おかえりなさい②

 立ち上がったグレタは、手向けた花束をそっと抱いた。

「ベルゼウスね? 薔薇は嫌いだと言ったのに、ローゼンヌを思い出すから……」

 そのつぶやきに、ホーリーは苦痛に歪んだ。罪の意識が、心臓を握り潰しているように。


 俺たちが影に隠したホーリーを、グレタが真っ直ぐ指差した。

「あなたなの? この私を蘇らせたのは」

 するとホーリーだけを残して、俺たちは軽々と宙に浮き上がった。グレタの魔法だ、命が費えたあとでも魔力は維持されている。


「そうよ、私が「違う! 俺が……このアックスが──」

 グレタは悔やむように、握った拳を胸に当ててうつむいた。

「……白魔術で目覚めさせるなんて……。黒魔女には、蘇生術も毒にしかならないのよ? もう、生まれ変わることが出来ないわ。これが、本当に最期のときね……」


 空中で弄ばれて為す術もない俺に、グレタは見開いた目を向けた。

「何故、私を蘇らせたの? 目的を言いなさい」

 俺だけが地面に叩き落された。これも魔法なのだろう、息苦しいほど身体を抑えつけられ、動くことすらままならない。

「ミ……ミルルが……」

「ミルルが……? ミルルに何があったの!?」


 血の気のない真っ白な顔が、みるみる青ざめていく。カッと開いていた目玉はオロオロと、縋りつくように狼狽えている。

 祖母として、ミルルにどれだけの愛情を注いだのか、最期のときがどれだけ口惜しかったのか、痛いくらいに伝わってくる。


「あの塔を見ろ……あの中にミルルが籠もってしまったんだ」

 ベルゼウスの城を崩して組み上げた天を衝く塔を見て、グレタは絶望したようによろめいた。

「どうして……どうして館にいないの?」

「ベルゼウスが死に際、祖父だと告白したんだ。それで、ひとりぼっちになったミルルは……」


「そうよ! 私がベルゼウスを倒したの!」

 ホーリー! グレタに生命を差し出して詫びるつもりか!?


「違う……俺だ! このレスリー様がベルゼウスを倒したんだ!」

「いいや、私だ! 女忍者くの一シノブだ! グレタ、私を罰するがいい!」

「みんな、やめろ! とどめを刺したのは、勇者ブレイド! 黒魔女グレタよ、俺と正々堂々勝負しろ!」


 パーティーの仲間にかばわれて、ホーリーは苦々しくうつむいた。また私は、罪を重ねてしまうのか、と。そしてかぶりを振ったホーリーは──

「ベルゼウスだけじゃないわ! 私はローゼンヌも──」

「ローゼンヌ? ……おのれ……私から、ミルルからすべてを奪ったのは、貴様か!!」


 グレタは、怒りの業火に燃え上がった。いつかの俺と同じように……。

 そう、あのときの俺と同じだ。

 生活の糧も場所も、妻も娘も失ったときの俺。


「やめるんだ、グレタ! 憎しみで幸せにはなれない!」

「綺麗事を宣いおって……この怒り、どこへ向けろと言うのだ」

「俺は、ローゼンヌを焼け出された! 憎しみに囚われていた! そんな俺を救ったのは、ミルルだ!!」


 グレタから炎が消え失せた。俺は抑圧から解放されて、身体をかばいながら立ち上がった。


「お前の亡き後、俺はミルルの世話をしていた。

はじめは、黒魔女への復讐だった。ローゼンヌで失った娘の代わりだったのかも知れない。だが、愛情を注いだお前なら知っているだろう? 純真無垢なミルルの心を」


 重たい足を引きずって、狼狽するグレタに歩み寄る。


「ミルルは、俺に新しい世界を示してくれた。白魔術でもない、黒魔術でもない、誰もがともに手を携えて向かう未来を」


 グレタの眼前で、俺は必死に笑顔を作った。


「生命の炎が尽きるまで、あんたは頑張ったよ。お陰で、ミルルはいい子に育っている」


 グレタは緊張の合間に、安堵を見せた。わずかながら、口角が上がったような気がする。


「だが、ミルルの怒りの暴走は、ミルルにとって望ましい未来を破壊する。ミルルの将来を、自ら破滅に導くんだ!」


 まるで俺に歯向かうように、激しい雷鳴が地を割いた。土の焼ける匂いが、辺り一帯に充満している。


「わかったわ、今はミルルが第一ね。でも、その前に……」

 宙に浮いたブレイドたち、固く棒立ちするホーリーにグレタがスッと手の平をかざすと、どす黒い瘴気が立ち込めて、俺たちの身体にまとわりついた。

「グレタ!! 何をするんだ!?」

「あなたたちに呪いを掛けたのよ。死ぬまで解けない呪いを」


 苦痛に顔を歪めながら、ホーリーが詠唱姿勢を構えた。が、グレタは凍てつくほどに冷ややかな視線を送る。

「無駄よ、僧侶さん。私を誰だと思っているの? せいぜい、白魔術などで復活させたことを、後悔するといいわ」


 そしてグレタは、真っ黒な空に白薔薇の花束を掲げた。虚空に霧のような瘴気が集うと、それは1本の箒に変わった。

「さあ、行くわよ、アックス」

「行くって……グレタ……」

「決まっているでしょう? ミルルのところよ。あなた、そのために私を蘇らせたんじゃないの? 父親面するなら、早くしなさい」


 グレタは、箒の後ろを空けて跨った。言うまでもない、俺も乗れという意味だ。

「すまない……恩に着る」

 俺とグレタは箒に乗って、一路ミルルの塔へと飛んでいった。

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