第2話 カミカゼⅡ

 カミカゼは夕方の河原で、二〇世紀によく見られた夕陽のオレンジ色を浴びていた。

 風が吹く。彼はホワイトファングの最強AI兵器だった。

 AI兵器の人間殺傷は二一世紀初頭から始まっていた。勿論、人間の指令によるものだ。

 現在、AIの進化は人の管理を離れてしまうと予知された予測不可能点、シンギュラリティの直前年代まで来ていた。

 人間によって開発されたAIは、その自らの性能を持って更に高性能AIを開発した。そのAIは更に高性能AIを開発した。AIの開発は加速し続けるだろうというムーアの法則。その開発の加速は止まらず、AIはどんどん進化していった。実際、これからのAIの進化に確かな予測を出来る者は当のAI自身にもいなかった。もしかしたら何かのブレイクスルーが人間とAIの主従関係を一瞬で崩壊させてしまう、その危惧を否定出来る者もいなかった。

 実はホワイトファングの建築完了にもムーアの法則が大きく関わっていた。当初の予定では二〇〇年以上かかるといった建築も、施工が進むにつれ、進化していくAIがどんどん最適解を更新して進化し続け、新設計される設計機や重機は五〇年もかからずに当面の建築予定をクリアしてしまった。

 ホワイトファングら、『大病院連合』のメガストラクチャとはAIの、つまり人類の英知の象徴だった。

 が、今は人間の英知とAIの英知を素直にイコールで結んでいいかよく解らない。

 一人、夕景にたたずむカミカゼ。遠くで子供たちが遊ぶ声や町の生活雑音がする。

 ホワイトファング一基分の予算、資本を投入して作られたロボット防衛兵器カミカゼ。少年型に全てのAI兵器技術の集大成を詰め込んだ彼はシンギュラリティ直前に誕生し、故に彼をシンギュラリティの不確実性から除外する為に、AIハードに『アシモフのロボット工学三原則』を組み込まれ、人間への反抗の芽は摘まれていた。


 アシモフのロボット工学三原則。

 第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過する事によって、人間に危害を及ぼしてはならない。

 第二条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

 第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。


 カミカゼは人を殺せない最強兵器だった。

「よお。カミカゼ」

 革ジャンにラフな格好をしたマクティガルが土手を町側から上がってきた。カミカゼに会いにここを探してやってきたのだ。

「工場の煙突に夕焼けか。随分と寂しい景色だな。お前の心象風景か」

「ノスタルジックで落ち着くと思ったのですが、場所を変えますか」

 カミカゼがそう言うとオレンジ色の風景は速やかに晴れ渡り、気持ちのいい夏空の風景になった。さわやかな風で白く薄い雲が流れていく。見渡す限りの風景は明るい郊外の公園へと変わった。

「気分は落ち着いたか」

「サイコセラピストのお世話になって、気分は幾らか晴れましたが、今回の事はトラウマになりそうです」

「機械的には記憶は削除出来るだろうが、お前みたいに思考ハードが心の基盤になっているタイプは無理に消そうとするとハードの故障の引き金になるかもしれない。無理せず、経験の中に埋めていけ」

「マクティガルさんはAIドクターみたいな話し方をなされるんですよね。ただの特殊技能兵とは思えない」

「学生時代に齧ったのさ。実は今も月に一週間の実体勤務以外の冷凍睡眠時のレム睡眠には、専門書の電脳学習と電脳セッションに出ている。市井のAI心理学好きレベルだがな」

「あなたの実存肉体はΩ株の抗体は作れたんですか」

「一応、ワクチンは効いたんだが最低に近いレベルだな。素直に冷凍睡眠を続けて、完全抗体をAIが開発するのを待つさ。それでも月に一週間の覚醒軍務は行えるんだ。俺は健康さ」

 公園ではカップルが歩き、飼い犬とフリスビー投げをしている家族がいる。他にも無数の人人がこの広い公園を利用している。それらは全て、このホワイトファングで冷凍睡眠している人間達の意識の一部だった。

 カミカゼとマクティガルが話し合っている風景は、ホワイトファング内で電脳的に共有再生している電脳空間。公式の実態感がある精神世界だった。

 ホワイトファングのメインコンピュータが作り上げている、冷凍休眠者とAIの為の架空の疑似世界。皆が同時に見ている明晰夢。精神だけの公式情報空間。

 冷凍休眠中の人間達は電脳的に夢の世界を共有しながら、それぞれの夢見る範囲で疑似現実を謳歌していた。この精神世界では電脳的に再現出来る事は倫理的に問題がある事以外は何でも出来る。個別の時間さえ操れる。実際の未来へ行く以外は。

 ホワイトファングの中で五千万人のCOVID-19ワクチン肯定主義者達がΩ株制圧の日を夢見て、冷凍睡眠についていた。

 二一世紀初頭から世界的流行になったコロナウイルス『 SARS-CoV-2』、病名COVID-19はその深刻な致死性と驚異の繁殖力、変異能力で瞬く間に地球上を席巻した。

 人類の医療能力を超えたその威力に世界中の都市がロックダウンし、暴動が起き、病床が埋まり、死者の山が築かれた。

 α株。β株。γ株。……。次次に変異していく一つの株を攻略したワクチンが開発されたと思ったら、すぐにその効果を上回る強力な新株が登場し、地球人類の医療者、科学者、そしてそれを補佐するAIは終わりの見えない医療レースを余儀なくされた。

 そして現在、地球人類の敵はウイルスだけではなかった。

 闇の組織が人類の人口削減の為にCOVID-19を人為的にばらまいたという噂がネットに流れた。出来レースのワクチン開発は世界を牛耳る大企業と政治家による毒物混入による人口削減と、ナノチップ混入による洗脳、人類家畜化計画を起こしているのだという噂がネットを駆け巡り、反ワクチンの戦士達が各地で組織的に武装蜂起した。彼らは自由を掲げてワクチン接種を拒み、ワクチン開発施設や接種施設を攻撃するテロを世界中で起こした。勿論、ワクチンを拒む彼らのCOVID-19の罹患率、死亡率は高かったが、信仰の如くネットの情報を信じて固く結びつけられた彼らは医療者やワクチン肯定派の学者、政治家、企業を攻撃し、病災で任務遂行能力がダウンした軍や警察を襲撃して、内乱やクーデターを成功させた。

 もはやワクチン接種者をワクチニアンと呼び、自らAVCアンチ ワクチン コミュニティという超国家組織を建立してしまった反ワクチン主義者武装組織によって、COVID-19騒動は人類同士のイデオロギー対立になってしまった。AVCはそれなりの政治家や企業リーダー、資産家、軍部関係者などが参加していて、ワクチン肯定者を脅かす強大な勢力となった。

 地球はワクチン肯定主義者・大病院連合対AVCという大戦状態になった。

 地球規模の致死性伝染病と、大戦規模の内戦で地球人類は最大時の一五%にまで人口が減少した。

 カタストロフ的な終末を迎えたと思った地球人類の文明を支えたのは、人口を遥かに超える数を稼働させているAIロボットだった。

 今、地球大戦の構図は少数の人類に率いられるAI兵器対AI兵器という局面を迎えていた。

「それにしてもホワイトファングを初めとする、ワクチン肯定主義者のメガストラクチャ完成が間に合ってよかったぜ」マクティガルはリンゴの味と食感のする『情報リンゴ』をかじりながら青い空に呟いた。

 ワクチンとの対決が長引く事になる事を予見した権力者達は、二〇一〇年代から世界各地の海上にワクチン開発と患者の大規模収納施設を目的にした一〇基の巨大メガフロートの建設にとりかかった。

 それは医療者の負担を減らす為に患者の冷凍睡眠を基本とし、AIを大量投入してワクチンや治療薬の開発に大パワーを活用した、いわば『巨大病院』だった。

 現在、既存ワクチンがほとんど効果がないΩ株にまでパワーアップしたCOVID-19への対抗ワクチンや治療薬を開発している、この十基の巨大病院以外のワクチン肯定者はほぼ全滅した。病死よりもAVCによる殺害の方が実質的に多いとされる。

「そう言えば、お前が助けた女性パイロットな」芯になるまで情報リンゴを齧ったマクティガル。リンゴは口に放り込むとゴミが残らずに消滅した。「口内に先天的障害の治療痕があったそうだ。多分、親がイベルメクチンを飲んでいたんだろうな」

 イベルメクチン。

 カミカゼはホワイトファングのデータベースから情報を拾った。

 マクロライドに分類される経口駆虫薬。腸管糞線虫症、疥癬、毛包虫症の治療薬。COVID-19に有効だという医学的エビデンスはない。動物実験では催奇性が認められている為、妊婦の服用は要注意。何故かAVCではCOVID-19の治療に非常に有効と今も信じられている。

「何故……人は過ちを犯すのでしょうか」

 カミカゼは公園で自分で自転車をこいで苦労を楽しむ家族の背を眺めながら、マクティガルに訊いてみた。

「普通の人間は過ちを犯すものだ」マクティガルは自分の手の内に『情報コーラ』を出現させ、プルトップを開けた。「そして同じ過ちを犯すまい、と注意する。でも犯す。賢い人間はこの過ちから新たな精神的得策を得る。一方、自分の過ちをそうだとは気づかない人もいる。自らの過ちを頑なに認めない者もいる。それが人だ。完全じゃないのさ」缶の中身を飲む。「このコーラを本物と信じ込むのも過ちだ。だが普通のコーラとして美味い。そこが重要なんだ。過ちは人が認めるまで真実なのさ。その人にとっては、な」必要はないが敢えてげっぷをする。

「AVCには現在もCOVID-19のΩ株にかかっている人が沢山いるらしいですね」

「ああ。本人達は認めてないようだが」

「生き残ってもCOVID-19の後遺症に苦しんでいるといいますね」

「そうだと聞くな」

「それでも反ワクチンでいられるのでしょうか」

「彼らは信じてるんだよ、自分の正義を。政治や権威を信じようとせず、自分の信じたい事は自由の名のもとに自分達で取捨選択する」

「自分が間違っていると気づいてもやめられないものなんでしょうか」

「周りががっちりしているからな」

「合理的じゃないですね」

「いや、ある意味合理的だよ。俺達とは信じる科学が違うが」

 カミカゼは黙りこくった。

「俺は別の場所に行くぜ」

「ちょっと待ってください」カミカゼはこの夢から消えようとするマクティガルを呼び止めた。

「何だ」

「僕とあなたはもう友人ですよね」

「……そうかもな」

「今度リアルで会いに行きたい人間がいるんですが、その時に友人としてつき合ってくれませんか」

「……時間があればつき合ってもいいな」

「リアル時間で一二時間後。滞在一時間以内になると思うのですが」

「俺は男とデートなんて嫌なんだが……いいだろう」

「じゃあ」カミカゼはホワイトファングの患者データを検索した。「外科病棟域三〇五の玄関で」

「ほいほい」

 マクティガルの姿が消えた。

 カミカゼは、風景を元の静かな夕焼けの土手に変えた。雑踏が遠ざかる。

 ロボットは揺れる夕陽を見ると落ち着いた。

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