おかえりなさい①

 館からミルルが作った回復薬を人数分だけ持ち出して、ひとつをホーリーの前に差し出した。

 肉体が残っていても、白魔術で死んだ黒魔女が復活するとは思えない。もし復活してもホーリーが危険にさらされるのは目に見えている。

 しかし悔しいことだが、押しかけ父親なんかの俺の声は、覚醒したミルルは届いてくれない、見向きもしないんだ。

 最終手段、禁断の魔術、一か八かの賭け、それに打って出るしかない。


 ホーリーは、躊躇っている。

 白魔術の僧侶でありながら、黒魔術で作られた薬を飲むのか。

 グレタが復活したら、何と言って詫びればいいのか。

 命を取られる覚悟は、あるのか。


「ホーリー、復活の呪文を唱えてくれれば、それでいい。あとは、俺が盾になる」

 俺から受け取った薬瓶を見つめるホーリーは、彫像のように固まっていた。凍てつく彼女の内側から、煮えたぎるような葛藤が透けて見える。


「アックス。また、いいところを独り占めしようとしやがって。俺にもホーリーを守らせろ」

 自信たっぷりに笑みを浮かべるレスリーが、俺から薬瓶を奪い、軽々と飲み干した。


「ミルルのそばにいたアックスが考えたのなら、私は全面的に信用しよう」

 薬を求めて、シノブが俺に手を伸ばした。一切の躊躇いなく薬瓶を煽ると、瞳は輝きを取り戻していった。


「アックスが思い描く未来は、訪れないかも知れない。だが俺も、アックスの理想に賭けようじゃないか。違った現実を迎えたならば、俺が全力で対処する」

 俺の手から薬瓶を抜き取って、ブレイドがひと思いに飲み干した。剣を失い身体ひとつになった今でも、先陣を切って戦い、パーティーを率いる強い意志が伝わってくる。


「……私のことは、いいの。ミルルを、お願い」

 ホーリーは、意を決して開いた口へと回復薬を注ぎ込む。

「みんな……俺を信じてくれて、ありがとう」

 俺は、残った1本を流し込んだ。


 血湧き肉躍るとは、このことか。カタブーラの騎兵隊と戦って、崩れた城から叩き落され、満身創痍となった俺の身体は光を放ち、心臓から全身へと熱い血潮が駆け巡る。


 本当に、凄い効果だ。全回復ではない。それを遥かに凌駕して、更に強くなったようだ。

 錯覚か、幻覚か、悪魔に魂を売ったのか。

 わからない。わからないが、もしそうだとしたら、次に討伐されるのは俺たちだ。

 それでも構わない。世界を、ミルルを救うためならば──。


 墓石の前に立ったホーリーは、唇を固く結ぶと開いた両手を真っ直ぐ伸ばした。詠唱姿勢、あとは呪文を唱えるだけだ。

「ホーリー! グレタを復活させてくれ!!」


 囁くように唱えられた、復活の呪文。

 手の平が光り輝き、いくつもの星屑が渦巻いてホーリーを優しく包み込む。真っ直ぐ伸ばされた指先を精霊が踊り、生命の灯火を祝福している。


 精霊たちはグレタの墓石へ跳躍し、氷上を踊るようにゆっくりゆっくりと舞い降りて、その姿は土の下へと沈んでいった。


 ホーリーから光が消えた。

 慎重にまぶたを開き、そっと両手を下ろした。あとは、グレタが復活するのを待つだけだ。


 俺たち白魔術世界の人間であれば、すぐに効果が発揮される。

 が、精霊は土に溶けたまま帰ってこない。棺が被った土饅頭は、ただの土塊つちくれとして眠りについている。


 あれから、時が経ち過ぎてしまったのか。

 白魔術では、黒魔女は復活出来ないのか。

 やはり、ダメだったのか──。


 そのとき、土饅頭が脈動するようにうごめいた。


「ホーリー、お前の役目は終わった。早く逃げるんだ!」


 しかし誰ひとり、一歩も動こうとしない。土が割れ、墓石が倒れ、棺の蓋が跳ねる様子から目を離さず、何があってもいいように身構えている。


「ホーリー、下がっていろ。俺たちが全力で守り抜く」

 ブレイドを筆頭にレスリー、シノブがホーリーの前に躍り出た。


 何故、逃げない!

 ローゼンヌに火を放ち、住処と娘夫婦を奪い、ミルルを独りぼっちにさせたホーリーを、グレタは恨んでいるに違いない。

 まさか、ホーリー……。

 お前は、死を覚悟しているのか……?

 僧侶でありながら背負った罪をグレタになすりつけ、俺をあざむいていたことを、死をもって詫びるつもりか?


 それが証拠に、ホーリーはすべてを受け入れるように、だらりと腕を垂らしてたたずんでいた。


 そんなことは、絶対に許さない!

 ホーリー、お前は生きるんだ!

 詫びるために生命を差し出すなんて、俺が絶対に許さない!!


 俺は、みんなの盾になるように両手を広げた。

 ミルルの父親代わりとして、俺がすべての責任を持つ!

 だからホーリーには、指1本触れさせない!!


 そのとき、土饅頭が弾け飛び、棺の蓋が空高く舞い上がった。


 棺の中から、痩せ細った白い腕が伸びていく。それを地面に叩きつけ、ゆっくりと上体を起こしていった。

 深々と刻まれた皺、突き出た鷲鼻、ギョロリと見開かれた目玉が、俺たちに向けられる。

 望みが叶ったはずなのに、その姿を前にしては身構えずにはいられない。

 ローゼンヌの真実を知ったあとでも……。


[グレタがあらわれた]

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