4 一条家(前)


「――お母さん、舞い上がりすぎ。お父さん、そわそわしすぎ。そして暁輝たける、今すぐスマホを仕舞いなさい」

 先に到着していた中華レストランの個室で、五分後に現れた家族を迎えるなりみちるは言った。

「何なの三人とも。子供じゃないんだから、もっと落ち着いてよ」

「お、遅くなってご、ごめんね、みぃちゃん」

 お母さんが息を切らすように言った。

「大丈夫、時間通りよ。焦らなくていいから」

 そして三人は三者三様の表情を浮かべて俺を眺めた。背が高く、ところどころにバランスよく白髪の入った髪が良く似合う親父さんは穏やかに微笑みながらも瞳の奥からは鋭い光が放たれ、俺をじっと品定めしているのが分かった。みちると同じくらいの背格好のお母さんは健康的で若々しく、丸い目をいっぱいに開いて俺をガン見して、みちるの言う通りかなりふわふわしている。そして親父さんより少し背の低い弟くんは――黒縁眼鏡に無表情。なるほど。

「紹介するね。こちら今お付き合いしてる、芹沢貴志さんです」

 みちるは言うと俺に振り返って手を差し伸べた。

 初めまして芹沢ですと頭を下げ、それから言った。「今日はお忙しいところをお時間取ってくださり、ありがとうございます」

「いや、大丈夫です。きっと娘が言い出したことなんでしょうし」親父さんが言った。

「いえそれは――」

「そうなの、ごめんねお父さん。彼、大阪だから。たまたま一昨日からこっちに来てて、今日中に戻らなくちゃならないの。それでわたしが家族に会ってって頼んだのよ」

 みちるは噓を言った。いきなり騙すようなことってどうなんだろと思ったが、おそらく現時点で俺が突然結婚を言い出すに至った心情を話してもまず理解してもらえないと分かっていたので、ここはみちるに任せることにした。

 そして次にみちるは俺に自分の家族を紹介した。父親のすぐるさん、母親のかおるさん、そして弟は暁輝たけるくん。俺は順に挨拶をし、そして気付いた。

「あ――」

「そうよ。うちの家族、名前で韻を踏んでるの」みちるが恥ずかしそうに言った。

「ああ、そうなんだ」

 俺はみちるに言われてやっと気付いたふりをした。

 とりあえず座りましょうということになり、そのタイミングで新橋の酒屋で購入した実家の焼酎を渡した。親父さんは喜んで、ここで開けていいかと訊いた。もちろんですと言うと親父さんは丁寧にラッピングを解き、箱を開けてボトルを両手で取り出した。

「――芋ですか――」

 そう言いながら親父さんはじっとラベルを見つめ、それからゆっくりと俺に振り返った。

「ええ……」俺はぎこちなく頷いた。「お嫌い……ですか」

「いいえ。むしろ大歓迎です。ありがとう」親父さんは満面の笑みを浮かべた。

 ――はぁ。何なんだよこの間は。冷や冷やさせないでよ――

 それから親父さんはお母さんにボトルを見せて、

「ほら、ここを見てごらん。古酒と書いてあるだろう。これはかなりの期間――確か三年以上だったかな、そのくらい熟成されてないと書けないんだ。お酒は熟成するとまろやかでコクのある味になる。これは美味しそうだよ」

 と説明した。そして俺に、「樽貯蔵ですか?」と訊いてきた。

「樽とタンクを併用しています」俺は答えた。確信はないけど、たぶんそうだったはずだ。

「なるほど。それで色が付きすぎるのを防いでいるのですね」

 そうです、と俺は頷いた。「お詳しいんですね」

「いや、お恥ずかしい。専門家の方の前で、素人の浅識を」親父さんは笑って頭の後ろに手を当てた。

「僕は専門家じゃありません」俺も照れ笑いを浮かべる。

「――へえ、それ結構高級なんだ」

 ここで弟くんが初めて喋った。驚いて振り返ると、スマホの画面を見ながら親指でスクロールしている。どうやらこの焼酎をググっているらしい。マジか。

「暁輝、何やってるの?」みちるがきつい口調で咎めた。「やめなさい、失礼じゃない」

 弟くんはスマホをテーブルに置いた。そして俺の顔をじっと見ると、「ごめんなさい」と言って肩をすくめた。俺は黙って愛想笑いを浮かべた。

 ――ったく。みちるの弟じゃなきゃ、ただじゃおかねえからな。

「芹沢さん、ごめんなさいね」お母さんが頭を下げた。「この子、昔から何でも調べたがる癖があって――今は便利な道具があるから、それに拍車がかかってしまって」

「いえ、大丈夫です」

 俺はお母さんに言ってこれまたしっかり微笑んだ。どうやらこの場はずっとこうしてなきゃいけないらしい。

 するとお母さんはまあ、と言って胸に手を当て、背もたれに身体を預けた。俺の笑顔が彼女のハートをドキュンとやっちまったようだ。

 ――あの、初対面とは言え、いちいちそんなリアクション取ってちゃこの先持たないと思うけど。


 ――あぁ、なんかしんどいぞ――!


 俺は早くも根を上げそうになった。やっぱ急ごしらえの覚悟じゃ無理があったか。その覚悟に嘘はないけど、本来はもっとじっくり、それこそ“熟成”させてから臨むべきだったんだろうか――。

 ふとみちるに振り返ると、彼女は小さく頭を振った。いちいち気にするなと言いたいらしい。うん、そうだな。


 料理は予約のときにランチコースを注文しておいたそうで、まずはスープとオードブルが運ばれてきた。みちるはあっという間に平らげ、そして今回の突然の結婚意思について家族に説明を始めた。すると親父さんがそれに待ったを掛け、その前に俺についてよく知りたいと言った。至極当然だ。

「どうぞ、何でも訊いてください」俺は言った。

 親父さんは頷いた。「ではまず、あなたが大阪で警察官になった理由をお聞かせ願えますか」

「理由、ですか」

 俺は思わず訊き返した。一番にそこを問い質されるとは思っていなかったからだ。

「そうです。そもそも、今頂戴したような上質のお酒を造っている立派な家業を継がず、なぜ警察官になったのですか? しかも出身地ではなく、通っていた大学の所在地でもない大阪で」

 最初に訊かれて戸惑ったけど、訊かれること自体は予測していたから、答えは用意してあった。

「――もともとは、家業を継ぐつもりでした」俺は説明を始めた。「旧家の長男で、敷かれたレールに乗って進む人生だと割り切っていたので、大学進学を希望し、卒業までは好きなことをしたいという思いがありました。少しでもその期間を長くとるため、当時の僕の学力ではちょっと厳しいところを志望校に選んで、浪人するのもいいかなと思ってもいました。東京の大学を選んだのは――単純に都会への憧れですね。親元から離れたかったのもあります。親は経営を学ぶことを条件に渋々許したという感じです」

 親父さんとお母さんは俺に何度も頷いた。熱心に聞いているという感じ。弟くんは――黙々と食事を進めている。そりゃ興味ねえよな。

「――何とか現役で志望校に受かってこっちに出てきて――いろいろ刺激を受けたんです。たちまち帰るのが嫌になりました。地方から都会に出てきた若者の典型的パターンですね。特に僕の場合は卒業後の進路が決まっていましたから、なおさらです。ただ、家業を継ぐのが嫌になったと言うよりは、別の世界が見たくなったと言う方が近いですね。それで、親に黙って警察官の採用試験を受けて――」

 そう言うと俺は両親の顔を見た。「――あ、そこが飛躍してるという疑問でしたね」

「ええ、まあ」親父さんはぎこちなく笑った。

 実はこの展開もわざとだった。あえて回りくどく話すことで、よく分からないけどこの男なりにいろいろあってのことなんだなと思ってもらおうとしたのだ。

「家業を継いだら、そこからはひたすら利益追求に精を出すことになります。もちろん、いい商品を作ったり売ったりして多くの人に喜んでもらいたいという思いが第一ですし、地域社会に貢献したいという理念もあります。でも利益の追求なくしてそれはあり得ない。そういう世界に身を置く前に、まずはそんな損得抜きに人と向き合いたいと思ったんです」

「それで公務員に」親父さんは言った。「損得勘定が働きにくい」

「ええ、そうです」俺は大きく頷いた。「警察官になろうと思ったのは、人間誰しもが持つ本性と言うか、剝き出しの素顔と真正面からぶつかる仕事がしたいと思ったからです」

「大阪を選んだのは?」

「東京の次に大きな街だったからです。その方が目的に合うと思って。東京はもう、十分かなと」俺は笑った。

「なるほど」と親父さんは頷いた。

「仲良しのお友達が何人か、大阪で就職なさったのもあると――みちるから聞きました」お母さんが言った。

「ええ、そうです、はい」

 みちるには以前そう説明したことがある。そりゃ、両親にほんとのことは言えないし。東京に出てきてすぐに付き合った恋人が殺されて、その犯人が法律に守られて無罪放免になり、大阪のどこかにいる可能性があるから、見つけ出して復讐してやるつもりで警察官になったなんて。


 料理は炒め物や揚げ物などのメインに近いメニューへと進んでいた。親父さんが午後からの仕事が無かったら紹興酒でもいただくのに、とスタッフの女性に言って残念がった。女性はにこにこと笑い、今日は我慢ですねと言った。親父さんはこの店の常連らしいから、スタッフとも打ち解けているのだろう。

 やがてスタッフの女性が部屋を出て行き、親父さんは話を再開した。


「――ところで、申し訳ないがあなたの大阪府警での経歴は今朝、一通り情報収集させていただきました。府警にも伝手つてはありますので」

「そうですよね」

 そこに不満を持つほど俺も馬鹿じゃない。つまり全部知ってるってわけだ。俺が問題児だってことも、それゆえの問題行動も。

「なかなか、見込みのある人物のようだ」 

「とんでもない。所轄署の一刑事です」俺は首を振った。「ですから、本来ならお嬢さんとは釣り合いが――」

「いや、そこは関係ない。むしろそんなことを考慮するような人物は、娘の相手としては不安を抱かざるを得ない」親父さんはきっぱりと言った。「気になることがあるとするなら、娘の今後の仕事への取組み方とあなたの仕事の状況を、どこでどう折り合いをつけていくのだろうということです」

「それはねお父さん、まだしばらくはこのまま――」みちるが言った。

「別居婚だろう? お母さんから聞いたよ」親父さんはみちるに言った。「当面はそれでもいいけど、ずっと続けていくつもりか?」

「それは――」

「それこそ、芹沢さんに無理を強いることになってはいないのか? みちるの立場を理由に」

「それはないです」と俺が言った。「そんな遠慮はしてません」

「でも、ずっとこのままというわけにはいきませんよね? そちらのご両親にも申し訳ないですし」とお母さんが首を傾げた。「子供だって、欲しいと思うかも知れない。それ以外にもいろんなことが起きるのが結婚生活です。別居では、どうしても立ち行かなくなってくるんじゃないかしら」

「そのときは僕が警察を辞めますよ」

 えっ、とみんなが声を上げた。いや、みんなじゃない。弟くん以外の三人だ。弟くんはちょっと顔を上げて俺を見ただけだった。

「辞めてどうするの?」みちるが言った。

「みちるのそばで他の仕事を探す」俺は肩をすくめた。「それ以外何がある?」

「ええ~っ……」みちるは目を丸くした。「本気で言ってるの?」

「だって……特に大阪にこだわりは無いから」

「……そう、だけど……」

 みちるはため息交じりで呟いた。「そんな簡単に言っていいの?」

「簡単じゃない。けど、何が一番大事なのかを考えたら、自ずと答えは出る」

 そう言うと俺はまだ唖然としている両親に振り返った。「と、思ってますけど……駄目でしょうか」

「い、いや――」親父さんは眉根を下げた。「あまりにも潔いので、驚いています」

 俺は笑った。「彼女に恥をかかせないように、ちゃんとした仕事を見つけます」

「そんなことは――」親父さんは困ったように首を傾げた。「もう一度言いますが、そういうことは考えてもらわなくてもいいのです」

「でも――」

 そこでまた次の料理が運ばれてきた。メインの、イベリコ豚を使った黒酢の酢豚だった。ふとみちるを見ると、上品に盛り付けられた料理に目を輝かせている。こんなときでも食欲が勝つのかよと、ちょっと気が遠くなりそうだった。

 そこで親父さんが言った。

「――では今度は、私たち夫婦の話を聞いてもらいましょう」



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