第九幕:virtual


 第九幕:virtual



 やがて『共和国』の沿岸部に極秘裏に建設された軍事基地の眼と鼻の先までゴムボートで接近し、侵入防止用の鉄柵を水中用バーナーでもって切断したレオニードは、その軍事基地のドックの内部へと足を踏み入れた。

「さあ、ここからが本番だ」

 まるで独り言つようにそう言った精悍な顔立ちのレオニードは、手にしたカシン12自動拳銃を改めて構え直し、彼ら『クラースヌイ・ピスタリェート』の新たな戦いの幕が今ここに切って落とされた事を再確認する。

「こちらレオニード、まずは協力者から得た情報に従い、歩行戦車ウォーカータンクの極秘資料を奪取すべく基地内の開発資料室へと向かう」

「了解した。哨戒中の敵兵に発見されぬよう、慎重に事を運べ」

「了解」

 ドックから続く非常階段をヴァレンチナとイエヴァの二人の女性隊員達と共に駆け上がり、重く冷たい鉄扉を押し開けて『共和国』の軍事基地の内部へと侵入したレオニードはそう言って、遠く『連邦』の地に居る筈のミロスラーヴァ少佐との交信を終えた。そして前方へと突き出した自分の手も見えなくなる程の漆黒の闇夜に紛れつつ、随所に設置された監視カメラの死角となる物陰から物陰へと移動しながら、この軍事基地の中心部に存在すべき開発資料室を目指す。

「そそそそれではあたしは予定通り、そ、そそそ、そげ、狙撃ポイントへと移動します!」

 凍り付くように真っ白い息を吐きながらそう言ったヴァレンチナが、彼女の愛銃であるヴォルク08Sを携えたまま隊列から一旦離脱し、広大な軍事基地の敷地の全貌が見渡せる狙撃ポイントへの移動を開始した。そんなヴァレンチナの背中を見送ったレオニードとイエヴァの二人は、彼女とは正反対の方角、つまり頑丈なコンクリート造りの建屋の奥へ奥へと足を向ける。

「……レオニード、さっきから闇雲に走っているような気がしなくもないんですが、本当に開発資料室はこっちの方角に在るんですよね?」

「ああ、おそらくな。協力者からの情報が確かならば、この通路を渡った先に建っているのが『共和国』の最新兵器の研究棟であり、その地上三階に開発資料室が存在する筈だ」

「……成程」

 そう言ったイエヴァはレオニードの返答に対して特にこれと言った疑問を差し挟む事無く、首を縦に振って得心した。するとそんなイエヴァに、レオニードは『共和国』の軍事基地の薄暗い通路を物陰から物陰へと足音を殺して移動しながら、周囲の人間には聞き取れないような小声でもって問い掛ける。

「なあ、イエヴァ」

「……はい、何か?」

「今更問い質しても詮無い事ではあるものの、キミとアガフォンは、一体どんな関係だったんだ? あいつは連邦保安庁の職員達の手によって連れ去られる直前に、キミに結婚を申し出ていたようだが、以前からキミに好意を寄せているような兆候や言動が見受けられたのか?」

「……ええ、まあ、何度か食事に誘われた事はありますよ? 勿論全て断って、彼と一緒に食事を摂った事は一度もありませんが」

 レオニードの問い掛けに、やはりイエヴァは鰾膠にべも無くそう言った。

「何度か食事に誘われた? それ以外に、彼と、アガフォンと親しくしていた事は無いのか? 例えば、一緒にデートをした事があるとか、結婚を前提とした交際を申し込まれた事があるとか言った、プロポーズの前兆となるような関係は?」

「……いえ、何もありません。いつだってアガフォンはあたしが司令部からの帰宅の途に就くタイミングを見計らい、偶然を装いながら近付いて来たかと思えば、一方的にお茶や食事に誘っていただけですからね。だからまさか、そのアガフォンからいきなり結婚を申し込まれるだなんて、あたしだって想像だにしていませんでしたよ。まあ、はっきり言って、ウザいだけでしたが」

 そう言ったイエヴァの言葉から推測するに、どうやら彼女とアガフォンとの関係は、アガフォンの一方的な片思いでしかなかったらしい。

「それはまた……災難だったな」

「……ええ、災難です。はっきり言って、好きでもない男から言い寄られても、迷惑なだけですからね。それもアガフォンみたいなデブで禿げで気持ちの悪い、いい歳したおじさんからともなれば、尚更ですよ」

「……」

 彼らを裏切り続けた反逆者であるとは言え、アガフォンの事を「デブで禿げで気持ちの悪い、いい歳したおじさん」と評したイエヴァの無情な言葉の数々に、レオニードは思わず絶句した。何故ならそんなイエヴァの事を、結婚してしまいたいほど愛していた筈のアガフォンの心中は、察するに余りあるからである。仮定の話は意味を為さないが、今この場に当のアガフォンが居たとしたら、彼女の酷評を耳にした彼はその場に膝を突いて泣き崩れたのではなかろうか。

「……レオニード、そろそろ研究棟に到着します。指示を」

 するとアガフォンとの一件を気に留める様子も無いままに、イエヴァがそう言って指示を仰いだので、レオニードは彼の耳に装着された極小の無線機越しに司令部に居る筈のガリーナに問い掛ける。

「こちらレオニード、なあ、ガリーナ、この周辺に敵兵が潜んでいる可能性は? この先は安全なのか?」

「ええ、特に問題無いんじゃないかしら? レオニード、あなたが装備した動体センサーにも、敵兵の姿は感知されてませんものね?」

 ガリーナが無線機越しにそう言えば、やがて辿り着いた研究棟の屋内と戸外の通路とを隔てる自動扉の前で足を止めたレオニードは、彼の身を包む都市型迷彩服の胸ポケットから一枚の磁気カードを取り出した。

「本当に、これは使えるんだろうな?」

「ええ、大丈夫な筈でしてよ? それは協力者からの情報を基にしながらアガフォンが作り上げた偽造セキュリティカードですけれど、ちゃんとその軍事基地の電子ロックを解除出来る事をこちらでも確認済みですから、そんなに神経質になる必要は無いんじゃないかしら?」

 偽造セキュリティカードだと言う磁気カードを手にしながらのレオニードの疑問に、ガリーナはそう言って返答したものの、その返答を耳にしたレオニードはかえって不安にならざるを得ない。

「アガフォンが作り上げた偽造セキュリティカードか……反逆者であったあいつが、俺達を陥れるために、偽造でも何でもない只のポケモンカードか遊戯王カードを渡した訳じゃない事を天に祈るよ」

 一抹の不安と共にそう言いながら、レオニードは手にした磁気カードを、研究棟の自動扉の脇のカードリーダーにかざした。するとピピピと言う微かな電子音に続き、固く閉ざされた自動扉の電子ロックが解除される。

「ね? 問題無かったでしょう? これでもう、その扉を開けても大丈夫よ?」

 無線機越しにそう言ったガリーナに促されながら、レオニードとイエヴァの二人は解錠された自動扉を潜り、研究棟の内部へと足を踏み入れた。そして随所に設置された監視カメラの死角を選びつつも自動扉から続く廊下を渡り、地上三階に在る筈の開発資料室を目指して階段を駆け上がる。

「こちらレオニード、協力者からの情報通り、開発資料室を発見した。これより内部へと侵入し、極秘資料を奪取する」

「了解した。哨戒中の敵兵に発見されぬよう、慎重に事を運べ」

「了解」

 そう言ってミロスラーヴァ少佐との交信を終えたレオニードは再びカードリーダーに磁気カードをかざし、自動扉の電子ロックを解除すると、開発資料室の内部へと足を踏み入れた。足を踏み入れた開発資料室にはアナログ資料を収納した書棚やデジタル資料を記録したサーバなどがずらりと立ち並び、ざっと周囲を見渡した限りでは、彼ら二人以外の人影は確認出来ない。

「よし、イエヴァ、予定通り歩行戦車ウォーカータンクに関する極秘資料を探すぞ」

「……了解」

 彼女の愛銃であるヴォルク08Kを手にしながらそう言ったイエヴァと共に、レオニードは『共和国』の最新兵器である歩行戦車ウォーカータンクに関する極秘資料を発見すべく、眼前に立ち並ぶ書棚やサーバの内部をアナログな意味でもデジタルな意味でもひっくり返し始めた。そして保存されたデータを隅から隅まで閲覧し尽くしたところで、遂に彼らは、探し求めていた極秘資料の数々をサーバの最深部から探り当てる。

「有ったぞ」

 サーバに繋いだ小型タブレットの液晶画面を凝視しながら、レオニードがそう言って独り言ちた。そして無線機越しに、司令部に居る筈のミロスラーヴァ少佐に報告する。

「こちらレオニード、サーバに保存されていたデータの中から、歩行戦車ウォーカータンクの開発資料を発見した。おそらくこれこそが、俺達が奪取して来いと命じられた極秘資料だと思われる」

「了解した。さすがだ、レオニードもイエヴァも、良くやったぞ。それではそのデータを急ぎストレージへとコピーし、その後は一切の痕跡を残さず、その場から退出しろ。慎重に事を運べ」

「了解」

 レオニードはそう言ってミロスラーヴァ少佐の命令を了承すると、小型タブレットの大容量の内部ストレージに、開発資料室のサーバに保存されていた歩行戦車ウォーカータンクに関する極秘資料をコピーし始めた。多くの静止画や動画を含む極秘資料は結構な容量を喰っているがために、データのコピーはなかなか終わらない。そしてじりじりと焦らされつつもデータの八割方をコピーし終えたところで、不意に開発資料室と研究棟の廊下とを繋ぐ自動扉が開く音が耳に届いたかと思えば、レオニードとイエヴァの二人は虚を突かれる格好になりながら振り返る。

「おい、誰だ貴様ら! そこで何をしている!」

 果たして不意に開いた自動扉の前には一人の『共和国』陸軍の兵士が立っており、どうやら哨戒中だったと思われる彼は『共和国』語でもってそう言って警告しながら、手にした自動小銃アサルトライフルの銃口をこちらに向けた。

「くっ!」

 不覚にも敵兵に先手を打たれる格好になってしまったレオニードはそう言って、彼らしくない失態に、舌打ち交じりに歯噛みせざるを得ない。

「動くな! そのままゆっくり手を上げろ!」

 尚も『共和国』語でもってそう言って警告しながら、レオニードらに自動小銃アサルトライフルの銃口を向けた敵兵は、彼の身を包む雪上迷彩服の肩口に装着された無線機に手を伸ばした。するとこのままでは応援を要請されかねないと判断したらしいイエヴァの気が逸り、彼女の愛銃であるヴォルク08Kを構え直すと、その銃口を敵兵に向けて射殺を試みる。

「!」

 しかしながら、口封じのための射殺を試みたイエヴァがヴォルク08Kの引き金を引き絞るのと、哨戒中だった敵兵が自動小銃アサルトライフルの引き金を引き絞るのは全くの同時であった。そして二つの銃声が重なりながら射出された二発の銃弾の弾頭はすれ違うような格好でもって虚空を切り裂き、一発は敵兵の頭部に、もう一発はイエヴァの胸を貫通する。

「イエヴァ!」

 そう言って彼女の身を案じるレオニードの願いも空しく、致命傷へと直結しかねない人体の急所に被弾した敵兵とイエヴァの二人は、その場にどさりと崩れ落ちた。

「おい、イエヴァ、しっかりしろ! イエヴァ!」

 床に崩れ落ちたイエヴァの元へと駆け寄ったレオニードはそう言って、小柄で華奢な彼女の身体を抱きかかえながらその身を案じ続けるものの、被弾した胸に穿たれた穴から大量に出血してしまっているイエヴァの傷は深い。

「……レオニード……あたしが撃った敵兵は……死にましたか……?」

「ああ、奴ならもう死んでいる! 応援も呼ばれてはいない! だからイエヴァ、しっかりしろ!」

 瀕死のイエヴァを抱きかかえながらそう言ったレオニードの言葉通り、彼女の手によって脳天を撃ち抜かれた敵兵は苦しむ間も無く即死しており、また同時に無線機でもって応援を呼ぶ間も無く息絶えていた。

「……そうですか……それならいいんです……」

「何も良くは無いぞ! ほら、眼を開けろ! 眼を開けるんだ! 苦しいだろうが、我慢して深呼吸を繰り返せ!」

 レオニードはそう言って瀕死の彼女を懸命に鼓舞するものの、残念ながら、もはや虫の息となったイエヴァはゆっくりと眼を閉じる。

「……これでもう……こんな日陰者の部隊で……人様に顔向け出来ないような要人暗殺や諜報活動の明け暮れないで済むんですね……清々せいせいしました……」

 最後にそう言って、彼女が所属する『クラースヌイ・ピスタリェート』への恨み節とも解釈出来る言葉を遺言としたイエヴァは、そのまま静かに息を引き取った。

「イエヴァ……」

 彼女の最期を看取ったレオニードはそう言って言葉を失い、もはやぴくりとも動かなくなったイエヴァの小柄で華奢な身体をぎゅっと固く抱き締めながら、悲哀と痛恨の念の込められた嗚咽と共に深く深く慟哭せざるを得ない。何故なら死んだイエヴァは彼の大事な後輩であると同時に愛すべき部下であり、彼女の身を守れなかった事は如何に悔やんでも悔やみ切れない、まさに軍歴に於ける最大の汚点とも言える失態そのものだからである。

「レ、レレレレオニード、ししししっかりしてください!」

 すると今度は立場が逆転し、慟哭し続けるレオニードを鼓舞するかのような格好でもって、狙撃ポイントに居る筈のヴァレンチナが無線機越しにそう言った。

「ヴァレンチナ……しかし俺は……イエヴァを死なせてしまったんだ……」

「そ、そんな事はありません! た、たたた、たし、確かにイエヴァの事は残念でなりませんが、ああああなたが殺した訳ではないのですから、せ、せせせ、せき、責任を痛感するような必要性は無い筈です!」

 そう言ったヴァレンチナは、イエヴァの亡骸を抱きかかえたまま悲嘆に暮れるばかりのレオニードに、作戦行動の再開と継続を促す。

「さあ、レ、レレレレオニード、さ、さささ、さく、作戦行動を続行しましょう! ななな亡くなったイエヴァの仇を討ち、かかか彼女の無念を晴らすためにも、い、いいい、いま、今は悲しんでばかりもいられない事は火を見るより明らかなんですから! でででですから、ほ、ほら、い、いつまでも泣いてないで、たたた立ち上がってください!」

「ヴァレンチナ……」

 しかしながら悲嘆に暮れるばかりのレオニードは、発破を掛けるヴァレンチナのある種の激励とも言える言葉の数々を、軽々に受け入れる事が出来ない。

「ヴァレンチナ、俺は今、怖くて怖くて仕方が無いんだ。キミに幻滅されてしまう事を覚悟の上で胸襟を開かせてもらうが、イエヴァだけでなくキミもまた失ってしまうかもしれないと思うと、まるで胸が張り裂けるかのような恐怖と不安でもって居ても立っても居られなくなってしまう。これまで幾多の仲間達を失いながらも、こんな想いに心を囚われた事など無かったと言うのに、一体俺はどうしてしまったのだろうか。教えてくれ、ヴァレンチナ」

 レオニードが涙ながらにそう言って、いみじくも『連邦』の虎狼として恐れられた歴戦の戦士らしくもない赤裸々な心情を吐露すれば、無線機の向こうのヴァレンチナもまた彼女の胸の内を打ち明け始める。

「あ、安心してください、レレレレオニード。こ、こここ、こわ、怖いのは何もあなた一人だけではなくて、ああああたしだってあなたを失ってしまうかもしれない事が、こ、こここ怖くて怖くて仕方が無いんですから」

「……そうなのか?」

「ええ、そそそそうですよ? あ、あああ、あた、あたしだって幾多の仲間達を失った身だと言うのに、け、けけけ結婚の約束をしたあなたを失ってしまうかもしれないと想像するだけで、ややややっぱりあなたと同じように恐怖と不安でもって居ても立っても居られなくなってしまうんです。だ、だだだ、だか、だからレオニード、ああああなたが怖気付いてしまったとしても、そ、それは決して恥ずべき事ではない筈ですよ? ちちち違いますか?」

「ああ、そうだな、そうかもしれない。キミと結婚の約束をしてからと言うもの、キミを失うかもしれないと言った恐怖と不安に苛まれて来たが、きっとこの感情こそが守る者が出来た事への義務と責任そのものなのだろう」

 ヴァレンチナに諭されたレオニードはそう言って得心し、自身が抱く感情の正体を自ら看破及び再確認してみせたものの、残念ながらそれでもって全ての問題が解決するとは限らない。

「ちょっとちょっと、レオニードもヴァレンチナも、ちょっと待ってくださらない?」

 するとその時、無線機越しにそう言って、レオニードとイエヴァの通話に割って入る者が居た。言わずと知れた、本来ならば遠く『連邦』の司令部からレオニードらをサポートする任に就いている筈の、ガリーナその人である。

「何だ、ガリーナ?」

 愛するヴァレンチナとの逢瀬を邪魔される格好になってしまったレオニードはそう言って、少しばかり不機嫌そうに問い掛けた。

「先程からお二人の仲の良さそうな会話に耳を傾けている限りですと、あなた方が既に結婚の約束を取り付けているように聞こえるのですけれど、これってあたしの聞き間違いかしら?」

「いや、キミの聞き間違いなどではない。俺とヴァレンチナは、近い内に結婚するつもりだ」

 レオニードがそう言ってガリーナの疑問に答えれば、彼の返答を耳にした彼女の態度が豹変する。

「は? 何ですって? ちょっとレオニード、このあたしと言う者がありながら他の女と結婚するつもりだなんて、どう言う了見ですの?」

「どう言う了見も何も、そもそも俺とキミとは、結婚すべき間柄でも何でもない筈だ。確かにキミは俺の事を未来の旦那様だとか何だとか言ってまことしやかにうそぶいていたものの、それはキミの勝手な狂言であって、確定した事実でも何でもない。そうだろう、ガリーナ?」

「……くっ……」

 レオニードに論破されてしまったガリーナはそう言って唇を噛み締め、ぐうの音も出ないとはまさに今の彼女の状態を言い表すにふさわしい言葉であった。しかしながら返答に窮したガリーナは、出し抜けに、青天の霹靂とでも表現すべき思いも寄らない事を言い始める。

「ですけどね、レオニード? あなた、本当にいいのかしら?」

「ん? 何がだ?」

「先程からあなたと結婚するつもりだなんて言って都合の良い風説を流布して回っているヴァレンチナですけど、彼女もまたアガフォン同様の、あたし達『クラースヌイ・ピスタリェート』の面々を『連邦』に売った反逆者の一人でしてよ?」

「何だって?」

 唐突なガリーナの告発に、そう言ったレオニードやヴァレンチナはもとより、彼らの交信内容に耳をそばだてていた『クラースヌイ・ピスタリェート』の隊員一同もまた驚きを隠せない。

「な、ななな、なに、何を言ってるの、ガガガガガガリーナ?」

 中でも激しくどもりながらそう言って一番驚いているのは、反逆者であると告発されてしまった当の張本人の、ヴァレンチナその人であった。

「ガリーナ、それは事実なのか?」

 事の成り行きを黙って見守っていた、もしくは静観していたミロスラーヴァ少佐が横から口を挟むような格好でもってそう言って問い質せば、問い質されたガリーナは少しばかり言葉を詰まらせながら返答する。

「ええ、事実でしてよ? ヴァレンチナは、えっと、そう、彼女のSNSのタイムライン上に、あたし達『クラースヌイ・ピスタリェート』の作戦行動に関する機密情報を匿名で投稿している事を知り得ましてね? ですからその投稿内容が世界中に拡散される事によって、最悪の場合には、敵国である『共和国』にも情報が漏洩してしまっているんじゃないかしら?」

「ヴァレンチナ、聞いての通りガリーナはこの様に主張しているが、彼女の言い分は事実なのか?」

 ガリーナの言い分に耳を傾け終えたミロスラーヴァ少佐はそう言って、今度は渦中の人であるヴァレンチナを問い質した。しかしながら彼女の問い掛けに対するヴァレンチナの返答は、当然の事ながら、全面的な否認そのものである。

「ち、ちちち、ちが、違います! ああああたしは断じて、は、ははは、はん、反逆者なんかじゃありません! ききき機密情報を外部へと漏洩させた事もありませんし、そ、そそそそ、そも、そもそもあたしは、SSSSNSのアカウントを開設した事すらもありませんから!」

 一切の迷い無くそう言って、自らに掛けられた疑惑を真っ向から否定してみせたヴァレンチナに、嘘を吐いているような様子は見受けられない。

「ガリーナ、今しがたのヴァレンチナの釈明の言葉に対して、何かキミからの反論はあるか? 彼女を反逆者だと証明出来るような、具体的な物証は存在するんだろうな? 彼女が情報を漏洩したとされる、SNSの種類とアカウント名は? ん?」

「……」

 そう言って重ねて問い質すミロスラーヴァ少佐の絶え間無い追及を前にして、ガリーナは苦虫を嚙み潰したかのような表情のまま口を噤み、返答する事が出来なくなってしまった。どうやら彼女がヴァレンチナを反逆者呼ばわりしたのは、苦し紛れの、そして事実無根の口から出任せだったものと思われる。

「ガリーナ、何か言う事は無いのか? キミの主張が事実だと言い張るのならヴァレンチナに反論すればいいし、仮にそうでないとしたら、彼女に謝罪したまえ」

「……」

 ミロスラーヴァ少佐は重ねて追及するが、追及されたガリーナは、やはり苦虫を嚙み潰したかのような忌々しげな表情のまま口を噤み続けるばかりだ。

「ガリーナ!」

 そして痺れを切らしたミロスラーヴァ少佐が若干声を荒らげながらそう言って、ガリーナを戒めるかのような表情と口調でもって彼女の名を口にすれば、戒められたガリーナは予想外の行動に打って出る。

「ねえ、少佐殿? あたしの発言が事実ではないとあなたが頑なに仰るのなら、このあたしの手でもって、直々に事実であると証明してさしあげてもよろしくってよ? ほら、ご覧なさい? あたしのSNSのアカウントのタイムライン上に、たった今レオニードとヴァレンチナの二人が『共和国』に潜入していると言う事実を、投稿して差し上げましたからね?」

「何だと?」

 ガリーナの余りにも予想外かつ想定外の言動に、司令部に居る筈のミロスラーヴァ少佐はそう言って、女丈夫として知られる彼女らしくない頓狂な声を上げながら取り乱すばかりだ。

「ガリーナ、キミは一体、何て事をしてくれたんだ!」

 すっかり取り乱してしまったミロスラーヴァ少佐は動転しながらそう言うものの、遠く『共和国』の地に居るレオニードは、そんな彼女の様子を無線機越しにおもんぱかる事しか出来ない。そして『連邦』の地の司令部で一体何が起きているのだろうかと訝しむ彼の耳に、極小の無線機の向こうから、何やらばたばたと人と人とがぶつかり合っているような不穏な音が届く。

「ちょっと、あなた達、何をするんですの? あたしに触らないでいただける? この手を放してくださらないかしら?」

 やがて駄々を捏ねるような格好でもって一頻ひとしきり抵抗した後に、連邦保安庁の職員達の手によって床に組み伏せられたガリーナは白々しい表情と口調でもってそう言うものの、当然の事ながら屈強な職員達が彼女を軽々に解放する筈も無い。

「ああ、糞! 何て事だ! 本当に機密情報を投稿しているじゃないか! それも、よりにもよって証拠となる得る動画まで投稿してしまっているだなんて、最悪だ! どうしてくれる!」

 子供向け商品の百貨店『子供の世界』の隣に建つ『クラースヌイ・ピスタリェート』の司令部の一角で、床に組み伏せられたガリーナの手から彼女のスマートフォンを取り上げたミロスラーヴァ少佐は、そのスマートフォンの液晶画面に表示されたSNSのタイムラインを確認しながらそう言ってかぶりを振った。何故ならガリーナは、彼女の宣言に違わずレオニードとヴァレンチナの二人が『共和国』に潜入していると言う事実を動画と共に投稿してしまっていたのだから、現場指揮官であるミロスラーヴァ少佐が責任を痛感するのも当然の帰結であると言わざるを得ない。

「糞! 間に合ってくれ!」

 そして悲憤慷慨ひふんこうがいする間も無くそう言いながら素早く液晶画面をタップし、投稿されたテキストと動画を急いで削除したミロスラーヴァ少佐は、まるでBLM運動の発端となったジョージ・フロイド氏の様に床に組み伏せられたままのガリーナを改めて問い質す。

「ガリーナ、一体どう言うつもりなんだ! 急いで削除したから未だ良いものの、キミが投稿したこの動画のせいで、場合によってはレオニードとヴァレンチナの命が脅かされたかもしれないんだぞ!」

 ミロスラーヴァ少佐はそう言って問い質すものの、問い質されたガリーナは、尚も白々しい表情と口調を崩さない。

「あら? だって少佐殿、こうすれば泥棒猫のヴァレンチナだって、窮地に立たされてくれるかもしれないじゃない? せっかく邪魔者だったイエヴァを始末する事にも成功したんですから、ついでにあのどもり女にも表舞台から消えてもらった方が、あたしにとっては好都合でしてよ?」

「何? イエヴァを始末しただって? それは一体どう言う意味なんだ、ガリーナ? そう言えばキミは動体センサーをモニターしていた筈なのに、何故敵兵が近付いて来ている事を、俺達に知らせなかったんだ?」

 今度はレオニードがそう言って無線機越しに問い質せば、やはり白々しくも、問い質されたガリーナの口から衝撃の事実が白日の下に晒される。

「あら? そんなもの、動体センサーに哨戒中の敵兵が映っている事を、あたしが黙っていたからに決まっているでしょう? だってそうすれば、あの女が敵兵と共倒れになってくれるかもしれないと思ったものですし、実際問題として、まんまと死んでくれたものですからね?」

 ガリーナは連邦保安庁の職員達の手によって司令部の床に組み伏せられたまま、にたにたとした湿った薄ら笑いをその十人並みの顔に浮かべながら、さも当然とでも言いたげな表情と口調でもってそう言った。

「つまりガリーナ、キミはイエヴァの身が危険に晒されるであろう事を充分に理解していながら、敢えて哨戒中の敵兵が接近しつつある事を俺達に伝えなかったと言うのか? 何故? どうしてそんな事を?」

「もう、レオニードってば本当に鈍感な人なんですから、そんなにあたしの事を困らせないでいただけないかしら? えっと、あたしが故意に、イエヴァを危険な状況に陥れた理由をお知りになりたいんでしたっけ? だって魅力的で魅惑的なあなたの傍で行動を共にしていると、もしかしたらあの女が、色目を使ってあなたをたぶらかすかもしれないじゃない? そう思うとあたし、居ても立っても居られなくなっちゃって、ついついあの女を抹殺する手段を講じてしまったと言う訳なのよね? お分かり?」

 やはりさも当然とでも言いたげな表情と口調でもってそう言ったガリーナの言葉に、無線機のこちら側に居るレオニードは驚きを隠せない。

「ガリーナ、俺にはにわかには信じられん! キミは本当にそんな馬鹿げた理由でもって、苦楽を共にした仲間である筈のイエヴァの身を故意に危険に晒し、あまつさえ死に至らしめるよう敵兵を誘導したと言うのか?」

「ええ、そうよ? あなたが信じようと信じまいと、これは歴然たる、動かし難い事実でしてよ?」

 尚もそう言って、床に組み伏せられたままにたにたとした湿った薄ら笑いをその十人並みの顔に浮かべるガリーナに、彼女の直属の上官であるミロスラーヴァ少佐は最後通牒を突き付ける。

「ガリーナ、もういい。もうそれ以上、何も言うな。仲間の身を故意に危険に晒して死に至らしめ、機密情報をよりにもよってSNSに投稿したキミの行為は弁解の余地も無い程の立派な背信行為であり、また同時に厳しく断罪されるべき叛逆行為そのものだ。如何にキミがうら若き妙齢の女性だったとしても、決して笑って許されるなどとは、期待しない事だな」

 そう言ったミロスラーヴァ少佐が顎をしゃくって言外に合図を送れば、連邦保安庁の職員達は彼女の合図に従い、床に組み伏せていたガリーナを半ば強引に立ち上がらせた。そしてそのまま羽交い絞めにしながら力尽くで引き摺り出すような格好でもって、彼らに強制連行されたガリーナもまたアガフォン同様、司令部の頑丈な鉄扉の向こうへとその姿を消す。

「……まさかアガフォンに続いてガリーナまで背信行為に手を染めるだなんて、一体あたし達は、これ以上何を信じればいいと言うんだ……」

 かぶりを振り、深い溜息交じりに天を仰ぎながらそう言ったミロスラーヴァ少佐の表情は暗く固く、それはレオニードらを待ち受ける運命を暗に仄めかしているよう思われてならない。

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