一緒に暮らそう②

 食事のあとは、洗濯だ。

 洗濯物は、ミルルが作ってくれた。


 家の脇にある井戸から水を汲もうとするが、底を覗くと枯れてしまっている。

かめの水は、飲み水だしなぁ」

「こうするのよ!」

 ミルルが井戸を指差して、頭上でくるりと輪を描くと、みるみる水が上がってきた。


 ゴバァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!


 井戸水は、屋根より高く吹き上がった。

「ね? 凄いでしょう?」

「ありがとう。で、どうやって止めるんだ?」

「そのうち止まるわよ」


 ミルルが言ったとおり、水の勢いは次第に弱まっていった。

 と、同時に辺りの荒野は地下の水脈を失って、あちらこちらで落ち窪み、ボコボコとした起伏を作り、地面のひびは轟音を伴って、大きな亀裂となっていった。

 本当に枯れ井戸になってしまったのではないかと、心配でならない。


 小麦粉と卵にまみれた服をタライに入れて水を張ると、ぐるぐると渦を描きだした。

「これは何をしているんだ?」

「こうすると、綺麗に洗えるのよ。早いし、手も荒れないの。魔女の知恵っていうやつかしら?」


 渦は洗濯物を巻き込みながら盛り上がり、ついには天まで届く竜巻となって、空の彼方へ消えていった。


 俺の服が、今着ている一揃えだけになってしまった……。

「おい! 何てことをしてくれる! 替えがもうないんだぞ!!」

「何で、それだけしか持ってないのよ!?」

「旅をしていたんだぞ!? 服を何枚も持っていられるか!!」


 言い争いをしていると空から服が降ってきて、喧嘩はやめろと言わんばかりに、俺たちふたりに覆い被さった。

「わぷっ!! ……ほら、ちゃんと帰ってきたわ」

「そういう問題か……何だ? これは……」

「エッチ!!」

 ミルルに力いっぱい引っ叩かれた。

 俺が頭から被っていたのは、ミルルのかぼちゃパンツだった。


 井戸のそばの物干し場に、洗った服を吊るしていく。

 空模様は相変わらず、どんよりとした曇り空。空気は湿気たっぷりで、いつになったら乾くのか見当もつかない。


 ただ、これを口にしてしまうと、ミルルは雲に切れ間を作り、燦々さんさんと照りつける灼熱の太陽光をこれでもかと浴びせて、一瞬にして服を燃やされてしまった。


「俺の服……」

「ごめんなさい……。お父様の服を貸してあげるわ」


 夫婦の部屋は生前のまま残されており、今すぐにでも使えそうなほど整理整頓されていた。

 壁を占拠する本棚には、古めかしい本が所狭しと押し込められている。遥か昔のものか、それとも魔女のものか、まっきり読めない文字が背表紙に深々と箔押しされている。


「凄いな、まるで図書館だ」

「魔術書よ。お祖母様は、全部頭に入っちゃったから、お父様とお母様に引き継いだの」


 窓際の机にはやぐらに載ったフラスコ、整然と並ぶガラス管、色とりどりの結晶や液体が収められたガラス瓶が、ズラリと並んでいる。

 複雑怪奇な形をしているガラスと金属の管は、蒸留装置というやつだろうか。


「お父さんは、錬金術師だったのか?」

「そうよ! お薬作りの名人だったんだから!」


 魔女と錬金術師の間に生まれたのが、ミルル。

 大人になるまで夫婦の元で育っていたら、本当に史上最強の魔女となって、世界を席巻していたのかも知れない。

 もしグレタや両親が、今も生きていたら……。


「ほら、お父様の服! ……うーん。アックスは大きいから、ちょっと足りないわね」


 訪れなかった現在を考えるのは、よそう。

 今は、無邪気に服を取り出して、まるでサイズが合わないことに困ってみせるミルルに、感謝の笑みを送ってあげよう。


「ちょっと、どころじゃないぞ。お父さんの服を3着使って、ようやく俺の1着分になりそうだ」


 ミルルの父は華奢と言えるほど細身で、スラリと背が高かったことが、服からわかる。

 木こりだった俺とは真逆の身体だ。

「どんなお父さんだった?」


 幼い頃に別れたのだから当然だろうが、よほど両親が好きだったのだろう。ミルルは鼻息を荒くして話してくれた。


「どんなことでも知っているのよ! 何を聞いても本をパッと開いて、すぐに教えてくれるの! お薬を作るのがとぉ───っても上手で、あっちこっちからお客様がたくさんいらして、たくさん買っていってくれたわ」


 錬金術師として、かなり優秀な人物だったようだ。黒魔術世界では、きっと高名なのだろう。


「それでね、とっても優しいの。私が失敗しちゃっても『こらこら、ミルル』って笑っていたわ。怒った顔なんて、見たことがないの」


 ミルルは鼻をフフンと鳴らした。頭が良くて人格者の父が、何よりの自慢だったのだ。


「身体もそうだが、中身まで俺と真逆だな」

「そうね、アックスはさっき怒ったものね」

「お母さんは、どんな人だった?」

「料理が大好きで、それがとっても美味しいの! お祖母様に似て、魔法もとっても上手だったわ。お料理もお洗濯もお掃除も、お部屋の模様替えだって、みーんな魔法でパパッ! よ!」


 グレタは、ミルルから見て母方の祖母なのか。

 音信不通になっている父方の祖父母は、どんな人だろうか。頭の良さや錬金術、結婚に反対する厳格さが、ヒントになればよいのだが……。


「でもね、怒ると怖ぁーいの。私がミルクをこぼしたら『もう! もう!』って、お説教よ?」

「はっはっは、牛みたいな怒り方だな」

 笑い飛ばしたものの、ミルルの母に、俺は亡き妻の面影を見てしまった。

 何てこった、そっくりじゃないか。胸の奥が、ほろ苦い。


 ここまで聞いてしまっては、次の質問を避けることは出来ない。

 いや、この質問をするために、両親の人となりを聞いたのだ。


 俺は躊躇ためらいを払い除け、深く息を吸ってから、意を決してミルルに尋ねた。

「グレタ婆さんは、どんな人だった?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る