8 芹沢家(後)


 結婚式場に着いた俺たちは、省吾さんの同級生だというチーフマネージャーの山崎やまざきさんと、俺の姉貴で省吾さんの嫁のけい、その長女の愛美まなみの出迎えを受けた。

 姉貴は挨拶もそこそこにみちるを衣装室に連れて行った。俺は山崎さんにロビーの隅っこのテーブルに案内され、これから先の簡単な流れと段取りをレクチャーされた。俺は自分の支度が出来次第、待機している省吾さんの車でみちるより先に教会に向かうらしい。そこで参列者に簡単な挨拶をしろと言われた。通常は新郎にそんな役目があるのかどうか分からなかったが、今回の場合はそりゃ、俺から何かひと言あってしかるべきということなのだろう。今日挙式したいと言ったのは俺じゃないけど、そこはまぁ、やっぱ俺なんだろうな。

 ちなみにこの式場にもチャペルはあったが、大安である明日は何組もの挙式が執り行われる予定で、その準備のために今日はもう使えないらしい。それで、ここから車で五分ほどの、式場と提携する教会を提供されたというわけだが、どっちがいいなんて選択肢は与えられていないと百も承知なので、どっちだって良かった。

 それから俺も新郎用の衣装室兼美容室に連れて行かれた。衣装合わせと髪のセットをするらしいが、衣装は先にいくつかの候補を選んでおいて、みちるのドレスが決まってからそれに合わせて一つに絞るということだった。いろいろと試着させられたけど、自分の主張は一切封印した。そんな時間は無駄なだけだ。それに、反感を買うことを承知で言うが、どうせこの顔とスタイルだ。何を着たって似合う。衣装担当のスタッフさんたちはずっとキャーキャーと騒いで、とにかく面倒臭かった。中にはどさくさに紛れて一緒に写真を撮ってくれと言ってくる女性もいたが、それはさすがにやんわりと断った。

 とは言えその衣装選びも髪のセットもたいして時間は掛からなかった。たまたまだけど一週間前に美容院に行ったばかりだったし、昨日は欲望を抑えてちゃんと寝たおかげで肌の調子もいい。そのうちみちるのドレスも決まったらしく、俺は結局、ライトグレーのタキシードを着ることになった。もう、どれでもいい。

 美容室から出てくると、省吾さんが待っていた。わざとらしく褒められたあと、俺はまだ支度に時間の掛かっているみちるを置いて、一足先に省吾さんの車で教会に向かった。



 教会に着き、芹沢家の控室に入った。そこで俺は今日初めて、両親とごく近しい親族、従業員の皆さんと顔を合わせた。

 まず、つかつかと近付いてきた親父にポカっと頭を一発殴られた。

「痛って――」

「おまえは、ほんなごと人騒がせたい!」

 親父は顔を真っ赤にして声を荒げた。「まずは皆に謝れ! そいでお礼ば言いない! えらいお世話になりよったんだから――!」

「まあまあ、お義父とうさん――」

 省吾さんがたしなめたが、親父はまったく聞いていない。

「無茶なこつば言うて、どげん準備のえらいやったっち思っちる? きさんのごたる身勝手な息子はおらんぞ?」

「は? 式ば挙げるっち言い出したんは親父なんやろ?」

「何ば言うか――!」親父の顔がますます赤くなった。肩で息をしている。

「貴志くん」と省吾さんは今度は俺をたしなめた。「それ、今言わなくてよか」

「……分かった」

 そして俺はみんなに向き直り、「みなさん、ご無沙汰してます。お騒がせしてすいません。それに、いろいろと準備していただいてありがとうございます」と頭を下げた。

 すると皆は口々に「大丈夫だ」とか「良かった」とか「おめでとう」と言ってくれた。省吾さんによると、会社の従業員は現在三十五人ほどらしいが、そのほとんどが今、この場に来てくれていた。俺が家を出てからの十年間を知っている人たちだ。順番に俺のところへやってきて、握手したり泣いたり飛び跳ねて喜んだり、申し訳ないくらい祝福してくれた。その様子を見て、親子で勢いに任せて無茶苦茶なことをやらかしているのは分かっているが、それでもきっとやって良かったんだなと思った。そして親父にはこの光景が予め分かっていたのだと思うと、やっぱり親には敵わないってことを思い知った。


 一通りの挨拶が終わって、やっと椅子に腰を下ろしたところで、しばらくぶりに見る顔が声を掛けてきた。

「うぃ~。おめでとうさん」

 二番目の姉の旦那の、森口もりぐち透馬とうまさんだった。

「お、ひさしぶり」俺はぺこりと会釈した。「わざわざ来てくれたんだ」

「そら来るよぉ。仕事なんかしてられるかいな。早退早退」

 透馬さんは人懐こい顔をくしゃくしゃにして言った。「大事な義弟おとうとの晴れ舞台やで。美乃梨みのりちゃんと翔馬しょうまくんだけで列席なんて、俺、悔やんでも悔やみきれへんやん」 

 透馬さんは神戸のアパレル会社に勤めていて、下の姉の美乃梨と五年前に社内恋愛で結婚し、三歳の息子・翔馬と三人で神戸に住んでいる。俺もごくたまに大阪で食事をすることがあるが、普段俺が仕事で接する同僚たちとはまったく違って、ものの考え方や人との決し方が柔軟で懐が深く、俺はちょっと憧れる存在だ。職業柄か、今日も洒落たスーツを着こなしている。そして、三日ぶりに聞く関西弁が、どういうわけか今の俺をとてもほっとさせた。

ねえは?」俺は訊いた。

「たった今、お義母かあさんと、牧師さんとこ挨拶に行ったで」

「俺は行かなくていいのかな」

「ええんちゃう? ここにおった方が、皆さんと話せるやろ」

 そう言うと透馬さんは意味深な笑みを浮かべた。「お嫁さん、エリートなんやて? 東大卒らしいな」

「うん、まあ」

「大丈夫かぁ? 尻に敷かれるどころか、足で踏んづけられるんちゃうの?」

「透馬さん、人のこと言えるの」俺は笑って義兄を見た。

「……それやねん。まあ、実の弟にこんなこと言うのもアレなんやけどさ。美乃梨ちゃん、お母さんになってからますます何て言うの、肝が据わりまくってるって言うか――何事にも動じひんようになって」

「元々そうだもんな。それに加えて母は強しってやつ」

「まぁ、オロオロと頼りないよりはええけど。翔馬くんもやんちゃになってきたし」

「そういや翔馬は? のり姉と一緒?」

「それが、えーっと、れんくんにくっ付いて行ったんやけど――」

 透馬さんはドアに振り返った。漣と言うのは上の姉貴の長男で、確か十歳だ。その下にさっき式場でその姉貴と一緒だった八歳の愛美がいる。

「あっそうや、のお兄ちゃんに遊んでもろてたわ。メガネの」

「向こう?」

「お嫁さんとこの。弟やったっけ」

 そうだ、忘れてた。みちるの家族がもう着いてるんだった。

「ちょっと挨拶に行ってくる」俺は立ち上がった。「誰かに訊かれたら、そう言っといて」

「分かった」

 透馬さんは手をひらひらと振って俺を見送った。


 部屋を出て、『一条家』と書いたプレートの掛かった斜め向かいの部屋に向かおうとして、長い廊下を何気なく眺めた。すると突き当たって左に曲がる手前に置かれた長椅子に、黒いスーツ姿の暁輝くんを見つけた。賑やかな音楽の流れるスマホを手に、いくつもの指を動かして黙々と操作している。隣に漣と翔馬がいて、スマホの画面を熱心に覗き込んでいた。

「暁輝くん」

 暁輝くんはちらっと俺を見て、またすぐに画面に戻って軽く会釈して言った。「どうも」

 すると漣が顔を上げた。「にい!」

「にぃ!」翔馬も真似をする。

「漣、翔馬」俺は笑って手を上げた。「ひさしぶりだな」

 漣は長椅子から降り、小走りで俺のそばまで来た。後ろから翔馬も一生懸命ついてくる。俺は翔馬を抱き上げ、彼の顔を覗き込んで言った。「大きくなったな」

「なぁ!」翔馬は言って、にこにこと俺を見た。

「たか兄、結婚おめでとう」

 漣が言った。すると翔馬も「とぅ!」と言う。

「ありがとう。急に決まったこつやったから――漣たちにも迷惑ばかけたね」

 すると漣はううん、と首を振って、

「お母さんの喜んでたちゃ。心んつかえのおりた、って言うてたよ」と嬉しそうに微笑んだ。すると「たよっ!」とまた翔馬。

 いちいち翔馬が語尾を拾って真似をするのが面白かったのか、暁輝くんがふふっ、と笑った。俺は彼に言った。

「ありがとう。この子たちの相手してくれてたんだ」

 暁輝くんはいえ、と首を振った。「親御さんたちが忙しくしてて、退屈してたみたいだから。ゲームの様子を見せてただけです」

「そう。でもまさか来てくれるなんて。無理させたみたいだね」

 大丈夫です、と言って暁輝くんは顔を上げて俺を見た。「姉の結婚式なら、参列しないわけにはね」

 そのとき、省吾さんと透馬さんが控室から顔を出して漣と翔馬を呼んだ。俺は翔馬を下へ下ろし、二人はそれぞれの父親の元へと駆け寄った。漣が俺に振り返って「じゃあ、あとでね!」と言うと、翔馬も「ねっ!」と真似をした。

 俺は暁輝くんに向き直って訊いた。「どういう経緯でここへ来ることになったの?」

 すると暁輝くんはスマホを上着のポケットに仕舞い、長椅子に手をついて言った。

「――あのあと、父が芹沢さんのお父さんに電話を掛けたんです。もらったお酒のラベルに書いてあった会社の名前で番号を調べて。父は応対に出た人に『お父さんにお礼とご挨拶を』って言ったんですけど、そしたらその人が『相手のご両親が来たいって言ってる』って芹沢さんのお父さんに伝えたみたい。会社の皆さんは式の準備をしてたわけだから、そう思い込んじゃったんでしょうね。それを聞いてお父さんも、もちろん来てください、となったみたいですよ」暁輝くんは肩をすくめた。「――で、急遽こっちへ向かうことに。母と僕は大慌てで着替えに帰って、父は慶事休暇を取って」

「……そういうことか」俺は心配になった。「お父さんとお母さん、何か言ってた? 無茶苦茶だ、とか」

「いいえ。むしろ楽しんでましたよ」と暁輝くんは笑った。「うちの親戚って、ほとんどが会社に勤めるサラリーマンばっかなんですよ。あとは父もそうだけど公務員とか。だから、芹沢さんの実家のように、会社ぐるみで家族みたいに、っていうのが新鮮みたい」

「……だったらいいけど」

「しかも両親はちょっと変わってるって言うか――割と何でも前向きに捉えて、楽しもうってところがあって。それで姉も僕も、今まで結構振り回されることがあったんですよね」暁輝くんは照れ臭そうに首を傾げた。「ほら、父は再婚でしょう。それに、いわゆるエリートってやつで。でも母はごく普通の人で、でも初婚で。それぞれの身内から、いろいろ心配されたみたいなんです。父の最初の結婚が短かったのもあって、中には心ないことを言う人もいて。それに対抗する気持ちからなのか、何があっても前向きに、楽しもうって決めたらしくて」

「そうなんだ」

 どんな夫婦にも、いろいろあるんだなと思った。

「ここへ来る飛行機の中でも、とても嬉しそうでしたよ。芹沢さんのお父さんがホテルを取ってくださったんで、今日は泊まりみたいです。それでお父さんが明日、福岡を案内してくださるそうで、今から楽しみにしてますよ」

「押し付けがましいことになってなきゃいいけど」

「大丈夫です。今夜もこのあと、みなさんでもつ鍋に連れて行ってくださるって。父の大好物なんです」

 みちるは昨日、暁輝くんが父親のことを煙たがっていると言っていたけど、それって彼女の誤解なんじゃないかと思った。

 そのとき、入口の方からマネージャーの山崎さんが現れた。早足で廊下を進んで来ると、それぞれの控室の真ん中で立ち止まり、

 周りの参列者に向かって言った。

「花嫁さんが到着されました。まもなくお式を執り行いますので、皆さま一旦、それぞれの控室にお戻りください」

 しまったな、みちるのご両親に挨拶できてないけどと思っていると、暁輝くんが立ち上がって俺に言った。

「――じゃあ、頑張ってくださいね。お義兄さん」

「……はい。頑張ります」


 いよいよ怒涛のスケジュールの仕上げだ。やり切るしかない。


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