お客様が来たよ①

 ミルルがパンケーキを焼くたびに、何度も失敗するものだから、卵はあっという間に残り少なくなってしまった。


「困ったわ、パンケーキが焼けないなんて」

「小麦粉と水を練るだけでも、ちゃんとした飯になるぞ? オーブンで焼いたり、お湯で茹でたりするだけでも美味いんだ」

「嫌よ、私はパンケーキが食べたいの。ねぇ?」

 黒猫が、わけもわからず賛同していた。

「ほら、クロもそう言ってるわ」

「だいたい、パンケーキしか食べていないじゃないか。こんなんじゃあ身体によくないぞ」


 グレタが肉や野菜を買い置きしていないか食堂をあさってみると、ピクルスや乾物は出てきたが、残念なことに新鮮な野菜は出てこない。

 肉や魚は、どこにもない。

 ああ、肉が食いたい……。


「キャラバンの他に、買い物していた先はないのか?」

「時々、買い物に行っていたわ。私は行ったことがないけど」

「ここから近いのは、カタブーラだな。オアシスの町だ」

「それじゃあ、お買い物に行きましょう!」

「おいおい、ここから歩いて3日はかかるぞ?」

「大丈夫よ、私にまかせて!」


 ミルルは嬉しそうに飛び跳ねていた。

 魔女だから箒に跨って飛んでいくのだろうが、ミルルの魔法では不安で仕方ない。

 それに、俺は金を持っていない。パーティーでは、財布の管理はしっかり者のシノブに任せていたからだ。

 しまった、少し分けてもらうんだった。


「すまんが、俺は持ち合わせがないんだ。婆さんの財布がどこか、知らないか?」

「わからないわ。お部屋を探すしかないわね」


 そのとき、窓の外が暗くなり、ゴロゴロと雷が鳴りはじめた。

 この天気では、買い物に出られない。

 仕方ない、小麦粉と水で麺でも打つか……。


 そうだ、井戸水は大丈夫だろうか。

 ミルルを連れて井戸の底を覗き込んだが、すっかり枯れてしまっている。

「ん───……えい! えい!」

と、ミルルが水を呼び込むが、うんともすんとも言わないのだ。


「どうして地面から水が出るの?」

「雨が地面に染み込むだろう? そうすると土の中に、水の通り道が出来るんだ」


 しかし辺りは、水を根こそぎ吸い上げられて、ボコボコになっている。これでは、水脈は潰れてしまったかも知れない。

 せめて雨が降ってくれたら……。

 空を見上げると、薄っすらと暗くなってきた。


 しめた! 雨雲だ!


 暗がりは次第に形を作り、ぼんやりとした人影を空に浮かばせた。

『ウワハハハハハ』

 笑い声が、空一面に響き渡る。


 角が生えた鉄仮面、釣り上がった眼と切れ上がった口は赤く光り、身体は漆黒のマントに包まれている。

「誰だ、貴様は!!」

「あなた、誰?」


『我が名はベルゼウス。この世から光を奪い、闇をもたらす魔王』


 これがベルゼウス!!

 ブレイドが倒そうとしている、ラスボスじゃないか!

 何ということだ、ブレイドたちより先に会ってしまった……。


「何しに来た! ベルゼウス!!」

「ご用件は何かしら?」

『黒魔女グレタが死んだと聞いたが、本当か』


 さすが最強とうたわれた黒魔女グレタ、もう魔王の耳に入っていたか。


「ああ、そのとおりだ」

「一昨日亡くなったわ」

『……そうか』

 ベルゼウスは空に溶けていき、スーッと消えようとしていた。


「ちょっと! ベルゼウスさん!?」

 ミルルに呼び止められて、ベルゼウスはパッと姿を現した。

『何だ』

「あなた、お祖母様のお知り合いなの?」


 ベルゼウスは少しの間、時が止まったかのように固まってから、口を開いた。

『そうだ、古い知り合いだ』

「知り合いだったら、お墓参りくらいしたらどうなの!?」


 ベルゼウスは、また少しの間だけ黙った。

 言葉を選んでいるような、返事を躊躇っているような、そんな間だ。


『小娘、グレタをお祖母様と言ったな』

「そうよ、私は孫のミルル」

『……そうか』

 それだけ言うと、ベルゼウスは再びスーッと空へ溶けていった。


 何ということだ! ミルルが魔王ベルゼウスを呼んでしまったぞ!

 今の俺ではレベルも経験も到底足りない。装備は玄関先に立て掛けてある『真実の斧』だけだ。

 そもそも、俺ひとりで倒せる相手ではない。

 本当に来てしまったら、どうしたらいい……。


 しかしミルルは、卵と水の心配をしていた。

「やっぱり、お買い物に行かないとダメかしら」

 そんなことを言っている場合か!?

 と思ったが、ベルゼウスが来ようと来まいと、死活問題であるのは間違いない。

 ミルルは呑気なのか、しっかりしているのか、よくわからない。


「水は、そうはいかないぞ? たくさん使うし、運ぶには重すぎる。多少離れていてもいいから、川や泉があればいいのだが……」

「雨も降りそうで降らないわね。また降らせちゃおうかしら」

 あの、身体を矢のような激しさで打ちつけた雨のことか。今度、あれが降ったら屋根に穴が開くのではないか。


 そのとき、遠くに人影が見えた。

 微かに揺れながら、少しずつ大きくなっているから、こちらに向かっているらしい。


 ……まさか……!!


「きっとキャラバンよ! お祖母様は常連だったもの。そろそろと思って、来てくれたんだわ!」


 思わずズッコケそうになった。

 ミルルにとっては、呼んだベルゼウスよりも、待っているキャラバン。パンケーキに対する想いの強さが伝わってくる。


 俺は念のため『真実の斧』を手にして、不測の事態に備えた。

 魔王がやすやすと城から出るのは考えにくい。来るのであれば、ベルゼウスが放ったモンスターか、使い魔の類いだろう。


 ……やはり、そうか。こいつが来るとは、俺もナメられたものだ。


[ゴブリンがあらわれた]

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