7 芹沢家(前)


 福岡空港に着いたのは午後五時だった。一階の到着ロビーから駐車場へと向かうエスカレーターに乗ったところで、スマホに連絡が入った。

「――上で待ってるみたい。駐車場に繋がってる通路の前だって」

「どなたが来てくださってるの?」みちるが訊いた。

義兄あにき。上の姉貴の旦那だよ」

「会社を継いでらっしゃる方ね」

「そう」

 エスカレーターを下りて、俺は速足でその場所に向かった。二階の出発ロビーは比較的混雑していて、みちるも懸命についてきていた。ところが途中、ワイワイと騒ぎながら歩いている六、七人の団体に横切られ、俺たちは完全に引き離されてしまった。みちるは俺を見失ったのか、俺の名を連呼している。声のする方へと戻って、俺はみちるの手を取って引き寄せた。みちるはうう、とまた半ベソで口を曲げ、俺の腕にしがみついて訊いてきた。

「……どうしてそんなに急ぐの?」

「急いで来いって、義兄あにきが言ってるから」

「何で?」

「分かんねえ。またレストランでも予約してるのかな」


 連絡通路の前に、義兄が立っていた。ずいぶんと仕立ての良さそうなダークグレーのスーツを着て、スマホを見ている。少し前の大河ドラマで西郷さいごう隆盛たかもりを演じた実力派俳優に雰囲気がよく似ている、なかなかのイケメンだ。俺は近付いて声を掛けた。

「ショーゴさん」

 義兄は顔を上げた。俺を見てああ、と笑うと、隣のみちるに視線を動かして「どうも」と会釈した。

「初めまして。一条みちると申します」みちるはやや上ずった声で挨拶をした。

松永まつなが省吾しょうごです。貴志の姉の、旦那です」

 お互いに深くお辞儀をしたあと、省吾さんは俺に言った。「急いで。みんな待ってるけん」

 そして省吾さんはくるりと踵を返し、連絡通路を走り出した。

「え、走るの?」俺は言ってみちるに振り返った。「何で?」

「わたしに訊く?」みちるは顔をしかめた。「いいから、ついて行かないと」

 俺とみちるは省吾さんのあとを追った。駐車場に入り、しばらく行くと見覚えのあるナンバーのレガシィが停まっていた。省吾さんの車だ。省吾さんはその手前でロックを解除し、運転席のドアを開けて俺たちに振り返った。「はよ。乗りない」

 俺たちは後部座席に乗り込んだ。省吾さんも運転席に着いて、エンジンをかけると助手席のヘッドレストに手を添え、振り向いて車をバックさせながら言った。

「――貴志くん、そいにしても急やね。おめでたいこつやから良かばってん」

「ああ……ご迷惑をおかけします」俺はぺこりと頭を下げた。

「迷惑やないよ、嬉しかちゃ」

 省吾さんは言葉の通り嬉しそうに笑って車を発進させた。「そやけん大騒ぎたい。これは仕事ばしとる場合やないって、臨時休業にしたばい」

「……さすがにそれは大袈裟だよ」

「大袈裟なもんか。いろいろ手配ばしたり準備ばしたりで、猫ん手も借りたい状態やったけん。社員総出でやっと間に合うたちゃ」

 ん? と俺は首を傾げた。確かに、離れて暮らす家族に何の前触れもなく今日結婚相手を連れて帰ると言われたら、実家の家族は驚いて、迎える準備に慌てるとは思うけど、経営する会社の従業員にまで手伝わせることなんてあるか? しかもその家族は会社とは無関係の、ただの長男だ。公私混同も甚だしい。

「まあそいばってん、皆大喜びたい」省吾さんはまた嬉しそうに言った。「わくわくしよる」

「……え、どげんゆうこつやか?」

 俺はついに省吾さんの博多はかた弁に引っ張られて訊いた。「何があると?」

「は? 親父さんから連絡なかったと?」ルームミラーの省吾さんは眉を下げた。

「なんも」俺は首を振った。「食事会やろ?」

「何ば言うとる。結婚式ばい」

「「えええーーーーーっっっ!?!?!?」」

 俺とみちるは同時に声を上げた。

「せからしかぁ」省吾さんは首を捻った。

「え、知らない知らない」みちるは手をパタパタと動かした。

 俺は身を乗り出した。「なんば言いよっと? ただ挨拶しに来よるだけやけん。結婚式なんて、ひと言も言うてなか」

「そいは分かっちる。だけん、親父さんがいっそんこつ式ば挙げさせちゃうっち言い出したばい。貴志くんも承知しよっとかっち思った」

「知らんたい!」

「そうね? ばってんよかろうもん。準備はできよったんやし」

「いや、そういう問題じゃなか。俺たちは全然準備できとらん」

「準備なんて、式場のスタッフに任せればよかったい。プロなんやから」

「そうやなくて、気持ちん問題ばい」

「そげなもん、予め分かっちいても同じばい」省吾さんは笑った。「どっちみち緊張するちゃ」

「いやだから、心ん準備んこつや」

「は? どん口の言うてるんばい。突然言うてきよったんはそっちやろ?」

 確かに、と俺は俯いた。いや、それでも今日式を挙げるなんて無茶もいいとこだ。


 料金ゲートをくぐり、車は一般道へと続く道路に出た。博多方面に向かうようだ。

 俺は訊いた。「いったい、どげんゆう経緯でそげなこつになりよったわけ?」

「今朝、貴志くんが親父さんに電話してきよったろ。そいで、今日挨拶に来よるなら、結婚式はいつ頃になるんやろう、いつがよかとねって、皆で話しよったと。そしたら親父さんが暦の本ば引っ張ってきて、調べ始めたんばい。あん日やなかこん日やなかって。そりゃ、大前提っちしては二人の意見と一条さんのご家族の意見ば聞くこつっちゃけど、やっぱり、嬉しかったんやろな。ばってん親父さんもお袋さんも、ずっと長かこつ、貴志くんがその――」

 そこで省吾さんは急に言葉を濁した。ルームミラー越しに俺たちを見て、少し目を細めた。

「大丈夫」と俺は言ってみちるを見た。「彼女は知っとう」

 そうか、と省吾さんは頷いた。そして続けた。

「貴志くんは、昔のことがあって、ずっと心に重いもんば抱えとるから、結婚なんてせんっち決めとるんやろうなって、親父さんたちは思っとったみたいやから。だから最初はものすごく驚いて、すんなりは信じられんかったみたいで――そいばってんやっぱり、嬉しかっちゆうのがあって。お袋さんなんか、泣き始めて――そしたらも泣いて」

 省吾さんはそのときのことを思い出している様子で、少し涙ぐんでいるようだった。そこを言われると俺もちょっと気が引ける。

「……大袈裟ばい」俺はみちるに振り返った。「な?」

「……ごめんなさい、あの、もう少し分かりやすく話してもらえるかしら」

 みちるは申し訳なさそうに肩をすくめた。「頑張って理解しようとはしてるけど、実際半分くらいしか――」

「……ああ、悪い」俺は省吾さんに向き直った。「省吾さん、方言抑えめで」

「了解」

 省吾さんは去年俺の代わりにうちの家業を継ぐまで、東京の大手通信会社にいた。だから標準語にも慣れている。

「――で、いろいろと調べてるうちに、今日がめちゃくちゃい日だってことが分かったんだ。知ってるかい? 一粒万倍日いちりゅうまんばいびって」

「聞いたことある」

「何事もこの日に始めるといいらしい。あと、天赦日てんしゃにちは知ってる? 天赦日てんしゃびとも言うらしいけど」

「それは知らないな」

「天が万物の罪をゆるす日、と言う意味じゃないかしら」みちるが言った。

「さすが。才媛でいらっしゃる」省吾さんは嬉しそうに言った。「一粒万倍日と同じで、この日に始めたことはすべて叶うとされてるんです」

「で、もしかしてその二つが?」

「そう、今日はその二つが揃った日なんだよ!」省吾さんは勢いよく振り返ってにかっと笑った。「もう、式を挙げるしかないっしょ!!」

「危ない危ない」と俺は手を振った。「前向いて。それだけ縁起のいい日に事故っちまったら台無しだ」

「……おう、そうだな」省吾さんは速度を落とした。「それで、どうにか今日中に式を挙げられないかって検討してみたわけ。仕事で付き合いのある神社とか、ホテルとか、いろいろ当たってさ。会社も臨時休業にして、社員さんたちに手伝ってもらって」

「だから、そういうことやっちゃ駄目だって。みんな迷惑だよ」

「迷惑なもんか。大喜びだよ」省吾さんはへへっと笑った。「パートのおばさんたちなんか、そりゃ張り切っちゃってさ。貴志くんの晴れ姿ば見られるんなら、もうなんも思い残すこつは無かなんて言って。貴志くん、おばさんたちにモテモテだから」

 俺もへへっと愛想笑いをした。隣から刺すような視線を感じていたが、決して振り返らなかった。

「――でね、俺の高校の同級生にさ。市内の結婚式場に勤めてるのがいて――そこそこ裁量権のある立場でさ。うちの商品もそいつが料理長に紹介してくれて、いろいろ使ってもらってるんだけど。で、そいつにも相談したんだよ、どこかで式だけでも挙げる方法って無いかなって。そしたら、ナイトウエディングってのがあるって言うんだ。知ってるかい?」

「いや、俺は」と首を捻ってようやくみちるを見た。「知ってる?」

「聞いたことあります。夜特有のロマンティックな雰囲気が人気だとか」みちるは答えた。「照明なんかの光の演出が豪華だって」

 そう、と省吾さんは頷いた。「そのナイトウエディングなら、何とか今日でも対応できるかも知れないから、手配してみるって言ってくれたんだ」

「よく引き受けてくれたね」

「もちろん、かなり無理してくれたんだとは思うけど。でも同級生が社長を務める取引先の家の、十二代目当主の結婚式なら、って」

「……またそれも大袈裟だ」

「十二代目?」とみちるが首を傾げた。「貴志は五代目じゃないの?」

「それは家業を継いだら、ってこと。だから五代目は省吾さん」と俺は答えた。「当主としては十二代目なんだ。当主じゃねえけど」

「いや、いずれはそうなるよ」と省吾さんは言った。「江戸中期からだっけ?」

「そのへんらしいね。文化文政ぶんかぶんせい期とか」

「……やっぱり旧家って言うのはホントなのね」

 俺は肩をすくめた。日本じゃそんな家、さほどめずらしくもないだろう。

「――それで、今からまずその結婚式場に行って、衣装とか髪とか、諸々ドレスアップを完成させて、そこから式を挙げる教会に行くことになってるから。挙式の時間は今から一時間半後。結構、と言うか、かなりタイトなスケジュールだよ」

 そう言うと省吾さんはちょっとアクセルを踏んだ。気がはやったのだろう。危ない。

「だから、まだその必要性を感じられないんだけど」俺はわざと落ち着き払って言った。「別に今日じゃなくていいじゃん。その、何とかって言う吉日のレアなコラボには申し訳ないけど」

「何ば言いよっとか。今さら」

「今さらも何も、こっちが頼んだわけじゃ――」そこで俺ははっと気が付いた。「あ、それに、実際入籍するのは明日の予定なんだ。大阪で届を出すからさ。そうなると吉日コラボ関係ねえし」

「それが、明日も悪い日じゃない」省吾さんはにやっと笑った。「大安なんだ」

「え、そうなの」

「貴志くぅん、やっぱここしかないってぇ」省吾さんは歌うように言った。「披露宴はさ、また改めてちゃんと設ければいいじゃないか。横浜でもいいし、大阪でもいい。何なら福岡でも――おう、いっそ三回やっちゃう?」

「馬鹿だろ、そんなやついたら」

 俺は思わず突っ込んだ。ここははっきり釘を刺しておかないと、この人が旗を振ってやりかねない。

「――ただ、ひとつ大事な要件はある。式を執り行っていいかどうかの」

 省吾さんは落ち着き払った声で言った。

「やっぱあるんじゃないか」俺はやれやれと腕組みした。「どんな要件――って言うか、そんなのがあるんだったら無理しない方がいいって」

「いや、それは一条さんの気持ちのことだよ」

「……わたしの?」みちるは胸元に手を当てた。

「そう。いくら段取りが万事上手くいったとしても、花嫁さんの気持ちが最優先されるべきだってこと」省吾さんはさらに神妙な口調になった。「自分たちで走り始めておいて言うのもアレだけど――こんな強行突破の挙式なんて無茶苦茶だって、一条さんが思うのなら、それはもうやっちゃいけないことだと親父さんたちは思ってるんだ。女性にとって結婚式っていうのはそれはそれは特別だろうから、もっとちゃんと準備して、いろいろ希望も叶えて、って思うのが普通なんだし。当人の気持ちを無視して、勢いでやるようなもんじゃないから」

「……分かってんなら何でやっちゃうかなぁ」俺はため息をついた。「そうに決まってるじゃん」

「……やっぱり、無理がありますかね一条さん」省吾さんはルームミラーを見上げた。「ふざけないでって、思ってらっしゃる?」

「そうは思っていません」とみちるは答えた。「そもそも、突然結婚を言い出したのはわたしたちなのに、それに応えようといろいろ骨を折ってもらってとても有難いですし、何よりみなさんに喜んでもらってることが嬉しいです。ただ――」

「ただ?」省吾さんは首を傾けた。

「うちの家族にも、見せてあげたいなって言うのがあって――」

「そりゃそうだ」俺は言った。省吾さんもうんうんと頷いている。

 すると省吾さんはハザードランプを点滅させて車を道路脇に停めた。ちょっと待って、と言うと上着の内ポケットからスマホを取り出し、タップして耳に当てる。俺とみちるは見守った。

「――ああ、俺やけど。どげん感じ?」省吾さんは言った。「――ああ、うん、うん。じゃ、タクシーの手配は? できんしゃいる。それで、直接行っちもらえるんやね。時間とか、向こうで誰の出迎えるか伝わっちる? はい、はい。間違いんなかごとね。引き続きよろしく」

 そして省吾さんはぼんやりと見守っている俺たちに、とどめのひと言を放った。

「――一条さんのご両親と弟さんの乗った飛行機、もうすぐ着くって。お三方には、タクシーで直接教会に行ってもらうことになってるから」

「――――――!!」

 俺たちはシートに倒れこんだ。いったいいつの間に。

「……すごい組織力」みちるは言って息を呑んだ。

「……どこで使ってるんだよその力」


 ――そう。つまりもう、腹を括るしかないってことだった。


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