、握り込んできた砂を撒いてみた。

 どこにも砂が残らない。今度は透明な箇所がない、見たとおりの溝だ。

 

 が、どうという事もない。

 廊下と階段はセットで取り扱われるのが世の常だ。

 もとい、これ階段もセットで経験済みなのだ。


 軽く跳んで階段の手すりに腰掛ける春子。

 そのままスルスルっと手すりを滑り降りて、無事に一階へと到着した。


 一階は何故か真っ暗になっている。

 今日は快晴だというのに。


 これは一度ベランダまで戻り、何故か置かれている鏡の角度を変えて同じく何故か部屋の中に置かれている鏡へと光を当てると、これまた同じく何故か置かれている別の鏡へと光が当たり……と10連鎖発生して室内が照らされるというステージだ――


 ――が、春子はちょっと飽きてきた。


 このステージでは部屋の間取り自体は変わらない。ということは、勝手知ったる我が家、どこに何があるかは大体分かるような気もしないでもないと言えるかもしれない程度には把握しているはずだと思われる。


 ……うん、本音でいこう。ぬいぐるみたち模様替えをしたところなので、把握度は50%を切るかも知れない。


 彼らがイジったのはソファと桐箪笥と熱回収調理システムと壁紙とミロのヴィーナスの三つ折りとフローリングと支柱と畳と霊脈流圧力発電器とカーテンと欄間と制振ゴムスプリングと床と冷蔵庫と蒸気式足湯器と天然足湯と大嶽山miniと天上じゃなかった天井と壁画と壁とテーブル程度のものだったはず。


 なら……あった。


 暗闇を手で探って見つけたスイッチを、ぱちり。

 パッと点く蛍光灯、唐突に音声が復活するテレビ。


「――業90年の味を守られているわけですね、いやぁ非常に手間のかかる下拵えでしたね。それでは、ここで一旦いったんニュースを……」


 それに慌てた小さな影が何体か猛ダッシュで逃げていった。


 しまった。


 この手の仕込み担当は十中八九グレムリンなので頭からそう思い込んでいたが、今の影はおそらくブラウニーたちだ。まさか悪戯プログラムにブラウニーたちが協力するとは思っていなかった。

 純朴なブラウニーが動くのなら何か理由があったのだろう。悪いことをした、と春子は頭をいた。


 後で詫びニューファッションドーナッツ改を作ることにしよう。


 後の工程を脳内円卓会議で協議して脳内諮問機関で審理を受け脳内CEOと脳内教皇が連名で承認しているうちに、春子は衣装棚の扉に手をかける。


 が、開かない。


 取っ手の上辺りにホログラムで『Now Loading……』と表示されて砂時計がくるくると回っている。

 本来なら、秤の上に置かれている黄金のカードキーを全く同じ重さに調節した砂袋と一瞬ですり替えて奪取するという第五ステージをクリアしてようやく到着するところ。

 それをすっ飛ばしてしまったので、仕込みの進行が追いついていないのだ。


 仕方がないので待つ春子。

 表示が消えるのを待って開けると、服の代わりに木製の角材が束で仕舞われていた。太さは手で握れる程度、長くても2m少々程度の角材だが、そこそこの本数がある。他にはシアン、マゼンダ、イエロー、白の各色の糸の束。


 以上、それだけだ。取説は無い。


 無いが、何故か組み立て方が分かる。

 それも、特に工具も使わず固定用金具などもなくとも、木と木を合わせれば勝手にくっついてくれる。というよりも、手に持ったらそれ以降はむしろような感じですらある。


 あれよあれよという間に、古式ゆかしい足踏み式はた織り機が組み上がった。

 そして、糸のセットなどまで出来てしまうと、後は、ぎったんばったんと、はた織り機が勝手に織り始める。


 この摩訶不思議なはた織り機は近所の骨董品屋から譲り受けたもので、普段は分解されていて使い物にならないのだが、今日の春子のように何かこうの時だけ組み上がって使えるという謎仕様の珍品である。

 骨董品屋によると出土時の状況から1200~1300年前の品と推定されるらしい。


 しかし、どう見ても木質、はっきり言って良いならチーク材なのに経年劣化が全く見られない。

 それどころか、100万人乗っても大丈夫♪ 巨像歩く自由の女神像が踏んでも壊れない! を凌駕して傷一つつかないという、意味の無い頑丈さを誇るはた織り機なのだ。

 夫の伝手で“”の方に分析してもらったところ、どうやららしく、故にもちろん経年劣化などするはずが無く損傷という状態変化も発生しない、とのことだった。


 ならば『Made in Japan, 3199』という落書きは誰がしたのだろうか?


 その辺りのことを骨董品屋『八百八狸はっぴゃくやたぬき』の隠神刑部いぬがみぎょうぶ氏に訊いたこともあるのだが、結局のところよく分からないそうだ。ただ、出土地は、現代で言うところのだったらしい。

 とどのつまりは、骨董だか何だか分からない、ということだ。

 ただ、そう言ってしまうと如何にも怪しい品と思えてしまうが、そこは正直商売一筋『八百八狸』店主の隠神刑部いぬがみぎょうぶ氏、危険性の高い呪物の類などではないことは間違いあるまい。


 隠神刑部いぬがみぎょうぶ氏は、父と同年代だったり兄と同年代だったりと毎度年齢に微妙ながあり、時折はを着けていたりと、いつもお茶目な店主だ。

 常に愛想よく誠実な対応をしてくれるが、おまけでくれるお菓子類は帰宅すると葉っぱに変わっていることが多いので、うっかり食べてしまわないようにそこは注意が必要である。

 四国が故郷らしく、よく懐かしんでいるので、たまには帰ったらいいのにと春子は勧めるのだが、苦笑して首を横に振るばかり。何やら事情があるのだろう、と春子もあまり掘り返さないようにしていた。


 さて、全自動フルオートで織り始めるはた織り機を前に、左右に飛んで緯糸よこいとを運ぶシャトルとは別の、握り拳程度の長さのミニシャトルを手にして、仕上がっていく織物をじっと凝視する春子。ミニシャトルは4つ、4色の糸をそれぞれセット済みだ。


 織りあがっていく織物の図柄を見ると、伝統的な模様ではなく日本画、というか鳥獣戯画のような雰囲気の絵巻物っぽい感じになっている。ただ、描かれている風景はビルだの信号だのと、現代のそれだった。


 じっと見ていると、どんな画が描かれてくるのか、織りあがる直前には大体見当がつくようになってくる。

 集中する春子を余所に、テレビ番組は地域ニュースへと移る。


「では、続いて○○市のニュースです――」


 今まさに織りあがっていく図柄は、ガードレールに食い込んだ車の横に、仰向けに倒れている人だろうか、そのつま先が、足首が、膝が描かれていく。


「――つい先ほど、●●駅前ロータリー横のスクランブル交差点で交通事故が――」


 太股が織りあがり、このままだと腰が、そして、上半身が織りあがるのが分かった予測された


 ここ!


 閃く春子の両手。

 4つのシャトルを神速で操り、

 シャトルを全て掌に戻して振り返ると、織物の図柄は倒れている人の画になっていた。

 春子のガッツポーズが決まる。


 良しッ!


「――あり、50代男性が巻き込まれ……はい? 訂正? し、失礼いたしました、巻き込まれたとのことですが、幸いなことに無事だったとのことです。」


 テレビ番組はそのまま放置して、続いてはた織り機を前に仁王立ちする春子。

 織り上がっていく織物の図柄へと全神経を集中する。


「次のニュースです。海開きに伴い各地の海水浴場が賑わいを見せているところですが、遊泳禁止エリアで無断で泳いでいた20代の男女のグループが小型船舶のスクリューに巻き込まれ――」


 ここ!


「――かけた? だけ? ホントに? あ、失礼いたしました、巻き込まれかけましたが、接触は回避できて5名とも無事だったとのことです。次、昨晩発生して全焼した民宿の現場――」


 ここ!


「――検証がええ!? あ、重ねて失礼いたしました、ええと、全焼したとの通報は誤報だった、とのことで? す? ちょっと、この原稿大丈夫なんですか?」


 何だかテレビが五月蠅いなあ、と春子は一瞬振り返った。普段は歯切れのいいアナウンサーが珍しいことだ、とは思ったが即座に切り替えて、はた織り機へと視線を戻す。

 目下はた織りは続行中、目を離している暇などないのだ。


 結局、終始混乱しきっていたニュースが終わるのに合わせるように、糸が尽きてはた織り機が停止した。

 仕上がったのはせいぜい3mほどと大したことのない織物だが、なかなかの出来映えに心なしか胸を張る春子だった。


 後は納品だ。

 レターではないモノパックmedium2252に、気合いと根性で織物を詰め込み、宛先欄へただ一言、『天上』と記入。取り急ぎ最寄りのコンビニに預けて終了だ。


 何となく地図照合のアルバイトと近いような気がしないでもないが、地図照合は某研究所宛で一枚一画面800円+書き込み1件毎30円の歩合制に対して、織物は色々と曖昧なところが多い。大体、送り先が『天上』で届くとは日本のどこなんだろうか?


 まあ、細かいことを気にしてはいけない。それが気になるような俗な心境では務まらない行なのだ。


 帰宅すると早速郵便受けに報酬明細が届いていた。

 開封して確認する。


『本日納品3m

 対象認定される箇所19点/1点につき2

 合計38


 以上、寿命終了後に精算させていただきます。

 この度はありがとうございました。

 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


 天上

 ※お問い合わせは逾樒、セ蠎∝慍譁ケ蛻?ョ、縺雁撫縺?粋繧上○遯灘哨』


 相変わらず最後が文字化けして読めない。

 問い合わせ先が実質不明なのはいかがなものだろうか、と春子は首を傾げるが、まあそれも些細なことだ。


 良いのです。


 神々しい光を背負いつつ、同様に神々しい微笑みを浮かべる春子。


 だって、ほら――


 ――満ちているからね。


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