エピローグ ‟新婚初夜”


 それから一週間が経った。

 今日はみちるが大阪こっちへ来る日だ。仕事を終えた足でそのまま新幹線に乗ると言うことだから、早ければ八時半くらいにはマンションに着けるだろう。


 この一週間、俺たちは毎日ビデオ通話で連絡を取り合った。かと言って他愛もないイチャイチャを繰り返すのではなく、ほとんどがこれからの相談ごととその報告だ。急いで決めなければいけないことと、まだ先のことだが今のうちに準備しておけること。これで完了だと思ったら身内から横槍のようなものが入って修正しなければならなくなったり、みちるが既婚者の友達から全然知らなかった新たな課題を教えられたり、毎日、眉間に皺を寄せてそれらの調整をした。通話を終えるとき、今まではだいたいグズグズと涙ぐんでいたみちるも、そんな気分にはほぼならなかったらしく、まるで業務連絡のように切って行った。これが結婚による心境の変化というやつなのか、それとも本当にやらなければならないことの多さで頭がいっぱいなのか分からなかったが、こちらとしてはありがたかった。


 夜、九時近くになってLINEが入った。今、マンションの下に着いたという。今までは俺が居る場合はこちらからエントランスのロックを解錠し、部屋に上がってきたみちるはインターフォンを押して俺が出てくるのを待っていたが、もうその必要はないと言ってある。俺が留守だったときのように、鍵を使って入ってくればいいのだ。ここは彼女の家になったのだから。


 数分後に玄関のドアが開く音がして、みちるがきた。俺はあえて出迎えることはしなかった。もうお客さんじゃないんだし。


 部屋に入ってくるなり、みちるは荷物をどさっとソファに置いて俺に抱きついてきた。想定内だったので、しっかりと受け止めると強く抱きしめて言った。

「おかえり」

 みちるはうん、と頷いた。「……ただいま」

 それから結構長めのキスをした。少し顔を離すと、それからまたキス。お互い、会いたさが募っていたことがダイレクトに伝わってきた。

 そしてようやく、一カ月半ぶりの――

「……?」俺はみちるの耳元で囁いた。

「もう? 早すぎない?」とみちるは笑った。

「早いもんか」今度は耳たぶを触る。「一カ月半も、待たされてる」

「うん……」みちるは吐息交じりに答えた。「……だったらお風呂、入ろうかな。汗かいちゃってるし――」

「俺、そんなの気にしないよ」

「わたしが気にする」

 仕方ない。ここはみちるの気持ちを優先しないと。「分かった」

「……あとそれから」とみちるは目を細めて微笑んだ。「……ね、もう一度言って」

「何を?」

「結婚式で言ってくれた言葉」

「……なんか言ったっけ?」

「もう! とぼけちゃって」

 みちるは俺の胸に顔を埋めて背中をバタバタと叩く。「憶えてるくせに! わたしが泣いてたら、耳元で言ってくれたでしょ!」

「だってあれは――」

「泣き止ませるための方便?」みちるは顔を上げて眉根を寄せた。

「違う違う。ほんとにそう思ったんだ」

「だったら言って。そうじゃなきゃ、お風呂入ってすぐ寝る」

「冗談だろ?」

 俺はあははと笑って、それでもやっぱりちょっと恥ずかしいなと思いつつ、みちるの両肩に手を添えて、それからまた耳元に口を寄せて言った。

「――笑って見せて。可愛い俺だけのお姫さま」

 みちるは目を閉じて満面の笑みを浮かべ、それから俺にしがみついて「嬉しい」と言った。

「……ワイン用意しとくよ。赤がいい? 白?」

 俺はみちるの髪を撫でながら訊いた。すると――

「あっそうだ。その前にちょっと小腹が――」

「……マジか」俺は天井を仰いだ。「メシ済んでるんじゃないのかよ」

 実はさっきから薄々察していたのだが、あえて気付かないふりをしていた。だけどそれはまったくの無駄だったらしい。

 するとみちるは案の定、「あれ」と言ってソファに置いた荷物の紙袋を指差した。

 関西に限らず、今や全国的に有名な『551蓬莱ほうらい』の紙袋だ。

 そう、みちるが部屋に入ってきたときから、あの豚まんの匂いが部屋に漂い始めていたのだ。彼女でなくても食欲をそそられる。

「わたし、いつも買うじゃない。新幹線降りたら速攻で」

「……そうだったな」俺はため息をついた。「風呂済ませてから、ワインと一緒に食べたらいいじゃん」

「だめ。できるだけ早く食べないと」

 みちるはすたすたとソファのそばに行き、紙袋からおなじみの赤い箱を取り出す。サイズから察するに、四個入りだ。それを今、全部食べるつもりなんだろうか。

「うーん、いい匂い。貴志、とりあえず少しだけ赤ワイン注いでくれる?」

「まさか全部食べないだろ?」

「大丈夫。今は一つにしておくわ」みちるは嬉しそうに人差し指を立てた。「残りはお風呂のあと。貴志も食べる?」

「いや、いい」

 俺はやれやれとキッチンに入って食器棚の下の扉を開けてワインを取り出した。キャップを開けてグラスに注ぎながら、ソファに座って豚まんを手に目を輝かせているみちるを眺めて思った。

 ――でっかい豚まん四個、一人で平らげるお姫様なんている?――

 まあでも、お姫様じゃなくても、これが俺の奥さんなんだ。

 勝ち気で聡明で上から目線で、まっすぐで感情豊かで正義感の強い、そしてとんでもなく大食いの、めちゃくちゃ可愛い俺の奥さん。

 俺を救ってくれてありがとう。

 だから、その豚まん食ったら早く風呂入ってくれよ。

 俺の下半身、もうそんなに待てないからさ。



                            ――終わり――


※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係はありません。




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スピード結婚~We get married in just one day~ みはる @ninninhttr

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