おもてなしします③

 何を指しているのかわからず狼狽えていると、ホーリーはコルドロンへと視線を向けた。

 魔女が薬を作る鍋……ハッとした俺は、疑念を晴らすべく胸の奥から声を出した。

「これは薬じゃない、スープだ。手頃な大きさの鍋が、これしかなかったんだ」

「冗談を言わないで、一体何を煮出しているの」


 煮出している……?

 その言葉が微かにひっかかり、俺は思わず片眉を上げた。

「ホーリー、本当にスープを作っているだけだ。変なものは作っていない」

「何のスープなの? アックス、答えて!」

 ホーリーは必死の形相で、俺の両肩に細い指を食い込ませていた。こんな表情は戦闘のときにも見たことがない、ただただ戸惑うばかりである。


「……マンドラゴラだが……」


 瞬間、絶望に青ざめて崩れそうによろめくホーリーを、咄嗟にブレイドが支えた。

「アックス……黒魔術に染まってしまったのね」

「何を言っているんだ、俺はスープを作っているだけだと……」


 弁明する俺を鋭く睨みつけ、吐き捨てるように言葉を続けた。

「わからないの!? マンドラゴラには、幻覚を見せる作用があるの!! かつて、これで白魔術教会は壊滅寸前にまで追い込まれたのよ!?」


 レスリーが俺からホーリーを引き離すと、奥歯を噛み鳴らしながら襟首を掴んできた。

「見損なったぞ! お前が、黒魔術の手先になるなんて……」

 怒りは悲愴に姿を変えると、今にも泣きそうな表情を浮かべ、たまらず俺を突き飛ばした。俺は驚愕を飛び越えて、ただただ力なく、呆然と床に座り込むことしか出来なかった。


 ブレイドが自身を落ち着かせるため、希望の光を求めるように、淡々と俺に問いかけをした。

「アックス。この前まで、ここは草1本生えない荒野だった。あれだけ強い魔法だ、ミルルが森を作ったのは、信じられないが理解出来る。しかしマンドラゴラの苗は、どう手に入れたんだ」


 魔王ベルゼウスから貰ったんだ、それを植えたんだよ──。


 ダメだ、そんなことを言えるはずがない。魔王にまで関わっているとわかれば、俺は黒魔術世界に心を売った人間になってしまう。


 そうじゃないんだ。ベルゼウスはただの好々爺で、孫娘が可愛いだけなんだ。

 マンドラゴラが教会をおとしいれたなんて、知らなかったんだ。

 ミルルが喜ぶから作った、ただそれだけ、本当にそれだけなんだ。


 思いついた言葉は、喉を通ろうとしない。何を言っても信じてくれない、そんな絶望に叩き落されようとしていた。


 扉を開け放つ破裂音が、落雷のように螺旋階段に響き渡った。

 ミルルだ。扉の前で話し続けていたシノブに、真っ赤な顔でぜている。


「私、あんなところに行かない! 私は魔女よ!? お祖母様から受け継いだ魔法を捨ててまで、孤児院なんかに行きたくないわ!!」

「ミルル、わかってくれ! 魔女であることを隠せば、みんなと仲良く暮らせるんだ」

 ミルルに幸せになってほしい、というシノブの気持ちはわかるが、その懇願は逆効果だ。


 頼む、ミルルを追い詰めないでくれ。


「何で……何で、そんなことをしないといけないの!? 魔女を隠して、魔女をバカにする人たちと仲良くなんかなりたくない!!」

 ミルルは螺旋階段を駆け下りて、巨漢レスリーに食って掛かった。その気迫に、誰もがたじろいでいる。

「森に来たのは、あなたのためだって言うじゃない! 私の森に、何しに来たの!?」


 口をつぐむレスリーに替わり、ブレイドが強い意志を露わにして、ミルルを諭した。

「レスリーはパーティーに加わったばかりで経験が浅いから、モンスターを倒す訓練に来たんだ。より強いモンスターを倒すには、必要なんだ」


 俺たちの正論は、すべて裏目に出てしまう。ミルルは浮かばせた涙を振り乱し、ブレイドに激情をぶつけた。

「ひどい!! 自分のために弱いものいじめするのね!?」

「弱いものいじめじゃない! 自分より強い相手と戦って、より強くなることが目的なんだ!」

「それだって結局、自分のためじゃない! 自分のために、どれだけ犠牲を払うっていうの!?」

「自分だけじゃない! 俺たちは、みんなのために──」

「やめろ! ブレイド!!」


 息が止まりそうなほど締め付けられた喉を破って張り上げた声が、水を打ったような冷たい静寂をもたらした。

 体温はみるみる下がっていくが、ミルルの胸では内なる炎が燻り続けていた。


「……出ていって……」


 閉じた玄関扉が、怒りに打ち震えるようにカタカタと鳴った。ギュッと握られたミルルの拳も、小刻みに震えている。


「みんな、出ていって! 私には、あなたたちをおもてなし出来ない!」


 次第に強まる振動に玄関扉は耐えきれず、開け放たれると勢い余って外へと吹き飛んで、通りに立ち上がる竜巻に吸い上げられた。

 竜巻は扉だけでは満足しない。椅子もテーブルも通りに吸い出すとホーリーを、シノブを、レスリーを、ブレイドまでも絡め取り、森の向こうの荒野へと連れ出してしまった。


 家具がなくなりガランとした食堂で、ミルルはキッと睨みつけてきた。

「アックス……あの人たちを、どうして家に入れたの」

「一緒に旅をした仲間なんだ、無下には出来ないだろう」

「あんな酷いことを言う人たちを、まだ仲間だと思っているのね……」


 ミルルは沈黙の後、ぽつりと呟いた。

「アックスも出ていって……」


 そんな──ミルルひとりで、どうやって……。


 そう言いかけるより前に、ミルルは浮かぶ涙を弾き飛ばした。

「今すぐここを出ていって!!」


 引かれる後ろ髪よりも背中を強く押し出された俺は『真実の斧』と罪悪感、背負いきれない不安を背負って、自分の足でミルルの館を後にした。

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