さようなら③
ミルルの小さな手の平が、スッと俺たちに向けられた。
魔王城は崩れ落ち、浮き上がり、俺たちは地面に激しく叩きつけられた。
朦朧として定まらない視界を必死に凝らすと、バラバラになった魔王城は矢継ぎ早に積み上げられて、雲を衝く塔に変わり、宙に浮いたミルルを包んだ。
これが、ミルルの城……。
遥か遠くから、木々のざわめきが聞こえた。
森だ、ミルルが作った森が膨張している。
のたうち回る木の根が走り、大地を割いた。
遥か遠くから、水が吹き上がる音がした。
オアシスだ、星が作った湖が膨れ上がる。
溢れた湖水が、大地を一瞬で飲み込んだ。
「みんな、逃げるんだ! ホーリーは回復を!!」
ホーリーに残された力では、最下層の回復魔法がやっとであった。それでも、この場を離れるには十分だ。
「アックス、逃げるって……どこへ?」
足元は溢れた湖水でぬかるみ、思うように走れない。粘つくような感じがするから、きっとこれはスライムだ。
森の方から木の根が這って、ミルルに出会ったときのように襲いかかろうとしている。
普通であれば、森の反対側だろう。
だが、俺は託されていた。
ベルゼウスからグレタへ、白い薔薇の花束を。
「ホーリー、頼む。俺と一緒に、館に来てくれ」
「アックス、俺たちは──」
「お前たちは逃げろ、ホーリーは俺が守り抜く」
しかしブレイドたちは一歩も動かず、ひび割れぬかるむ大地を睨んだ。
「アックス、すまない。俺たちは選択を誤った」
「謝るのは、いい! 早く逃げるんだ!」
ブレイドが自信に満ちた視線を向けて、俺の肩をポンと叩いた。
「バカ言え。俺たちはパーティーの仲間じゃないか。アックスが何を考えているか知らないが、俺たちにもホーリーを守らせてくれ」
シノブもレスリーもそれに呼応し、力強くうなずいた。
「……信じてくれるのか、この俺を……」
「お前は小さな館から、この世界の姿を知った。今、この世界はお前だけが頼りなんだ」
俺たちは地面を覆うスライムを蹴り上げ、大地を貫く根をなぎ払い、森に向かって走り出した。
ミルルが作った館への道は、膨張した森が飲み込んでしまっていた。
ゴブリンは皆、粗暴なだけのオークになった。他にもミルルが召喚したモンスターが力を増して闊歩している。
満身創痍の今、この森に入るのは危険すぎる。
「……ブレイド、シノブ、レスリー。帰れない旅になるかも知れない。それでも一緒に来ると言うのか?」
剣を失ったブレイドは防具を固く締め直して、拳を強く握りしめた。
「アックス、お前が一番知っているじゃないか。今までだって、そういう旅だったろう?」
傷だらけのレスリーは、悪戯っぽく歯を見せて笑った。
「お前ひとりに、いい格好させてたまるか!」
道具を使い切ったシノブが、真っ暗な森を真っ直ぐ見つめた。
「ミルルのためならば、構わない」
唱えられる魔法を失ったホーリーが、俺たちをぐるりと一瞥した。
「みんなを信じるわ。行きましょう、アックス」
そのとき、森の木々が粉々になり舞い踊った。
ドワーフだ! 道を切り拓いてくれている!
「まったく……道は埋まるし、向かいの森は騒がしいし……旦那、何があったんだ?」
「ありがとう、助かった。ミルルに悲しいことがあったんだ。そのまま家まで道を作ってくれないか?」
「そりゃあ構わねえが……いいのかい? そばにいてやらなくて」
「そうしたいのは山々なんだが……もう、俺の声が届かないんだ」
悔しかった。押しかけとはいえ、俺には父親の代わりは務まらないのか。祖母グレタを倒すのが目的だったとは言え、出会った日から今日に至るまで、ミルルのことを考えて、幸せを願って思案してきた。
俺の足りない頭では、上手くいかないことばっかりで、つらい思いもさせてしまった。
それでも、今でも、この瞬間もミルルを一番に思っている。
一番つらいときに離れているのは、明日からもそばにいてやるためなんだ!
ドワーフが次々と木を切り倒す。
俺も借りた斧を振り、森に光を差していく。
ブレイドが、シノブが、レスリーが拳を振るい並み寄るモンスターを払い除ける。
ベルゼウスが遺した花束を、グレタの元へ届けるために。
そして、俺とミルルが一緒に家へ帰るために。
「館の屋根が見えたぞ! あと少しだ!」
ドワーフの言ったとおり、褪せた色をした円錐形の屋根が見えた。はじめて見たときとは違い、カラスやコウモリは1匹もいない。
しかし、あと少しというところで──
[コカトリスがあらわれた]
真正面だ、今までのように払い除けるわけにはいかない。パーティーメンバー全員が満身創痍の状況で、戦闘は避けられないのか……。
[コカトリスは卵を生んだ]
「……これをミルルに届けろって言うのか?」
[コカトリスは様子を見ている]
「わかった。ミルルに、とびっきりのパンケーキを焼いてやる」
俺は卵をポケットに仕舞い、グレタの墓に花束を手向けた。
「それでアックス、これからどうするんだ?」
「ホーリーに頼みがある。復活の呪文を唱えて、グレタを蘇らせてくれ」
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