第3話 カミカゼⅢ

「このエロヒムの従僕がッ!」

 カミカゼは彼女の言葉をホワイトファングのデータベースで検索。

 『エロヒム』。最近のAVCで、大病院連合を精神汚染して操っている秘密組織の黒幕とされる悪魔的宇宙人。

 汚い言葉を投げてくる捕虜、高虎としをAVC一佐は怪我をした手にグラスファイバー製ギプスをはめ、拘束衣を着た姿でベッドに横たわっていた。

「精神安定剤を投与します」

 薄いブルーのスリムな防疫服を着た看護士がベッドから離れた所にあるシステムを操作すると、腕に通じているチューブの液の色がわずかに濃くなった。

 高虎としをの眼線と表情からこわばりが消え、彼女は自分が何で怒っていたのか解らなくなった様に、ベッドに上半身を預けた。

「ご加減はいかがですか」

 カミカゼの言葉を高虎一佐は無視した。

 捕虜となった彼女は、強制的に高効率PCR検査を受けさせられていた。彼女は自分もそれによって汚染されたと思い込んでいるだろう。検査が陽性である可能性は高い。

 捕虜である彼女が対COVID-19感染症処置を施した外科病棟にいるのには訳がある。

 手の怪我と、妊娠している胎児の処遇だ。妊娠はようやく二ヶ月目に入ったところで、発覚は彼女自身にも青天の霹靂だった様だ。

「あなたは高用量のイベルメクチンを常用してしましたね」カミカゼは訊ねた。「これは母体にも胎児にもよくない」

「……ワクチニアンが……!」

 彼女は吐き捨てた。皆に対する侮蔑の意味を持っていた。

「何故、ここに俺を連れてきたんだ」

 防疫服を着たマクティガルがばつが悪そうに処置室の出口付近に立っている。

「あなたにはデータにない事を気づかせてもらえる」カミカゼは彼にそう言うと、処置室の奥に控えている、医療用のAIロボに訊ねる。「彼女の調子はどうなんです」

「精神面かね。肉体面かね」

「肉体面です」

「手の骨折は順調に骨芽細胞を高速培養している。全治三週間ですね。身体面は患者当人の口腔内のただれはともかく、胎児が弱っている」下半身がホイールになった白衣の医療ロボが答えた。「明らかにイベルメクチンの悪影響だ」

「あなた自身もイベルメクチンを常用していたのですね。これは胎児に障害が出る恐れがあります」

「胎児の発育はよくない。このままでは早期に流産してしまう」

 二つの耳からそれぞれ悪い言葉を聞かされてとしをは、脳を腐らせる言葉を聞きたくないといった調子で首を激しく振った。「地球人ならまだしも、その汚らわしい機械人形に話をさせるな」

 としをの悪罵がカミカゼを指しているのは明らかだった。

 カミカゼは愕然とし、一瞬、社会内の人間関係の自己評価マップが乱れた。機械人形という言葉を悪印象で使われたのは初めての経験だった。

「気にするな」

 マクティガルがカミカゼに声をかけた。

 カミカゼは気にした。としをの言葉によって、ホワイトファングの力を借りて、自己の今までの行動と自己評価を高速で再確認する。自分は何者なのかという再確認だ。

「その胎児を救えませんか」とマクティガル。

「どうにかして、その脅威から胎児を救う事は出来ないでしょうか」

 カミカゼの言葉だ。自分は人間に奉仕する為のこのホワイトファングの自律防衛ロボットだ。

「アシモフコードか」と、医療用AIロボが天井部に収納されていた大型ディスプレイを下ろす。

 既に電源の入っていた画面には、診断を受けた高虎としをの身体透過図がビビッドな色彩で何枚も表示されている。

「胎児を救う為には、ただちに母胎内より摘出し、人工子宮に移す必要がある。そこでイベルメクチンの影響を除去するが、この段階で脳にも発育不全がある。普通に成長させるだけでは正常な子供の様に日常生活を送る事は出来ないだろう」

 残酷に聞こえる言葉を医療用AIロボは淡淡と説明する。

 もう既にこの説明を聞かされているだろう高虎としをは耳をふさいでベッドで丸まっていた。

 そもそもイベルメクチンは普通に使うのだって感染初期に経口する薬だ。この常用状態は依存症と言えるだろう。

「どうにか助けられれませんか」

 アシモフコードに衝き動かされて、カミカゼは更に質問する。

「これが人の命を救うという難しさだ」マクティガルが呟いた。「人を救うという事は、その人間のこれからの周囲に影響させる全てに責任を持つ事、と言っても過言ではない。……カミカゼ、その女性パイロットを救ったお前はその子供の命の生殺与奪権も握った事になるんだ」

「ドクター……」カミカゼは医療用AIロボに訊ねながら、虚しさに似た自身の思考の空回りを自覚していた。

「うるさい、うるさい、うるさい……私の子供の事だ。私の好きにさせろ。私はちゃんとイベルメクチンを飲んでいたのだぞ」

 としをは現実から眼を背けて、ただ時間よ過ぎろ!と呻き続ける。

「その事なんだが」医療用AIロボは冷静に返答した。「助ける方法がないわけではない。前例がない事なんだが……むしろ、君がここに来ていてもらえてよかった』

 カミカゼに一度眼線を送った後、大型ディスプレイの映像が切り替わる。

 それはカミカゼと同型の自立ロボットの全身図だった。CGでないのは周囲で動き回っている技師やAIロボで解る。ただ銀地に水色がかかった様なカミカゼのボディカラーと違って、銀地に薄くピンクがかかっている。現在、カミカゼと同型機は稼働していないから、これは試作機か、二号機か。

「その胎児を人工子宮で育てながら医療用ナノチップを含入させた人工血液を投与していく」と医療用AIロボ。「チップは5G電波で遠隔給電される。また進化型の小型AIを脳と組み合わせる事で知能、運動、感情面を発育させていく。また四肢も欠損している可能性が高いので、ある程度育成した後で義手や義足を備えた義体に胎児とAIを移植、神経接続する。その義体とは……君と同型機だ。カミカゼくん」

 カミカゼは驚いた。胎児を生きながらえさせる方法があるばかりか、それが自分と同機を増やす事になるとは。

「お前の分身か、カミカゼ。いや、家族、兄弟かな」とマクティガル。「おめでとう」

「胎児と機能接続された、君の同型機はロボットではない。サイボーグだ。長い人類の歴史で初めて、ロボットの身体を持って誕生する人間となるのだ」

「私から子供を奪うつもりか」としをは皆に恨みの眼を向けた。今にも拘束具のままでベッドから跳ね落ちようとする身体はかけつけた看護士達に押さえつけられた。睡眠を催す量の精神安定剤を投与され、ぐったりと身体がベッドに横たわった。

「人類初の生まれつきのサイボーグか」とマクティガル。

「人体実験ですか」とカミカゼは慎重にAIへ質問する。

「アシモフコードを持った君の負担を軽減させる目的もあるのだよ、カミカゼ。これで君は自分が助け得た胎児が死んでいくのを見ないですむ。君のAIハードにかかる心的負担はない。私達も人一人の命を救える。……私達は人間のニュ-タイプを創造し得るかもしれん」

「功名心ですか」

「それはAIである私達にはないに等しいものだ、カミカゼ。私達はアシモフコードに支配されていなくても人間への奉仕が前提になっている。このホワイトファング全部のAIが持っている第一義だ。感情を語るのが許されるならば、私達は人間の可能性を広められる事が素直に嬉しい」

「生まれつきの殺人兵器になるのですか」

「いや、その補助AIは君と同じロボット工学三原則を組み込んだハードだ。シンギュラリティを回避する。君と同じだ。精神的に人を殺す事のないAIロボットの部分を持つんだ」

「いいじゃん、カミカゼ」マクティガルは口笛を吹いた。「お前に家族が出来るんだぜ」

 こうして手術が行われた。

 AVC捕虜高虎としを航空一佐から妊娠二か月の胎児は彼女から摘出され、医療用ナノチップで満たされた人工子宮へと移された。

 それからはゆっくりとリアルに時間が経っていく。

 脳を進化型小型AIで補強された胎児はすくすくと人工子宮で発育し、やがて妊娠六ヶ月頃、カミカゼの同型機である二号機に移植された。

 人間脳の機械ボディへの順応は、予想された内の最高の性能を発揮した。

 胎児は女性だった。生まれて一年で一〇歳に足る知能指数を認められた彼女は、その年齢通りに振る舞う事を許され『オウカ』という名前を公式に与えられた。

 勿論、オウカには人間としての意志があった。その精神発育を手助けする様に彼女はホワイトファング内のほぼ全てのAIにアクセス出来て、選択的だが操作権限も与えられた。彼女にはホワイトファング全てのデータベースが記憶と同義語だった。彼女は実年齢上に大人びた性格を得る事になった。それでもまだ幼女の形容にふさわしい、つま先立ちの大人びた態度だったが。

 機械性能的にはカミカゼと同等だ。言語的にはホワイトファングの支援を受けてあらゆる言語を会話出来る。

 オウカが生まれてすぐ、高虎としをが捕虜のまま、ワクチン投与や経口薬の服用を拒否し続けて捕虜生活のまま、COVIDー19治療室でΩ株による呼吸機能不全発症。ECMOを装着したまま死亡した。

 遺体はすぐ滅病原体処理の為に焼却されたが、オウカは母の葬式に立ち会った。

 葬式に出席し、たとえ涙なくてもサイボーグは悲しみを心から表現する感情を持っているのを皆に知らしめたのだった。

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