お話を聞かせて③

 通りを横切り、小川に沿ってゴブリンの森へと分け入る。彼女のことだから、そんなに深くまで入っていないと思うが……。


 そのとき、微かなうめき声が聞こえた。

 ゴブリンだ。ひどい怪我を負っていて虫の息、もう長くはないだろう。


「どうしたんだ!? 何があった!?」

 駆け寄って肩を抱えると、ゴブリンは虚ろな目を見開いて瞼を震わせた。

「……女僧侶にやられた。ルビーベリーの場所を聞かれて、答えるまで……」

「魔法で攻撃されたんだな。それでホーリー……僧侶はどこに!?」


 ゴブリンは震える指先で、小川から外れた森の奥を指し示した。

 わずかな隙間しかないほど深く茂った暗い森、しかも夜だ。教会育ちで森にうといホーリーでは、迷って出られなくなってしまうに違いない。

 すぐ追いかけなければ、この森に、ホーリーに何が起こるかわからない。


 ゴブリンをそっと寝かせて、最期のときを迎えさせると、かすれる声が俺の胸を引っ掻いた。

「あんた、あいつを知っているのか?」

 そこで力尽きたゴブリンは、紫色の瘴気を放ちながら、この世に別れを告げて消えた。


 どうしたんだ、ホーリー。こんな粗暴なことをするなんて、何があったんだ。


 茂みの隙間、ぬかるむ地面にホーリーの足跡が残されていた。急ぎたいところだが、少しでも気を抜くと、足跡を見失ってしまいそうな暗さだ。足元を見つめながら慎重に歩いていくしかない。

 せめて、無事でいてくれよ……。


 自分の居場所さえわからないほど深く深く分け入ると、真っ赤な炎が遠くに見えた。

 モンスターが吐いた火炎かも知れないが、可能性を信じて走り出す。


 火の主は、サラマンダーだった。


 が、それに対峙するホーリーも目に映った。


「何をしている! ここは黒魔女ミルルの森だ! 勝手なことは許さないぞ、今すぐ下がれ!」

 この一喝に、サラマンダーは口惜しそうに踵を返して森の奥深くへと姿を消した。


「アックス、どうして……」

 ホーリーの問いには、ふたつの答えが求められていた。どうして、ここに? と、どうしてサラマンダーを倒さなかったの? だ。

「ホーリーが心配だから見に来たんだ。こっちにいるとは思わなかったぞ、お陰で俺は丸腰だ。話がわかる相手だから、よかったものを……」

 愛想たっぷりに作り笑いをしてみせたが、ホーリーの表情は硬いままだ。


「ホーリーこそ、どうしたんだ? 俺ひとりでもおっかない森だ、早くドワーフの森へ戻ろう」

 ホーリーは俺から目を背けた。拒絶ではない、視線の先に伝えたいことがあったのだ。


「……ルビーベリーだ……」

 俺は、喜び勇んで駆け寄った。木に実っているのは、はじめて見たぞ。どこにでもありそうな、ありふれた実り方をしている。

 そうだ、ブレイドたちを泊めてくれた礼としてミルルにあげよう。砂糖の残りがあるから砂糖煮にして、それでパンケーキを食べよう。きっと、喜んでくれるに違いない。


「アックス! 下がって!!」


 はじめて聞いたホーリーの怒号、その感触には覚えがあった。

 ランドハーバーだ。

 孤児院の僧侶たちがミルルを追うときの声に、よく似ている。


忌々いまいましい魔女の果実……この手で焼き尽くしてくれる!!」


 ホーリーの手の平から炎が立ち上がり、真っ赤なルビーベリーの果実を、鬱蒼と茂る夜より暗い森を、そしてホーリーの憤怒の形相を赤々と照らし出した。


「ホーリー! やめるんだ!!」

「これは聖職者としての務め! 邪魔しないで、アックス!」

「やめてくれ! 森を燃やさないでくれ!!」


 憑き物が落ちたように手の平で燃え盛っていた炎が消えて、ホーリーの全身から力が抜けた。


「ホーリー。ルビーベリーが、どうしたって言うんだ。ドワーフの森から飛び出して、ゴブリンに詰問して、見つけたら焼き尽く……す……」


 俺の想像は、恐ろしいところへ及んだ。どうか間違いであってくれ、想像は想像だけで終わってくれ、ただひたすらに願っているが、問い掛けることはやめられなかった。


「ホーリー、ローゼンヌの森で何があったんだ」


 崩れ落ちて膝をつき、虚空を見つめるホーリーは、釣り糸が切れた操り人形。そこに魂の気配はない。


「教えてくれ! ローゼンヌの真実を!!」


 俺に視線を向けたホーリーからは、十三階段を踏みしめるような絶望を感じさせた。


「アックス……私は……」


 ホーリーは、ようやく人間に回帰した。焦点を取り戻した瞳が潤むと、涙が溢れて頬をつたい、ぽろぽろと白い僧衣を濡らしていった。


「私は、あなたをあざむいていました」

「何があったんだ、ホーリー! 教えてくれ!!」


 ホーリーは十三階段を上り切ると、神妙な表情のままひざまずき、白く細い磁器のような首を断頭台に差し出した。


「ローゼンヌの森に火を放ったのは、私です」

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