第八幕:virtual


 第八幕:virtual



 およそ一週間ばかりの退屈な船旅に耐え忍び続ければ、やがてレオニードとヴァレンチナ、それにイエヴァの三人の特殊工作員達を乗せたコンテナ船は『共和国』北部のとあるコンテナ埠頭ターミナルへの入港を許可された。

「ようやく、ここまで来たな」

 今回の船旅のねぐらにしていた船室のベッドの縁に腰掛けながらそう言って、レオニードら三人は錨を下ろしたコンテナ船の荷下ろしが終わり、夜のとばりが下ろされるのをジッと辛抱強く待ち続ける。

「……夜になったら、移動を開始するんですよね?」

「ああ、その通りだ。今回の作戦の最終目標である『共和国』の最新兵器、つまり歩行戦車ウォーカータンクと呼ばれる多脚戦車に関する極秘資料とその実機は、このコンテナ埠頭ターミナルから20kmほど北に位置する沿岸部に極秘裏に建設された軍事基地に在るらしい」

 狭く薄暗い船室の一角で、都市型迷彩服に身を包むレオニードは彼女と視線も交わさぬままそう言って、イエヴァの疑問に返答した。

「そ、それで『共和国』側に、あ、あああ、あた、あたし達に協力してくれる内通者は居るんですか?」

「いや、軍事基地の位置や規模などに関する情報を提供してくれた内通者こそ存在したものの、残念ながら、ここから先は俺達三人だけによる少数精鋭主義でもって事に当たらざるを得ない。作戦の失敗はもとより、ここに居る一人の仲間も欠ける事は許されないのだから、二人ともそのつもりでいてくれ。分かったな?」

「りょ、了解!」

「……了解」

 ヴァレンチナとイエヴァの二人がそう言えば、レオニードは無言のまま静かにうなずき、引き続きコンテナ船の荷下ろしが終わるのをジッと辛抱強く待ち続ける。しかしながら船室に居る彼ら三人の遥か頭上では、巨大なガントリークレーンが耳障りな駆動音を鳴り響かせながら海上コンテナを絶えず運搬し、荷下ろしが終わる気配はまるでうかがえない。とは言えそれでも辛抱強く待ち続けていると、やがて西方の山々の稜線の彼方に真冬の太陽が沈む頃になってから、ようやく全ての海上コンテナの荷下ろしが終了したのだった。

「おい、レオニード、それに二人の美しいお嬢さん方、そろそろ闇夜に紛れて出発すべき頃合いだぞ」

 すると水密扉を開けて船室に姿を現したルドルフ・マスカエフ船長がそう言って迎えに来たので、レオニードら三人は簡素な二段ベッドからおもむろに腰を上げると、コンテナ船の居住区の通路を渡った先の長い鉄階段を駆け上がり始める。

「それでマスカエフ船長、この船の次の出航は、いつ頃になる予定だ?」

「ああ、そうだな。明日は全ての船員達の英気を養うためにも丸一日ばかり休暇って事にするつもりだし、明後日は朝から晩まで新たな海上コンテナを積み込んで、明々後日には再び『連邦』のコンテナ埠頭ターミナルを目指して出港だ。だからそれまでに戻って来てくれないと、申し訳無いが、お前ら三人を『共和国』に置き去りにする事になっちまうぜ?」

 レオニードの問い掛けに、髭面のルドルフ・マスカエフ船長は如何にも海の男らしい豪快さでもって、げらげらと愉快そうに笑いながらそう言った。彼が大口を開けて笑えば笑うほど、その顔の下半分を埋め尽くす熱帯植物の様に密生した髭がぶるぶると震え、まるでそう言う種類の固有の生物か何かと錯覚してしまったとしても不思議ではない。そしてルドルフ・マスカエフ船長とその背中を追うレオニード、更にヴァレンチナとイエヴァの計四人がコンテナ船の操舵室へと続く鉄階段を駆け上がっているその途上で、不意に頭上の甲板の方角から散発的な銃声が耳に届く。

「船長、大変です! 船が攻撃されています!」

 するとコンテナ船の運航に携わる数多の船員達の内の一人が水密扉を開けて姿を現すなりそう言って、彼らが攻撃されている事をルドルフ・マスカエフ船長に報告した。度重なる水仕事と寒さによってあかぎれだらけになった彼の手には、潮風に晒されても動作不良を起こさない事で知られる、実用性を重視した『連邦』製の自動小銃アサルトライフルが握られている。

「攻撃だと? ニコライ、敵はどこのどいつだ?」

「それが、どうやら『共和国』の正規軍らしく、既に船の周囲は多くの敵兵達によって取り囲まれています! それに海上の進路も貨物船でもって塞がれているため、緊急出港も出来ません!」

 そう言ったニコライ、つまり手があかぎれだらけの船員の言葉が事実とするならば、どうやらレオニードらがこのコンテナ船でもって密航を企てていると言う情報は既に『共和国』の正規軍に筒抜けであった事が想定された。

「糞! どこかから情報が漏れていたか! それでニコライ、敵の規模と、こちらの損害は?」

「敵は、およそ一個中隊ほどの、自動小銃アサルトライフル短機関銃サブマシンガンで武装した歩兵ばかりです! 今現在は船員一同でもって応戦し、足止めに成功しているものの、船内へと乗り込まれるのも時間の問題としか言い様がありません! それと、最初に接敵した際に、イヴァンがられました!」

「糞!」

 コンテナ船の外壁を拳で殴りながらそう言って、重ねて悪態を吐くルドルフ・マスカエフ船長に、彼の背中を追いながら鉄階段を駆け上がっていたレオニードは詫びの言葉を述べる。

「済まない、マスカエフ船長。どうやら俺達三人の密航が、不覚にも『共和国』側に筒抜けだったらしい。以前から『クラースヌイ・ピスタリェート』の内部に反逆者が存在する事が危惧されていたと言うのに、その反逆者を特定しないまま今回の作戦を実行に移してしまった事は、我々の失策だ。何と言って詫びればいいのか皆目見当もつかないが、とにかく、済まない」

 責任を痛感したレオニードはそう言って、ルドルフ・マスカエフ船長に向けて深々と頭を下げながら詫びの言葉を口にするものの、詫びを入れられる格好になった船長はそんな彼を責め苛んだりはしない。

「いや、別に、そんなに頭を下げてくれなくても構わんよ。今回の『共和国』本土への上陸作戦同様、これまでだって軍部の作戦には何度も何度も協力して来たのだから、いずれこうして年貢の納め時が訪れる事くらい覚悟出来ていた筈さ。だからレオニードもヴァレンチナもイエヴァも、そんなに気に病まず、お前ら三人に課せられた職務を最後まで全うしてくれよな」

「マスカエフ船長……本当に、済まない」

 決して情報漏洩の責任を追及しようとはしない船長の高潔な態度に心打たれたレオニードはそう言って、重ねて頭を下げながら、改めて詫びの言葉を口にした。すると髭面のルドルフ・マスカエフ船長はそんなレオニードら三人の背中を叩いて発破を掛けつつも、自分達に構う事無く先を急ぐよう促して止まない。

「さあ、さあ、こんな所でいつまでもぐずぐずしてないで、俺らが敵の注意を引き付けている間に、お前ら三人は一刻も早く船を降りてくれ。一旦この上の甲板に出てから急いで船尾へと移動し、海上の漂流者を救助するためのゴムボートでもって、闇に紛れて港の外れに上陸するんだ。いいな?」

「ああ、分かった」

 そう言ったレオニードとヴァレンチナ、それにイエヴァの三人はルドルフ・マスカエフ船長の背中を追って鉄階段を駆け上がると、やがて引き開けられた水密扉の向こうの甲板へと足を踏み入れた。すると甲板上ではコンテナ船の船員達が手に手に自動小銃アサルトライフルを携えながら、そのコンテナ船に強引に乗り込もうとする『共和国』の正規軍の兵士達との銃撃戦、つまり一進一退の熾烈かつ苛烈な攻防戦を繰り広げているのが眼に留まる。

「おい、オシプ! このまま戦線を維持し続ければ、最大で、あと何分くらい持ち堪えられる?」

「そうだな、せいぜい十分、死ぬ気で頑張ったとしても二十分が限度ってところでしょうな! だからそれまでにお客人達を船から逃がさないと、そこに転がっているイヴァンの死も無駄になっちまいますぜ!」

 ルドルフ・マスカエフ船長の問い掛けに、そう言って返答したオシプと言う名の船員の言葉通り、彼の足元には頭部の左半分が粉々に砕け散ったイヴァンの死体がごろりと仰向けの状態のまま転がっていた。ちなみにイヴァンと言うのは、今からおよそ一週間前に乗船したばかりのレオニードら三人を船室へと案内した、如何にもやる気が無さそうな例のにきび面の若者の事である。

「そうか、だったらそれで構わん! それだけ持ち堪えてくれれば、時間稼ぎとしては充分だ! それじゃあレオニードもヴァレンチナもイエヴァも、三人とも俺と一緒に、こっちに来てくれ!」

 やはりそう言ったルドルフ・マスカエフ船長の背中を追いながら、今にも小雪が舞いそうな真冬の夜空の下、レオニードら三人はコンテナ船の甲板上を船尾の方角目指して移動を開始した。腰を落とした低い姿勢を維持しつつ船尾を目指す彼ら四人の頭上を絶え間無く銃弾が飛び交い、少しでも頭を上げれば流れ弾でもって命を落としてしまいそうで、どうにもこうにも危なっかしくて仕方が無い。そしてそんなレオニードらの退路を確保すべく『共和国』の正規軍の兵士達と対等に渡り合うコンテナ船の船員達もまた、ルドルフ・マスカエフ船長同様それなりの訓練を積んだ元軍人か何か、それに類する経歴の持ち主である事が推測された。

「よし、今からこのゴムボートでもって、お前ら三人は急いで退避してくれ! 幸いにも『共和国』の港はどこも慢性的な電力不足のせいで、夜になれば、殆ど全ての場所が真っ暗だ! だからエンジンさえ始動させなければ、敵兵に発見されず、岸まで辿り着ける筈だからな!」

 やがてコンテナ船の甲板上を縦断して船尾へと移動したレオニードら三人が、そう言ったルドルフ・マスカエフ船長に案内されながら救命ボートの一種であるゴムボートへと乗り込むと、そのゴムボートが電動の捲揚機ウインチでもって凪いだ海面へと降ろされる。

「じゃあな、三人ともこれでお別れだ。レオニードもヴァレンチナもイエヴァも、必ずや作戦を完遂するんだぞ? いいな?」

「ああ、そうだな。今回の失態の穴埋めは必ずさせてもらうから、それまでマスカエフ船長も船員の皆も、どうか達者で居てくれよ?」

「悪いが、そいつはちょっとばかり難しい相談だな」

 最後にそう言って、少しだけ寂しそうに笑うルドルフ・マスカエフ船長に見送られながら、レオニードら三人を乗せたゴムボートは真っ黒で真っ暗な夜の海の水面みなもへと着水した。そして船長の助言通りエンジンを始動させぬまま、オールでもって漕ぎ進みながらコンテナ船から距離を取れば、やがてゴムボートはコンテナ埠頭ターミナルの外れの桟橋へと流れ着く。

「良し、俺達は敵兵に発見されずに退避出来たぞ! マスカエフ船長、あんた達も早く逃げてくれ!」

 桟橋から『共和国』本土へと上陸したレオニードは背後を振り返り、海上に浮かぶコンテナ船を凝視しつつも小声でもってそう言うが、当然の事ながら彼の声がルドルフ・マスカエフ船長の耳に届く筈も無い。そしてそんなレオニードらの想いを嘲笑うかのような格好でもって、もしくは彼らが桟橋に流れ着くのを確認してか、次の瞬間、天にも届くような爆炎と爆音を伴いながらコンテナ船が爆発した。

「マスカエフ船長!」

 そう言ってルドルフ・マスカエフ船長らの身を案じるレオニードの叫びも空しく、それは凄まじいまでの大爆発そのものであり、巨大なコンテナ船はあっと言う間にオレンジ色に輝く業火に包まれながらばらばらに爆散して果てる。

「そんな……マスカエフ船長……俺達があんたの船に乗ったばかりに、こんな事になってしまうだなんて……」

 沈痛な面持ちのレオニードは真っ暗な桟橋の上でそう言って、重ねてルドルフ・マスカエフ船長の名を口にしながら、がっくりと肩を落として項垂れた。しかしながら幾ら彼が後悔してみたところで、自らコンテナ船を爆破し、潔く命を絶ったものと思われる船長の身を案じても詮無い事である。それにしてもこの短時間でこれだけの大爆発を引き起こすとは、推測するにルドルフ・マスカエフ船長はいつかこの日が訪れる事を事前に予期しつつ、敵兵を道連れにした自爆攻撃と証拠隠滅のための爆薬をコンテナ船の各所に仕掛けておいたに違いあるまい。

「……おい……レオニード……応答せよ……あたしの声が……聞こえているか? 今の爆発音は何だ? 一体、そちらで何が起きている?」

 すると海上から『共和国』の本土に上陸した事によって電波を中継する衛星の通信範囲に足を踏み入れたのか、遠く『連邦』の司令部との通話が可能となり、レオニードの耳に装着された極小の無線機越しにそう言ってミロスラーヴァ少佐が問い掛けた。

「……こちらレオニード、ルドルフ・マスカエフ船長らが乗ったコンテナ船が港に着岸したまま爆発し、炎上しながら沈没しつつある。船長ら乗組員達の安否は不明だが、自爆を選択せざるを得なかったと言う状況から判断するに、生存は絶望的です」

「そうか……マスカエフ船長には悪い事をした。退役後も永きに渡って軍部に協力し続けてくれていた彼の死は、あたし個人としても残念で仕方が無い。それでレオニード、キミら三人は無事なのか?」

「ええ、事前にマスカエフ船長が逃がしてくれたおかげで、俺もヴァレンチナもイエヴァも、それに『連邦』から持参した各種の装備も無事です。惜しむらくはコンテナ船が沈没した事によって、ここから『連邦』に帰還するための手段を失ってしまったと言う点さえ除けば、作戦の続行に支障はありません」

「了解した。それでは予定通り、作戦を続行しろ。キミら三人が『連邦』に帰還するための新たな手段は、これから準備する。慎重に事を運べ」

「了解」

 レオニードはそう言って、作戦続行の指示を下したミロスラーヴァ少佐との交信を終えると、彼と一緒に桟橋から『共和国』の本土へと上陸したヴァレンチナとイエヴァの二人にも確認する。

「ヴァレンチナもイエヴァも、二人とも作戦続行に異論は無いな? ここから先は今まで以上に辛く苦しく困難な戦いが待ち受けている事が予想されるが、どうかこの俺に、手を貸してほしい。いいな?」

「りょ、了解!」

「……了解」

 ヴァレンチナとイエヴァの二人はそう言って首を縦に振り、作戦の続行と、彼に手を貸してほしいと言うレオニードの要請を承諾した。そして海上でごうごうと燃え上がるコンテナ船からの放射熱を背中で感じ取りながら、桟橋の上の彼ら三人が闇夜に紛れてコンテナ埠頭ターミナルから立ち去ろうとしたところで、不意にこちらへと接近しつつある一つの人影が眼に留まる。

「?」

 果たしてその人影は、軍用の毛皮の防寒コートと防寒帽に身を包む、一人の『共和国』の正規軍の兵士であった。しかしながら小走りに駆け寄って来るその兵士にこちらを警戒している様子は無く、桟橋の陰にそっと身を隠したレオニードら三人の存在に気付いている様子もまた見受けられない。

「うう、寒い寒い」

 するとそう言って独り言ちた『共和国』の正規軍の兵士は真っ暗な海に面した桟橋の縁に立ち、軍用ズボンのジッパーを下ろして寒さで縮こまった男性器をおもむろに露出させると、誰憚だれはばかる事無く堂々と立ち小便をし始めた。緩やかな放物線を描きながら着水した結構な量の小便が、じょぼじょぼと言った派手な水音を立てつつも、凪いだ海面を黄色く泡立てる。どうやらこの兵士は桟橋の陰に身を隠したレオニードらに気付かぬまま、単に尿意を催したので、一旦持ち場から離れてここまで立ち小便をしに来ただけらしい。

「……下品」

 イエヴァは小声でもってそう言って、立ち小便にうつつを抜かす『共和国』の兵士を断ずるが、これは見方を変えれば千載一遇のチャンスでもあった。

「こちらレオニード、これより敵兵を捕縛し、情報を得る」

「了解した。慎重に事を運べ」

 無線機越しにそう言ってミロスラーヴァ少佐が捕縛を許可すれば、レオニードは腰のシースからエストレイマラティオ社製のタクティカルナイフを抜き取り、未だこちらの存在に気付いていない兵士に背後からそっと歩み寄る。

「!」

 やがて立ち小便を終えた兵士が露出した男性器を上下に振って先端に残った尿の雫を振り払い、ぶるぶるっと背中を震わせたその直後、レオニードは背後から音も無く兵士に襲い掛かった。そして兵士の口を分厚い掌でもって覆いつつ、手にしたタクティカルナイフの丹念に研ぎ上げられた切っ先を喉元に押し当てる事によって、抵抗すれば即座に喉を切り裂く事を暗に伝える。

「動くな。大声を出せば、この場で躊躇無く喉を切り裂いて、お前を殺す」

 兵士を背後から捕縛したレオニードが、やや訛った『共和国』語でもって警告した。すると捕縛された兵士は涙眼になりながらも首を縦に振り、抵抗する意思が無い事を彼に伝える。

「少尉か……この階級なら、それなりの情報を得られそうだな」

 レオニードは『共和国』の正規軍の兵士が着ているオリーブドラブ色の軍服の、襟に縫い留められた階級章を確認しながらそう言った。そしてタクティカルナイフの切っ先を彼の喉元に押し当てたまま、兵士の口を覆っていた分厚い掌をそっと解き放ち、小声でもって尋問を開始する。

「コンテナ埠頭ターミナルに招集された、お前ら『共和国』の正規軍の規模は? 一体全体、どれ程の数の兵士が、俺達を探している?」

「……この埠頭ターミナルには歩兵が一個中隊と、海上を警備する二個小隊の、およそ二百五十名余りが集結している。それと背後の駐屯地にまた別の二個中隊が集結しているが、こちらはあくまでも予備の部隊なので、今夜は出番が無いだろう」

 タクティカルナイフを突き付けながら尋問するレオニードの問い掛けに、彼が捕縛した立ち小便にうつつを抜かしていた『共和国』の正規軍の兵士はそう言って、呆気無く情報を開示した。どうやらこの兵士は尉官にもかかわらず、以前大使公邸で相対した駐シリア・アラブ共和国大使と違い、祖国の偉大なる党と総書記閣下に対してあまり忠誠を尽くさない性分の兵士らしい。

「だとすると、何故お前らは、このコンテナ埠頭ターミナルに集結していた? 今日この場所で、俺達が上陸すると言う事実を、お前ら『共和国』の正規軍はどこで知り得たと言うんだ?」

 レオニードがそう言って問い質せば、この疑問に対しても、タクティカルナイフを突き付けられた兵士は情報を開示する事を躊躇ためらわない。

「お前ら『連邦』の『クラースヌイ・ピスタリェート』の司令部に、お前らにとっての反逆者、つまり俺達にとっての内通者が存在する。その内通者が俺達『共和国』の指導部に提供した情報を根拠にしながら、こうして俺達は、お前らが到着するまで埠頭ターミナルで待ち構えていたと言う訳だ」

 兵士がそう言えば、レオニードはいよいよ核心に迫る。

「その内通者とは、誰だ?」

「アガフォンと言う名の男だ。俺も本人に直接会った事こそ無いものの、ぶくぶくに太った、金に汚い男だと聞いている」

「何だと? アガフォンが内通者だって?」

 よりにもよってアガフォンこそが内通者だと名指しした『共和国』の正規軍の兵士の言葉に、無線機の此方彼方を問わず、その場に居合わせたレオニードら『クラースヌイ・ピスタリェート』の全隊員達がそう言って驚愕の声を上げざるを得なかった。勿論、内通者だと名指しされてしまったアガフォン唯一人のみが、涼しい顔のまま司令部の彼のデスクに腰を下ろしている。

「ああ、参ったな。とうとうバレちまったか」

 まるで他人事の様に気安い表情と口調でもってそう言ったアガフォンの、如何にも肥満体の男らしいもごもごとくぐもったデブ声が、極小の無線機越しにレオニードの耳に届いた。

「アガフォン! 一体これは、どう言う事なんだ!」

「どうもこうも、この俺こそが『共和国』の指導部に『クラースヌイ・ピスタリェート』の情報を提供していた内通者、いや、反逆者だって事さ。事実が判明してみれば、実に簡単な話だろう? ん?」

 やはり他人事の様な気安さでもってアガフォンはそう言うものの、遠く『連邦』の地の司令部に居る筈の彼の言葉を、純粋で純朴なレオニードは軽々に鵜呑みにする事が出来ない。

「何故なんだ、アガフォン? どうしてお前は、仲間である筈の俺達を裏切ったと言うんだ?」

「どうしてだって? おいおい、そんなもの、金のために決まってるじゃないか! どれだけ危険で過酷な仕事に従事しても一介の地方公務員と同等の固定給しか支払わないケチな『連邦』と違って、俺との裏取引を持ち掛けた『共和国』は気前良く、情報を提供する度に結構な額に換算出来る金塊を対価として支払ってくれたからな! 濡れ手で粟とばかりに簡単に大金が懐に転がり込むあの感覚を知っちまったら、もう二度と、真面目で地道にせこせこと働いてなんて居られるかってんだ!」

 子供向け商品の百貨店『子供の世界』の隣に建つ『クラースヌイ・ピスタリェート』の司令部に居る筈のアガフォンはそう言って笑いながら、まるで無線機の向こうのレオニードを嘲笑うかのような格好でもってぼりぼりとスナック菓子を貪り食い、人工甘味料たっぷりの炭酸飲料をごくごくと豪快に飲み下した。するとそんな不躾な態度の肥満体のアガフォンに、手入れが行き届いたカーキ色の軍服に身を包む一人の女性が、そっと背後から接近する。

「言いたい事はそれだけか、アガフォン?」

 果たしてそう言った軍服姿の女性こそ、レオニードやアガフォンの直属の上官を務める『クラースヌイ・ピスタリェート』の現場指揮官であり、また同時に女丈夫として知られるミロスラーヴァ少佐その人であった。そしてアガフォンの背後に立つ彼女の手には、レオニードの愛銃と同じカシン12自動拳銃が握られ、その銃口はアガフォンの頭のど真ん中に向けられている。

「これはこれは少佐殿、そんな物騒な物を、非戦闘員である筈のこの俺に向けないでもらえませんか?」

 銃口を向けられたアガフォンはそう言いながらにやにやとほくそ笑むものの、銃口を向けたミロスラーヴァ少佐は決して笑い返さず、カシン12自動拳銃を握った手を下ろしもしない。

「アガフォン、キミは情報提供の報酬として『共和国』の指導部から供与された僅かばかりの金塊と引き換えに、一体何を得るつもりだったと言うんだ? 苦楽を共にした筈の仲間の命を危険に晒し、手間暇掛けて築き上げた筈の信頼関係を惜し気も無くドブに捨ててまで、どんな人生の結末を待ち望む?」

 カシン12自動拳銃を手にしたミロスラーヴァ少佐がそう言って問い質せば、こちらを振り向いたアガフォンは生殺与奪の権を彼女に握られていると言う緊張感も無いままに、脂肪で弛んだその顔に益々下卑た笑みを張り付かせながら返答する。

「少佐殿、俺はね、それこそママのおっぱいをしゃぶっていたような子供の頃から『合衆国』に移住してみたかったんですよ。ところがご存知の通り、あの国は余程の大金持ちでもなければ悠々自適な人生を謳歌する事も出来っこない、まさに資本主義の総本山とでも呼ぶべき非情な大国だ。だから俺はどうしても金が必要だったし、金のためならばどんな悪事にでも躊躇無く手を染める、それこそ『合衆国』の国体と同じくらい非情な男だったと言う訳ですよ」

「そうか、成程。だからキミは、金のために仲間を売ったと言う訳か」

「ええ、ええ、そうです、まさにその通りです。いずれ『合衆国』に移住するための軍資金を得るためなら、俺はどんな汚名を着せられる事もいといませんよ。だから、イエヴァ! キミも俺の、この声が聞こえてるんだろう?」

 するとアガフォンは唐突にそう言って、彼女の耳に装着された極小の無線機越しに、遠く『共和国』の夜の桟橋に居る筈のイエヴァの名を呼んだ。

「……はい?」

 そしてイエヴァが無線機越しにそう言って、彼の呼び掛けに応じると、アガフォンはやはり唐突にとんでもない事を言い始める。

「だからイエヴァ、俺と結婚して、一緒に『合衆国』に移住しよう! 一緒に『合衆国』の広大な土地を購入し、何不自由無い幸せな余生を過ごすんだ! いいだろう? な?」

「……え、やだ」

 アガフォンの唐突なプロポーズと将来設計を耳にしたイエヴァは端的にそう言って、彼の提案をあっさりと拒否してしまった。すると司令部に居る筈のアガフォンは、やにわに激昂し始める。

「何? 嫌だと? 何故だ? 何故、俺と結婚するのが嫌なんだ?」

「……あたし、あなたみたいに太ってる人は生理的に無理だから。それと、そもそも『合衆国』に移住したいだなんて、一度だって考えた事も無いし」

 やはり端的にイエヴァがそう言えば、彼女に拒絶されたアガフォンの怒りは勢い頂点に達さざるを得ない。

「糞っ! 糞っ! 糞っ! 畜生! 畜生! 畜生! いつも、いつもそうだ! どいつもこいつも俺の事を、デブで禿げだと言って馬鹿にしやがって! 俺はこう見えても、大金を持ってるんだぞ! それに俺だって、好きで太った訳じゃない! 脳がカロリーを要求するから、仕方無く甘い物を食って太ったんだ! だから、俺のこの腹と顎は、俺が優秀である事の証拠であり、象徴なんだぞ! 馬鹿にするな!」

「おい、アガフォン、落ち着け!」

 レオニードが無線機越しにそう言って、激昂してぎゃあぎゃあと喚き散らすばかりのアガフォンをなだめようと試みた。すると今度は、そんなレオニードにアガフォンの矛先が向けられる。

「うるせえってんだよ、レオニード! 偉そうに、俺に指図するんじゃねえ! そもそも俺は昔っから、お前の事が心底大嫌いだったんだ! いつもいつも最前線に立つお前ばっかり女にモテやがって、司令部で地味な下働きに明け暮れる俺を出し抜いて一人で勝手に昇進しやがって、どうせお前だって俺の事を、デブで禿げで無能なブ男だと思って陰で見下してたんだろう? どうだ、違うか? 違わないよな? あ? 何とか言えよ、この卑怯者!」

 そう言って喚き散らすアガフォンの言葉に、レオニードは一体何が卑怯者なのかも理解出来ぬまま、てっきり同期入隊の親友同士の間柄だと信じて疑わなかった彼から「昔っから、お前の事が心底大嫌いだったんだ!」とまで言われてしまった事にショックを隠し切れない。

「アガフォンよ、八つ当たりは、もう終わったか?」

 すると散々喚き散らし続けたアガフォンが、脂肪が肺を圧迫してしまっているのかぜえぜえと息切れを起こしたまま一言も喋る事が出来なくなったところで、そう言ったミロスラーヴァ少佐が手にしたカシン12自動拳銃の撃鉄ハンマーを起こした。そしてそんな彼女の背後にはやけに体格の良い三人の制服姿の男達、つまり悪名高き連邦保安庁の職員達が立っており、彼らは反逆者である事が判明したアガフォンを強制的に連行しようと試みる。

「糞っ! その手を放せ! お前らなんかに、今の俺の気持ちの何が理解出来るって言うんだ!」

 しかしながらアガフォンはそう言いながらぶんぶんと腕を振り回して暴れ回り、彼を強制連行しようとする連邦保安庁の職員達に対しても、そのぶくぶくに太った巨大な体躯に見合うだけの結構な怪力でもって抵抗し続ける。

「暴れるな! 大人しくしろ! 大人しくしなければ、この場で射殺するぞ!」

「黙れ、この税金泥棒の政府の走狗いぬどもが! 俺みたいな優秀な隊員を射殺出来るもんなら、やってみやがれってんだ!」

 そう言って再び喚き散らしながら抵抗しつつも、連邦保安庁の職員達の手によって強制連行された肥満体のアガフォンは、やがて司令部の頑丈な鉄扉の向こうへとその姿を消した。これでもう二度と、金輪際、反逆者の烙印が押されてしまった彼がレオニードらと顔を合わせる事は無いだろう。

「なあ、もう仲間割れは終わったんだろ? だったら正直に内通者の素性を教えてやったんだから、そろそろ俺も、自由の身にしてくれないかい?」

 すると事の成り行きを見守っていた、もしくはレオニードらの会話が理解出来ないがために蚊帳の外だった『共和国』の正規軍の兵士がそう言って、拘束状態からの解放を要求した。

「ああ、そうだな。お前はもう用済みだ」

 しかしながら非情にも、そう言ったレオニードは躊躇無く、手にしたタクティカルナイフの鋭利な切っ先でもって兵士の喉を掻き切った。喉を掻き切られた兵士は喉仏の内側に存在する左右の声帯の間を呼気が通過せず、断末魔の叫び声を上げる事も出来ぬまま、ごぼごぼと真っ赤な血のあぶくを噴きながら乏血性ショックによって絶命する。

「……」

 レオニードは彼の足元で絶命する『共和国』の正規軍の兵士に向けて、まるで苦虫を嚙み潰したかのような沈痛な面持ちと、飼い主に叱られた子犬の様に哀しげな眼差しを投げ掛けた。果たして彼がその兵士の姿に、親友であった筈のアガフォンの姿を重ね合わせていたかどうかは、定かではない。

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